3. 『会食』
湯気を立てる野菜のシチュー。こんがり焼き目のついた丸いパン。ソースのかかった肉。
「転移者はイシュダール神の天使から力を授かるらしいね? 人の力量を数値化して表示する能力やら、一度も学んだことのない技術といった力を。
いやあ、私も欲しいものだよ。君からあの天使様に頼んでみてくれないかね?」
トロトロに煮込まれたシチューの中の野菜は口にした途端、溶けるように消えてしまい、旨味だけを残すだろう。
「君達が巻き込まれた転移現象は、10年ほど前からこの地に起きている。頻度はまちまちだ。
一週間に一度のペースで人が転移してくることもあれば、二年もの期間、全く起きないこともある。国でも研究しているらしいがね、未だに誰も原因を突き止められてはいないんだ」
茶色のパンはやや堅そうだが、見るからに香ばしさを放っている。麦の味を存分に楽しませてくれるに違いない。
「さっきも言ったが、ヴェーラは好奇心が強くてね。一目で君達を転移者と見抜き、どんな力を授かったのか気になったのだろう。良ければ娘に教えてやってくれ」
肉。肉だ。
上にかかったソースはやや紫がかった色で、何から造られたのかはわからない。しかし、必ずこの肉の味を引き立てる素晴らしいパートナーとなってくれるだろうと俺は確信している。いや、むしろ信頼していると言ってもいい。
「親切心から出た行動なら私もヴェーラを褒めるのだがね。裏に隠した好奇の気持ちが透けて見えるんだよなあ。あまり質問攻めにされるようなら怒って構わないからね」
ああ、匂いが俺に話しかける。
どうして食べてくれないの? こんなに美味しいのに。
ねえ、そこのフォークを取ってさ。僕を口に運んでごらんよ。きっと満足させてあげるから――。
「バサラ!」
「うおっ!?」
アキトの怒声で、目の前にあるメシとのめくるめく語らいから意識が引き戻された。俺は顔を上げる。
ガルドランが胸を反らして大笑い。
「……ふふ、ははははっ! ――いやいやすまない。話が長いのは悪い癖だと娘にも言われてるんだよ。空腹の若者にお預けを食わせて悪かったね」
「あ、その……」
顔が熱くほてり、恥ずかしさに紅潮していくのがわかる。
あまりの空腹に我を忘れていたようだ。
「すみません、ザインツベルグ卿。――バサラ。ああ言ってくださっているんだ、いただこう」
「あ、ああ。すいません、ザインツベルグさん」
にこやかに笑うガルドランは、どうぞと手を振った。
俺とアキトは軽く頭を下げ、
「いただきます」
と言ってフォークに手を伸ばし、食事を始めた。
「それで、行く当てはあるのかな?」
旺盛な食欲であっという間にメシをたいらげた俺とアキトに、ガルドランが軽く手を上げて質問をした。
アキトが口の周りをナプキンで拭い、
「特にありません。……日本から来た人間達は何をしているんでしょうか?」
こいつ、いきなり核心を突くな。
俺の印象。
イシュダール教、及び転移者はこの国で忌み嫌われている。
裏のありそうなヴェーラや、敵がい心剥き出しのマヌエルの態度の理由はそれだ。警戒しているのだ。
そんな俺達をわざわざ助け、屋敷に連れ帰るにはそれなりの動機があるはず。そいつをなんとか聞き出さなければ――。
アキトの言葉にガルドランは軽くうなずき、組んだ手に顎を乗せて話し始める。
「うん。転移してきた君達はイシュダール神の天使に保護されたよね? 他の人達も皆同じでね。魔物から身を守る力を授かり、その力を使って危険な魔物を排除する仕事をしてくれている人が多いかな」
「なるほど。魔物を倒すと報酬でも支払われるのですか?」
「ほっておくと街や国に甚大な被害をもたらすような恐ろしい魔物なら国が懸賞金をかけるかもね。そこらをうろついてる奴を虐めても誰もお金を払ってはくれないよ」
「ではどうやって暮らすのです? 転移者も人間です。生活費が必要なはずだ」
「大体の人間はイシュダール教団に所属し、そこで生活の面倒を見てもらっているようだね」
こっ、怖っわー。この世界でメシと住む場所をやるから入信しない? なんて言われたら大抵の人間は入っちまうだろ。イシュダールの勧誘作戦、すげえ徹底してんな。俺のとこに来たのがソーニャで良かったー。
……いや、一回殺されたからプラマイゼロだな。
「あなた方はそれをどう思っておりますか?」
アキトォォォォ! グイグイ行き過ぎじゃね!? ハラハラすんだけど!
君のような勘のいい子供はうんぬん、とか言い出すかと思ったが、ガルドランは笑顔を崩さない。
「んー、国教であるケレス教を目の敵にしてるのはうーんと思うけどね、やってることは悪いことじゃないし。
私の印象を言わせてもらえば、ちょっとウザイ奴等。……ってとこかな」
かっるー! ザインツベルグ当主様、言葉がめちゃめちゃ軽いよ! イシュダールに対するスタンスの真意が読めねー!
アキトはガルドランの言葉を聞いて、僅かに顎を引いている。
「ご息女が俺達を拾ったのは、何故だと思います?」
「おっ。中々警戒するね。好奇心だよ、では納得出来ないかな?」
「申し訳ありませんが。今のお話からすると、イシュダール教の信者はこの国で厄介者であるようですので」
「そうなんだよね。もし私が天使様と共にいる君達を発見していたら見捨てていたろう。――だがね、ヴェーラは変わり者なんだよ。面白そうな人材が居れば拾って帰ってくる。マヌエルもリサもそうやってこの屋敷にやってきた。君達もその中の一人になった、それだけ。
ヴェーラに他意が無いとは言わない。それどころか転移者の力を当てにして、何か仕事をさせる気なんだろう。――嫌なら断ればいい。私はどちらでも構わないよ」
アキトは力を抜き、椅子に深く沈みこんだ。
「よくわかりました、ありがとうございます。……不躾な質問の数々、誠に失礼いたしました」
「いやいやいや。腹に一物ありそうな娘と、警戒心丸出しのマヌエルの二人と話をすれば疑うのもむべなるかな、というところだね。
ぶっちゃけ、私もヴェーラのあの全てを見透かしているかのような目は苦手だよ」
あまりにあけすけなガルドランに面食らい、口を挟むどころではなかった俺は、背中を誰かがつつくのを感じて振り向いた。
リサがいたずらっぽく片目を閉じている。
「面白いっしょ? ウチのご主人。マーニーにボコられてビビるのはわかるけどさ、楽にしたまえよ。さっきも言ったとおり」
ガルドランが俺に微笑みかける。
「そうそう。砕けたしゃべり方をマヌエルに咎められたらしいけど、気にすることはないよ。私にはガンガン砕けてくれたまえ。その方が楽しい」
「はは……。なんだか気ィ張ってたのがバカらしいです。お言葉に甘えさせてもらいますよ、ザインツベルグ卿。んじゃ、ヴェーラさんからお仕事でも貰おうかな。路銀もねえし」
「おお、助かるよ。あの子は私の見えないところで何やら手広くやってるみたいだからね。是非手伝ってやってくれ、アグルマくん」
「ういっす」
ということになった。
「ということで、俺達に仕事を下さい。この世界に慣れつつ、いい金になりつつ、レベルを上げられるような仕事を」
リサに案内してもらい、ガルドランとの会食が終わった足でヴェーラの部屋に出向いた。
顔を合わすなりの俺の発言にヴェーラは目を丸くしている。
「あら、突然どうされましたの?」
「いや、一宿一飯の恩を返そうと思いまして」
ヴェーラは上目遣いに俺を見つめた。
「まあ……。お父様ですわね? ヴェーラは何の打算もなく人を助けるような娘じゃない、何かを企んでる。――なーんて言われましたのね?」
「え、あ、いやその……」
やべっ。そりゃそう取られるよな。どうしよう、この上品な女の子がマジで親切なだけだったら。腹切って詫びたら勘弁してくれるかな……。
ヴェーラは上目遣いのまま目尻を下げ、
「きゃあー! お話が早くて良かったわ! こちらに来てくださる!?」
と言って俺の手を掴み、引っ張っていく。
引きずられるようにして俺はヴェーラに連行された。
「ちょ、ちょっと、ヴェーラさん!?」
「言質とりましたわ! あなた方に恩を返してもらいますわ!」
「このお嬢様、やっぱり猫被ってたよ!」
廊下にいたマヌエルが、ぱたぱたと廊下を小走りで走るヴェーラと俺を見つけて目を見開いた。
「お、お嬢様! 転移者に触れるなど……! ましてや男の手を取るなんて!」
ヴェーラはおっとりしていたのが嘘のように顔を紅潮させ、悪ガキのような顔でマヌエルに言い返す。
「そんなことどうでもいいですわ! 戦力ゲットですのよ! これでブレイズの奴等に目にもの見せてくれますわぁぁぁ!」
どたばたと走る俺達に、アキトが首を振りながら着いてきた。
屋敷はコの字型になっているようで、中央の本邸を挟む形で両脇に別棟が立っている。
ヴェーラに連れられ曲がり角を抜けると、そこは長い通路の両脇に使用人達が住む部屋が並ぶ棟だった。
彼女は立ち止まらず突き進んでいく。
廊下の突き当たりに、他の部屋のものと比べてやや豪華な扉があった。その前でようやく立ち止まり、ヴェーラは扉をノックする。
「アイリスー! アイリス! 出てきてー!」
返事はない。が、中から呻きのような声が聞こえたような気がする。
「もー、居るのはわかってますのよ! 入りますからね!」
言いつつヴェーラは勝手にドアを開き、中に踏み込んだ。手を引かれる俺も一緒に。
薄暗い部屋だ。カーテンの隙間から日の光が漏れている。
つかつかとベッドに歩み寄ったヴェーラがシーツを掴み、引き剥がした。
「ぬー。なんでふかぁ? もうあひゃでひゅか?」
シーツに包まっていたのは女性のようだ。あくびしながら寝ぼけた声を出している。
「とっくにお昼を過ぎてますのよ! 全くもう!」
ヴェーラはどこか面白がっているような様子でベッドの女性を叱り、一気にカーテンを開いた。光が部屋に溢れる。
「んにー……」
「ぶほっ!?」
俺は思わず吹いた。
ベッドで光から逃れるように丸まっている女性は、なんと全裸だった。
豊満な胸と尻が目に焼き付いてしまう。
「ほら、アイリス! お仕事ですわ!」
女性が裸で寝ているのはいつものことなのか、ヴェーラは全く動じないまま揺り起こそうとしている。
そして、女性は目を擦り、体を起こした。
「んぅーっ……はぁっ。いやあ、いい朝ですねっ。ヴェーラお嬢様っ」
「お昼だと言っておりますのに……あら? バサラさん? アキトさん?」
アイリスと呼ばれた女性が、あろうことか全裸のまま立ち上がって伸びをし始めそうなことに気付き、間一髪で俺とアキトは部屋の外に逃げ出していた。
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