第25話 青天の霹靂


「な、なんて……なんて、ことを」


 喉の奥から搾り出したようなか細い震え声でそう呟いた椛音に対し、ユベールは恬然てんぜんとした面持ちのまま、言葉を紡いだ。


「この血の赤を見たまえカノン君。よく出来ているだろう? しかしバイオロイドは通例、こんな攻撃などもろともしない。ましてや私の作品ともなればなおさらだ」


 すると地面に倒れ込んだシルファを跨ぐようにして、その後方から姿を現したエレナが、その右手に握りしめた真っ黒な鋭刃の紅い先端を見詰めながら舌舐めずりをして見せた。


「しかし、あらゆる瞑力の作用機序を無力化する、このリサインドがあれば、ただの人間も同然。そうでしたよね、ユベール」


 平然とした顔でそう語るエレナに椛音は次の言葉が見つからなかったが、彼女と同じ空間に居るもう一人の人物が、エレナに対して声を上げた。


「ねぇ……どう、して?」


 俯いたまま、そう口を開いたのは、エリス。対するエレナは彼女の問いかけに言葉を帰さなかったが、ユベールが数秒ほどの間を置いてから、エリスに応えた。


「不良はね、不要はて、不信はくびる。それがエスフィーリアの人間が選んだ摂理だ。君も私も、そこにたおれているモノでさえも、それを前にして、例外など、存在しないのだよ」


「要らなく、なったら……例えそれが家族でも?」


「無論。だからこそ私も、それに倣うことにした」


 ユベールは、今度は弾指の間すら置かずに、そう返した。


「だったら、私は……!」


 次の瞬間、エリスはかの異形な様相を呈する戦槍をその手に顕現させ、一切の躊躇が見られない様子のままユベールへと突撃した。


「あなたは、自分の手で造り出した、娘にも等しい、存在であるはずのシルファを、ただのモノ扱いにして、切り捨てた。そんなあなたこそ……この世界には不要」


 神速で繰り出されたエリスの刃は、ユベールの身体を確かに捉えていた。しかしその刃先は、ユベールの首根に達する寸でのところで、完全に停止している。


「エレナの話を聞いていなかったのか?」

「――っ!」


 椛音の瞳に映るエリスの反応は、四半秒、遅れていた。


「エリスちゃん!」


 瞬時にエリスの背後へと回りこんでいたエレナが、シルファの血を吸った凶刃を今度はエリスの華奢な身体へと向けて突き入れたが、その刃が穿ったものは彼女がその背に纏う黒い外套だけであるように、椛音の双眸には映った。


「ふふ、あの体勢から、よくもまぁそんな動きが出来たものね。さすが、ハヴナットを辞めているだけのことはあるわ」


 椛音がその視線をエレナが見詰める先へ即座に移すと、そこには黙したまま地面に片膝を付いてしゃがみ込む、エリスの姿があった。


「今のは……避けきれた、んだよね……」


 椛音が俄かに安堵を含んだ声色でそう漏らしたのも束の間、エリスの足元には紅い雫がぽつり、ぽつりと、間断無く滴り落ち始めていた。


「手応えは、確かにあった、からね」


 エレナのその言葉を裏付けるように、エリスは負傷部位と思しき左の脇腹に右手を宛がい、黙したままその掌を発光させた。


「あぁ、リサインドによる刺創は通常のそれとは違ってねぇ。受傷部位は、瞑力による再生能力を一時的ながら完全に失うの。つまり治癒術の類は利かないってワケ」


「そん……な……エリスちゃん、まで……」


「さぁユベール、邪魔者が膝を折っている今のうちに、この娘から往古の秘奥デーヴァ・リーラーを取り出し、我々の目的を完遂させましょう」


 エレナがそう言うと椛音の傍らに佇立していたユベールが頷き、そして椛音の顔を覗き込むようにして、その口を悠然と開いた。


「何、苦しみは、ほんの一瞬だ。あとは安らかな眠りに、身を委ねるといい」


 椛音は全力を振り絞って、今まさに自分に降りかかってくる火の粉を払おうとしたが、その指は一本すらも言うことを聞かず、その一方で彼女の視線の先には、ユベールの操作する立体モニターからの指示を受けて現れたであろう、異様な外観を呈した金属の塊が椛音の身体へ覆い被さろうと、天井からゆっくり近づいてきた。


「さぁ、始めようか。ここから、新たな、歴史を」


 椛音の眼前に迫り来る陰は、紛れもない、死、そのもの。

 その唇が彼女に触れるまで、あと数秒に迫った、その時。

 椛音の右手から、凄まじい閃光が、八方に解き放たれた。


「何だ、この光は……これは、空間が歪んで――」


「ユベール、其処から離れて!」


 そう言われたユベールが反応するとほぼ同時に、椛音の右手から耿々こうこうと発せられた光輝が部屋中に遍くその手を伸ばし、そして間もなくその総てを白の一色に染め上げた。


「雷牙、烈空刃!」


 眩光の中から現れた影は、椛音の傍らに移動するや否や、彼女の身体を今にも喰らわんと開口していた無機物の集合体を、まるで天雷が轟然と閃くかの如き刹那の一撃のもと真一文字に溶断し、その残骸諸共を前方へと弾き飛ばした。


「間に合ったわ……カノン! 今、助けるからね!」


 そう言った人物の姿は、烏羽からすばの如き絢爛なゴシックドレスを身に纏い、凡そその華奢な身には余る程の大槌を抱えた少女だった。しかしその出で立ちは、椛音が最も良く見知った友人が転身した際の姿と寸分違わずに一致していた。


「あなたは……ミルルちゃん! 一体、どうやってここに――」


「詳しい話はあとよ! それより……あなた! まだ、戦える?」


「ええ、問題……ない」


 すると負傷した左脇腹を抱えながらもエリスは立ち上がり、再び戦槍を表出させるとそれを両手で力強く握り締めた。


「あなたとは前に色々あったけれど、今は恨みっこなしよ。どうか、ここからカノンを助け出すのに協力して!」


「うん。もちろん、助ける」


 そう言葉を交わした二人が示し合わせたようにエレナの方へと向き直ると、お互いに手にした武器を構え直し、戦闘態勢へと移行する様子を見せた。


「くっ、まだ仲間が……この位置へ正確に空間転移してくるなんて」


「後は任せたぞ、エレナ。計画が少し前後してしまうが、然したる問題ではない」


 ユベールはエレナに対してそれだけを残すと、間もなく部屋を後にしてその姿を矢庭に眩ませた。


「あっ、待ちなさい!」


「動かないで。下手な真似をすれば、セラフィナを封じた、これを落とすわよ」


「先生を、封じた……? でもおかしいわね、私には何も、見えないのだけれど」


「……な、何です……って、そんな、一体どこへ!」


 エレナは明らかに狼狽を隠せない様子で、本来は其処に在ったはずながらも現在は所在を失っている、彼女の右手の掌に浮かんでいたモノを探し始めたが、それから程無くしてその在り処を指し示すかのように、いつしか隅に拡がっていた暗がりの中から人影が覗き、声を紡いだ。


「あなたが探しているものは……きっと、これでしょう?」


「お、お前は……ちっ、死に損ないが」


 エレナが憎悪の色に満ち溢れた瞳で睨み付けた先には、先程まで床に臥していたはずのシルファが立っており、また彼女はその左手の上に、確かにエレナが探していたものを静かに浮かび上がらせていた。


 そしてシルファは間もなくそれを穏やかに煌めく光で包む込むと、球状になった光が粒子状に分解し始め、やがてシルファの左手に吸い込まれるように跡形も無く消失した。


「シルファ……あなた、ひょっとして、動けない、振りをして……」


「古代機巧は安全のために量子化しました。これで心置きなく戦えるでしょう」


「ん……事態はまだ呑み込めないけれど、ともかくこれでこっちは三人ね。それでもあなたは、ここで私達と戦うつもり?」


 エレナは、手負いの相手が居るとはいえ狭い空間での数的不利を鑑みたのか、あるいは他の理由があったからなのか、そのまま後ずさり、

「ここでは手狭ね……ならそこのホールで決着を付けましょう。そこを通らない限り、内側からの脱出は不可能だから、妙な考えは起こさないことだわ」

 とだけミルル達に残し、そのまま部屋の外へとその身を移した。


「いいわ……今のうちに、カノンの拘束を解こう。あなた達も、手伝って!」


 それからミルル達は、椛音の拘束具にそれぞれの手を宛がい、

「みんなそれぞれ一点に力を集中して……いくよ! 蝉脱の焔アンテザー!」

 と言いながらその指先に灯花の如く揺らめく光を燈すと、そこから砂子すなごのようなものが零れ落ち、そしてそれが椛音を縛めていた枷鎖かさに触れた途端に激しい反応を示し、やがてその全体が溶け去るように蒸発した。


「すごい、錠が嘘みたいに、見る見る消えてく……」


「これでもう、大丈夫よ……カノン、立てる?」


 そう言いながらミルルがゆっくりと差し伸べた手を椛音が受け取ると、其処からとても柔らかく、そして暖かな熱のようなものが流れ込んでくる感覚が、確かに椛音の全身を駆け巡り始めた。


「念のため、私の力を少し、分けてあげるね」


「ありがとう、ミルルちゃん……でもまさか、こんな所まで来てくれる、なんて」


「秘密はコレよ。ずっと前に先生が言っていたのだけれど、実はこれも、古代機巧の一つらしいの」


 ミルルがそう言って椛音に見せたのは、椛音がミルルの屋敷を後にする直前、彼女から手渡された瑩徹えいてつな煌めきを誇る、大きな宝石を冠した指輪であった。


「私の家に古くからある宝具だったんだけど、言い伝えでは、装着した者同士は、お互いの危機を空間すらも越えて感じ取る力が、あるらしくってね……まさか相手の所に飛べるだなんて思わなかったけれど、結果的に間に合って、本当に良かった」


「そう、だったんだ……本当にありがとう、ミルルちゃん。今はユベールのことも気がかりだけど、一旦ここから脱出して、セラフィナさんも元に戻さなきゃ……。それにエリスちゃんの妹、ティナちゃんのことも――」


「あり、がとう……カノン。 私の妹のこと、そこまで気に、かけてくれて。だけど今はとにかく、ここから皆で脱出しましょう。シルファも、まだ何とか、いける?」


「ええ、何とか。それと……ミルル、あなたにこれを渡しておきますね」


 シルファはそう言うと、左手から光の球のようなものを表出させ、そしてそれをミルルへ手渡すようにして送り出した。


「先程、量子化させた古代機巧です。そこにセラフィナが封じられています。封印の解除方法は判りませんが、きっとあなたが持っていた方が良いでしょう」


「解ったわ。それじゃあカノン、行こっか。来た方向はあなた達の方が知っているでしょうから、誘導は任せるわね」


「うん。さっきセラフィナさんが戦ってた残りが、恐らくまた出てくるだろうけど、皆が居ればきっと、ここから無事に抜け出せる!」


 そう言いながら自らを奮い起こした椛音は、ミルル達と共にエレナ達が待つであろう中央ホールへと向け、毅然とした面持ちでその歩を進めた。

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