第42話 見えない壁の、その先で


 椛音は、ミルルと共に彼女の屋敷へと戻ってきた日の夜、エスフィーリアに滞在可能な残りの三日間をどう過ごすかについて、自室で考えていた。

 なおデーヴァとの繋がりは、依然として絶たれたままだったため、彼女は独りで、あれこれと思案を巡らせる他に無かったが、その中で一つだけ辿り着くことの出来た、彼女なりの答えがあった。


「ミルルちゃんは、私が帰る日がちょうど、学院の終業式と重なるんだって、そう言ってたよね……だったら――」


 終業式を迎えた後は、ミルルの通う学院も椛音の世界におけるそれと同様、夏季休暇に入るとのことだったが、椛音が去った後、ミルルがその夏休みをまた元の独りぼっちで過ごす状態になるであろうことは、椛音の想像にも難くはなかった。


「あと三日、私が学院に出て……少しでも、ミルルちゃんの良さを知って貰って、この広いお屋敷に、たくさんの友達が来てくれるようになれば、きっとミルルちゃんだって独りぼっちでは無くなるはず、だよね……よぉし!」



 ***



 翌日、ミルルと共に学院へ登校した椛音は教室に着くなり、何人かのクラスメイト達に取り囲まれ、いつかの時と同様に次々と声を掛けられた。


「あ、カノンちゃんだ! もう身体の方は大丈夫?」

「私はついこの間起きた、謎の爆発事件に巻き込まれたとか聞いたよ!」

「知ってる。うちの生徒の誰かが現場に居たって言うあれでしょ? 本当なの?」


 すると、椛音の後ろからミルルが現れ、

「ちょっとみんな……カノンは――」

 と、椛音に質問を投げかけるクラスメイト達と彼女との間に、すぐさま割って入ろうとした様子だったが、それに対し椛音は、

「ううん……大丈夫だよ、ミルルちゃん。今日はね、私からも、ここのみんなに話しておきたいことがあるんだ」

 と言いながら、傍らのミルルをやんわりと制した。


 そして椛音は、間もなく流れてきた予鈴のチャイムを気にもかけず、教室の後ろ側にあるちょっとした空間へと移動し、つい先ほど自分に声を掛けてきたクラスメイト達はもとより、教室に居た他の全員にも声を掛けて自分の周りに集めると、彼女達全てに聞こえるような少し大きめの声を以って、其処に自身の想いを乗せ始めた。


「授業前に突然呼びかけて、ごめんなさい。ひょっとしたら他の教室の人も居るかもしれないけど、でも今ここに居るみんなにぜひ聞いてもらいたいことがあるの。詳しくは、話せないこともあるけど……この短い間に色々なことが私の身に起きて、一時は命まで、落としそうになったの。でもね――」


 椛音はそこで一端自身の言葉を区切り、近くで黙したまま、椛音の方を向いていたミルルの身体を優しく両手で掴みながら自分の元居た位置にまで引き寄せ、そしてそのまま二の句を継いだ。


「この……ミルルちゃんが、私を助けてくれたの。自分も危ないっていうのに、必死になって、ボロボロになっても、最後まで、命懸けで……」


「カノン……あなた……」


「だからね、みんなの多くは、昔ミルルちゃんが力を暴走させて校舎の一部を壊したっていう話を誰かから聞いたり、中には実際にその時のことを知ってるって人も居るかもしれないけど、何も知らずにただその力を怖いものだって思っているなら、それは大きな誤解だよ?」


「…………」


「だって、私はその素敵な力のおかげで、今ここにこうして立って、みんなとお話が出来てるんだもん。それにその暴走の話もね、小さい頃から滅多に両親に会えなかったミルルちゃんが独りぼっちの寂しさを長く抱え続けて、ついには抑えきれずにその想いを爆発させちゃったから、起きたことなんだ」


 椛音は、眼前に立つ生徒達の一人一人に訴えかけるような面持ちで、尚もよどむことなくその言葉を続けた。


「そこで私はね、みんなにもっと、ミルルちゃんとお話をして貰いたいなって思うんだ。ミルルちゃんって一見こうクールに見えるかもだけど、実はとってもお話好きでものすっごく面白い子なんだから!」


 椛音の話を聞いていた生徒達は、皆一様に静まり返ってはいたが、やがてその内の何人かがミルルの元へとゆっくり歩み寄り、彼女の方を向いて口を開いた。


「ごめんね、ミルルちゃん……私、カノンちゃんが言った通り、実際に見たわけじゃないのに、怖い人なんじゃないかって勝手に思い込んでた一人だよ」


「私も……それを誰かから聞いてたから、ちょっと話しかけ辛いかなって一方的にそう思っちゃってた……事情も知らずに、ごめんなさい」


「私も似たようなもの……だわ。演習でグループを組む時とか、声を掛けられなくって、結果的にいつも独りにさせちゃってた、かも。本当に、悪かったわ」


 その後も、椛音の言葉を受けた他の生徒達がせきを切ったように、各々が自身の想いを吐露し、これまでのミルルに対する態度や誤解していたことを、代わる代わる彼女の前で謝罪した。


「いいえ、みんなそんなに謝らないで……。誤解されても、仕方がないことだったもの。私は私で、何を話してもきっと受け入れては貰えないだろうって独りで勝手にそう思い込んで、自分の周りに見えない壁を作っていたんだもの。自分の声で自分の想いを伝えようともせずに……だから私の方こそ、ごめんなさい」


 ミルルがそう言いながら、他の生徒達に向かってその頭を深々と下げると、ややあって、椛音がその両手を一度だけ強く、パンと鳴らして見せた。


「……はい! お互いにだめだったところはちゃんとお互いに謝ったから、これでぜんぶおしまい! だからこれからは楽しい話を一杯、ミルルちゃんと一緒にしていこうよ。今日のお昼とか、予定の無い人も集めて一緒にしゃべろう!」


 すると生徒達はお互いの顔を見合いながら、控えめな笑みを浮かべて、

「じゃあ私、色々話してみたいこと、あるかな……」

「うん、私も。ミルルちゃんさえ良ければ、お昼一緒に……」

「えっと、私もこれまであまり話したことないから、もし、良かったら……」

 などと、ミルルに対し繋がりを持ちたいという気持ちを表す声が口々に聞かれ、それは当然のことながら、傍らに立つ椛音の耳にも続々と入り込んできた。


「みんな……ありがとう」


 先刻まで椛音を取り囲んでいたはずの生徒達は、いつの間にかミルルの周りに集まり、またミルルはその状況に際して、様々な色が入り乱れた表情を浮かべながら俄かにその目元を潤ませ始めた一方で、自分のことを求める声に対し、思わず感謝の言葉が溢れてきた、といった様子だった。


(ふふ……話せば分かり合えるかどうかは、実際に話してみるまで分からないって思ってたんだ。それにミルルちゃんのように、自分でそのきっかけを閉ざしてしまう気持ちも、私には痛いほど良く解るから。結果としては……大成功、かな。最初はここの放送室を乗っ取ってでも、やろうかなって考えてたけど……内緒にしとこう)


 そしてその時機を見計らったかのように本鈴の音が教室中に響き渡り、最初から開いていたドアの近くでいつの間にか立っていたセラフィナが、その口元を少し緩めた様子で軽やかに教壇の前へと進んだ。


「あら、みんな私よりも先に小さな先生から授業を受けていたようね。じゃあここからは、あまり面白くはないだろうけれど私の授業を始めさせて貰うわよ?」


 そのセラフィナからの言葉を受けた生徒達からは、何処からともなく小さな笑い声が湧き上がり、ほんの少しの間を置いてから、その各々が自分の席や自分の教室へと戻り始め、椛音とミルルもお互いに微笑みを浮かべ合いながら、それに続いた。



 ***



 正午を知らせるチャイムのあと、椛音とミルルは多くのクラスメイトと一緒に、お弁当を持ってきた人もそうでない人も共にお昼を楽しめ、また大人数でも許容できるという学院の大食堂へと向け、くつわを揃えて歩き出した。


 ややあって、一同は本館から少し離れた位置に建てられた食堂へと到着し、椛音が他の生徒の後に続くようにしてその中に入ると、木の床の上に長い木目調のテーブルと椅子とが数列に渡って配されている広々とした空間が其処に在り、施設の内装全体が自然の木材によって造られているのか、森の空気に等しい香りで満ちていた。


 それからクラスメイト達の薦めで、中庭に築かれた花圃かほが広く見渡せる窓際の座席へと移動した椛音達は、ミルルを囲むようにしてそれぞれが想い想いの場所に座り始め、椛音はそのミルルから見て対面に当たる位置にその腰を下ろした。


 加えて一方のミルルは、自分の周りに向けて一頻りその目線を配り、その中で皆の用意が整った様子を感じ取ったのか、ゆっくりと一度頷いてから、口を開いた。


「それじゃあ……皆が揃ったところで、頂きましょうか!」


 そのミルルの声を皮切りに、彼女を囲んだ形の昼食が始まり、ミルルは方々から発せられる声に応じながら、その満面に喜色を湛え、それまでクラスメイト達との間に存在した空白を埋め合わせるかのように、窓の向こう側から顔を覗かせているどの花よりも一層鮮やかな輝きを放つ、想いの花を咲かせていた。


(ミルルちゃん……とっても嬉しそう。ミルルちゃんのこれからは、きっとここから、始まるんだね)


 椛音は、嬉しそうにクラスメイトとの話に興じている様子のミルルを眺めながら、自らが内に持つ心の器に、暖かな光のようなものが満ちていく感覚に囚われた。


(デーヴァ、私の声が聞こえているかどうか分からないけれど、私は今、すごく幸せな気分、だよ。大変なこともあったけど、あなたがくれたこの力と出会いのおかげで、私は本当に大切なものが何なのかを知ることが出来た気が……するんだ)


 自らの心中へと投じた想いに、返ってくる声は無かったが、椛音にはその見えないはずの相手が何処か笑ったような、そんな気持ちになっていた。


(だから、デーヴァ……ありがとね。さぁ、私もお昼を楽しまなくっちゃ!)


 同じものを食べているのなら、独りで食べても、二人で食べても、皆で食べても、その美味しさは変わらないはずなのに、椛音にはそのいずれもが全て違うように思えた。なぜなら、椛音自身が今まさにそう感じたからである。


 そしてまた椛音は考えた。その『感じ』こそが、人だけが持ち、虹の如く七色に移り変わる想いのかたちクオリアであり、人間の可能性、そのものなのではないか、と。

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