第26話 消えない花火


「でもシルファ……あなた、その身体で、本当に大丈夫?」


 エレナとエピゴノスとが待ち構えているであろう中央ホールへ向け、椛音達は揃って歩き出していたが、エレナによって背後から特異な刃で刺し貫かれたシルファは、いくらバイオロイドといえどその刺創がただの怪我で留まらないことは火を見るより明らかで、エリスはそんな彼女を特に心配している様子だった。


「……生体の自己修復機能を封じられたのは痛手ですが、船での合流前に、セラフィナから、これを渡されていましたので、短期決戦ならば問題ありません」


 シルファはそう言うと、憂いの色を浮かべているエリスに対し、チューブ状の薬品と思しき物体をその懐中から取り出して見せた。


「それは……塗り、薬?」


「ナノサルヴです。バイオロイド専用ですが、この軟膏を受傷部位に擦り込めば、治療用のナノマシンが、傷んだ生体組織を比較的速やかに再構築してくれるのです。きっと元々治癒術が奏功しない私の身体を鑑みて、持たせてくれたのでしょう」


 シルファによれば、彼女はエレナからの凶刃を受けて床に臥した後、機を見てそれを密かに塗布していたらしく、体液の更なる漏出を最小限に留めたのだと言う。

 事実、彼女の纏う戦闘服には、受傷部分を中心に大量の出血痕と思しきものが認められるが、そこから新たに体液が漏れている様子は見受けられなかった。


「私のことはいいですから、エリス……皆で協力してここから脱出し、早くティナが居る、瓊葩の荘園センティフォリアへと向かいましょう」

「……うん、ありがとう」


 それから程なくして、中央ホールへと辿り着いた椛音達の前には、果たして不敵な笑みを浮かべながらホールの中心部に屹立きつりつするエレナの姿と、そんな彼女の周囲に無表情のままで整列している、エピノゴス達の姿があった。


「随分遅かったわね、あなた達。ふふ……みんな、待ちくたびれていたわよ?」


 エレナは、仄紅ほのあかい滴りを未だ残す真っ黒な刃の先を、椛音達に対してそれぞれ指を差すようにして向けながら、言葉を続けた。


「今、私が必要なものは、カノンさん。あなたの身体だけ。それも、生きた状態のね。だからその他大勢にはこの場で皆、消えてもらうわ」


「消えるのは、あなたの方よ。カノンは……今度こそ、絶対に渡さない」


 ミルルがエレナを睨み付けながら一際大きな敵意を露わにすると、その全身からは彼女特有の雷光を含んだ強大な瞑力が迸り、またその両手には雷霆らいていの化身とも見える大槌が握られ、辺りを払うような圧を昂然こうぜんと放っていた。


「私達はきっと、みんなが同じ想いで、それぞれが望む未来に向かうために、今ここに立っているの。だから私は、あなたに、その未来の種を、刈り取らせるわけにはいかない。何があっても、最後まで、絶対に諦めないから」


 椛音がそう言いながら右手を前に突き出すと、そこには三日月状のフレームに、紅焔の如き光輝を燈した宝石を戴く不可思議な物質で構成された長杖が顕われ、またさらにあたかも桜花が咲き乱れるような激しい彩光の奔流が、彼女の全身から渦を巻いて巍然ぎぜんと立ち昇った。


「いいわ。エピノゴス、あの子を無力化して生け捕りにしなさい。他の連中は始末するわよ」


 するとエレナの言葉を受けて、彼女の傍に控えていた二十余りは居ると思われるエピノゴス達が一斉に行動を開始し、臨戦態勢に移行していた椛音達に向かって夥しい数の光弾を射出した。しかし椛音達もそれに対して即座に反応し、各々が散開しながら、エピゴノス達が繰り出した初撃を相殺しつつ回避した。


「カノン、相手は本気で殺しにかかってる。もはやこちらの話が通じない以上、私達も手加減は無しよ!」


 ミルルは大槌をその手に持っているとは思えないほどの敏捷びんしょうな空中機動を見せ、放たれた光弾の雨を巧みに交わしながら、エピノゴスの一団へ向けて容赦の感じられない一撃を見舞った。


「ミルルちゃん……私も、こんな所でやられるわけには、いかない!」


 エピゴノスは、エレナから椛音を生け捕りにするという指令を受けているためか、椛音に対して拘束術と思しき手段を積極的に仕掛けて来たが、椛音もまたミルルに引けを取らない軽やかな身のこなしを以って、そのことごとくをやり過ごした。


(――ノン、カノン! もし聞こえているなら返事をしなくてもいいから、ただ聞いていなさい。今のあなたは往古の秘奥デーヴァ・リーラーを統べる者。先にあの船を導いたように、ただ自らの想いのままに、その力を自由に開放すればいいわ)


(これは、デーヴァの声……そうか、今の私には、その力があるんだ)


(しかし、怒りに身を委ねては駄目。さもなくばあなたは、自らの命を燃やし尽くすまで、破壊を止めない、死の暴君と成り果てる……いいわね、カノン)


(命を奪わなくても、相手が動けなくなるぐらいのダメージを与えれば……)


 椛音が自身の眼前に群がるエピゴノスをその視線上に捉え、その一体一体を絡め取るように伸びる光のつるをイメージすると、果たしてその形象は瞬く間に実際の姿を伴って顕現し、その光景を目の当たりにしたエレナが吃驚した面持ちで口を開いた。


「何だ……あれは……拘束、術だとでもいうの?」


 桜花の彩光を湛えた蔓は縦横無尽にその腕を周囲の空間へと伸ばし、無秩序な蠕動ぜんどうを以って、椛音の行く手を阻もうとしていた様子のエピゴノス達を次から次へと矢継ぎ早に絡め取りながら、その自由を奪って行った。


「エリスちゃん、お願い! その位置からなら、相手を見渡せるはず!」


「カノンが相手を捕えている……シルファ、この隙を突いて、一気に殲滅するよ」

「ええ、エリス、いつでも合わせられます」


 エリスはそう言うとその足元に瞑導陣クオルトを煌めかせ、手にした戦槍の鋒先ほさきへと急速に瞑力を集約させていき、周囲の大気が揺らめいて見える程の凄まじい熱量が漲った力場が、其処に形成され始めた。


 そして間もなく、そんな彼女の行動を阻止するためか、エピゴノスの群れが瞑力を蓄えている様子のエリスに向けて殺到し始めたが、彼女の背後に現れたシルファがその双剣から紫電の煌めきを宿す光波の刃を八方へ向けて次々と放ち、エリスに襲い掛かろうとしていた様子のエピゴノス達を牽制した。


「我が道を阻む全てを……彼方へと押し流せ、蒼の狂瀾ブラウ・ヴォーゲ!」


 エリスの、その体躯に見合わぬ蛮声を受け、制御の鎖を断たれた蒼き奔流は、河口を遡る海嘯の如き苛烈な勢力を以って、周辺の大気を軋ませながら光の蔓に巻かれていた数多のエピゴノス達を一息に呑み込むと、ドーム状に拡がった壁面諸共完膚なきまでに圧砕し、その反動で生み出された衝撃波をホール全体にどよめかせた。


「おのれ……クソガキ共が! エピノゴス達よ、今こそ光を燈せ!」


 そう叫びながら、敵愾心てきがいしんを満面に浮かび上がらせたエレナに対し、エリスの攻撃を受けても尚、その活動を止めなかったエピゴノス達は、満身創痍の中にあってもその顔に色を添える事は無く、ただ一心不乱の様子で椛音達の居る方へと動き始めた。


「あの子達、まだ向かって来るつもり……? なら、ここは私が!」


 ミルルはその手にした大槌を構え直すと、既に彼女の目前にまで迫って来ていた一体のエピゴノスに対して即座に迎撃の態勢を示し、その突撃をいなした。


「そんな迂闊な攻撃で、私が――」


 しかし次の瞬間、反撃に転じた様子のミルルから、幾許いくばくの距離も無い位置に居たエピゴノスが、その全身を発光させたのも束の間、次いで生み出された強烈な閃光と共に跡形も無く爆散した。


「ああああぁっ!」


 突如として炸裂した殺人的な爆風を、至近距離から真面に受けたミルルは、苦痛を湛えた面持ちで絶叫し、その全身から紅い飛沫が迸った。

 

 そして煙火を纏いながら地面へと落ちていく彼女に対し、次から次へと押し寄せたエピゴノスがその身を投じると、線香花火のような烈しい煌めきだけを遺して、眉のひとつすらも動かさないまま、その悉くがぜた。


「そ……んな……」


 それはほんの一瞬の出来事だったが、椛音の脳裏には苦痛にその顔を歪ませながら火の粉と硝煙とを舞い散らせるミルルの姿が、消えない花火のように何度も現れては通り過ぎて行った。


 それから間もなく、地面に叩きつけられるようにして落ちたミルルは、燻る白煙の中で、めくられた床面の残骸と同様に力無く横たわりながら、その全身を微かに奮わせ、何とも悲痛な呻き声を上げていた。


「う……うぅ……」


「今のあなた、とっても素敵よ……それにしても、あんなに可愛い声で鳴くなんて。思い出しただけで私、全身がゾクゾクしてきちゃうわ」


 エレナは、笑みを浮かべたまま、地に臥したミルルへと歩み寄り、

「だから、死ぬ前にもう一度、その甘美な響きを、私に聞かせて頂戴」

 と言うと、右の手にした黒々と光る鋭刃の切先を、彼女に差し向けた。


「そして覚める事の無い、永遠とわの眠りに身を委ね、おやすみなさい」


 そう言いながらエレナがその手にした刃を振り上げ、一切の躊躇を見せることなく無抵抗のミルルへとそのまま振り下ろした、その瞬間、音も無く両者の間に割って入り込んだ光が風口の蝋燭に燈っていた微かな灯りを、其処に留めた。

 

「どうして……どうして、こんなことが、出来るの……」

「あなた、一体、いつの間に……!」


 エレナが振り下ろした凶刃は、瞬息の間に現れた椛音の右手によって受け止められ、その勢いは彼女の小さな手の中にあって、完全に殺されていた。そしてエレナは彼女の手からその刃を引き戻そうと何度も力を込めている様子だったが、捕えられたその刀身はまるでリベットで接合されたかの如く微動だにしなかった。


「あなたに何があったか、私は知らない……けど、それでも、最後まで、人として失っちゃいけないものが、あるでしょう!」


 椛音は、炯々けいけいたる双眸でエレナを射抜くと、その手に受け留めていた分厚い鋭刃を、恰も細い小枝を指で捻るかのように軽く捩じり折った。


「リサインドを破断、させた……? それも素手で……?」


「あなたが、あなたの求める何かを、誰かから奪うことでしか得られないと言うのなら、私はそれを止めて見せる。例え私自身を、犠牲にしてでも」


(カノンいけない、その力は……!)


 決然とした面持ちでそうエレナに告げた椛音からは、かつてエリス達と対峙した際に見せたような七色に変容する光耀が耿々こうこうと煌めき始め、そしてそれは辺りを払うどころか支配する程の、異様な圧を伴って、その全身に充溢していた。

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