第34話 それが、私の答え


転移完了ワープアウトしました。空間座標確認、現在本船は……ソル・ミノール西部エリア上空、高度レベル約三万六千の地点を北進しています」


 シルファの話振りや船窓に流れる景色からも、エピストゥラはエスフィーリアへと無事に辿り着いたらしかったが、操船を担うシルファは、手元の制御パネルを操作しながら引き続き何らかの情報を確認している様子だった。


「ソル・ミノールといえば、セラフィナ先生が居た、アルカヌムの本部がある隣の地域よね……それで、その、輸送船の方は……?」


「少々、お待ちを……」


 それからシルファが立体モニターを自身の眼前に表示すると、彼女はまるでスマートフォンの画面を操作するように、スワイプやピンチイン、そしてアウトといった動作を何度か繰り返し、程無くして目当ての情報を見つけ出したようだった。


「きっと、これでしょう……一隻だけ、予定の航路にないルートを巡航している大型の輸送船が、現在、イル・メシオの方角に向けて降下中です」


 するとシルファの話を聞いたミルルが、一驚を喫した様子で途端にその顔色を変えながら、すぐさまシルファへと言葉を返した。


「イル・メシオですって? この国の首都があるエリアだわ。なるほど、其処でウイルスの散布を行えば、国中はおろか、全世界中へと瞬く間に感染が拡がる……」


 ミルルがそう言うと、瞳を閉じたまま左腕を上にした格好で腕を組み、しばらく沈思黙考していた様子のエリスが、真一文字に結んでいたその唇だけを解いた。


「……シルファ、船にはどのぐらいあれば追い付ける?」

「ものの五分もあれば、そのすぐ後方に付けられるかと……」

「分かった。船が視認できる距離にまで近づいたら、知らせて」


 そして再び沈黙に入った様子のエリスを見た椛音は、自身の中で未だ見いだせないもう一つの答えを何とか掴み取ろうと、その心中で考えを再度巡らせた。


(このまま……エリスちゃんが犠牲になるしか、本当に道は無いの……? いや、絶対何か、他に答えはある、はず。それを何とかして、見つけないと!)


 しかし五分という時間は、それを見つける猶予としてはあまりにも短すぎ、やがてエピストゥラは、くだんの輸送船を視界に捉えられる距離にまで接近した。


「エリス……目標距離への到達を確認しました。現在の高度は約一万四千ですが、対象の降下率から換算するに、予想散布高度まで、あと十分と掛からないでしょう」


「そう……この船で、航行中でも最も安全に解放出来るハッチは?」


「船体の中頃に、一基、上部ハッチがあります。気圧固定式とあるので、調整することもなく、そのまま解放できるかと」


「ん……あとは通常の身体強化だけで行ける」


 シルファとそうやり取りしたエリスは座席から立ち上がり、船内の通路へと通じるドアの前に向かって歩くと、そこで半身だけを椛音達の居る方へと向けて、優しげな表情を浮かべながらその口を柔らかく開いた。


「ありがとう……シルファ。あなたとは、複雑な成り行きで知り合ったけれど、シルファはいつも、私の傍に居て、くれたよね。これから、私が居なくなったら、今度は、あなた自身の生き方を探して、そして見つけて。あなたが生きる意味を」


「エリス……あなた、は……」


「それから、ミルル。あなたには色々と酷いことを、しちゃったよね。許して欲しいと、言えた身では無いけれど、どうか解って欲しい。私は、私が生きる意味を失うわけにはいかなかったの。だからあの時は、ああするしか、なかったんだ」


「もう、そのことは、いいわ……あなたの気持ちは、解る、つもりだから」


「そして……カノン。あなたとは、もっと別の形で、出会いたかった。あなたみたいな人がこの世界にもっと多くいれば、きっと、ユベールも……。それから私は、カノン、あなたが私の力になりたいって言ってくれたこと、ずっと、忘れないよ」


「エリスちゃん……本当に、このまま行って……しまうの?」


「うん……それが、私の答え、だから」

 

 そうしてエリスは、椛音達の一人一人と顔を合わせながら言葉を交わし終えると、再びその背を向けながら決然とした口調で、

「それじゃあ、行ってくるね」

 とだけ残し、間もなくその姿を通路の向こう側へと隠した。


「行って、しまいました、ね……」


「私達、本当にこれで、良かったのかしら……」


 シルファとミルルは、エリスの去った後を、通路へと通じるドアが閉ざされてもなお、半ば呆然とした面持ちでしばらく見詰め続けていたが、椛音はいつしか独りでに震えだしていた、自身の両の拳をその双眸に捉えながら、喉の奥から熱を持って込み上げて来た想いを一気に吐き出した。


「やっぱり、だめだよ……こんなの、絶対だめだ!」


「カノン……もしかして、何か、良い考えが……!」


「考えなんて、ない……けど、このままここでエリスちゃんが死ぬのを、黙って見てるなんて出来ない……だから、私も行く!」


「カ、カノン、待ちなさい!」


 椛音は、制止しようとするミルルの声を待たずにその場を後にして、既に船内通路の中を駆けていた。今の彼女を支配しているのは、ただ自身の内側から湧き出てくる想いの衝動、そのものだけであり、それから程無くして彼女はエリスが船から飛び立つ際に利用したらしい上部ハッチと、その解放用と思しきレバーを発見した。


「きっとこれが、そうだ!」


 そして一切の躊躇なく、レバーを操作した椛音は、間もなく開かれたハッチから覗く眩いばかりの陽光に照らされ、その身を青い空の中へと舞い上がらせた。


「あれが、エリスちゃんが向かった船、だね」


 エピストゥラから飛び出した椛音は瞬く間に転身すると、対抗する凄まじい風圧を物ともせず、更に行く手を阻まんとする大気の壁を水紋の拡がりをかたどるかのように事もなげに切り裂きながら、逆に高空を翔ける疾風の如き速度を以って、今まさに閉じようとしている輸送船の後部ハッチ内部へと到達した。


「はぁ……何とか……辿り、着いたけど……」


 その船内は奇妙なまでに静まり返っており、凡そ人が居る気配は感じられなかったが、椛音の持つ感覚は、エリスのものと思しき瞑力の痕跡が僅かにまだ熱のようなものを放ち、方々に残留しているのを確かに捉えていた。


「あとは、この跡を追っていけば……」


 椛音は何としてでも、エリスがその妹であるティナと生体ユニットとしての立場を入れ替えるよりも先に、彼女の下へと追い付く必要性があったため、その認識能力を限界まで研ぎ澄まし、エリスの残した痕跡を精確に辿りながらも出せる限りの速度を以って、その広い船内を駆け抜けた。


(しかしカノン、あなた、一体どうするつもり……?)


 すると其処に来て、椛音にとっては少し懐かしく感じられる声音が、椛音の頭の中でいでいた湖面が急に波打つように、そう響き渡った。


(デーヴァ……そんなの、私にだって、判らない。だけど、その時にその場に居なきゃ、出来ないことがきっとあると、思うの。そしてそれはひょっとしたら、今の私にしか出来ないことかも、しれないから)


(つまり、出たとこ勝負ってわけね)


(……そうだよ。悪い?)


(いいえ。それがあなたの意志ならば、私はそれに従うだけ。でも割と嫌いじゃないわよ、あなたのそういうところ)


(私も、嫌いじゃあないよ……? デーヴァのその、たまに出てきたかと思えば、言いたいことだけ言って、急に去ってくスタイル、みたいな……)


(ふふ、私達はお互い、難しい年頃の乙女として、気が合いそうね?)


 椛音は、このような状況下であるにも関わらず、諧謔かいぎゃくろうした心算つもりらしいデーヴァに対して、鼻先でふんとだけ笑って返したが、椛音は内心張りつめていたその胸中が、それによって幾分か和らいだような気がした。


「エリスちゃんの瞑力と……もう一つ別の気配を強く感じる……このすぐ近くだ」


 そして程無く椛音は、その強さを一際増したエリスの瞑力に導かれるように広々とした船室へと入り、果たして其処には佇立したエリスと、彼女の眼前で青い光の中にゆらりと浮かぶ、もう一人の姿があった。


「ティナ……」


 エリスがそう呼びかけた相手は、背丈程もある長い金の髪を宙に揺らめかせながら、安らかな表情のままただ昏々と眠っている様子で、エリスよりも一回り程小さな体躯を見せる少女、ティナの姿だった。


「あの子が、エリスちゃんの妹の……」


 椛音がふとそう呟きながら、エリス達の居る方向へ歩み寄ると、間もなく彼女に気が付いたエリスは大層吃驚した様子で、その身を俄かに仰け反らせた格好のままその場に固まってしまった。


「……っ、カノン! あなた、どうして……!」


「ごめんエリスちゃん。驚かせ、ちゃったよね。その、私、居ても立ってもいられなくなって、ここまで、来ちゃったの。それで……この子が、妹のティナちゃん、なんだよね?」


「……ええ。でも、あなたが来てくれて、ちょうど良かった」


「え、ちょうどって……?」


 エリスは自らの全てを賭けて妹であるティナの下に辿り着いたものの、連結装置からティナを救い出し、そして自分が即座にその代わりとして繋がれた後に、意識が定かではないティナを船外へと安全に脱出させる手段に関してまでは頭が回っていなかったようで、急遽、良案を絞り出すことを余儀なくされたのだと言う。


 しかしながら、輸送船の降下率から鑑みるに、その時間的猶予はあまりにも少ない様子で、エリスが途方に暮れていたところへ、あまりにも都合良く椛音が現れたため、それに対して酷く驚いたのだと、エリスは語った。


「カノン、私はこれから、ティナを光のかせから外して、あなたに託す。だからどうか、この子を、あの船まで、どうか無事に連れ帰って欲しい。あなたの反応がこの船から離れたら、私はこの船と、其処に遺された悪意の全てを……殺す」


「エリスちゃん……私、は……!」


「自分勝手で、ごめんね。でもこれは、あなたにしか頼めないこと、だから……お願い。この枷は、代替ユニットを再連結したら、きっと安全装置が働いて、もう後には引き返せなくなる。だから後のことは……カノン、あなたに、任せたから!」


 そう言って椛音に背を向けたエリスは、近くにあった制御パネルと思しきものに触れ、彼女が其処で素早く操作をすると、ティナを包み込んでいた青い光がすっと閉じていき、またそれとほぼ同時にその身体が重力を取り戻した様子で、浮かんでいた宙空からすぐさま落下したが、エリスは彼女をその両腕で軽く受け止めて見せた。


「さぁ、カノ――」


 そして次の瞬間、椛音は自分でも信じられないような勢いを以って、駆けだした。ただ、自身の中に抱いた想いの強さだけを道しるべとしながら。失った輝きを再び取り戻さんとするように躍然と立ち昇り始めた、青き光の中へと向かって。

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