第27話 想いのかたち


「これが、融合体ネクサスの真の力……? なら、これは!」


 エレナは破断したリサインドの刀身を引くとほぼ同時に、姿勢を変転させながらそれを椛音に対して一気に振り下ろしたが、椛音は右の掌底のみでその刃を瞬時に叩き割り、そしてその破片は数メートル先の床面へと弧を描きながら突き刺さった。


 しかしエレナは巧みな体捌たいさばきを以って椛音の背後へと回り込み、そこから更なる追撃態勢を示すや否や、不可思議な運足ステップを踏みながら接近し、そこから突如として回転を加えた蹴撃を椛音に対して見舞った。


蟒牙烈蹴撃ぼうがれっしゅうげき!」


 エレナの脚は木間こまを伝う蛇のように変則的かつ多角的な軌道を描き、また大鎌のような著しい鋭利さを伴って一切の間断なく椛音の身体へと襲い掛かったが、彼女はそのことごとくを紙一重のところでかわして見せた。


 そしてまた空を切ったエレナの脚線からは、さながら鎌鼬かまいたちの如く犀利さいりな衝撃波が生み出され、その一部は辺りの底面を深く抉っていた。


「セラフィナ直伝の妙技すら、かすりもしない……か、ふふ、ふふふふ、うぶッ!」


 椛音は、自身に振り下ろされた彼女の脚をその手で捕えると、即座にその勢力を利用する形でエレナの全身を地面へと叩きつけた。その衝撃は凄まじいもので、エレナは半ば床面へとめり込んだまま約十数メートルの距離を破砕する形で吹き飛ばされたが、間もなくその身体を起こしたエレナは椛音に両手の指先を差し向けた。


霰華咬焔射シアリング・バラージ!」


 エレナはその指先から無数の炎弾を雨霰のように乱射し、それらは弾指の内に椛音へと着弾したが、その熾烈な光炎の散弾は椛音の身体に触れる寸でのところで、彼女が全身から放つ七色の彩光に溶け込むように消えて行った。


 しかしエレナは臆する様子も見せず、尚もその手から炎弾を撃ち続けながら椛音との距離を詰めていき、ある一定まで接近した後に沖天の勢いで上昇し、椛音をその眼下に捉えると、今度はその両手首を重ね、椛音へと突き出して見せた。


額衝ぬかずけ俗物! 覊束の光櫃リストレイント・グラヴィティ


 次の瞬間、椛音の周囲の空間が黒々とした瘴気の如き靄に包まれ、またそれと同時に、急激な圧力を受けたかの如くその床面が軋みを上げ始めると、その内容はたちまちの内に漆桶しっつうに等しき闇黒あんこくの中へと閉ざされた。

 

 そしてさらに、エレナの重ねていたその掌に向かって、凄まじい密度を誇る純黒の瞑力が渦巻くように集束し、それは間もなく太陽の如き莫大な熱量と勢力を以った光球となって、異様な轟音を周囲に響き渡らせていた。


「こいつを受けてみるといいわ……空裂の蹂躙サイアニック・デヴァステイター!」


 どす黒い妖光と紅い雷電の濁流が空間を押し退けながら、椛音の居る地点へと殺到し、そしてそれは間もなくホール内を暗赤色の閃光で染め上げ、さらに大量のエピゴノス達に追尾されていたエリス達を、苛烈な風圧によって壁面へと追いやった。


「くうっ、何て衝撃……カノンは……」


 ややあって、閃いた光は微かな余韻だけを遺して閉じていき、ホールの床面はその大部分が粉砕され、辺りには大量の瓦礫が大小様々に雑然と転がっており、そしてエレナはそんな光景を空中に佇みながら鳥瞰ちょうかんしている様子だった。


「……チッ」


 そう舌打ちをしたエレナの視線上には、開けた白煙の中から四方約二メートル余りの床面が無傷で残っている様が覗き始め、さらにその奥からはその色を刻々と変容させる彩光が、幢々とうとうと鮮やかに揺らめいていた。

 

 そしてまたその光に護られるようにして、身体をくの字状に曲げて横たわるミルルの姿もあり、エレナの攻撃による影響を全く受けていない様子だった。


「大丈夫だよ、デーヴァ。私はもう力に自分を委ねたりなんてしない。この力はきっと、怒りでも憎しみでもなくて、想いのかたち……そのものなんだ」


(カノン……そうね。あなたは、あなたこそはやはり、私を御するに相応しい。ならば存分に奮っておやりなさい、その、あなただけの力を)


 椛音が手にしていた長杖をエレナへとおもむろに差し向けると、彼女が纏う七色の煌めきは間もなくその杖先へと集い始め、そして其処に柔らかな熱を宿した。 


「我が元に集え……想いのかたち」


 その輝きは、怖気を生じさせる気配も辺りを払うような威圧も持たず、どこまでも穏やかに拡がる蒼穹の如くただ其処に在りながら見る者全てを受け容れ、そして優しく包み込むようにホール全体を遍く伝わっていった。


「そしてどうか届いて……極光の懸梯セラフィック・レゾネイター!」


 椛音の眼前で閃いたそれは、七色に耀かがよきざはしとなって、ホール中空に静止していたエレナの下を目指すようにその宙を瞬く間に駆け上っていった。


 しかしそんな椛音の様子を目の当たりにしながら即座に反応を見せたエレナは、そこから退避するでもなく、自身の周囲に複数の瞑導陣クオルトを高速展開し、その椛音から伸び始めた眩光の螺旋に対して、防御態勢に移行した様子だった。


「光よ閉じろ、陥穽の壅隔ハーメティック・バスティール!」


 エレナがそう声を高めると、彼女の展開した瞑導陣が回転し始め、その周囲の空間が海流に逆巻く渦潮のように見る見る歪み出し、周辺の光を吸い込みながらその影の勢力圏を急速に伸ばしていった。


 そしてその一方で、椛音から放たれた、未だ色の定まらない光芒は、エレナが下ろした常闇の緞帳どんちょうに相対しても止まることを知らず、ただ彼女が居る一点を目指すようにして両者を隔てる空隙を刻々と埋めていく。


「馬鹿な! この歪みの干渉を、受け付けないとでもいう、な――」


 その時、椛音の中に流れ込んで来たものは、セピア色に霞んだ何処かの光景。

 それはいつか、誰かが観ていた記憶なのか、無機質な部屋の中を映し出した。

 四肢の自由を奪われた中、眼前に迫るものは、用途の知れない、異形の器具。


(これは……あぐっ!)


 ――身体を伝うものは、痛みと不安と恐怖と、そして絶望。

 黒く塗りつぶされた顔が、代わる代わる、己の身体を刻んでいく。

 死こそが甘美な安息なのか、しかしその死へと伸ばす手は、いつも届かない。 


(ならば私はいっそ……無になりたい、何もかも感じない、無こそに)


 いつしか、分からなくなった。血を抜かれ、皮を剥がれ、骨を取り出されても。

 顔の見えない自身が、笑っているのか、怒っているのか、泣いているのかさえ。

 この目に入って来るモノ、総てが、次第に狭まり、そして緩やかに閉じていく。


(そう、この先に続くものはきっと、無。私が望んでいた全てが、其処に在る)


 そして終に、その指先が、其処へ触れようとした、その時。

 私が伸ばしていた手が何かに触れた。いや、何かに触れられた。

 あぁ、そうか、私が本当に求めていたものは、こんな感覚だったのか。


(暖かい……)


 その感覚に導いてくれたもう一つの手を、私は忘れ得ないだろう。

 いつかこの瞳に届く光が、本当に閉じる、その時でさえも。

 だから今度は、私があなたの望むものを、手に入れたい。


(そっか……)


 そして、私とあなたから、何もかもを奪い去っていった者達。

 その彼等から、これまでに失った多くのものを取り戻したい。

 そのためになら私は、例えどんな仮面ですらも被って見せる。


(だからあなたは……)


 次の瞬間、退色した映像の濁流は一点に狭窄し、更にそれと入れ替わるようにして、椛音の虹彩に元の世界が描き出されていく。

 そして今、彼女の視線の先にあるものは、茫然とした面持ちのエレナの全身を、自らが放った光が柔らかく包み込んでいく光景だった。


(すごく、痛かったよね……とっても、辛かったよね……でもあなたはもう、自分を護るために、誰かを無理に傷つけなくたっていいんだよ)


 様々な色相に変転するその霊燿れいようは、閉じた空に閃く太陽そのものとなってその小さな世界を穏やかな光の中に擁し、そしてそれは間もなく夢寐むび揺蕩たゆたう泡沫がぜるかのように何物の余韻すらも遺さず、宙の内に晴れて行った。


(痛みで痛みを誤魔化しても、あなたの本当の心は、きっと痛いままだったんでしょう。たとえそれが、大事な人の願いを成すためだったとしても、あなたが自分の気持ちにまで、嘘を吐く必要はないんだよ……あとは私が、引き受けるから)


「ん……んん……あ、れ? カノ……ン?」


 眩い光のあとで重傷を負っていたはずのミルルは、眠りから覚めたばかりのような眼を見せながら起き上がり、片や先程まで中空に浮揚していたエレナは、いつの間にかその両膝を地に付いた格好のまま茫然自失とした表情を浮かべて、天井を仰ぎながら何かをぶつぶつと呟いている様子だった。


「あ……う……」


 そしてまた、エリス達を執拗に追尾していたエピゴノスの大群もまた、その悉くが捲れ上がった床面の上に転がっており、まるで意識の糸が断たれたように呆けた面持ちで、各々がただうつろな視線を瞬きすらもせずに方々へと垂れ流していた。


「これは……今の映像と感覚は……一体」


 そう呟きながら、辺りの現状を一頻ひとしきり見回して把握した様子のミルルは、次いで自分の身体を不思議そうな面持ちで何度も見返すと、やがてゆっくりとした足取りで椛音へと歩み寄り、泰然と佇立する彼女の背中に向けてその口を開いた。


「ねぇ、カノン、今のは、あなたが……?」


「光の中で、あの人の想いが、伝わってきた……そして私はただそこに、今の私が持っている、自分の想いを届けたの」


「なら今、私が見たものは……」


 するとホールの中頃から、シルファを伴って周囲を見回しながら緩やかに空を下ってきたエリスが椛音の近くへと降り立ち、間もなく言葉を紡いだ。


「エピゴノス達も皆、あの、不思議な光を受けて、活動を停止したみたい。何だか私も、あの一瞬の内に、夢のようなものを見たような気が、するけれど……」


「夢……? 確かに、未知のパルス波の発生を感知しましたが、その詳細は不明です。ただ理由はともあれ、この状況は好都合ですから、今の内にこの施設から脱出してしまいましょう、エリス、カノン、そしてミルル」


 椛音は、唯一何も見えていなかった様子のシルファに、一度だけ頷くと、

「うん……そうだね。今はとにかく、みんなでここから出なくっちゃ」

 と言いながら、最初に乗ってきたエレベーターの乗降口と思しき、ひしゃげた扉がある方向へと歩き始めた。


「ちょっと待ってカノン、あっちは、あのままでいいの……?」


 ミルルはそう言いながら、依然として乳児が発する喃語なんごのような、意味を成さない音声を発し、天井を仰ぎ続けるばかりのエレナを指で差した。


「きっともう、私達とは戦わないと思う。今のあの人からは、怒りだとか憎しみのような黒い気配が、まるで感じられないから」


「そっか……カノンがそう言うのなら、私は何も言わないよ。じゃあ、行こうか」


 椛音がミルルの言葉を受けて再び歩き始めたその瞬間、椛音の眼前に近づいてきていた扉が、突如として周囲の壁諸共に爆散し、そして其処に雪崩れ込んだ瓦礫の山によって、その先に開いていた空間が瞬く間に埋め尽くされた。


「おっと失礼。まだ君達を、ここから出すわけにはいかないのでね」


 その声を背後から受けて、一斉に振り向いた椛音達が目の当たりにしたものは、人の形をしていながら人よりも遥かに大きく、そして人としての生命が微塵も感じられない、何処までも無機質かつ異形な肢体だった。

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