岐路③
『僕と婚約して欲しい。シャルロッテ。』
私の聞き間違えではなければ、リカルド様はそう言った。
返事をしないといけないのに、言葉が出て来ない。
…私はまだ自分の秘密をリカルド様に打ち明けていないのだ…。こんな状態で答える事は出来無い。
「リカルド様。」
名前を呼ぶと、リカルド様の瞳が不安そうに揺れた。
椅子から立ち上がり、リカルド様と同じ様に地面に膝をつく。
そして、リカルド様の透き通る様に綺麗なブルーグレーの瞳を見つめた。
「私にはまだリカルド様にお話していない秘密があります。…聞いてくれますか?」
リカルド様が黙って頷くのを見届けてから、私はゆっくりと口を開いた。
「私は【赤い星の贈り人】です。異世界で産まれ、亡くなった別の人間の記憶を持っています。」
私の告げた言葉に、リカルド様の瞳は大きく見開かれ、もふもふのお耳と尻尾はピンと立ち上がった。
…うっ。そんな状況じゃないのに…リカルド様が可愛い。なでなでしたい…って、違うだろ。私。
コホン。
小さく咳払いをし、気を引き締め直す。
「私は天羽 和泉と言う27歳の人間の女性でした。」
和泉の生い立ちから亡くなる過程までを話し、この世界に似たゲームをやっていた事。ゲームの内容やリカルド様もそのゲームに居た事。
その記憶を一年前に思い出した事。
お父様やお母様達が、今日起こる予定だったスタンピードで亡くならない様に…。シャルロッテが道を踏み外さない様にする為に、この一年間、奔走して来た事。
それら全てを話した。
「……嫌いになりましたか?」
尋ねた後に涙が溢れそうになり、私は唇を噛み締めた。
リカルド様は大きく首を横に振る。
「こんな頑張り屋のシャルロッテを嫌いになんてならないよ。…今まで沢山頑張ってたのに気付けなくてごめん。」
悲しそうに眉を寄せるリカルド様に向かって、今度は私が大きく首を横に振った。
「リカルド様は悪くありません!」
「…ありがとう。」
リカルド様は優しい笑みを浮かべて、私の頬に手を当てた。
「…でも、これで分かった。」
「…リカルド様?」
「どうして僕なんだろうって、ずっと思ってた。シャルロッテが望めば、クリス様とだって結婚出来る立場に居るのに、何故…獣人の僕なんかを選んだんだろうって。」
「リカルド様!それは…」
「うん。分かってる。君の気持ちは疑っていない。」
リカルド様は私を落ち着かせる様に、優しく指先で頬を撫でる。
「始めは《憧れ》みたいな物だった。でも、今はきちんと好意を持ってくれてる。そうだよね?」
その言葉に私は何度も頷く。
確かに最初は《憧れ》だった。ゲームの中の大好きなキャラクターに出逢えた喜びが強かった。
それが、リカルド様と話したり、手紙のやり取りをする様になり、その人柄に触れる度に恋心に変わって行った。
「君が僕を選んでくれて嬉しいよ。」
リカルド様は嬉しそうに瞳を細めながら言った。
「それに、《憧れ》でも何でも…もう離すつもりは無いからね?」
リカルド様はにこりと…お兄様がよくする様な威圧的な笑みを浮かべた。
……。
咄嗟に身体を引かせかけたが、頬にあったリカルド様の手がそれを許さなかった。
「…こんな僕は嫌い?」
首を傾げ、シュンと寂しそうに耳を下げるリカルド様。
どっちのリカルド様が本当のリカルド様なのだろうか…。
否、どちらもリカルド様なのだろう。
ゲームでは知り得なかった本物のリカルド様だ。
「私と婚約して下さい。リカルド様!」
私は、リカルド様に抱き着いた。
「え?!わっ!」
突然、私に抱き着かれたリカルド様は、出逢った頃の様に真っ赤になって慌てたが、直ぐに私の言葉に応えてくれた。
「うん。これから宜しく。」
そして私をギュッと抱き締め返してくれた。
スタンピードは回避され、私の想いが実った。
まだやらなけれはならない事は残ってる。
だけど…幸せだ。
私とリカルド様は瞳を合わせ微笑みあった。
…のだが…。
「僕の事忘れてない?」
私のお
私のリカルド様の間に入り込み、引き離してしまう。
「『邪魔しない』とは言ってないからね?」
リカルド様に向かって、邪悪な微笑みを見せるお
「お手柔らかにお願いします。お義兄様。」
リカルド様はそんなお兄様に向かって、毅然と笑い掛ける。
ええと…こういうの何て言うんだっけ?
《ハブとマングース》?《犬猿の中》?
「…また失礼な事考えてない?」
お兄様が瞳を細めながら、チラッとこちらを見る。
「…いえ!お兄様大好き!」
私は諸々誤魔化す為に、お兄様に抱き着いた。
「…誤魔化したね?」
抱き着かれたお兄様は苦笑いを浮かべてながら、私の頭を撫でた。
「羨ましいでしょ?」
「少しね。でも、僕はこれから沢山言ってもらうから大丈夫。」
……二回戦開始ですか?
まあ、仲良しだから放っておこう。
えっ?本音?
…怖いから関わりたくない…(汗)
あー、あー、何も聞こえなーい。
私は耳を塞いで時が経つのを待った。
****
その日の夜更け。
私はお兄様の部屋を訪ねた。
それは以前に約束した事を果たす為にである。
トントン。
部屋のドアをノックすると、返事より先にドアが開いた。
「いらっしゃい。来ると思ってたよ。」
兄妹とはいえ、不謹慎な時間なのだが、お兄様は構わずに中に招き入れてくれる。
「…勉強していたのですか?」
机の上には開きっ放しの本とノートが見えた。
「んー?ああ、課題を少しね。気にしなくても直ぐ終わるから大丈夫。」
お兄様はそう言って、私をソファーに座らせる。
「キースと、リリーナは可愛いかったでしょう?」
「うん。凄く可愛かった。性別は逆だけど、僕達の子供の頃みたいだったね。」
お兄様のお土産の絵本と玩具は無事に双子に届けられた。玩具で遊ぶのはまだ先だが、絵本は読んであげようと思う。赤や青等の原色の綺麗な絵本だから、まだよく見えない瞳にも写りやすいだろうし。
子守唄代わりになるかもしれないしね。
そんな事を考えている内に、いつの間にかお兄様は私の正面に座っていた。
お兄様は優しい微笑みを浮かべてこちらを見ている。
「婚約おめでとう。シャルロッテ。」
「…ありがとうございます。」
私は少し照れながら答えた。
「面白くないけど、リカルドみたいな男は見つからないだろうからね。」
お兄様は少しだけ瞳を細める。
本日の夕食の時に、アヴィ家に滞在中のリカルド様が、私との婚約申し込みをお父様にしてくれたのだ。
お父様は獣人に嫌悪感を持たない人だし、リカルド様の家柄は申し分無い。娘を大事にしてくれる、優しい夫になるであろうリカルド様の申し出を二つ返事で了承してくれた。
リカルド様はお祖父様達に既に話しをしていて了承を得ている為、近々、両家で顔合わせをしながら正式発表をする予定だ。
「それもこれもお兄様のお陰です。」
私はお兄様に向かって頭を下げる。
お兄様が私の味方じゃなかったら…結果は変わってたかもしれない。
「…止めてよ。まだお嫁に行く訳じゃないんだから。」
お兄様は苦虫を噛み潰した様な笑みを浮かべる。
一年前はもっと絶望に近い感情を持っていた。それが、問題を解決する度に徐々に軽くなっていった。
もし、一人で抱え続けていたら…途中で潰れてしまったかもしれない。
だから、あの日。
無理矢理に近い形で私の秘密を暴いてくれた
お兄様のお陰なのだ。
…私はきっと永遠に、お兄様には頭が上がらないだろう。
「約束のお酒です。 」
異空間収納バッグの中から、瓶に入ったお酒を取り出した。
何度も試行錯誤を繰り返しながら、作り出したお酒である。
お兄様と私の秘密のお酒は【ラベル】を使用した。
お酒を作り出す事に成功したのは、少し前の事だ。シーラやスーリーのお酒を作る事も考えたが…止めた。
自作のお酒に関わる事は、全てお兄様との秘密の約束を果たしてからにしたかったのだ。
グラスを二つ用意し、半分より少し上までお酒を注ぎ入れる。
それから、炭酸水を作る要領でグラスの上に右手を掲げ、すごーく弱い雷を発生させた。
最後にパチパチと弾けるお酒の入ったグラスに、氷を作り入れる。
完成だ。
最初は炭酸水を作ってお酒に混ぜる事を考えていたが、お酒事態に酸素を加えた方が美味しかったのだ。
「どうぞ。」
お兄様に手渡した後に、自分の分のグラスを手にした。
「今日まで頑張ったね。スタンピード回避の成功を祝って…乾杯。」
「乾杯。」
お互いに軽くグラスをぶつけ合い、そのままグラスを口元で傾ける。
ラベルのマスカットの様な瑞々しい甘さと酸味が、シュワシュワとした炭酸に引き立たされ、口当たりが良く、ジュースの様にサラリと飲めるのだが、喉を鳴らす度に身体が熱く、頭がぼんやりとしてくる。
やっぱりお酒は美味しいな…。
何もないのに、思わずニコニコと笑ってしまう。
お兄様はどうだろう?
視線を正面に向けると、お兄様は私の方を見て優しく微笑んでいた。
「どうですか?」
「ん?美味しいよ。初めてお酒を飲んだけど、これなら毎日飲んでも良いな。」
お兄様はこれがお酒デビューだったらしい。
多分、この日の為に飲まないでいてくれたのだろう。
「シャルロッテが飲みたがる理由が分かったよ。」
グラスを傾け、お酒を飲み干す。
「お代わり作りますか?」
「いや、大丈夫。シャルロッテもそれで終わりだからね?」
チラッと瞳で釘を刺される。
…こっそり二杯目に行こうとしたのがバレた。
「シャルロッテには、もう婚約者が出来たんだから、無理は禁止だからね?どうしても無理をする時は僕かリカルドを必ず頼る事。分かった?」
お兄様は笑みを消した真剣な眼差しを私に向けて来る。
…きっと、次に私がやらかすだろう無茶を指している。
『無茶をするなら僕かリカルドを巻き込め』と、そう言っているのだ。
私は少量だけ残っていたお酒を一気に飲み干して、お兄様の瞳を見つめ返した。
「三年後になると思いますが…その時が来たら絶対に相談します。これからもお兄様は共犯者ですからね?」
小さく舌を出して笑うと、
「…全く。仕方無いから共犯者を続けてあげるよ。」
私に向かって手を伸ばして来たお兄様に、おでこを軽く突つかれた。
今日の秘密のお酒を糧に…
大切な人達に囲まれ、大好きなお酒を飲みながらのんびりと過ごせる日を夢見て、私はこれからも頑張る。
《12歳篇完》
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