コミック五巻発売記念☆ 閑話①『サイ』

我が名はサイオン。

この世界の闇を統べる魔王サイオン


――そう。

私は魔王。

【クリソベリルの首輪】を付けたことにより、魔王としての魔力を封印されて、艷やかな黒色の毛並みの猫へと変容した。


厳密に言えば、この世界を滅ぼせるほどの強大な魔力は封印されているだけで、その強大な魔力が解き放たれた暁には、また最強の魔王として闇世界に君臨せし者である。


だが……今の私には、世界を脅かす魔王としての責務に戻るつもりはない。

だから魔王ではあるが魔王と言いたい。

何故ならば私は――――


「今日のおやつはチョコレートボンボンだそうですわ!」

鈴の音を転がしたような愛らしい声をした黄色の小鳥が、パタパタと羽ばたいて来て、私の頭の上に着地した。


「おお、あの時に食べたやつだな?」

「ふふふっ。そうですわ!」

黄色い小鳥を見上げながらそう言うと、黄色い小鳥は私を見下ろしながら微笑んだ。


「お父様の所に行った時に、一緒に食べたアレですの」


私を『お父様』と呼ぶ、この黄色の小鳥は、我が娘のアイシャこと――金糸雀だ。

亡き妻が残してくれた大切で愛おしい娘である。


ここまで無事に育ってくれたことへの喜びと、この場にその喜びを分かちあえる妻がいないことの寂しさから、胸が締め付けられるように苦しくなる時もある。


……諸々の事情があって娘達とは別々に暮らしていたのだが、とある縁が私達家族を再会させただけでなく、一緒に暮らせるようにしてくれた。

その縁とは――


「そろそろシャルロッテが持って来てくれるわ」


我があるじ『シャルロッテ・アヴィ』である。


主の瞳の中には【赤い星】がある。

この世界にいながら他世界の記憶を持ち、この世界に多大な影響をもたらす、聖女とさえ並ぶ稀有な存在である証。主は『女神の愛子』なのだ。


――魔王である私の耳にも、女神の愛し子の噂は届いていた。


王都から少し離れた場所にあるアヴィ領。

我が娘は、主の住む邸の裏山にダンジョンを作ったのだが、ダンジョンの存在にいち早く気付いた主は、前人未到の力業を以て、父や兄達と攻略していった。


主の規格外の力と、この世界にはなかった美味しい食べ物に魅力された娘は、魔族の秘宝である【籠の鳥】の腕輪を使って魔力を封印し、小さく脆い小鳥の姿になってまでも、『メイ酒漬けドライフルーツ入りのアイス』とやらを食べることを選んだ。


因みに、『道化の鏡』こと――イシス。

あるじにクラウンと呼ばれている我が息子は、主の圧倒的な力を前にして心をポッキリと折られ、真の意味で服従を誓っている。

よほど主が怖いようで、いつも目に触れぬようにと、ひっそりと暮らしている姿には、我が息子ながら情けない……と思わなくもないが、そんなイシスも可愛い息子である。馬鹿な子ほど可愛いとも言える。


「あ、シャルロッテ!もう!遅いわよ!?」

「ごめん、ごめん!ちょっとお兄様に捕まっててさ」

私の頭の上に留まっていた娘が、主の方へと飛んで行く。気心の知れたような二人の様子を見ていると、自然に頬が緩んでしまう。


アイシャにとって、主は初めて出来た友人だ。

長く離れていた子供達と一緒に暮らせるようになっただけでなく、友人と接する娘まで見られるとは……なんと感慨深いことか。

目尻に浮かんだ涙をそっと拭う。


「ルーカスに捕まったの?」

娘がキョトンとした顔で首を傾げた。


ルーカスとは主の兄である。

直感で動く主の兄とは思えぬほどに、頭の良い男だ。それだけでなく、魔王の私の全知全能という能力の中の全知を持った侮れない相手でもある。


「……うん。私の手元を見るなり、魔王降臨!って感じの仄暗い笑みを浮かべて『シャル、分かってるよね?』って!」

「なるほど。釘を刺されたのね」

娘は苦笑いしてても愛らしい。


今日のおやつのチョコレートボンボンには、メイという酒が、原液のまま中に入っているのだ。

他世界では大人の女性だった主も、この世界ではまだ酒も飲めない子供だ。

酒好きである主は、何かにつけて『合法』とやらの言葉を言い訳にし、酒を口にしようと頑張っているのだが、毎回兄ルーカスに見つかって怒られているそうだ。

兄ルーカス的に、チョコレートボンボンは絶対NGらしいぞ。


「ちょっとぐらい……ほんのちょっとなら、私でも食べても良いと思わない!?」

プンプンと怒る主の頬がどんどん膨らんでいく。

あの頬を娘が嘴で突いたらどうなるのだろう。


そんなことを考えていると、部屋の中にひやりとした冷気を感じた。

咄嗟にその方向を見ると――


「「あ……」」

思わず溢れた呟きが娘と被った。


「大体いつも、いつもお兄様は、心配し過ぎなんだよ!」

頬を膨らませながら尚も怒っている主は、気付いていない。


「シャ……シャルロッテ。あの……」

「どうかした?あーもー!お兄様のケチ!!」

目の前にいる娘の顔色が、どんどん悪くなっていることにも気付いていない。


私はこれからの展開を想像してゴクリと唾を飲み込んだ。涙なんて一瞬で引っ込んだ。

魔王である私を圧倒するとは……。


「どうもなお兄様です?」

瞳を細めた満面の笑みを浮かべた兄ルーカスが、主の背後からガシッと両手で肩を掴んだ。


……まあ、主を逃さない為だろうな。


「ひっ……!」

その瞬間に、飛び跳ねそうな勢いでビクリと身体を揺らした主は、酷く青褪めた顔でゆっくりと背後を振り返った。


「まお……お兄様」


おそらく、始めに言いかけた言葉は『魔王』だろう。兄ルーカスの放つ圧は私と同等――いや、少し上かもしれない。


「……僕、言ったよね?身体に悪いからちゃんと決まりがあるんだよ、って」

「す、すみません……!」

「今まで甘やかし過ぎてたみたいだから、この際


ガタガタと震える主の肩をガッチリと掴みながら、更に兄ルーカスは笑った。


「お、お兄様!そ、それは誤解です……!」

「大丈夫。

にっこりと微笑みながら、主を強引にソファーに座らせて、その隣に自分も座った。


立ったままではなく、座らせたのは長くなるからか……?


「大体、君はいつも――」

先程、主が言ってたような文言を引用しながら兄ルーカスが口を開いた。


主が逃げないようにしっかり両手を握っているあたりが、侮れない怖い男である。

……手を握られた主は逃げることも出来ずに、更に手を握られていることで恐怖心が増す。


憐憫の眼差しで主を見ていると、ツンツンと前足を突かれた。


「……お父様。ああなると長いから、私達だけでおやつを食べましょう?」

いつの間にか隣に来ていたアイシャだった。


愛しの娘に誘われたのに、断るという選択肢などない。ヒソヒソ声で話す娘に合わせて、声は出さずに大きく頷く。


娘と上手く連携を取りながら、主の近くにあったチョコレートボンボンの乗った皿を頭に乗せて、静かに部屋の隅に運んで行く。


……ふむ。猫の足とは不便なものだ。

物を掴むのには問題ないが、持ち運びには適さない。こんな時の為に、二足歩行を覚えるべきだろうか?


「んーーー!これよ、これ!!」

娘が頬を両羽で押さえながら幸せそうな顔で笑う。


「お父様も早くお食べにならないと、私が全部食べてしまいますわよ」

ジッと見られていたのが恥ずかしかったのか、頬を赤く染めた娘がツンとそっぽを向いた。


「……それは困るな」

私は苦笑いを浮かべながらチョコレートボンボンを一つ取って、口に入れた。


コロッと丸いチョコレートを噛むと、じわりとメイ酒の濃厚な味が口いっぱいに広がる。

メイ酒の甘みが強い分、チョコの甘さが控え目なのが丁度良い。


「うむ。やはり旨いな」

甘く優しい味だ。


――どこまでも甘く優しい、幸福の味。

それは皆が揃って幸せだった時の記憶を想起させる。


シャルロッテを主としたのは、理由が二つあった。

一つは、亡き妻に似ていたこと。顔ではなく、内面がだ。

穏やかで優しくて情に厚く、自分のことなんて二の次で、常に誰かの幸せを願っていた妻は、それ故に……。



「……!?」

急に眉間に激痛が走った。

眉間を押さえながら瞳を瞬かせると、娘がプクッと頬を膨らませて、こちらを見ていた。

『主の頬を娘が嘴で突いたらどうなるのだろう』……なんて考えてた罰が当たったのだろうか。


「美味しいおやつを食べている顔ではありませんわ」

どうやら眉間を嘴で突かれたらしい。


「……すまない」

「余計なことを考えなくなるまで、もっと沢山シャルロッテの作ったお菓子食べて下さい」

「それは何故だ……?」

「それは勿論、シャルロッテの作るお菓子が、食べた者を幸せにしてくれる物だからですわ!」

娘がフフンと胸を張って自慢気に笑う。


シャルロッテを主とした二つ目の理由は、アイシャだった。

主の作るお菓子を食べる娘が、それはそれは幸せそうで、胸がいっぱいになった。

それほどまでに娘が心を許している相手をもっと知りたくなった。見極めてやろうとも思ったが……。


「そろそろ、思いつきで即行動するの止めてくれるかな」

「うぅっ……前処します」


兄ルーカスの言うように、主は考えるより先に行動する――良く言えば裏表のない人間だった。

たまに考え事をすると、余計な心配をし出すのだとも娘が愚痴を零していたな。


娘が言っていたように『規格外で破天荒なシャルロッテ』は、確かに見ていてとても面白い。

ほんの数日一緒にいただけで、信頼に値する人間であることも分かった。


「お父様!次はフォンダンショコラを作って貰いましょう!」

「そうだな。あれも旨かった」

「アイスクリームも添えて貰いましょう!」

「うむ。楽しみだ」

微笑む娘に笑みを返す。

私は今、とても幸せだ……。



――もう魔王には戻らない。

何故ならば私は、この世界を壊すことよりも最愛の娘と息子と余生を過ごすこと選んだから。

愛しい娘達と一緒に過ごせるようになったのは、主のお陰だ。それこそ感謝してもしきれない。

……感謝してもしきれないのだが、兄ルーカスとのはどうにも出来ないぞ?


「主よ、すまない……」

娘達の幸せを見届ける為には、我が身が大事なのだ。余計に寿命は縮めたくはない。

助けを求めるような主からの視線を見て見ないふりをした。


――うむ。チョコレートボンボンは何個食べても旨いな。


主の悲痛な声が聞こえたかどうかは、神のみぞ知る。






**********

(おまけ)


……魔王城はどうしたのか、だって?


そんなのは放棄したに決まっているだろう。

元々、私の魔力で管理していたようなものだ。

ダンジョンのように、城の主が不在の日数が長かったら消えるようにしておいた。

そうでなければ、良からぬ考えの者達に占拠されるかもしれないだろう?


……子供達のアルバム?

そんな大事な物は全部持って来たに決まっているだろう。

保管場所は誰にも秘密だ。

――なんてな。兄ルーカスに用意してもらった異空間収納ケースにしっかりとしまった上に、イシスに隠してもらってある。

アルバムだけでなく、子供達が幼い頃に着ていた服も全て取ってある。私の宝物だからな。

ああ、勿論愛する妻との思い出の品も同様だ。


だから、何も心配することはないのだぞ!

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