2.  『イシュダール教』

「大丈夫か、バサラ?」


 アキトが寝ていたベッドに顔を歪めて腰を下ろした俺に、アキトが心配そうに声をかけてきた。心なしか眼鏡も曇っている気がする。


「屁でもねえよ。それどころか、すげえ美少女の手を体内に感じてラッキーだ」

「痛い目に遭うのがわかっているのに減らず口を叩く癖、直せと言ったろう」

「無理だね。……くそ、腹減ったなあ。腹筋の外からじゃなくて口から胃に何か入れたいぜ」


 このままじゃ餓死しちま――あ、餓死で思い出した。


「ソーニャはどうした?」

「ああ、あいつは――」


「ちょおおおおっと! 返せー!」

「やーです! やなのですー!」


 話題に出したバカ天使の声と、甲高い女の子の声が廊下から響いてきた。と思った瞬間、ドアが開き何かが飛び込んできて棚の裏に隠れた。大きめの鳥みたいなシルエットだ。

 それを追ってソーニャも息を切らしながら部屋に入ってきた。


「はあっ! はあっ! あんのバカ鳥! どこいったのよ! ……あっ、チン・ピラじゃない。変なの見かけなかった?」

「ん」

「わたしを指差すなピラ! 神聖で美しい天使様なのよ!」

「俺の常識では、天使は人のことをピラと呼称しない」


 ん? ソーニャの背後を何かがそーっと通り抜けようとしてるぞ。

 俺は頭を傾け、よく目を凝らした。


 羽の生えた、身長30センチくらいの女の子だ。一円玉くらいの小さな手に、星型をしたキーホルダーのようなものを持っている。

 俺の目線に気づいたソーニャが振り向き、大声を上げた。


「ああーっ! クソ妖精! わたしの天使記章返しなさいよ!」

「わー! 見つかっちゃったです! なんでこっちを見るですかぁ、ピラさん!」

「このままじゃピラが正式名称になっちまうな。早く訂正しろよソーニャ」


 話を聞いちゃいないソーニャは妖精? に飛びかかり、その手からキーホルダーをもぎ取ろうとし始めた。


「か、え、し、な、さいよ……! ブッ殺すわよ!」

「おい天使。チンピラ語を話していいのか」

「わーです! ぎゃーです! いたいですー!」


 DEATHDEATHうるせーなあの妖精。ヘヴィーメタルバンドでも組んでるのか。

 しかし、流石に小学生とガンプラサイズの体格では差がありすぎる。キーホルダーを巡る争いはソーニャが優勢になり出した。

 途端、妖精の体から緑色のモヤが漂う。


「うぬぬー! ――祖は羽毛の如き軽量さを持つ! ゆーきゃんふらーい!」


 妖精が叫んだ。するとソーニャが突然浮き上がり、見えない何かに投げ飛ばされるように宙を舞った。魔法か?


「ほわあー!」


 飛んでくるソーニャ。いくら天使だとは言え、床に激突したら痛いだろう。

 俺は立ち上がってソーニャを受け止めると、思ったより軽い感触が腕に伝わる。


「おっと、大丈夫か?」

「あっ……どうせならアキトのがよかった。――あだーっ! 何で落とすのよ!」


 小さい女の子を良く見た。

 緑色の髪、蝶のように薄い羽、白い服。

 天使とは違って俺の想像通りの姿をしている。


「こりゃすげえ。さすが異世界だな。妖精?」

「聞けー!」


 喚き声を無視してまじまじと見ていると、妖精は拳法のような構えをとって威嚇してきた。


「て、転移者ですー! イシュダール教の狂信者! ミグは改宗なんてしません! 返り討ちですー!」


 狂信者? どういうことだ。


「転移者は皆イシュダール教に入るものなのか?」

「とぼけてもムダですー! そこの天使に力と命を与えられ、イシュダールに忠誠を誓っているのはわかっているですー!」

「いやいや、どちらかというとそこの天使はお荷物だったぞ。一回殺されたしな。

 動体視力が良くなった以外は恩恵も感じねえし、そんなにイシュダールとかいうやつに恩義はねえかなあ」


 あっさり否定する俺に、足元からソーニャが声を上げた。


「この背教者め! 呪われるがいい! ――もがー!」

「ちょっと静かにしてような」


 ナイスアキト。よし、妖精との会話を続けよう。


「君はイシュダールが嫌いなの?」

「とーぜんですー! ケレスしんさまをいじめるわるいやつですー!」

「そうか。……なんとなくカラクリがわかってきた気がするぜ」


 推測。イシュダールという神は、自分の信者を増やすために先入観の無い俺達転移者を仲間に引き入れようとしている。天使がポンコツで失敗したけど。

 推測。そこまでやるってことは、この世界でのイシュダールの立場はあまりよくない。むしろケレスという神に負けているのだろう。

 推測。マヌエルやヴェーラ達がいるこの領地、もっと言えば国全体では、ケレス教の方が幅を利かせている。俺に向けている警戒心はそれが一因となっているに違いねえ。


 結論。俺とアキトがこの国で生きていくためには、この天使ではなくヴェーラ達にくっついていたほうがいい。

 しかし、ヴェーラ達の動きも未知数だ。今のところは中立を保っているほうが得策だろう。


「んー、俺達はまだこの世界に来たばかりなんだ。というか元居た国で宗教を信じていたしね。だからまだイシュダール教ってわけじゃないよ」

「……本当ですー? でもでも確かに、信じる神様がいるなら簡単に改宗はしないかも知れないですー」


 ああ、信じているとも。『無宗教』という神だけどね。


「そうさ。むしろこの天使のお陰であまりイシュダールは好きじゃない方に傾いてる」

「もももーも、もーもも!」

「はい、いい子だから大人しくしてような」


 アキトは優しく口を覆っているように見えるが、ソーニャは全く身動きができてない。高ステータスが始めて活きた場面だな。悲しいことに。


「むうー。それならケレス様を信仰すると宣言できるです?」

「それはまだ無理だな。そもそも、何もわかってない俺達に信じると言われてケレス様は嬉しいのかい?」

「……それもそーです。失礼しましたです」

「いや。わかってもらえて嬉しいよ。ありがとう」


 くっそお。この妖精が何歳なのか知らねえが、小さい女の子を騙している罪悪感がすげえ。

 だがしかし、この世界で俺達には頼れるものが無さ過ぎる。天使はあのザマで俺とアキトを宗教戦争に巻き込みかねねえし、ヴェーラはうさんくさい。自分たちで身を守るしかねえ。


「こちらこそですー。ミグは、えーと、あー」

「バサラだ。そっちの眼鏡かけた耽美系イケメンはアキト。よろしくな、ミグ」

「よろしくですー! 転移者の人間さんと名前を教えあったのは初めてですー! わくわくするですー!」


 素直な反応だ。見た目だけ幼女のソーニャとは大違いだな。心が癒される――。

 こん、こん。

 いきなり鳴ったノックの音で飛び上がりかけた。


「おい、10分だ。出てこなければ――」

「ああ、今出るよ! だからボコボコにするのは勘弁してくれ!」


 あいつは危険だ、と知らせるためにあえて声を張った。

 アキトの『了解』という目配せが返ってくる。


 ドアを開くと、マヌエルの冷徹な視線がぶつかってきた。


「仲間の無事は確認できたな?」

「ああ。サンキューな、マヌエル」


 懲りずにタメ口を使う俺を、意外にもマヌエルはスルーした。


「こちらに来い。当主様がお話をされる」


 吐き捨てるように言い放ち、マヌエルが先に立って歩き出した。

 俺は肩をすくめ、


「ちょっと行ってくるな。――できればソーニャにそのキーホルダーみたいなやつを返してやってくれ。かわいそうだし、何よりうるさいからな」

「むー、わかったですー。――イシュダールの天使見習いさんー。これに懲りたらこの家でイシュダールの名を出すんじゃないですー」


 アキトが手を離すと、ソーニャがつかつかとミグに近寄ってキーホルダーを乱暴に奪った。そのまま廊下に出て行き、


「あっかんびーだ!」


 と、俺達に憎まれ口を叩いて走り去って行った。

 絶対アイツ二千年も生きてねえぞ。ガキすぎるだろ。


「――おい?」


 凍りついた声が聞こえ、俺とアキトは慌ててマヌエルの後を追った。


 だだっ広い廊下を歩き続けると、突き当たりにでかい派手な両開きのドアがででんと鎮座ましましている。

 マヌエルがドアに近づき、かしずいた。


「当主様、転移者達をお連れしました」

「入ってください」


 思ったより高い男の声が返ってきて、マヌエルはノブに手をかけた。


「失礼致します」


 ドアを開け、中に入ったマヌエルは俺達を目で促した。

 続いて俺も部屋に入る。

 中には、蝋燭の刺さった蜀台を置いた巨大なテーブルがあった。まるで食堂だ。

 その上座には、金髪を長く伸ばして三つ編みにし、肩の前から垂らしている30代中盤の男が着いている。そいつは立ち上がりながら口を開き、


「ご苦労様でした、マヌエル。下がってよいですよ」


 お、メイドに敬語を使っている。身分の差に拘泥しない寛容な人物なのか、それとも気を許してないタイプか。とにかく権力者には注意だ。


「……はっ。失礼致します」


 マヌエルはここに居たいと思っているのか、一瞬沈黙したが素直に出て行った。

 ちょっと間を置いてから男は俺達に椅子を示し、


「やー、大変だったでしょう。あの子は猜疑心が強くてねえ。殴られたりしませんでしたか?」


 したよ。言わねえけど。

 というか気さくだなコイツ。


「いえ、丁寧にもてなして頂きましたよ」


 にこやかに言ったつもりだったが、男は俺の胸の内を読み取ったらしい。痛ましそうな顔をして、頭を下げた。


「申し訳ありませんねえ……。軽挙な行動はダメだと言い聞かせてるんですが……。

 ――ああ、申し遅れました。ザインツベルグ家当主、ガルドラン・ザインツベルグです。今、お食事を用意させますので」


 来た! メシだー!

 よし、俺はこの人に着いていく。しばらくは。


「あっ、そんな。とんでもないですよ。誰だって家に怪しい人間が来たら警戒します。――俺はアグルマ・バサラと言います。こっちは――」


 アキトが前に出た。


「ハルヤマ・アキトと申します。行き倒れていたところを助けて頂き、感謝の念に堪えません」


 当主、ガルドランは柔らかく笑んだ。ヴェーラとそっくりな笑顔だ。


「私は大したことはしてませんよ。いやあ、ヴェーラにも困ったものでねえ。あの子は昔っからすーぐ色んなものを拾ってきましてね、本やら良く分からない石やら。……おっと、客人を物扱いしちゃいけないな」


 困った笑いを見せるガルドラン。とりあえず、速攻で牢屋行きって展開はなさそうでほっとした。

 ガルドランが顔を上げ、手を叩く。


「おーい、リサ! お食事を持ってきてくれるかなー!」


 ほーい、と軽い返事が聞こえた。

 俺達が入ってきたのとは別のドアから、両手に盆を持ったメイドがなんと足でドアを開けて入ってきた。軽すぎるだろ。

 リサ、と呼ばれたのは赤い髪をツインテールにした、活発そうな子だ。

 俺達の前に盆を置きながら、ユルい口調で声をかけてくる。


「おいっすー、お客人。ザインツベルグ家のメイドやってるリサ・ベッカーっすー。シクヨロっすー」

「あ、ども。アグルマ・バサラっす……」

「変な名前っすねー。ニホンからの転移者は結構見たけど、その中でもダントツ一位の変わった名前っすー。そっちの細イケメンは?」


 俺はキャラの落差にフリーズしていたアキトを肘でつつく。はっ、とアキトが再起動した。


「あ、ええ。すみません。ハルヤマ・アキトです。よろしくお願いします」

「おー、見た目にたがわないカタさ。楽にするっすー。あたしはいつも楽にしてるっす」


 見りゃ分かるよ。

 ははは……。とガルドランが苦笑した。


「まあ、立ってないでかけてください。リサの料理はなかなか美味しいですよ。食べながらあなた方のお国の話でも聞かせていただきたいですねえ」


 おっとりと笑うガルドランを見ながら俺は、


 ――異世界生活、一筋縄じゃ行きそうにねえな。


 と、内心溜息を吐くのだった。

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