2. 『即死カンタービレ』

 バサラさん……。目を覚ますのです、バサラさん……。


「はっ!?」


 はんなりとした女の子の声に意識を揺り動かされ、俺は目を開けた。

 目に映る天井は石造りで、まるで中世の城のような……。


「ふー、嫌な夢を見たぜ。その夢の中で俺は、天使と名乗り幼子の姿を装う悪魔に殺されるんだ。あんな恐ろしい目にあったことはない。いやあ、現実に戻れてよかった」

「むー! 酷い言い種ですねぇ! せっかく生き返らせてあげたのに!」


 がばっ。体を起こす。

 ソーニャがむくれた顔で俺を見ていた。


「えっ。死んでたの、俺?」

「ちょっとだけですよ。魂が天界に行く前に蘇生しましたから」

「なーんだ、ちょっとならだいじょう……ぶなワケねえだろコラアアア! 何してくれてんの!? 俺達の命を救いに来たんじゃねえの!?」

「あなた達の命は一度無くなったも同然です。その命をどう使おうが私達の勝手です。という理屈なわけです」

「黒い玉にでも入ってんのか! ――えっ? ほんとに? マジで一回死んだの? デコピンで? 早くない?」

「イシュハ=ブーラに来た人たちの中でもトップタイに食い込む即死でしたね。

 よっ! さっすが素早さ9は伊達じゃないですね!」

「天使がすげえ煽ってくる! てめっ、自分で手をくだしといて罪悪感はねえのか!」

「あなたは虫けらが死んだら悲しむんですか?」

「おい天使ぃぃぃ! 本性駄々漏れになるの早えだろ! そういうのは後半のイベントにとっとけやあああ!」


 ぽす。肩に手を置かれた。

 振り向くと、アキトが沈痛な面持ちで首を振っている。


「少なくとも、そこの天使と名乗るナニカがお前に重症を負わせ、そして蘇らせたのは間違いない。あまり刺激するな」


 俺はアキトの言葉をじっくり噛み締め、ごくりと喉を鳴らした。


 ――俺の生殺与奪を完全に握ってる化け物がすぐそばにいる。それに思い至り、突然背筋が寒くなった。


「あ、ああ。悪かったな、ソーニャ。少し言い過ぎたよ」


 神妙に頭を下げると、急にソーニャがわたわたしだした。


「ちょ、ちょーーっと待ってくださいよぉ! ギャグ時空の話で終わろうとしてたじゃないですかぁ! シリアス感出すのやめてもらえますぅ!?」

「はは……。そうだな、ごめん。気を付けるよ」

「やめてって言ってるでしょーー!? 大丈夫ですよ! この世界では命なんて落としてもすぐ拾えますから!」

「倫理の崩壊した世界か……」

「ヤッベー、掴みに失敗したぁぁ!」


 口調が砕けるどころか粉砕されて砂粒と化した天使は頭を抱えている。俺は後ずさって距離を空けた。

 ちらりと目をやると、アキトが眉をしかめて壁に耳を当てていた。何かに意識を集中しているようだ。


「どうした?」

「何かが……近づいてくる」

「どれどれ」


 俺もアキトを真似て壁に張り付いてみたが、全然分からない。

 首を傾げていると、ソーニャが「出番だ!」と言わんばかりに目を輝かせた。


「おっ! アキトさんの強化された五感が早くも仕事しているみたいですね! それなら私が具体的な脅威を見つけてしんぜましょう!

 ――むむむむ、みみみみみー。きてます、きてますよー。……みょみょみょみょーんみょんみょーん」


 額に手を当て、触角のようにぱたぱた動かしながらみょんみょん言う少女は控えめに言ってもホラーだった。俺は更に距離を取る。


「ちょっと! うわぁ……って顔で逃げないでください! いたいけな少女が頑張ってるところですよ!?」

「2080歳のな」

「2048歳です! 二度と間違えないでください! ――おっ、発見しました」


 ふふん、という顔でソーニャが胸を張った。指を一本立てる。


「今、こちらに近づいてるのは『グレンデル』という魔物です。どうやら騒がしいバサラさんの声に気づいてこちらに向かっているようですね」

「それ、強いの?」

「んー、レベル32くらいだったかな? ただ、レベルの割に攻撃力が高いんですよ。120は越えてます」

「レベル1の高校生二人じゃ太刀打ちできねえじゃん! 助けて天使様!」 


 レベル78のソーニャに助けてもらおう。そう思った俺の目の前で、少女が光に包まれ体が徐々に消えていった。ファー……みたいな効果音と共に。


「ああ……迎えが来てしまいました。イシュダール様の力で下界に顕現していられるのは僅かな時間だけなのです。――どうか人の子よ、その命を無碍にしないで。――生きて、くだ、さい……」


 ソーニャは光の粒となって空気に溶け込んでいく。

 当然、俺はすかさず飛びついてがっちりと足を掴んだ。


「ふざけんなよ、ぜってぇ逃がさねえからな! 何が『生きて』だ! 真っ先に俺を殺したのはてめぇだろうが! 安全なところまで俺達を護衛しろや!」

「ギャー! セクハラ! ちょっ、マジやめて! 天界に帰れなくなっちゃ……おわー待ってー! わたしまだ乗ってな……ああー!」


 俺に掴まれたまま消えることは出来なかったらしい。光の粒子はソーニャを置いて空気に溶けていった。

 最初は神聖な雰囲気を醸していたソーニャだが、今や俺の姉ちゃんバリに怖い顔で睨みつけてきた。


「ちょっと! 何て事してくれんのよ!? 置いてかれちゃったじゃない!」

「また今度呼べよ。その間俺達を守れ」

「アレ呼べるのは一ヶ月に一回だけなの! しかもわたしの力も下界じゃ弱まっちゃうし! どうしてくれんの!?」

「は? ――ステータスオープン。ソーニャ」



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


ソーニャ 2048歳

レベル  13

クラス  天使見習い

攻撃力  15

守備力  24

素早さ  31

魔力   58

あざとさ  5

運のよさ  1


スキル

・神聖魔法

・索敵


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「うおおおおお、めっちゃレベル下がってる! そしてあざとさの低下が著しい!」

「だから言ったじゃん! イヤー! グレンデルのエサになったらイシュダール様にすっごい怒られるー! 誰かー! 誰か助けてー!」


 ソーニャは泣きそうな顔でどたばたと走り回っている。


「バサラ! ――来るぞッ!」


 アキトの切迫した声と共に、俺達のいる部屋のドアが破砕された。

 そこから影が姿を現し、ドア枠をくぐるために屈めていた身をぬうっ、と起こす。

 頭が天井に届きそうな巨体だ。3メートルはあるぞ。

 ひび割れた硬質な赤茶色の肌。緑色のボロ布を身にまとい、その手には節くれだった棍棒を携えている。

 一際印象的なのは、赤い目だ。

 血走り、何かを求めてさ迷う眼球。一目でわかった、こいつには話など通じない。マジモンの怪物だ。


「ひやあああー! グレンデルが来ちゃったー!」


 ソーニャが叫ぶと、その声に反応したのか『グレンデル』は俺とソーニャ目掛けて突進してきた。どずんどずんと地面が揺れる。

 俺はとっさにソーニャに飛び付き押し倒す。

 俺の尻を掠めて走り続けたグレンデルは壁に衝突。

 その勢いは止まらず、石材を砕いて上体が壁にめり込んだ。


「ボオオオォッ!」


 壁に埋まっているグレンデルは汽笛みたいなわめき声を上げ、体を抜こうともがいている。――チャンスだ。

 倒れたソーニャの手をつかんで立ち上がらせ、壊れたドアに向かって走る。


「アキト!」


 走りながらアキトを呼び、横目で探すと、あいつはグレンデルに手を向けて何かに集中している。更に、体から赤いモヤのようなものが立ち上っていた。


 破裂音。それと目を焼く炎の輝きがアキトの手のひらから放たれた。


 どかん! バスケットボールくらいの大きさの火球がグレンデルの足にヒットして肉を吹き飛ばす。膝から下が地面に転がり、巨大な魔物が痛みに喚いた。


「アアァガアアアアア!」

「これでしばらく持つだろう。――行くぞ!」


 そう言ってアキトは俺達を追って走ってくる。

 俺達はその部屋を飛び出て、振り返ることなく一目散に逃げた。







 しばらく走ると、ようやく周りをうかがう心の余裕ができた。

 今走っている廊下にはいくつものドアが並んでいる。俺は息を切らしながらソーニャに顔を向け、


「おい! 敵の気配はあるか!?」

「はっ、ひっ。て、敵? ――近くには、いない、よ!」

「よし! アキト、こっちだ!」


 手近なドアを開け、中に飛び込んだ。アキトも続いて入ってくる。

 急いでドアを締めて、大きく息を吐いた。


「……ふぅーっ。ビビったあ……」


 急に気が抜け、ドアにもたれ掛かって腰を下ろした。

 とす、とソーニャも俺の隣に座る。


「おいなんだよ近けぇな。そんな仲良くねえんだからベタベタすんなよ」

「あんたがわたしの手を握ったまんまだからでしょ!」


 右手に目をやる。

 しっかりとソーニャの手を掴んだままだった。必死すぎて気づかなかったらしい。

 慌てて手を離すと、ソーニャは憮然として距離を空けた。


「わ、わりい」

「ふんっ」


 さっき俺が天界への帰還を阻止したのを怒っているのだろう、ツンとした表情でそっぽを向いている。

 苦笑し、俺はアキトに声をかけた。


「なあ、さっきの。あれなんだよ?」


 アキトは汗で汚れた眼鏡を拭きながら流し目をよこした。


「火炎魔法というのがスキル一覧にあったからな。撃ってみた」

「そんな『歌ってみた』みたいに出来るもんなの?」

「お前もやってみるといい」


 そうか。俺にもスキルがあったはずだ。それが使えるかどうか試して……。


「針も糸も料理道具もねえよ」

「そうだな」


 わかってて言ったなコイツ。


「おい天使。レベル1の魔法であんなに威力があるのか?」


 グレンデルの足を破壊したアキトの魔法を思い返し、ソーニャに話しかけてみた。

 すると、あっかんべーが返ってくる。このやろう、本当に俺の120倍生きてるのか?


「俺も知りたい。すまんが教えてもらえないか」


 アキトの真剣な顔。ふー、と鼻から溜め息をついてソーニャが口を開いた。


「グレンデルは魔法防御が低いから、低級な魔法でも大ダメージを与えられるんですよ。あと、『意思の強靭さ』ステータスで威力が強化されたのもあります」


 ますますゲームっぽくなってきた。俺も口を挟む。


「あ? 魔法防御なんてステータス、俺達に表示されてたか?」

「あのステータスウインドウに出てくるのは一例ですよ。いちれー。色々な要素を加味してるからあれだけじゃわからないこともあります」

「じゃあ俺に隠された力がある可能性も」

「ない」

「少しは夢見させろよぉぉぉ!」


 膝からくずおれる。

 そんな俺を無視して、アキトとペ天使が話し込み始めた。


「これからどうする? こんな化物が闊歩する場所にいたくないぞ」

「わたしだってそーですよ! ……とにかく外に出ましょう」

「ここがどこかわかってるのか?」

「はい。ここは、悪魔騎士ランカースが納める魔族の城、ヘルダイトです。いきなりこんな高レベルなダンジョンに転移するなんてツイてないですね、アキトさん」


 俺はソーニャを見上げた。


「お前はどうやってここにきたんだ?」

「あぁ? チンピラ風情がわたしに話しかけんじゃねーよ」

「猫かぶんなら最後までやり通せ!」

「ちっ、うっせーな。反省してまーす」

「お前さっきから黒い玉といい、俺達の世界に詳しくねえか!?」

「アニメとネットとゲームは好き」

「本当に天使かお前!」


 ぐいっ。制服の襟を引っ張られ、後ろに追いやられる。

 アキトの無表情が目の前にあった。


「お前が話してると全く先に進まん。色々聞き出すのはいいが、こんなところでのんびりしていたいのか?」

「わ、悪かったよ」


 まるで親に叱られているようだ。気恥ずかしさを感じつつ、アキトと交代した。


「ソーニャ。お前は天界からここに直接転送されたのだろう? 帰るルートはわかってるのか?」

「大丈夫ですよ。そもそも、余計なことに時間を使わなければあなた方にこれを渡そうと思っていたのです」


 俺をあっさり殺したことは棚に上げ、ソーニャが懐から紙を取り出して広げる。建物の見取り図が書かれた地図だ。

 途端に、ソーニャが汗を額から流し始める。


「あ……これ、別の城の地図だ……」


 オワタ。

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