第24話 今、あなたに伝えたいこと


 無機質で、熱を持たない壁に囲まれた部屋。

 その中で、佇む者が三人、横たわる者が一人。

 そして、その者達を凝然と見詰める瞳が、二つ。


(くっ……力が入らない……)


 椛音は、エレナの放った拘束具のようなものに自由を奪われ、そのまま連れて来られた部屋の寝台に仰向けのまま横たわっていた。彼女が唯一、自分の意思で動かせるものは、首と視線と、そして口ぐらいのものであった。


 「では、ユベール。今の内に」


 傍らにいたエレナがそう言いながら、エリス達が佇立する部屋の少し奥の方へと移動すると、彼女と入れ替わるようにしてその更に奥からユベールの姿が現れ、椛音が居る寝台へと歩み寄った。


「君は確かカノン、といったね。私のことは……そう、あの執行官を介して、色々と聞いているのかな」


「執行官って……そういえばセラフィナさんは、一体どうなるの?」


「何、ただ、彼女には舞台から一時退場して貰っただけのことだよ。まぁ、その一時が、彼女にとって一体どれだけの長さになるか、私には判らないがね」


「あなたは一体、何が目的でデーヴァを狙って……くっ!」


 椛音が力を入れようとしても、その都度、力の根源が根こそぎ吸い尽くされるような感覚に襲われ、手足はまるで糸が切れた操り人形のようにだらんと垂れ下がったまま、彼女の言うことを聞く気配がなかった。


「そして君は、その舞台の主役だ。といっても、今やその主役は徹頭徹尾、物語の流れに翻弄されるがまま、自身では何も成す事が出来ない、極めて哀れで、無力な存在と化した。まるで羽をぎ取られた蝶のようだよ」


「あなたの言ってること……私にはよく、分からない。だけど、そこにいるエリスちゃんが、私の力を必要としてることは、よく、分かってる」


 椛音はそう言って、奥で佇むエリスを双眸で捉えると、そのまま言葉を続けた。


「エリスちゃん、妹を救いたいんだって、そう言ってた。私は、その時のエリスちゃんの顔と声が、今も頭から離れないの。だから私は自分の意思で、このデーヴァの力を使って、エリスちゃんの力になろうとしたの」


 椛音の言葉に、エリスの双眉はぴくりと動き、その両肩が俄かに揺れ動いた。


「それからね、どうしてあの時の光景が頭から離れないのか、私なりに色々考えてみて、私、気がついたの。エリスちゃんはね、昔の私にそっくりなんだって」


「……え?」


 エリスは俄かに驚いた表情で、その結んでいた唇を緩め、声を漏らした。


「私ね……小さい頃は、お父さんの都合で、よく家を引っ越していたの。エリスちゃんはよく知らないかもしれないけれど、学校っていう、自分と同じ年の子達と一緒に勉強する場所があるんだけれど、そこも引越しをする度に変わっていくんだ」


 椛音はそう言いながらエリスに視線を送ると、自身の過去を反芻するように、そしてまた過去の自身が抱いていた感情とも向き合いながら、かつてミルルに対して伝えた時とは趣を異にして、その言葉を紡ぎ始めた。


「私にとって、引っ越しをするってことは、それまでに築き上げてきた人との関わりを、まるで無かったことのようにされて、全てを一から始めなくちゃならない上に、その都度、別れの悲しみだけが残る……ただの苦痛でしかなかった」


「ただの……苦痛……」


「どうせまた崩されるのなら、誰とも関わらないようにしよう。そう決めた私は、いつも独りで居て、暇さえあれば屋上の空を眺めてた。でもね、そんなある日、一人の女の子が、私に声を掛けてきてくれたの」


「その子は、何て……?」


「私も同じなんだ、ってそう、言ったの。私ね、心の底から嬉しかったよ。独りじゃないって、こんなに幸せな気持ちなんだって、その時初めて思ったの。だけど、自分から壁を作って孤立状態にあった私に接したことで、その子はやがて他の皆からそれとなく疎外されるようになった。それでもね、その子は私の傍にずっと居てくれたの。本当いつの間にか、何をするにも常に、一緒になってた」


「そう……なんだ」


「私達、好きなものの趣味まで合って、お互いすごく話が弾んでね……私、これからもそんな時間がいつまでもずっと続くんじゃないかって、そう思ってたんだ」


 するとそれまでエリスと結んでいた視線を急に外した椛音は、そのまま何もない天井を仰ぐと、視点の定まらない遠い目をした。


「でもね、しばらくして、その子、急に元気が無くなって、そのまま入院しちゃったんだ。それでその時にね、その子は重い病気と闘うことになったんだって、その子のお母さんから聞かされたの」


「病気……?」


 病気という言葉を受け、そこまで表情をあまり変えずに、椛音の話に耳を傾けていたエリスの眉間が、矢庭に堅く歪んだ。


「私、毎日病院にお見舞いに行ったよ。あの時の私に出来たことは、その子とお話をすることと、綺麗なお花を持っていってあげるぐらいしか他に無かったんだけど、その子、私の顔を見ると、いつも太陽みたいに明るく笑ってくれるの。本当はあの子、物凄く、苦しかったはず……なのに、何も知らない私は、あの子が見せてくれるそんな笑顔を見るたび、何故か幸せな気分になってた」


 椛音は回顧の中で、悲喜交々ひきこもごもとした面持ちを浮かべながら、なおも言葉を止めなかった。


「それから私は、その子に早く元気になって欲しくて、他にも何か出来ないかって思って、会えない日は朝も夜もお祈りをしてたの。私は、学校でまた独りぼっちになることよりも、その子と一緒に居られなくなることの方が、ずっとずっと、何十倍も怖かったから」


 しかし次の瞬間、陰鬱な曇天から一線の光芒が射し込んだように、椛音の沈んだ顔に明るさが舞い戻った。


「だけどある時、その子が急に元気になってね。私達、お医者さんに許可を貰って、その時にちょうど来てた流星群を、病院の屋上から一緒に観る約束をしたの。流れ星の一つ一つはすぐ消えちゃうけど、いっぱいあるならきっと願いは届くって、二人でわくわくしながらね」


 椛音の話を聞いていたエリスはいつしか、ほのかに恍惚こうこつとした表情を浮かべ、その再び結ばれていた唇が緩やかに開いていた。


「その夜は、雲一つなくて、月も真っ暗だったから、怖いくらい星が見える夜だったなぁ。いつの間にか流れ星がシャワーみたいに流れてきて、私は、その子の病気が治って良くなって、また一緒に遊べますようにって、そう強く、何度も何度も、願ったの。隣にいるその子も、ずっと目を閉じて、何かを願い続けてるみたいだった」


「……その子は、あなたの隣で何て願っていたの?」


 ふと響いたエリスの問いに、椛音は両方の瞼をゆっくりと閉じると、ややあってから、静かにその蓋を柔らかく結んでいた唇と共に再び開いた。


「それは、今も分からないんだ。それがその子と過ごした、最後の夜、だったから」


「そん……な」


「だから、私は……失うことへの恐れがどんなものか、大切な人を救いたいって想う気持ちがどんなものなのか、痛いほど良く、解るんだ。だからどうか、今は私に力を貸して欲しい……エリスちゃん、あなたが救いたい、大切な人のために」


「私、は……」


 エリスは自身の言葉を一旦遮ると、数秒程度の間を置いてから空気を一気に吸い込むと、決然とした面持ちで一息に二の句を継いだ。


「私は、ティナを、妹のティナを……救いたい! あの子は、ティナは、もうこの世界にたった一人しか居ない、私の家族。そして、この空っぽな私に残された、唯一の希望……だから」


(ねぇ、デーヴァ……デーヴァも良い、よね? 私、この子の力になってあげたい)


 その時、椛音のデーヴァに対する呼びかけを、まるで盗み聴きしていたかのような頃合で、デーヴァの応答よりも先に椛音に語りかけた。


「カノン君、往古の秘奥ソレとコンタクトを取ろうとしているなら無駄だよ。その拘束具にはちょっとした細工が施してあるんだ。まぁどのみち、俎板まないたの鯉である今の君に、我々の意に背くという選択肢は無いがね」


 何の憚りも無く放たれた低い声にはっとした椛音が、すぐ声のした方へと向き直ると、傍らのユベールが肩を震わせながら不気味な笑みを零していた。


「それにしても良かったなエリス。このカノン君は、何のためらいもなく、君の妹のために自ら望んで、命を捧げてくれるというのだから」


「――っ? カノンが、命を、捧げ、て……?」


 ユベールの不可解な発言を受けて、喫驚を隠せない様子のエリスと、思わず言葉を失ってしまった椛音とを尻目に、ユベールは至極淡々とした調子で続けた。


「あぁ、そういえば説明するのを忘れていたな。これより私が執り行う、カノン君とアレとの間における融合状態の強制解除という施術は、いわば器となる存在から生きている心臓をそのままえぐり出すようなものだ」


「それじゃあ、ここでカノンからデーヴァを取り出せば、あの子は――」

「即、死に到るだろう。何、苦しみはないだろうさ」


「私、から、デーヴァを取り出すって、どういう……こと、なの?」


 一切の逡巡無く投げ付けられた言葉は、椛音の生き肝を抜いた。しかしその一方で、同じ言を受けたエリスが凄まじい険相を以って、ユベールに相対した。


「おじさま……この子は、私のために、自分の方から力を貸してあげるって、そう言ってくれているんです……だったら、命を奪ってまで、無理やり融合状態を解く必要なんて、どこにも無いじゃないですか!」


 エリスの剣幕に対して、ユベールは、眉一つ動かさずに淡然と応える。


「君の妹には、もう一秒たりとも猶予が無い……だろう? いいかね、仮にこのカノン君が、力を貸すと言ってもだ、アレがそれに賛同する確証は何処にもない。それに拘束を解いた途端、彼女は全力でこの場から逃げようとするかもしれんぞ?」


 ユベールの言葉に椛音は瞼を下ろしたまま、忍び寄る死への恐怖を払うように首を激しく横に振ると、やがて凛乎りんことした表情で、まなじりを決した。


「私は、逃げたりなんて、しない!」


「ふ……誰も皆、自分の命は惜しいものだ」


 すると、それまで静観していたシルファが、眉根を寄せた面持ちで、口を開いた。


「マスター、お言葉ですが、こんなやり方では……誰も、喜びません」


 そしてそのシルファの言葉に同調するように、エリスもユベールに対して椛音に対する助命を哀願した。


「お願いです、おじさま……どうか、どうか、そんな残酷なことは、しないで。それよりも、カノンの拘束を、今すぐに解いてあげて、下さい。その子はきっと、逃げたりなんてしません」


 二人の言葉に対し、ユベールは再び、その口元を俄かに綻ばせながら、呟いた。


「いいだろう……と、私が言わなかったら?」


「あなたを……全力で止めます」


 そう言ったエリスが緊迫した面持ちで、その視線をシルファへと移すと、

「お父様……申し訳ありませんが、私はエリスの選択を、支持します」

 と、迷いの無いシルファの言葉が、強張っていたエリスの相好を、俄かに崩した。


「どうやら私は、完全に悪者扱いのようだな。ふ……ふふ、ハッハッハ……!」


 ユベールは仰向きながら一頻り哄笑すると、やがてエリスの方へと向き直った。


「だがシルファは生憎あいにく、君の力にはなれないそうにもないよ」

「それは一体、どうい――うっ!」


 それはシルファの背後に現れ、そのまま彼女の身体を一切の躊躇なく刺し貫いた。

 穿たれた肉体からやがて勢い良く溢れ出したのは、紅黒く、腥臭せいしゅうを放つ液体。

 そしてそこから顔を出していたのは、鈍い光を放つ鋭利な刃の切先だった。


「シ、シル……ファ? ――っ、シルファアァアァ!」


 間もなくその凶刃を抜かれたシルファは、真紅の飛沫を口から大量に吐き出すと、即座に膝から崩れ落ち、そのまま力無く地面へと倒れ込んだ。

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