第三章 雨のち強引に晴れ

第24話 珍しいモン見ちまった

 九月も半ばを迎えた。

 今のところ、俺や幸の周りは至って平穏で、スパイラル・エンタープライズにも動きがあったようには思えない。

 一時はスパイかも、と危ぶんでいた越智さんも、俺や幸とともに学校へと通う日々を送っていた。

 もう少しすれば学校祭も始まるから、その準備にも追われる毎日が続いている。

 だが、今日はそれができるかどうか微妙な具合になってきた。

 女心と秋の空、とはよく言ったもので、今朝は雲一つ無い日本晴れだったのが、午後に入ると空一面が雲に覆われ、六時間目が始まる頃にはしとしと降り出してきた。確か、朝の天気予報の降水確率は三十パーセント、と微妙なところだったんだよなぁ。

 昔の俺なら確実に傘なんざぁ持って来なかったろう。だが、今日の俺はひと味違う。折り畳み傘を鞄に忍ばせていたのは、我ながら見事と言えよう――と言いたいところだが、幸から聞いた<STARS>の天気予報のお陰だったりする。

 気象衛星としての<STARS>の性能も見事なもので、天気予測の的中率は九十五パーセントを優に超える。しかも、時間毎の変化まで的中させてしまうんだから恐れ入る。

 学校祭の時には、しっかり晴れてもらいたいもんだが、どうなることやら。

 放課後になっても一向に止む気配を見せない雨に、出番とばかりに折り畳み傘を取り出した。この分だと今日の行灯制作は中止だろう。であれば、とっとと帰っちまおう。

 教室の窓から雨に煙る中庭を見ていた幸が俺のところにやってきて、脇腹を突っついてくる。耳を貸してくれ、の合図だ。

 俺と幸は身長差が四十センチ以上あるので、俺が耳を幸に近づけるか、幸が椅子に上がるかしないと耳打ちもできないのだ。

 身体を傾けて、幸のところまで耳の位置を下げる。

「何だってんだよ」

「ね、傘持ってきて正解だったでしょ? ミユキの天気予報は百発百中なんだから!」

 まるで自分の手柄のように、胸を張って威張る。

「だから、大してデカくもねぇ胸突き出してんじゃ……って、おい……なんだ、ありゃ」

 俺は目を丸くした。

 幸の向こうに信じられない光景があった――窓辺に佇む物憂げな女子――それが、大人びた雰囲気を持つ越智さんとかであれば、俺も納得しただろう。

 しかし、それが浦田朋奈だった日にゃ――

 俺は眉根に皺を寄せて、まじまじと見入った。

 窓枠に頬杖をついて、雨を眺めつつ憂いを浮かべる表情はいつもの浦田からじゃ考えられない。

 思わず、頬をつねった。……痛いってことは現実だ。

「……なぁ、幸。浦田はどーしたんだ? 悪いものでも喰ったのか?」

「あー」

 幸が苦虫を噛み潰したような顔になる。

「……ともっちさぁ、学祭の実行委員でしょ? 今年は第百回の記念の学校祭だから、絶対に盛り上げて成功させようって意気込んでるの。それがこの雨……来週の末の天気を今から心配しても仕方ないんだろうけど、何たって、ともっちだもん……」

 幸の言った通り、今年の学校祭は第百回目という記念すべき節目だ。

 ウチの高校は元々は旧制中学校とかいうものだったらしく、昭和初期に設立されている。そこら数えると優に百年は超えているんだが、戦争中は流石に学校祭はやってなかったようで、今年で百回目という訳だ。

 戦争でも校舎は壊されなかったってぇのが自慢らしいが、流石に築百年を超えると色んなところにガタは来てるし、冬場の体育館にゃ雪が吹き溜まっている。風情があるだの、歴史を感じるだの言われるが、こっちとしてはとっとと新校舎を建ててもらいたいのが本音だ。

 そんな木造のあばら家校舎にもたれつつ、浦田が溜息を吐く。

 クラスの女子の中心人物がこの有様だ、掃除や学校祭の準備、部活に行くまでの時間潰しに教室に残っている女子はみんな、浦田の挙動をちらちら見ている。どうなるのか気懸かりなんだろう。

 無関心なのは、掃除してるんだか遊んでるんだか分からない、形だけ掃除当番の野郎どもだ。その中でも、浦田の幼なじみである将輔が、ちょっと前まではギターになっていた箒を掃除用具入れにぶち込んだ。

「おーし、掃除終わり! 俺は帰っちゃうよん」

「結城くん、掃除はまだ終わってないですよ。それに結城くんは行灯作りの係じゃありませんか」

 越智さんだ。将輔を諫める物言いまで、お姉さんっぽい。

「越智さん、掃除なんかテキトーでいーんだよ。どーせ、こんなオンボロ校舎、掃除したって変わり映えしねーって。それに、行灯作りだって、この雨じゃ作業になりゃしねぇ。……あー、それからな、行灯なんざぁ作ったって無駄なんだよ。来週の週間天気予報見たか? 来週は木曜日から大雨だってよ。行灯行列もそんなんじゃ、中止だろ? 中止!」

 将輔は浦田を一瞥してから、来週の天気を鼻で笑うように言い捨てた。

 窓際で溜息塗れだった浦田の顔が、ぎこちなくゆっくりと将輔に向く。そして、すっくと立ち上がると同時に口が動いた。

「将輔、何言ってんのよ! 天気予報なんて……しかも来週の天気予報なんて、アテになる訳無いでしょ? ……クソ喰らえよ! 来週は晴れるの、絶対に! 行灯行列は絶対にやるんだからっ! 百周年なんだよ? 大切な節目の年なんだから、絶対に成功させなくちゃいけないの!」

 浦田の気持ちも言い分も分かるが、言っていることには何の根拠も裏付けも無い。

 こうして始まった将輔と浦田の口ゲンカは、クラス名物みたいなものだ。

 結局、最後にゃ仲のいいところを見せつけられて、ギャラリー全員が「ハイハイ、ごちそうさま」と辟易するまでが様式美だ。

 ところが、今日は様子が違っていた。

「はん! 『何言ってんの!』はこっちの台詞だ! 雨降ってる空見上げて、溜息ばっか吐いてるお前に、んなこと言う資格あんのかよ!」

 普段は浦田にいいようにへこまされている将輔が、今日は正論で反撃をした。

 痛いところを突かれた浦田は苦々しさに苛まれ、しどろもどろの内に追い打ちを喰らう。

「いい加減にしろ、とも! こんな時に率先してやってこその実委じゃねーのか? ムードメーカーが聞いて呆れるぜ!」

「な……何よ、こんな時ばっか!」

 浦田が押しまくられている。

 将輔も容赦の無いを続ける。

 浦田にしても、自分に負い目があるのが分かっている所為か、言い返す言葉も歯切れが悪い。

 そんな二人を俺たちは見守るばかりだった。

 浦田は終始俯き加減で、ぎゅっと握った拳がわなわなと震えていた。対する将輔は、正論に正論を重ねる。浦田の反撃が完全に途絶え、沈黙という名の鎧を着込んで防御態勢に入っても、将輔は追撃の手を緩めなかった。

 そして――

「――!」

 絶叫――多分、これが「咆哮」って奴だろう――が教室全体を揺るがし、それが鳴り止まぬか止まない間に、浦田の姿が消えていた。

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