3. 『大脱出』
通路が曲がり角になっているところの死角に身を潜め、息を整える。
「いるか?」
「――いない! 今……あっ」
後半の『あっ』が聞こえる前に陰から飛び出した俺とアキトは、牛くらいでかい緑のトカゲの視界に姿をさらすことになった。
そのトカゲは、コオォォォ……と息を吸い込み、通路を埋め尽くすほどの火炎を吐いた。凄まじい炎に舐められた石の壁や床から、じゅっ、と音がする。
「退避! たいひーー!」
俺はソーニャを小脇に抱え、アキトと共に熱に尻を炙られながら元来た道を全速力で戻る。
すると二手に別れた道の一方から、魔族魔族した魔物が現れた。
どの辺が魔族っぽいかというと、二足歩行なのに角と翼を生やしているし、肌の色が紫だからだ。ぶっちゃけ魔族と魔物がどう違うのか知らんが。
とにかくその魔族っぽいヤツが2体、道を塞いでいる。
仕方ないのでそいつらがいない方の道へ進むことにし、俺達は走り続けた。
ぴちょーん……ぴちょーん……。
薄暗く湿った通路に水音が響く。雨漏りでもしてんのか?
「窓もねえし、この蒸し暑さと湿気。地下なのは多分間違いないな」
「ああ。それも俺達が最初に居たフロアより更に下の階層なのもな」
城の出口は当然地上にあるはず。そう思った俺達はソーニャの策敵能力を当てにして、魔物に出会わないよう上のフロアを目指した。
だが、ソーニャの策敵はレベルが下がったと同時に精度が低下したらしい。かなり高い頻度で魔物を見落とした。
結果、ソーニャの『大丈夫だ』という言葉を信用しては魔物とばったり遭遇し、慌てて逃げるということを繰り返すはめになってしまい、道を選ぶ余裕などなかった俺達は逆に地下へと降りてきてしまったようだ。
救いなのは、俺達を捕まえようとする魔物があっさり諦めることだ。執拗に追跡しては来ない。
よって、なんとか生き延びていられる。しかし。
「腹減ったなあ……このままモンスターと鬼ごっこし続けて飢え死にするのだけは勘弁だぜ」
空腹を紛らわせる為に話を振ってみると、アキトはソーニャをアゴで示し、
「ソーニャに生き返らせて貰えばいいだろう」
「餓死も蘇生できんの?」
「発狂しそうな程の飢餓感に苛まれ、しかし死ぬこともかなわない。そんな存在になりたければどうぞ」
「ゾンビじゃねーか! やだよ!」
俺はあお向けに寝転がった。地面が汚い? 知るかよ。
こうして硬い床に後頭部をくっつけていると、冷たさと軽い振動のようなものを感じて気持ちいい……。
「ん? なんか、ごおおぉーって音がするぞ」
地面の下方を、高速で何かが流れているような音と振動が伝わってくる。地下水路でもあるのか?
アキトも床に耳をつけた。目を見開いている。
「……本当だ、水の音だな。地下に水路がある!」
おお、テンションが上がっているアキトは珍しいな。どうしたんだ、こいつ?
「喉乾いたし、それ探すか?」
「いや水路は普通、川と繋がっている。その流れに乗ればこの城を脱出できるかも知れん」
そうか!
「なるほど! ――良かったな、天使。出れるかも知れねえぞ!」
喜色を浮かべて話しかける俺を、ソーニャがダルそうに見返した。
「えー。川ってなんか汚そー。入りたくなーい。魔物から逃げるスニーキングミッションのが良くない?」
「テメー俺達がどんだけ必死に逃げてるのかわかってんのか!? もうへろへろなんだよ!」
「わたしの策敵で逃げやすくなってるでしょ?」
「80パー外しといて何言ってんだ! いいから水路を探せ!」
ソーニャの尻を叩き(物理的に。セクハラ! と叫ばれたのは無視した)、俺達は更に下層へ降りる階段を探し始めた。
小一時間程捜索したところで、俺が開けたドアの中に下り階段を発見することに成功。俺達は地下へと向かう。
階段を下りたところにもドアがあった。ザァー……という水の流れる音が向こう側から聞こえる。
「うーむ、敵の気配はありませんね」
というソーニャの言葉を聞かなかったことにして、俺はアキトに目配せした。
「俺が少しだけ開いて中を覗く。魔物がいたらダッシュで引き返すぞ」
「ああ。頼む」
「ちょっと! いないっていってるじゃん!」
「うっせー。お前への信用はもう既に底値だ。黙ってろ」
音を立てないようにゆっくりノブを下ろし、そっとドアを引いた。
隙間から中を覗く。見える範囲には魔物の姿はないようだ。
視線を下に向けると、床に大きく溝が掘られ、そこを水が轟音で流れているのが目に入った。水路だ。
「アキト」
「物音はしない。……行ってみよう」
この世界に来たときに身体能力が上がったのか、アキトは耳が利くようになっていた。正直ソーニャの策敵の100倍信用できる。
俺は勢いよくドアを開け放ちフロアへ飛び出した。
素早く辺りを警戒。敵は……いない。
「よし、いいぜ。来いよ」
ほっとした様子のアキトとぶーたれているソーニャが並んで着いてきた。
俺は一足先に水路を流れる水へと手を浸し、きんきんに冷えた透明な液体をすくった。
「ひゃー、冷てー。……おっ、飲めるぞこの水」
「そりゃあ野生の猿は平気かも知れないけどさぁ。わたしのお腹、デリケートだし」
「誰が猿だぁ!? 俺の扱いがどんどん酷くなってねーか!?」
俺とソーニャの言い争いには加わらず、アキトは俺の横にしゃがみこんで水をすくい、しげしげと観察し始めた。
「妙な不純物等は無し。問題は下流がどこに抜けているかだが――」
アキトは水が流れる先へと目を向け、
「潮の香り。……あの先は、海だな」
「なーる。この城は元々海に流れ込む川の上に建築されてるわけね。ボウフラ涌かねえのかな?」
「魔物の魔力が充満する城に虫や小動物が寄り付くわけないでしょ」
「いいね。ヤブ蚊の多い夏場の俺んちにも魔物が一匹欲しいぜ」
「その蚊取り線香に食われないといいわね」
俺は大きく伸びをして、首を鳴らした。
「うし、俺が行く。大丈夫そうなら着いてこい」
「あんたさあ。この中で一番弱いのに何で偵察みたいなこと率先してやるの? さっきから」
「昔っから体が丈夫な俺がトップバッターなんだよ」
「防御力でアキトに負けてんじゃん……」
俺は靴を脱ぎ、制服の上着とシャツも脱いで靴をくるみ風呂敷のようにした。それを体に縛り付け、深呼吸する。
「上水で良かったぜ。下水だったらどんな病気になるかわからねえからな」
「魔物は排泄しないから大丈夫よ」
「クリーンな生き物だな。――よし、行くぞ!」
助走をつけ、水に飛び込む。
それなりの勢いだが、流れに逆らってその場に留まることは十分可能だ。
「大丈夫だ、問題ねえ」
「わかった」
既にアキトも服を脱いで俺と同じく体に縛っていた。躊躇せず水に入ってくる。
「早く来いよ、ソーニャ」
なかなか足を踏み出さないソーニャに声をかけると、小学生みたいな天使はもじもじしだした。
「わたし、泳げない……」
「つあーっ、わーったよ。俺の服に掴まれ」
こうして、風呂敷状の制服を浮き袋がわりにしてソーニャを運ぶことになった。
「がっ。ぐ、ぐるじい。バッカ、引っ張んなよ!」
「うー。怖いよー、水怖いー」
「猫かテメーは! いいからもっと優しくつかま……ぐはっ」
「おいバサラ!? 沈んでるぞ!」
怯えたソーニャは首に巻き付けた俺の制服を力一杯引っ張り、重いわ苦しいわで大変な騒ぎだ。
すげー邪魔。この天使置いていきたい。
しばらく泳ぎ、腕と足が棒のようになった頃、ようやく太陽の光が見えてきた。
もはや言葉を交わす気力もなく、俺とアキトは黙って泳ぎ続ける。
不意に、頭上から光が俺を照らした。地下水路を抜けたのだ。
周囲を見回すと、這い上がれそうな川岸があった。力を振り絞って必死に水を掻いていると、手が浅瀬の砂利に当たった。もがくようにして体を水から引き上げる。
「――はあっ! はあっ! はっ! ……き、キツかったぜ……」
もぞもぞとソーニャが俺から降りた。栗色の髪が額に張り付き、息も絶え絶えになっている。
「疲れたー、もうだめー」
「お前はしがみついてただけじゃねーか、俺はひたすら泳ぎ続けて……」
ここでアキトがいないことに気付いた。
疲れも忘れて立ち上がると、手だけが水面から突き出している光景が目に飛び込んでくる。俺は震え上がるほどの恐怖に襲われた。
「アキトぉぉぉぉ!」
縛り付けた服をもどかしくほどき、俺は再度川に入っていった。
アキトをなんとか岸に引っ張り上げ、俺は今度こそ疲れて立てなくなった。
「は、腹ぁ……減ったぁ……」
「すまん、バサラ……」
「い、いいってことよ。俺もお前に助けられてるし、アイコってことにしといてやらあ」
疲れ果てた俺達をよそに、ソーニャはきょろきょろしている。
「んー、ザインツベルグ領だと思うんだけどなあ。町はどっち……」
突然、呟きが止まった。不穏な空気を察知した俺はソーニャの見ている方向に首を傾ける。
草原の中に小人がいた。それも10匹ほど。
体表は緑色で、それぞれ50センチ程の長さの棍棒を手にしている。
「なーんだ、ゴブリンか。ヘルダイト城にいた魔物とは比べ物にならないやつよ」
「そうか。ただ、俺達のこのザマを見ろ。猫一匹倒せねえぞ」
「ふふん」
ソーニャは不敵に笑うと、天に向かって指を一本立てた。
「いくら弱体化してるからって、低級の魔物に遅れをとるソーニャ様じゃないわ。――食らいなさい! 聖なるいかづち、ライトニング・アロー!」
なんて直球なネーミングセンスの魔法なんだ。
しかし。
ちゅどーん。降り下ろすソーニャの指に合わせて雷が落ち、ゴブリンどもの集団に直撃。小鬼達は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
ソーニャは腰に手を当てて高笑いしている。
「わっはっはっはー。見た? バサラ。わたしのスゴさを」
「あ、ああ。やるな、見直したぜ」
「なっはっはっはー。そうでしょそうでしょ? もっとわたしを褒め称え……はうっ」
糸が切れたように突如ソーニャが崩れ落ちた。
仰天した俺は這って近づき、頬を叩く。
「おい! どうした」
「あ……ウソ……ライトニング・アロー一発で力を使い果たすなんて……」
「はあ!? どうすんだよ、またモンスターが来たら!」
「イシュダール様……おゆるし、くだ、さい……」
「ちょっ、起きろマジで! ……やべっ、俺も眠く……」
疲労が極限に達したらしく、俺の視界が急速に闇に閉ざされていく。
薄れ行く意識の中、アキトを見た。
目を閉じ、緩やかに呼吸している。あいつも気を失っているようだ。
「すま……ねえ。アキト……」
呟き、俺は意識を失った。
「あら? あらあらあら、あらら? 人が倒れてらっしゃるわ。どうしましょう」
「お嬢様。不用意に怪しい人物に近づいてはなりません。ならず者かも知れませんよ」
「でも、綺麗な身なりですわ。それに若い。――お屋敷に連れて帰ります」
「……やれやれ。お嬢様は言い出したら聞きませんからね。――よっと」
半覚醒の中、誰かが俺を肩に担ぎ上げたのを感じた。
目を開けようとするが、ひどく億劫でそれすらできない。
「ついているな、少年。お嬢様の気まぐれで命を拾えて」
何か恩着せがましいな、この野郎――。
そんな俺の憎まれ口も暗闇に溶けていった。
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