六右衛門狸 二
幽鬼と六右衛門は互いに静止していた。
六右衛門は、動けなかった。足が竦んでいるのだ。
今にもこの幽鬼は己の喉に
嗚呼、恐ろしい。
恐ろしい。
あの瞳が恐ろしい。
眼は心の鏡と云うではないか。眼を見ればその人の心が映ると云うが、きっとあの眼には己の所業が映るのだ。浅ましき所業が。
今にも幽鬼が己の腹を切り裂き
かつての己がしたように。
今に動くぞ。
今にも───。
今にも─────。
今にも───────。
────────────────。
おかしい。全く動かない。
女は六右衛門を見つめたまま微動だにしない。
流石におかしいと思った六右衛門は女に近づいて観察してみた。
どうやら、幽鬼だの怪物だのといった存在ではないらしい。まず、装いが和服ではなく洋服だ。
一際目を惹くのは特徴的な髪型だ。側頭部に灰色の髪を覆うように大きなの鳥の羽根───これまた灰色だ───のようなものが付いている。そして、左の揉み上げは長く垂れ下がっている。根元が糸で括られていてその先は黄色に染められている。なんとなく鳥の
吊り上がったように見えた眼は、どうもV字状に形を整えられた前髪に上半分を隠されている所為で、遠目に見ると睨んでいるように見えると云う唯それだけのようだ。髪を捲ってみれば案外その目は円いのかもしれない。
よく見ると尻にも六右衛門に狸の尾が生えているように鳥の羽根のようなものが付いている。
そして、ここまで詳細に観察していても矢張り動く気配は全くしない。唯人形のように立っているのみである。
───作り物か。
六右衛門は安堵の溜息を漏らした。
「なんだ、生きてないのか」
「生きてるよ」
「ワァッ!?」
六右衛門は腰を抜かした。誇張でも何でもなく、本当に尻を思い切り地面に打ち据えた。
生まれて初めての経験かもしれない。
「い、生きてるならうんとかすんとかい、い云いやがれ」
「───? うん?」
「そういう意味じゃないッ」
「じゃあ、すん?」
「いや、そうじゃなくてだな───」
途中で言葉を切った。なんだかこれ以上は言っても無駄な気がしたからだ。
六右衛門は立ち上がった。打った尻はまだ痛い。
「ごめんね、なんだか怖がらせちゃったみたいで。私なんというか、こう、じっとして機をうかがっちゃう癖があって」
「そ、そうか。それはなんとも───難儀なことだな」
女は人を取って食うような性格ではないようだ。少女といい直した方がいいかもしれない。
少なくとも、幽鬼だの何だのは全て六右衛門の妄想だったようだ。
───我ながら臆病になったものだ。
六右衛門は己を
「私、ハシビロコウ。あなたのお名前は?」
変わった名前だ。
「オレァ六右衛門だ」
「ロクエモン」
取り敢えず人の振りをした。正直に狸だと云って混乱されると困るからだ。
狸の尻尾を生やしていることはすっかり忘れている。
「ロクエモン。聞いたことのないフレンズだね」
───フレンズ?
「あなた、ここら辺では見ない顔だけど。もしかして、つい最近フレンズになったの?」
「そのフレンズとかいうのが何かは知らんが、
あぁ、やっぱり。
ハシビロコウはそう云って一人で納得した。六右衛門には何が何やら解らない。
「さっき火山が噴火して、サンドスターが降ってきたから。あなた、きっとその時にフレンズになったんだよ」
「───サンドスタア」
解らない言葉ばかりだ。
いや、意味は解る。Friendsは友人という意味で、Sandが砂でStarが星だ。しかし、ハシビロコウが云っているのはどうやらそういう意味ではないらしい。
「ロクエモンさん、もし行く当てがないなら、私達のなわばりにこない?」
「縄張り。家の事か?いいのか。オレなんかが邪魔して」
「もちろん。だって───」
ハシビロコウは微笑んだ。
「困難は群れで分かち合うものだから」
石畳の道を六右衛門とハシビロコウは並んで歩いていた。
道すがら六右衛門はハシビロコウに
「ハシビロコウ、
「ここはジャパリパーク。私達フレンズが、自由に生きていける場所だよ」
「その、ジャパリパアクは
「ヒノモト?」
「あー、云い方が古いか。つまり、にほんの、何県なんだ?」
「───ニホン?ナニ、ケン?ごめん、よくわからない」
マジか、もしかして
「ごめんね。私にはここがジャパリパークだってことしかわからなくて、博士に聞いたら何かわかるかも───。
あ、もしかして。ここは「ジャパリパーク」の「へいげんちほー」っていう所だっていうことを聞きたかったのかな。どう?参考になる?」
「ううん、解らん。その博士ってのは?」
「博士はこの島のおさで、図書館にすんでるの。とてもかしこくて、私達よく博士に助けてもらってるの。アフリカオオコノハズクっていうフレンズなんだよ」
長い。何処までが姓で何処までが名だ。というか、アフリカって国の名前だったような。アフリカなのか
「そのアフリカなんとかかんとか?がこの島の長なのか。長と云うからには。ふむ。
「うん。それがいいと思うよ。ちょっと気難しい所もあるけど、仲間想いのいいフレンズだから」
暫く歩いているが、景色は余り変わらない。何処まで行っても草。木。山だ。
「ロクエモンさん」
今度はハシビロコウが六右衛門に質問する番だ。
「いきなり原っぱにほっぽり出されて心細かったでしょう?フレンズになったばかりの子は、混乱しちゃう子も多いから。ロクエモンさんは大丈夫だった?」
「いや、正直な事を云うと全く大丈夫じゃあなかった。この世に居るのはオレ一人かと思うくらい心細かった。嬢ちゃんに会えて本当に良かったぜ」
幽鬼だと思ったことについては黙っておくことにした。全く正直などではない。
「ま、今考えると杞憂だな。この世にオレ一人だけなんて、ちゃんちゃら可笑しな考えだよなァ。実際こうして人はちゃんと居た訳だし」
その言葉を聞くや否や、ハシビロコウは歩みを止めてしまった。
「どうした」
「ヒトは、居ないよ」
「なんだって?」
「ヒトはもう───」
絶滅したから。
六右衛門は、頭が真っ白になった。
続
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