第20話 考えることが山積みだ
学校を出るまでは、真っ直ぐ帰るつもりだった。
だが、俺は高階医院の屋上で電子タバコをふかしていた。半年前であれば、格好付けて普通にタバコを吸っていた。
ところが、その半年前に運悪く見つかって厳重注意を喰らい、初犯ってことで停学は免れたものの、親父や御袋にはこっ酷く叱られるわ、タカ姉にはお仕置きを喰らうわで散々だった。おまけに、幸にまで散々泣きながら怒られる始末。
特に幸の場合、いつもであれば、「しょうがないなぁ、おにーちゃんは」で済むところが、幸の部屋にまで呼び出された上に膝詰されて「タバコの有害性」を切々と解かれ、挙げ句の果てに大泣きまでされた。
「……でもね、どうしても吸いたくなったらこれにして」
説教の最後に幸が渡してくれたのが、今、俺が咥えている電子タバコだった。
「……ふぁーあ」
欠伸と溜息が電子タバコの紫煙(?)となって、俺の口からたなびいた。だが、本物と違ってほとんどが水蒸気だから、余韻も残さず四散する。
視点が紫煙から視界に広がる港に移った。
「うーん……」
考えることは沢山あった。だが矢張、昨晩の続きになりそうだ。
幸の目――
その秘密はスパイラル・エンタープライズに知られてはいけないのもさることながら、幸の視覚システムに用いられている技術――サイバネティクスだの、ナノマシンだの――は、一般的に考えても、現代のテクノロジーの範疇を超えている。マスコミなんかにすっぱ抜かれたら、とんでもないことになるだろう。
つまり、誰にも知られちゃいけないってことだ。
普通にしてる分には、そんなこと口にすることもないだろうが、問題は<STARS>のミユキの存在だ。
幸とミユキの会話――
寂しがり屋の幸にとっては、何時でも何処でも話し相手になってくれるのはありがたい。それに関しては、俺はもう御役御免かもしれない。だが、その「何時でも何処でも」が諸刃の剣だ。使い処を誤ると、エア友人と会話を楽しむ「病んだ人」になってしまう。
おしゃべり大好きの幸がそれを弁えることができるかどうか……。
別に、幸がTPOの分からない人間って訳じゃない。それに関して言えば、逆に実に空気を読むことに長けた奴だ。
ただ、無意識で、あるいは何かの拍子で、どんなときでも隣にいる「もう一人の自分」に話しかけないって保証はない。
それが怖かった。
そして、今し方出てきたもう一つの不安――
今日転校してきた越智仁美さんだ。
考え過ぎかもしれないが、越智さんがスパイラル・エンタープライズのスパイじゃないかって直感的に思ったのだ。
測ったようなタイミングの転校生。しかも、趣味が「天体観測」なんて、幸の興味を惹く為じゃないのか? そうすりゃ、自分が何かしなくても幸の方から接触してくれる——
だが、考えてみると、非現実的だ。高校生のスパイなんて、「それ、なんてラノベ?」だよな。
港から正時を告げるサイレンが響く。
目の前の景色はいつもと何も変わらない。だが、幸の周りは自分自身のことも加えて、急激に変化し過ぎている。
「大丈夫か? 幸……」
無意識の呟きに、俺は苦笑を浮かべて、電子タバコをもう一度吸い込んだ。
「こら、未成年!」
聞き覚えのある声が俺の背中をぴーんと真っ直ぐにして、ざわっと震えを走らせる。これぞ
咥えていた電子タバコが取り上げられていた。
「……って、なんだ、電子タバコか」
今の今まで俺が咥えていたのなんか気にもせず、その人は大きく吸い込んで、紫煙もどきを吐き出した。
「なんだ、タカ姉か」
「あら、なんだ、とはご挨拶ね。……つーか、アンタ! 午後からの授業丸々サボりって訳じゃないだろーね」
白衣のポケットに手を突っ込んで、睨め上げるタカ姉。
「何言ってんだよ! 今日は始業式だっつーの。タカ姉こそ、こんな時間に
「お生憎様、あたしゃまだ夏休み!」
思いっきり電子タバコを吸い込んだタカ姉は、ぷはーっとばかりに吐き出した。
「つーか、それ、返せよ。幸からのもらいモンなんだから!」
タカ姉は「ふーん」と言いながら、咥えていた電子タバコをそのまま俺の口に挿す。
またも不意打ちの間接キスに、俺はちょっとどぎまぎしてしまった。
「ほら、返したわよ、みゆからのプ・レ・ゼ・ン・ト! ……にしても、相変わらずみゆはエータロには甘いわよねぇ。……で、アンタは何深刻に考え込んでんのよ。おねーさんに相談してみ?」
この辺をすぐに察してしまうのもタカ姉だ。俺も幸もタカ姉には隠し事ができた例しがない。
「幸の目のことで色々だよ」
「おーおー。大変ですなぁ『おにーちゃん』!」
「茶化すなよ。タカ姉だって、事情知ってんだから分かるだろ?」
「確かに分かっちゃいるけどね。でも、フツーに生活してる分には問題ないんじゃない?」
「うん、『フツー』に生活できるんならな。……タカ姉、幸と繋がってる人工衛星<STARS>が幸とお喋りできるようになったって話……聞いたか?」
「え? ちょっと、エイプリルフールにゃまだ早いわよ?」
タカ姉は「何を馬鹿な」と言った風の受け答えだ。
「ああ、今は八月だ」
対して俺は生真面目な顔で答える。
タカ姉が髪をかき上げた。
「……やれやれ、環センパイの予言通りか」
環――タカ姉が呟いたその名前には聞き覚えがあった。
「タカ姉……環って、あのときの
「ん? ……ああ、そうそう。土岐環さん――あたしの四ッ女時代のセンパイ。……ま、それは置いといて、エータロ? アンタ、今日の晩飯、あたしに付き合いなさい。いいわね!」
「いきなりかよ!」
ぎろり、とタカ姉が睨みを効かせる。
「ううっ……御意に」
有無を言わさない、タカ姉の御命令であった。
そして、これは幸に関する話があることに間違いない。
「じゃ、六時半にいずみ亭の前に現地集合。……オーケー?」
「えー、またいずみ亭かよ! 俺は一昨日喰ったばっかだよ」
「アンタはね。あたしゃ、しばらくご無沙汰よ? 久し振りにスパバーグが食べたいなっと!」
「……うう」
「復唱は?」
タカ姉の口角が持ち上がった。
俺は直立不動になって、敬礼までしていた。
「タカ姉、了解であります、タカ姉! ……午後六時半、いずみ亭前にて待機致します!」
「よろしい! じゃ、エータロ、遅刻は厳禁な!」
満足そうに笑ったタカ姉が、俺の肩を叩いて階段室のドアを開ける。
その姿とドアの閉まった音が完全に消えるまで、俺は敬礼を続けていた。
漏れた溜息とともに、無意識の緊張が解ける。
しかしまぁ、幼少時の体験というか、記憶というか、この身に染み込んだものは中々抜けてくれないもんだな。
タカ姉には逆らえない――
俺は身体がデカいってこともあって、幼稚園の年長くらいまではガキ大将で通ってたし、実際幼稚園じゃ天下無双だった。
だが、俺よりも身体の小さなタカ姉が俺をこてんぱんに伸した——後で分かったことだが、タカ姉は幼少の頃より柔術を習っていたそうで、その頃は小学校でも「女王」として君臨していたらしい。
それ以来、家が近所だったこともあって、タカ姉は俺を舎弟扱いし始めた。
小学校に入って、身体が一段とデカくなったんで、下克上に臨んだら、あっさり返り討ち。それ以来、タカ姉は年に一度、俺に下克上のチャンスをくれるのだが、未だに果たされていない。……ちなみに今年は三月に俺の黒星で終わっている。
「……帰るか」
気を取り直して、非常階段を下りていく。高階医院の裏手に出たところで知った声が掛かった。
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