第33話 この手で掴みたいもの


 ユベールの黒き情念と共に崩れ去った托身の陽坐ティファレトを後にした椛音達は、自分達の乗ってきた次元潜航艇――エピストゥラを目指し、セラフィナと共に訪れた際の記憶を辿りながら、くつわを並べて飛行を開始した。

 そしてやがて椛音が、白銀に煌めく流線型のフォルムをした物体を遠方に捉える。


「きっと、あれが私達の乗ってきた船だ……!」


 それから程なくして船の下に降り立った椛音達は、開放されたままの乗降口から伸びた舷梯タラップを伝って素早く乗船すると、そのコクピットを目指して足早に駆けて行き、そしてそれはほぼ労せずして、椛音の視界内に入り込んだ。


「ここが、この船のコクピットだね」


「でもカノン、この船、どうやって動かそう……?」


 するとエリスが、コクピットの正面にある制御盤と思しきパネルに指で触れ、幾つかの操作を行うと、時を移さずして、船体の後方から、推進機関の駆動音と思しき響きが、椛音の耳にはっきりと伝わって来た。


「船が動いた……? エリスちゃん、船の操縦ができるの?」


「私とシルファが使っていた船とは随分違うけれど、動かすことぐらいなら。だけど次元転換ワープの方法までは、判らない」


 そこで椛音は、ミルルが担いできたエレナに船の操縦方法を訊こうと彼女のもとへ歩み寄り、その両腕で彼女の身体をしっかりと掴みながら、依然として魂の抜け落ちたような様子を見せるその顔を覗き込んだ。


「エレナさん……お願い。この船の操縦方法を私達に教えて! 今この船を動かせるのは、あなたしかいないの!」


「あ……あぁ……」


 しかし対するエレナは、焦点の定まらない視線を宙に泳がせながら、赤子のような喃語なんごを呟くばかりで、凡そ会話が成り立つような状態では無く、その後、椛音が彼女の名前を何度呼び掛けても、同様の反応を繰り返すだけだった。


「……だめ、みたい。でも、このままじゃ……」


「待ってカノン、こっちに何か、高速で近づいてくるわ!」


 ミルルが指し示したのは、船のレーダーと思しきもので、それによると椛音達がやってきた方向から、高エネルギーの熱源体が高速で接近中だと言う。


「私達の来た方向……? 一体この反応は……あれ、でもこれって!」


 そしてその不可思議なエネルギー反応は、椛音達の居るエピストゥラ本体へと達し、それから間もなく椛音達の前へとその姿を現したが、それを目の当たりにした一同の顔は、矢庭に吃驚仰天きっきょうぎょうてんとした様相を呈した。


「お待たせ……しました」


 その全身はすすまみれた状態で、所々が醜く焼きただれ、また翡翠ひすいの輝きを宿した長い髪もその端々が黒く焦げ、ちぢれていたが、琥珀こはくの如き色彩を湛えた双眸は、決然とした意志で満ち溢れているように椛音の瞳の中に映って見えた。


「シルファ……! あなた、一体、どうやって……!」


 中でも一際驚いた表情を見せていたエリスが、シルファの下にゆっくりと歩み寄りながらそう彼女に尋ねると、

「運が、良かったのです」

 とその口元を俄かに緩ませながら、エリスに短く返した。


 シルファによれば、ミルルの合図を受けてエレベーターシャフト内を上昇し始めたものの、そのすぐ後にホール全体が大きな爆発を伴って崩落し、その余波を受けてその身体を強く吹き飛ばされたシルファは人で言う所の死を覚悟したが、彼女がその身を打ち付けた場所が、偶然にも別の階層へと通じる扉であったのだと言う。


 そして、その通路を無我夢中で突き進んだシルファの眼に飛び込んで来たものは、大きな建材などを運搬する目的で造られた作業用の堅牢な人型ロボットで、間もなくそれに乗り込んだシルファは、正面に見えた換気用の大型プロペラに手近の建材を投げつけて破壊し、奥に続くダクト内へと進行したが、それが幸いにも施設の外に通じていたため、途中で爆炎に包まれながらも辛うじて脱出を果たせたのだと述べた。


「そんな、ことが……でも、シルファ、あなたが無事で、良かった」


 満身創痍まんしんそういの状態にあるシルファの身体にそっと触れながらそう言ったエリスは、彼女の身体をふんわりと抱き締めると、程無くその身を引き、顎を上げた格好で眼前のシルファに対し、言葉を紡いだ。


「お願いシルファ……この船を操縦して、私達をティナの所へ連れて行って!」


「解りました。このタイプの船ならば……問題ありません。それでは、エリスにミルル、操縦の補佐をお願い出来ますか? それとカノンは、エレナを……そちらの座席に運んでください。すぐにここから、飛び立ちましょう」


 それからシルファの指示により各自が所定の座席に着き、そしてその操縦を担うことになったシルファが制御盤のパネルから素早く操作を行うと、推進機関の駆動音がその大きさを増していくと共に、エピストゥラの船体が地上から浮揚し始めた。


「進行軌道確定、次元座標の入力完了。重力制御、推進出力……共に問題なし。その他、計器の状態も全てクリア。それでは……発進します!」


 間もなく一際大きな音が後方から船首へと伝わると同時に、エピストゥラは瞬く間にユベールの施設があった浮遊島から遠く離れ、その船体は雲海の遥か彼方へと達し、船窓から覗く周囲の空間は完全な常闇に支配された。


次元転移ワープイン開始、防眩ぼうげんウィンドウ、作動」


 シルファがそう言った直後、薄い膜のようなものが船窓の表面全体に展開され、それから程無くしてその裏側をしたように、白い光が微かに漏れ伝わっていた。


超空間ハイパースペースへの移行シフトが完了、潜航速度最大で目的地へと向かいます」


 船体は極めて安定している様子で、本当に別の空間を飛んでいるのか判らないぐらいの静寂と平穏とを保っていたが、そこで一頻りの操作を終えたらしいシルファが少しやんわりとした声色を以って、その沈黙を切り裂いた。


「推進機構にかなりの負荷が掛かかってしまいますが、この速度なら何とか追いつけるでしょう。何も異常が無ければ、今から十数分程で、転移完了ワープアウトします」


「良かった……あ、でもシルファさん、エスフィーリアに戻った後でティナちゃんが乗っている輸送船を見つける手立てはあるんですか?」


 椛音がシルファにそう尋ねると、シルファは手元のパネルを操作し、其処に表示された何らかの情報を参照した様子で、すぐさま椛音へと返答した。


「恐らく、識別反応を偽装しているでしょうから、レーダー上では民間の輸送船として捉えられるはずですが、このエピストゥラという船には本日航行予定の全ての艦船の航路がインプットされているようなので、現地時刻と照らし合わせながら、この航路から外れた輸送船を探せば、発見できる可能性は極めて高いと思われます」


「そっか……出来るだけ早く見つかるといいけど、一番の問題は……」


 そう呟く椛音の胸中にあったのは、ユベールが今際いまわの刻みに遺した言葉で、浄罪の雨カタルシスという持つ者イネイト達を絶滅させる目的で造られたウイルスを積載したその輸送船を止めるには、生体ユニットとして船を制御しているエリスの妹――ティナを、死に至らしめる以外に方法は無いというものであった。


「いや、まだ時間はある……何とかして、救い出す手段を考えなくちゃ」


「その、こと、なんだけど……」


 すると椛音の言葉に反応したエリスが自身の座席を後方に転回させ、椛音の居る方へと顔を向けると、一呼吸分の間だけを置いてから、その口を決然と開いた。


「私が、ティナに代わって、その船の生体ユニットに、なる」


「エリスちゃん、一体、何を……!」


「例えティナを、連結装置から取り外しても、ごく僅かの間に代替ユニットを据えさえすれば、ウイルスの強制排出も無いはず。そしてあとは私が自ら……この人工瞑核ファルサ・カルディアを止めれば、ユベールの言っていた、死の際に生じる負の瞑力アンティ・クオリアなるものがウイルスの格納庫にも伝わり、きっとそれらを不活性化させるでしょう」


 エリスの言葉通りに全てが上手く奏功すれば、ティナを救出することも不可能では無いように考えられたが、しかしそれはまた同時に、エリスが自己犠牲を払う決断を行ったことを何の婉曲えんきょくも伴わず、ただそのままに意味していた。


「そんなの、ダメ……そんなことしたらエリスちゃんが、死んじゃうんだよ!」


「カノンの言う、通りだわ……幾ら何でも、滅茶苦茶過ぎるわよ……!」


 エリスの提案に真っ向から反対し、その考えを思い留まらせる姿勢を見せた椛音とミルルだったが、静かにその双眸を閉じたエリスは黙したまま、その首を横に振って見せながら、やがてゆっくりと言葉を返した。


「これは、私にしか、出来ないことで……また、私だからこそ、やるべき意味があることだと、私は思う。それに、私にはユベールが犯した罪の、一端を背負う責任だって、あるの。だからどうか、私を止めないで。そして私を……信じて」


 一片の迷いも感じられない瞳で、その心情を吐露したエリスに対し、彼女の隣に居たシルファは深く項垂うなだれ、至極淡々とデータを表示し続ける機体の制御パネルへとその視線を落とした様子だった。


「私が、作り物の身体で無ければ……こんな時でも私は、涙すら、流せない……」


「いいの、シルファ。これは私の問題……だから。他の誰でもない、私こそが、ここで決着をつけなくちゃ、いけないの」


 そのエリスとシルファのやり取りを見詰めながら、何とかして他の解決策を探ろうと、必死の形相をたたえ、自身の心中で思案を巡らせた椛音だったが、非情にもただ時のみがいたずらに刻々と過ぎ去ってゆくばかりで、妙案が浮かんで来る気配の訪れは、一向に感じられなかった。


(何で、どうして、私の中には、良い案が、何も浮かんで来ないの……!)


 そしてやがて、誰も他の答えを見つけられないまま、エピストゥラは終に次元転換の最終段階に入った様子で、その船窓を覆っていた遮光幕しゃこうまくのようなものが一斉に閉じられると、その向こう側には抜けるような蒼穹そうきゅうが拡がり、更にその下には陽光を悉く反射しながら、白く照り輝いている雲海が何処までも果てしなく流れていた。

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