ただ飯食らいは許してもらえない編

1. 『あらあらうふふとツンオンリーメイド』

 まぶた越しに眩しさを感じ、眼球にチクリと走った痛みで目を覚ました。

 お袋がカーテンを開けたのかも知れない。


「う……」


 妙に体がダルい。いっそ学校を休みたいほどだ。

 しかし、小中と続けてきた皆勤賞をこんなことでストップしてしまうのは――。


「お目覚めになられました?」

「ん、ああ……まだ遅刻じゃねえよな? 俺の皆勤賞が……」

「皆勤賞? 何かにお勤めされてますの?」


 何か今日のお袋は妙な話し方をする。いつもだったら、べらんめえ口調で俺の布団を剥ぎ取るはずだ。そう言えば声もなんか若いような……。

 俺は大きくあくびをしながら目をこすり、体を起こした。


「なんだよ母ちゃん、変な喋りしやがって。似合わねー……」


 ぞ、のタイミングで時が止まった。


 絹のようにさらさらと肩に流れる青い髪。

 優しげに目尻の垂れた、これまた青い瞳。

 中世の貴族が着ていたようなゴテゴテしたドレス。そしてその胸元を押し上げる巨乳。

 これまでの人生で、画面の中でしか見ることのなかった超ド級の美人が、俺が寝ているベッドの足元に腰かけている。


「母ちゃん……アニメキャラにクラスチェンジしたの?」


 言うべきことが見つからなかった俺は、取り敢えず頭の中で一番手近なものをチョイスし言葉にした。

 青髪の女性は口元に指を当て、上品にころころ笑った――瞬間、俺は誰かの腕に引き倒され、ベッドに背中を叩きつけられた。そして喉元へ冷たいものを押し当てられる。


「貴様、お嬢様にふざけた口を利いたな? 殺すぞ」


 俺にナイフを突き付け、鋭い目付きで睨んでくるのは暗殺者のような黒装束の男。――ではなく、メイド服を着てホワイトプリムを被った紫髪の女の子だった。

 ツリ目を更に吊り上がらせて凄まじい殺意を迸らせている。


「まあ、マヌエル。そんなに驚かせてはいけませんよ」

「しかし」

「良いのですよ。起きぬけに見知らぬ人間に話しかけられれば混乱もするでしょう」


 青髪の女の人がほんわかした口調でたしなめてくれる。が、この状況で見せる笑顔がむしろ怖い。

 メイドの女の子が渋々といった様子で俺から離れ、


「寛大なヴェーラお嬢様に感謝するんだな」

「い、痛み入ります」


 頭に手をやると、寝癖が手のひらを突き刺した。俺の髪は硬いのだ。

 指で寝癖を撫で付けようとしながら、顔をキリッと引き締める。


「えーと、ボサボサ頭ですいません。俺はアグルマ・バサラと言います。助けてもらった……んですかね? 状況がよくわからなくて」


 俺の質問に笑みをますます深め、女性は頷いた。


「ご挨拶が遅くなりましたね。私はヴェーラ・ザインツベルグ。買い付けから屋敷に戻る途中、川沿いに倒れたあなた方を見かけましたの。勝手かとは思いましたが、屋敷にお連れさせていただきました」

「あっ」


 アキト達の事を忘れていた。俺は身を乗り出し、


「あの、もう二人居たと思うんですが。一人は俺と同じ服を着た背の高い男。もう一人は――」


 アキト達が心配で焦る俺に、安心してと言わんばかりの微笑みが返ってきた。


「ハルヤマ・アキト様と天使様もご無事ですわ。別室でお休みになっていただいております」


 はあああ。安堵で溜め息が漏れた。


「そうですか、本当にありがとうございます。何てお礼をしたらいいか――」

「いいんですのよ。突然こちらに来たばかりでさぞお困りでしょう」

「……へ?」

「バサラさん。あなたは異世界からいらっしゃった。違いますか?」


 そういえばソーニャは、俺達が巻き込まれた異世界転移は10年前から起きている、と言っていた。この世界の人には周知の事実な訳だ。

 ばれてるなら嘘をつく理由もない。


「ええ、仰る通りです。俺達は日本と言う国から飛ばされて来ました」

「まあ、ニホン。存じておりますよ。戦火にさらされることの少ない、平和で裕福な国だと聞き及んでおります」


 日本も最近は雲行きが怪しいけどな。

 つーか他にも日本人が来てんのかよ。


「良かった、安心しましたよ。別の世界から来たなんて言ったら正気を疑われるんじゃないかと思ってましたから」

「ニホンでは転移にお気づきの方はいらっしゃらない?」

「全くいないですね。もしかしてラノベのなかにモノホンの話があったのかもしんねーけど」


 うっかり砕けた口調で話してしまった瞬間、突然背筋が凍りつくような恐怖に襲われた。

 気配を殺していたメイドが再び殺気を放っている。


「あっ、いや……すみません。育ちが悪くてつい……」

「こぉら、マヌエル。驚かせてはなりませんと言ったでしょう」


「……失礼いたしました」


 紫髪の殺人メイドは、たっぷり5秒間俺を睨んでから肩の力を抜いた。


 ――口の利き方には気を付けよう。後で暗殺されかねないからな。


 そのやり取りを見ていたヴェーラが困った笑顔を見せ、


「申し訳ありません、マヌエルはほんの少しだけ心配性で。つい過剰になってしまいますの」


 ほんの少し、ね。マジで殺されるかと思ったぞ。


「いえ、俺も口が悪くてすいません。――ソーニャ達に会わせて頂くことはできますか?」

「もちろん。バサラさんのお加減は?」

「全然平気ですよ。ぐっすり眠って絶好調です」


 死ぬほど腹が減ってるけど。そんなこと言ったらデスメイドの怒りゲージがチャージされちまうしな。

 そんな不遜なことを思っていることを知ってか知らずか、マヌエルと呼ばれた紫メイドが蔑んだ視線を飛ばしてくる。


「こっちだ。着いてこい」


 ――主人が丁寧に話してるのに、お前が偉そうなのはなんなの? 俺だけじゃなくてヴェーラさんにも失礼だぜ。


 と、喉まで出かかったが必死に飲み込んだ。

 自分達の立場がわかるまでは慎重に行動する必要がある。というかむしろ、この状況で態度が異様なのはヴェーラの方だ。

 いくら転移者という概念が広まっているとは言え、得体の知れない俺達を屋敷に招き入れたのが親切心だけなはずがない。何か、狙いがあるはずだ。

 そう考えると、マヌエルの態度にも意味が生まれてくる。


 テレビドラマで見た警察の尋問では、優しい刑事と威圧的な刑事の二人であたって自白を引き出しやすくするテクニックがあった。恐らくヴェーラも同じ効果を狙っているんだ。

 何かを吐かせたいのか、俺に味方だと思わせたいのかはわからないが。


 とりあえずはそれに乗っかるフリをしよう。その方が身の振り方を考えやすい。うんうん。

 という言い訳で、メイドに噛み付こうとする自分を制した。


 マヌエルに着いて部屋から出る。

 ドアを抜けると豪奢な装飾の施された広い廊下が左右に伸びていた。凄まじくでかい屋敷だ。ヴェーラは貴族か何かか?


 ――ザインツベルグ領だと思うんだけどなあ。


 気を失う直前のソーニャの言葉が俺の頭に蘇る。

 さっき、青髪のお嬢様はヴェーラ・ザインツベルグと名乗っていた。つまりここは、領主の屋敷?

 やべえ。ヴェーラの態度は大物ぶってたんじゃなくて本物だった。マジで下手なことすると殺されるぞ。


 俺は不審に思われないよう内心のビビリを押し隠し、マヌエルのケツを見ながら後に続いていく。


「不躾な視線はすぐに分かるぞ。殺されたくなければじろじろ見るな」

「申し訳ありません」


 速攻で素直に謝る。背中に目でもついてんのかあのメイド。ちくしょう、いいケツしやがって。


 妄想の中でマヌエルをひいひい言わせて遊んでいると、アサシンメイドがドアの前で突然立ち止まって俺の顔が蜂の巣になりそうなほど鋭く突き刺さる流し目を送ってきた。よせやい照れるぜ。


「――ここだ。妙な真似をすれば殺す」

「しゃべっても殺すし念を使おうとしても殺すわけね。わかったけど目は閉じないぜ」


 ゆらり。メイドの体が幻影のように揺らめいた。そして左手の指をぴん、と立てて突いてくる。狙いは俺の腹だ。

 どうやら、アキトほどではないが俺の肉体も強化されているらしい。小数点以下何秒という刹那の動きが、コマ送りで見える。

 音が消え去った空間の中を切り裂くマヌエルの貫き手。それがゆっくりと近づいてくるのをはっきり知覚し――。


 棒立ちのまま、それを食らった。

 俺の内蔵にめり込んだ白い指は一瞬にして全身に激痛を伝えてくる。

 声と息が止まり、代わりに脂汗が噴き出してきた。


 ――見えるのと、それを避けられる身体能力があるかどうかは別だよね! きゃぴっ。


 痛みのあまり下らない思考に逃げる俺を見下して腹から手を抜き、マヌエルは凍りついた表情で口を開いた。


「10分で出て来い。でなければお嬢様への反抗とみなし、罰を与える」


 怖い刑事役は演技じゃなくて素のようだな。

 俺はタフな笑顔を作り、


「アンタ、すげえ美人だけどさ。笑えばもっとかわいいと思うぜ」


 肘の打ち下ろしが背中に入った。

 痛みに叫び出しそうになるが、歯を食いしばって耐える。


「行け」


 もはや口答えする気力はない。俺は顔をしかめてドアを開いた。


「バサラ!」


 部屋に入った俺を見るなり、アキトがベッドから立ち上がってこちらに小走りでやってきた。こいつも俺を心配していたらしいな。かわいいやつめ。


「無事だったかバサラ。お前のことだ、余計なことを言ってこの家の人間を怒らせ、殺されているのではないかと――」

「すげえ想像力だな。まだ俺は、腹に穴が空いてないのが不思議なほどの貫手と肘打ちしか食らってないぜ」

「案の定だな……だから顔色が異常に悪いのか」


 俺は腹と背中のよじれるような痛みをこらえ、無理やり笑って歯を見せた。

 アキトが突き出した拳と俺の拳を合わせる。


 ――ん? 誰か忘れてるような。まあいいか。忘れるってことはどうでもいいやつだってことだ。

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