コミック6巻発売記念SS【可愛い悪戯?】〜彼方side①〜
「い、良いのかな……?」
「ふふっ。良いの、良いの!」
戸惑う私を横目に見ながら、シャルは長袖をまくり上げた。
『ドレスなんかじゃ動き難くて、何もできないから』と、飾り気のないシンプルなワンピースを着用し、当り前のように調理場に立っているけれど……普通に考えれば有り得ない状況である。
親しみやすい彼女の人柄のせいで、忘れてしまいがちなのだが――【シャルロッテ・アヴィ】は、王族に次ぐ地位にあたる高貴な血筋である公爵家の令嬢だ。
実際に彼女の伯父が国王であり、従兄は王太子である。
貴族の令嬢といえば、使用人に傅かれるのが当り前で、自ら料理するなんて以ての外。
ゲームの中でのシャルロッテは、自分の立場を良いことに、周囲に当たり散らすような我儘なキャラクターでもあった。
――『意地悪で我儘な嫌な人』。
私が持っていたイメージをあっという間に覆した、この世界のシャルは、楽しそうに鼻歌を歌いながら卵を割っている。
容姿は全く同じなのに、表情が全然違う。
柔らかい笑みを浮かべる彼女には、実はまだ少し戸惑っていた。
色んな意味で、まだ夢を見ているようだったから。
こうして見ていると、シンプルなワンピースは、シンプルだからこそ、シャルの魅力を最大限に引き立たせており、どんな逸品より最高級なものに思えてくる。侍女さん達が普段から使っているエプロンと同じ物を身に着けているのだが、それすらも豪奢なドレスにすら思えてくるから不思議だ。
私も同じエプロンを身に着けているのだが、素敵なシャルとは違って、あまりにも似合わなすぎる自分に溜め息が出る。
シャルは私の願いを叶えるためのチョコレートプリンを作ってくれているところだ。
どんな理由であれ、折角この世界に来れたのだから、推し活を満喫しようと提案してくれた彼女を私は微力ながら手伝いをしている。
ワンピースのポケットの中から小瓶を取り出したシャルは、その蓋を開けると躊躇いもなくボウルの上で傾けた。
この小瓶の中に入っている薬こそが、今回の作戦に絶対に欠かせないものなのだそうだ。
私の身体にあった酷い傷痕を消してくれたのと同じ――シャルが作った魔法の薬である。
小瓶の中に入っていた薬が、一滴、二滴とポタポタと落ちていく。
無色透明な薬はその色の如く、無臭なのかと思いきや、バニラのような甘い香りがした。
甘い辺り一面にふわりと甘い香りが広がっていく。
「…………」
――それは、家族が幸せだった頃の記憶を連想させる懐かしい思い出の香りだった。
母……お母さんが作るプリンには、必ずバニラエッセンスが入っていて、それが拘りなのだと教えてもらったことがある。
当時の流行りだった蕩けるような柔らかいプリンではなくて、いかにも手作り!といった固いプリンだったのだけれど……甘さ控えめで優しい味がするお母さんのプリンが、私は何よりも大好きだった。
自分のことを捨てた酷い親のことなんて、記憶の底にしっかりと封印したはずなのに……。
やり場のない怒りと苛立ち――そして、ぽっかりと胸に空いたような喪失感が蘇り、私の胸を締め付けた。
黒く渦巻く感情に心が支配されかけたその時。
「これをサクッと混ぜて、パパッと冷やせば完成だよ!」
そんなシャルの言葉にふと我に返った。
小瓶をまたポケットの中に仕舞ったシャルは、その言葉通りにサクッとパパッと魔術を使い、あっという間にチョコプリンを完成させてしまう。
「これを作戦通りに食べさせれば……ふふふっ。楽しみにしていてね!彼方!」
可愛らしくクルクルと変わる表情。
天真爛漫な笑顔があまりにも眩しくて、私は思わず瞳を細めた。
赤の他人の――それも、因縁のある私を実の妹のように可愛がってくれるシャルは、誰よりも私を気遣ってくれている優しい人だ。
……今だってそうだ。
私の細やかな変化にいち早く気付いて、心配してくれている。
私は彼女に心配をかけないように、黒く染まりかけた感情を堪えて、その場をどうにか取り繕った。
「……っ。ど、どうしよう!?本当に良いのかな!?」
……チラリと、シャルを上目遣いに見上げると、
「大丈夫だよ!私に任せて!」
シャルはにっこりと微笑みながら私の頭を撫でた。
これは彼女の無意識の行動なのだと、最近気付いた。
シャルに撫でられながら、私は安堵の溜め息を吐いた。こうして撫でられるのは嫌いではなく、寧ろ心地良いと思っている。
本来ならば、彼女からこんな風に好意を向けられる資格なんて、私にはないのに……。
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