第四章 罠のらせん<Spiral Trap>

第35話 頼むから勘弁してくれ

『我が親愛なる光陵高校の生徒諸君! おはようございます! 今日から我々が待ち望んだ第百回光陵祭が開催されます――』

 黒板上のスピーカーから、現生徒会長の三橋の声が聞こえた。

 去年はこんな放送は流れなかったが、今年は記念すべき第百回の光陵祭を記念して、生徒会長のありがたーいお言葉が流れることとなった。

「始まったよ。あのおチョーシもんめ」

 半ばうんざり気味の将輔がスピーカーを一瞥した。

 俺たちはクラスの催事である、執事喫茶の開店準備に勤しんでいた。誰も生徒会長の放送なんて聞いてやしない。

 無論、俺も聞いちゃいない。

 机の配置や飾り付けは既に済んでいるから、厨房係以外のみんなは適当な席に腰掛けてくつろいでいる。

 店員は三交代制で、俺と幸はその第一班――開店から一時間のお勤め――だった。俺は嫌々ながらも執事の格好、幸はわくわくしながらメイドの格好で、缶コーヒーを飲みながら開店時間を待っていた。

 ありがたーいお話はまだ続いている。

『――我々の願いが通じたのか、旧約聖書の海の割れるエピソードの如く、厚い雨雲が割れ、我らが光陵祭を陽光の下に開催させてくれたのです――』

 三橋の話が耳に入ったのか、幸がエラく苦々しい顔になった。そして、俺に囁く。

「おにーちゃん、どーしよ……」

「心配するな。楽しめって言ってんだろ!」

「……そーだけどぉ」

 幸の頭を軽く叩く。だが、まだ苦々しさの残った表情かおだった。

「あら、幸ちゃん? どうしたんですか? そんな渋い顔しちゃって」

 俺たちと同じ班の越智さんが銀盆を手にして、こちらにやってきた。

「あ、仁美ちゃん! ……うん、この缶コーヒー苦かったんだぁ。おにーちゃんったら、ブラックの深煎り買ってくるんだもん!」

「けっ、このおこちゃまが!」

 幸の誤魔化しに、俺も軽口で合わせてやった。

「あは、幸ちゃんは甘いのが好きだもんね。……もう少しで開店だよ。がんばろ!」

 小さなガッツポースをして、越智さんが微笑む。

 美人は得だねぇ。何着ても映えるもんなぁ。

「はぁ……。仁美ちゃんって、何気に鋭いんだもん!」

「……そうかもな」

 確かに、このタイミング。幸の表情を観察してたってのか? ……いかんいかん。疑心暗鬼になり過ぎだ。

『――話が長くなり過ぎました。申し訳ありません。……それではみなさん、第百回光陵祭、存分にお楽しみ下さい!』

 ありがたいお話がやっと終わった。

 スピーカーからはBGMの定番ジャンルと言えるイージーリスニングが流れ始める。

「幸、放送部の出番は明日のステージまでないのか?」

 帰宅部の俺とは違い、二つの部を掛け持ちしている幸は慌ただしくなりそうだった。

「……んとね、クラスのメイド終わったら、天文部の様子見て、理科実験室で簡易のプラネタリウムやるから、それの解説をして、その後は局室行ってくるよ。全クラスの催事の紹介番組をやることになってるんだぁ。……うー、おにーちゃんと一緒に回る時間作れるかなぁ……」

「俺なんか放っといていーんだよ。お前が楽しめればいい」

「違うよぉ! おにーちゃんと一緒に回りたいんだもん!」

 ……また、俺に驕らせるつもりなのか、こいつは!

 午前十時を告げるチャイムがスピーカーから流れてきた。

 浦田が「二年八組、執事喫茶開店の時間です!」とにっこり微笑み、クラスの催事がスタートした。

 まずは順調にお客がやって来て、出足は快調、掴みはオッケーって感じだ。

 よく分からんが、店に訪れる客――生徒たちは妙に盛り上がっている。恐らく、ここに居る奴らだけじゃなく、学校全体がそうなんだろう。

 雨の中の学祭と信じて疑わなかったのが、嬉しい誤算の晴れ開催になったし、行灯行列も無事に行われるからな。

 ……お前ら、幸に感謝しろよ。コイツが我が身の危険も顧みずに、<STARS>を使ってくれたから、この天気なんだからな!

 お客がぞろぞろとやってくる。

「えーたろーくーん、こっち来てぇ」

「おーい、衛太郎! 俺もオーダーするぞ!」

 ……なして、俺を指名する!

「へぇぇ! おにーちゃん、人気者だねぇ!」

 俺と並んで立っている幸と越智さんが目を丸くして、揃って拍手喝采だ。……俺にしてみりゃ不本意極まりない。

「……い、いらっしゃいませ……お、お、お嬢様っ!」

 ダメだ、どうにも言い慣れん! 来客時の台詞がすらっと出てこない。

 向こうのテーブルじゃ、遼平が颯爽と接客をこなしている。

「お帰りなさいませ、お嬢様。こちらがメニューになっております。お決まりの際にはなんなりと――」

 あのヤロー、カッコ付けやがって! あっ! チックショー、俺を鼻で笑いやがった!

「……ほら、えーたろーくん、接客の続きは?」

 クスクスと笑いながら俺をつんつん突いているのは、天文部部長の徳永先輩だ。幸が部活で世話になってる関係で顔見知りだ。

「徳永先輩ー、俺じゃなく、幸にやらせりゃいーじゃないっスか!」

「あら、校内屈指の暴れん坊にこーやって奉仕させるのが楽しいんじゃない? しかも、その身体にこのカワイイ銀盆! アンバランスでとってもキュートよ?」

 悪戯っぽく徳永先輩が笑う。……この先輩ひと、噂に違わずドSだ。

 そこに幸がやってくる。

「ブチョー、いらっしゃいませー。でもでもぉ、あんまりおにーちゃんいぢめないで下さいよぉ」

「ハァーイ、幸。別にいぢめてなんかないわよ? 親愛の情を示してるだけ。ねー、えーたろーくぅん!」

 いきなり先輩が立ち上がり、俺の腕に抱き付いてくる。

「うわっ、先輩、何を!」

「あーっ、ブチョー、ずるいっ!」

 負けずに幸も先輩とは逆の腕にしがみついてきた。

 遼平がニヤニヤと笑う。

「モテモテですなぁ、衛太郎」

「モテモテじゃねーよっ!」

 俺がネタにされるのはクソ面白くもねーが、幸が楽しそうに笑っていた。

 こんな感じでスタートした執事喫茶は、順調に客足を伸ばしていったのはいいが、客の多くが俺のあらぬ姿を見ることができると期待して来てるとか、どんだけなんだよ!

 それでも、その後は文句も言わずに接客し、一生懸命注文の品を運んだつもりだ。だが、何が面白いのか、俺の周りのテーブルからはクスクスと笑い声が聞こえてくる。

「……」

「おにーちゃん、笑って笑って!」

 幸が窘めるも、引きつった笑顔しか浮かばねぇ。

 そんな風に永遠とも思える時間が流れ、何とか一回目のお勤めは終了した。……また二時間後にはやらなきゃならんのだがな。

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