彼女の目的
あの衝撃的な出来事から、既に数日経過していた。
気がついた時には何故か俺の家の居間のソファーで寝かされていて、更に何故か梢子さんと天音が口論をしていた。
俺が目覚めると二人の口論は一時止まった。止まったのだが、梢子さんがこれ見よがしに俺に耳打ちしたのを見てまた天音が怒り出したのだった。
梢子さんの耳打ちの内容は「くれぐれも私の事は透子とは呼ばないように」だった。
正直な所、氷見透子が誰でどのような人物か分からなかった。その上、短い間でも梢子さんと呼んでいたので、引き続き梢子さんと呼ぶ事にしたのだ。
そして、今日は土曜日。
土曜日という事で、昼前まで寝ているつもりだった。
――だったのだが……。
「はーい、虎君。起きましょうねー」
そう、そうなのだ。平日のそれと何ら変わらず、勝手に部屋に侵入してきた上に布団を引き剥がしにかかってきたのだ。
「今日は、土曜で、休み、なんで」
布団を奪われまいと抵抗しながら回らない頭で途切れ途切れにそう訴えるが、梢子さんの布団を引き剥がす力は弱まる事はなかった。
「そうなの? でも、確か希望者は講座を受けられるわよね」
「あ、ちょっと布団――ああ……」
格闘の末、健闘虚しく俺の布団は梢子さんによって取り上げられてしまった。
もう取り上げられてしまったからにはしょうがないので、鉛のように重い体を無理矢理に持ち上げると伸びをした。まだまだ肉体が睡眠を欲しているようで、全くもって清々しさは感じられない。
そうして、無理矢理体を起こし梢子さんの問いに答える。
「いや、俺はそういうの受けてないんで。バイトとか色々ありますし」
「あら、バイトとかしているのね。まぁ、校則でも禁止されてないし良いんだけど」
「週末しかやってないですけど」
意外とでも言いたそう表情の梢子さんにそう返した。
事実、自分でも意外だと思うが、叔父さん達にだいぶ無理言って一人暮らしをしている。その手前、ある程度の必要経費は自分で稼がないといけないと思ったためだった。
ただ、叔父さんが言うには両親が残した遺産がかなりの額だったらしくお金の心配はいらないと言ってはいるので、少し甘えている部分はあるのかも知れない。
そんな事を考えていると梢子さんは思い出したように口を開く。
「あ、虎君。今日から君の事鍛えるから覚悟しといてね」
「あ、はい」
一瞬、梢子さんが何を言っているのか分からなかった。分からなかったので、普通に生返事をしてしまったのだが、言葉を咀嚼し飲み込んで理解した瞬間、変な声が出た。
「は、はぃいいいいい!?」
そんな素っ頓狂な声を出す俺など意に介さずに、梢子さんは言葉を続ける。
「じゃあ、これから出かけるから、着替えたら下に降りてきなさいね」
言いたい事を言うだけ言うと、梢子さんは部屋から出て行く。部屋の外からは階段を降りていく音が聞こえていた。
――時間は午後8時を回っていた。
寝起きで、直後は気付かなかったがなんとたたき起こされたのは7時前だったのだ。
正直、勘弁してくれという気持ちである。
そんなこんなで朝食を終えた梢子さんと俺は、氷見市街までやってきていた。
鍛えるという事だったので、俺はてっきり人気の無さそうな山中にでも連れて行かれるものだと思っていたのだが違うようだ。
その証拠に、駅とは別方向に向かっているようである。
午後から、バイトが入っているのでそれはそれで好都合ではあるのだが。
横並びで歩く梢子さんの装いは、いつもの修道服でも学校でのスーツ姿でもなくジャージ姿である。
ただそれは、芋さを感じさせるジャージではなく、どこかアスリートを感じさせるスタイリッシュなものだった。更には、スポーツタイプのサングラスとキャップという完全装備である。
また両手には大きめの鞄と棒状の長細いケースを持っていた。
俺も動きやすい格好という事でジャージを着てきたのだが、それは学校指定のジャージだったので微妙に恥ずかしい。
そんな事を考えていたが、ある事をふと思い出し梢子さんに問いかける。
「そういえば、聞きたい事があるんですが。良いですか?」
「知ってる事なら教えてあげるわ。何が聞きたいの」
「俺は、氷見龍章って人のクローン……なんですよね」
正直な話、事実だとしてもこの事を口に出して言いたくはなかった。これを口に出す事で、自分が普通じゃない事を思い知らせる。
「ええ。もしかして、君の両親の事? それとも、月並みな寿命の話?」
驚いた事に、梢子さんの予想はずばり的中していた。他にも聞きたい事は、色々あるがやはり気になる事はその二つだった。
「そう、そうです。どうなんですか!」
「まず、君の両親は氷見神聖会が運営する研究施設の研究員だったのよ。実際の夫婦でもあったわ」
梢子さんは、息を吸うと更に言葉を続ける。
「今ではクローン研究はやってないんだけど、その時は盛んにやっていてね。母胎は女性研究員が担っていたの。」
「それは、つまり!?」
「つまりは、君を妊娠して出産したのは君のお母さんその人よ。情が移ったんでしょうね、出産して暫くしたあと君を連れて夫婦で逃げたらしいわ」
因みに君の寿命と身体機能その他諸々は健康な普通の人間と変わらないみたいよ、と梢子さんは付け加えた。
「そう――ですか。ちょっとだけど、救われた気がします」
寿命の件もそうだが、自分の両親の気持ちが少しだけ分かった気がして嬉しかった。ただ、両親の事故の事がそのせいで気になったので、再び梢子さんに問いかける。
「梢子さん、うちの両親の事故って……」
俺の言わんとする事を察したのか、証拠は口を開いた。が、その言葉は予想していたものとは違った。
「いや、その線は無いのよ。君とその両親が逃げた時は君に異能があるのも分からなかったし、そもそもそれどころじゃなかったからすぐに追跡は打ち切られてたのよ」
「そんな……」
「事実よ、不幸な事故だったとしか言えないわ」
何か掴みかけた様な感じだったが、それが潰された気がして俺は落胆する思いだった。それを察してか梢子さんも少し顔を伏せて眉根を寄せている。
もしそうだったからといってどうする事も無いのだが、無理矢理にでも納得できる理由が欲しかったという浅はかな理由だった。
暫くの沈黙の末、梢子さんは足を止めるとこちらに顔を向けると口を開く。
「さて、着いたわ。ここに入るわよ」
「ここって……」
「そうよ、フィットネスジムよ」
梢子さんの言うとおり、まごう事なきフィットネスジムだった。
そこは氷見市内に複数展開しているチェーン店である。
「じゃ、手続きしてくるわね」
そう言って店内に入ると、梢子さんは手続きをすべくフロントへ向かう。
「特別コースで」
「特別コースですね、こちらをどうぞ」
フロントで簡単な手続きを終えた梢子さんは、こちらに来いと促すのでそちらへ向かう。
そうすると、エレベーターに乗ったのでそれに続いた。
梢子さんはフロントで受け取ったらしいカードキーを操作盤のそれらしい溝に滑らせると、エレベーターは下に向かって動き始めた。
「下へ参りまーす」
梢子さんは冗談めかしてそう言うとエレベーターガールのように右手を挙げる。
「どんどん降りますね」
「ええ」
にこやかに肯定するのみの梢子さん。
「あれ、そんなに降りるんですか」
実際そうでもないのだろうが、やけに長い間降りている気がして焦り始めた。
「な、長過ぎません!?」
そうして暫く降りると突然エレベーターは止まって、扉が開いた。
「ようこそ特別コースへ」
またも冗談めかして、梢子さんはエレベーターガールのような口調で言う。
言うのだが、目の前に広がるその光景に俺は思わず言葉を失ってしまっていた。
「……ッ!?」
――そこには驚くほど広大な空間が広がっていたのだった。
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