第三章 想いのかたち

第20話 嵐の中へ


 それから椛音は、彼女なりの言葉を用いて、エリスの身の上とシルファとの出会い、そしてデーヴァの奪取を命じたユベールの過去についてミルルに説明し、さらに加えて、これから椛音がエリスの妹であるティナをセラフィナらと共に救出に向かうことと、そのためにミルルの助力を乞いたい旨を、彼女に訴えた。


 そして椛音から話を聞き終えたミルルは、その顎先に左手をあてがい、しばし黙したまま何かを思案しているような素振りを見せた後、やがて緩やかにその唇を開いた。


「あの子達の事情は、よく、解ったわ。そしてカノンが、彼女達のために力になりたいっていう、そのとっても優しい気持ちも。だけど……私は」


 ミルルはそう言いながら席を離れ、辺りの景色を一望できる大きな窓の傍らに立つと、間もなく空を仰ぎながら止まっていた言葉の続きを紡ぎ出した。


「私は……二人に力を貸したいって、そう素直には思えない、かな」


 ミルルが佇む窓辺では、青々とした木立こだちを揺らす冷涼な葉風はかぜが、白いレースのカーテンをそよがせながらその形を浮かび上がらせ、さらにそこから少し離れた位置で眼前の空席を見詰める椛音の頬をも、穏やかに撫でていった。


「私が、カノンのお願いごとを聞いて力を貸すのと、私が心の底から本当に助けたいっていう気持ちで二人に協力するのとでは、きっと意味が違うと思うの。カノンに嫌われたくはないけれど、私って……結局は、そんな人間なのよ」


「ううん解るよ、ミルルちゃん。私だって、自分を狙ってきた人達に手助けをするだなんて、正直どうかしてるって、本当にそう思う。だけど、実際にあの顔を見てたら、何だかこう……居ても立っても、いられなくなって」


「それがカノンの良いところだもの。一端そう思ったら、絶対に止まらないし、誰にも止められない。それはきっと、カノンが持ってる、本当の強さなんだよ。だから、あの子達のために行ってあげて。そしてあの子達を、救ってあげて。今それが出来るのは他でもないカノンだけだって、私はそう思うから」


 窓辺から再び入り込んできた風は、ミルルの艶やかで流麗な濡羽色ぬればいろの髪を瑟々しつしつなびかせ、紅茶からでも木々からのものでもない、一際上品でかぐわしく花蜜のように甘い馨香けいきょうを、部屋の隅々にまで芬々ふんぷんと漂わせていた。


 そしてそこから半時余りの時が流れ、予め定められていた作戦の開始時刻に差し掛かった時、セラフィナが椛音をミルルの屋敷の前まで迎えるべく、その姿を現した。


「ミルルの協力が得られなかったのは残念だけれど……私達だけでもきっと上手くやれるわ。さぁ、カノン。私の横に並んで、少しだけじっとしていて頂戴」


 セラフィナの言葉通りに椛音が彼女の傍らへと歩み寄ると、間もなくその二人を囲むように緋色の円が描かれ、そこから赤い光の粒子が沸々と湧き昇った。


「それじゃあミルルちゃん……行って、くるね」


「あ……カノン。ちょっと、待って……これを」


 するとミルルはおもむろに彼女の瞳が持つ色味よりは少し淡い、紫水晶アメジストの煌めきを燈した宝石が配された金の指輪を取り出し、そしてそれを椛音へと手渡した。


「これは、指輪だよね? とってもきれい」

「それは私からのお守り、だよ。私が左手にしているこれと、対になっているの」


 ミルルはそう言いながら自身の左手を椛音に示し、その人差し指には翠玉エメラルドの如き輝きを湛えた宝石を戴く、白金の指輪が嵌め込まれているのが見て取れた。そしてまた彼女は椛音に対し、今渡した指輪をその右手人差し指へと嵌めるように、と伝えた。


「じゃあ私は、右手の人差し指に……これでお揃い、かな」


「ふふ、とっても良く似合ってるよ、カノン。それじゃあ、その指輪を嵌めた指を私の方に出してみて」


「えっと、こう……かな?」


 椛音が言われた通りに、指輪を嵌めた右の人差し指をミルルへと向けると、ミルルは自身の左手人差し指を出し、そしてお互いに差し出した指を絡ませ、ゆっくりと結ぶように椛音に教え示した。


「こうしてお互いの無事を祈れば、二人がどれだけ離れていてもきっとまたこうして出会える……この地方に昔から伝わる、最強のおまじないだよ」


「そっか……ありがとう、ミルルちゃん。私必ず、またここに戻って来るよ」


「うん……きっと無事に、私のところへ帰って来てね。ずっと、待っているから」


 椛音の傍らに立つセラフィナが、そう告げるミルルに軽く一瞥いちべつして頷くと、ミルルは名残惜しそうに椛音と結んでいた指を離し、その身を引いた。

 

 すると間もなく、椛音の足元から湧出していた光が一気に迸り、彼女を隣のセラフィナ共々一息に呑み込むや否や、両者の身体を影すらも残さずに掻き消し、地面に描かれていた光の円もろとも瞬時に消失させた。


 一瞬、昇降機が上方へ向かう際に生じるような感覚を、その身に覚えた椛音だったが、次の瞬間には既に眼前に広がる光景が著しく変化していたことに気が付いた。


「あれ、ここ……は?」


「エピストゥラへようこそ、カノン。ここはアルカヌムが有する次元潜航艇の中よ。簡単にいえば、異なる次元の狭間を行き来できる船のようなもの、かしら」


 そして椛音はセラフィナに導かれ、青い蛍光灯のようなものが四隅を貫く廊下を歩きながら、斜め方向に自動開閉するドアを幾度か通り抜けた先で、薄紫の髪を後ろの低い位置でまとめ、良く通った鼻梁びりょうに濃紺のアンダーリムタイプの眼鏡を掛けた、見知らぬ顔立ちをした女性が、スーツのような姿で凛然と其処に佇立している様が椛音の目に入り込んできた。


「先に紹介しておくわね、カノン。彼女は、エレナ・クランデスタイン。アルカヌムにおいて、特務執行官である私の補佐を長年に渡って務めてくれているわ」


 するとエレナと呼ばれたその女性は、一歩分だけ前に踏み出し、

「初めましてカノンさん。セラフィナから話は聞いています。どうぞよろしく、お願い致しますね」

 とカノンに語りかけ、そのまま彼女に軽くお辞儀をして見せた。


「あ……こちらこそ初めまして、エレナさん。どうかよろしくお願いします」


「当機はこれより次元転移を行い、超空間航行に入りますが、その間、カノンさんには専用のお部屋で、お待ち頂くことになっております。さぁ、こちらへどうぞ」


 そうしてエレナに案内されるがまま、椛音が足を踏み入れた部屋は凡そ五,六人の大人が入っても余裕がある程のスペースを有しており、先刻までミルルとやり取りをしていた部屋とは打って変わって、極めて人工的な雰囲気を醸し出していた。


「目的地までの所要時間は、今からおよそ三十分の見込みです。無事に到着しましたら、また改めてご案内いたしますね」


 エレナはそう言うと、椛音に対して緩やかに会釈をし、間もなく部屋を後にした。


「あと三十分か……今エリスちゃん達は一体、どんな気持ち、なのかな」


 椛音が近くのシートに腰を掛け、テーブルに両肘を突き、両手でその顎を支える格好で座ったまましばらく思案を巡らせていると、テーブルの中央から立体モニターが浮かび上がり、そこにエリスとシルファ、そしてセラフィナの姿が映し出された。


「あれ、エリスちゃん達が映って……」


「まだ事情が色々と複雑だからさすがにみんな一緒の部屋、ってわけにはいかないでしょう? でもこれなら、近くで話しているのとそう変わらないはずよ」


 画面の先には様々な色が見え隠れする面持ちを見せるエリスと、それとは対照的に心に迷いが無いような表情を浮かべるシルファ、そして椛音を含めた全員を冷静なまなこで見渡しているであろうセラフィナの姿があった。


「えっと……エリスちゃん。ひょっとして、気分が悪かったりする?」


「……いいえ、大丈夫。ただ少し、緊張、しているだけ、だから」


「そっか。ひょっとしたら、エリスちゃんがおじさまって言ってた人と、直接争うことになるかもしれない、ものね……」


「施設の警報装置は、シルファが事前に指示した通りの方法で、大方が解除出来るはず、だけれど……私達が知らない、何かがあっても、不思議はない、から」


 椛音達よりも一足先に到着する手筈になっている先遣隊は、予めシルファからの指示を受け、施設内外の警報装置を解除した後に侵入を試み、そのまま全体の制圧およびユベールの身柄を確保へ移行する予定になってはいたが、エリスはユベールが未知の防衛機構や対抗戦力を、有事の際に備えて保持している可能性を示唆していた。


「先遣隊は仮にも全員がオーバーAランクの実力を持った精鋭揃い。瞑力を扱えない人間相手にむざむざやられることは考え難いけれど、相手は元アルカヌムのユベールだから、細心の注意と警戒とを常時怠らないように伝えてはあるわ」


 セラフィナのいう『オーバーAランク』という階級は、エスフィーリアの中でも屈指の作戦遂行能力と戦闘能力とを有する証であるらしく、並の瞑術士クオリマーでは、束になったところでまるで歯が立たないレベルだとも、語られていた。


「カノンには前にも言ったけれど、ユベールは古代機巧アルカナに極めて精通した人物。ならばエリスの言う通り、その技術を流用した防衛機構が施設内に用意されていても全くおかしくはない。特にエリス達との通信が途絶している今の状態を鑑みればなおさらのこと、その警戒レベルを高めているはずよ」


 セラフィナによれば先遣隊として送り込んだ特殊戦術部隊は、アルカヌムの中でも特に高い権限を有するという特務執行官の彼女でさえ容易に派遣することは叶わない、切り札の一つなのだと言う。故に作戦の安全面は極めて高い水準であるのだが、それでも尚セラフィナは、注意するに越した事は無いと、繰り返した。


「いざとなれば、この私があなた達を全力で守り抜いて見せる。しかし万が一、私がその約束を放たせなかった場合は、他の何を差し置いてでも施設内からの脱出を最優先として動き、そして周辺空域から可能な限り速やかに離脱をしなさい」

 

 緊急時の対応については、諸々を含め彼女の補佐であるエレナに一任してあるとセラフィナは述べたが、施設内における不測の事態に対しては、個々が臨機応変に判断して最適な行動を執る必要性があるため、その心構えだけは常に忘れず慎重に立ち振る舞うように、と椛音達はセラフィナに念を押された。


 その後しばらく経って、先遣隊が無事に目的地へと到着した旨がエレナを通じて皆に伝えられ、作戦行動が本格的に始動する運びとなった。なお椛音達を擁するエピストゥラも、目的地まであと五分余りの地点にまで迫っているという。


「ねぇ、エリスちゃん。ティナちゃんを無事に救出できたら、あとは私の中にある力……を使って、ティナちゃんの病気を、きっと何とかしてみせるから」


「……ありがとう」


「うん。だから今は他に何も考えずに、ただ、ティナちゃんを取り戻すことだけに集中して大丈夫、だよ。シルファさんはもとより、今はセラフィナさんも……そしてもちろんこの私も皆、エリスちゃんたちの味方だから」


 エリスは多くは語らずただ頷くばかりだったが、彼女がそれまでに見せていた複雑な表情からは、憂いと思しき色が大分薄れたように、椛音には感じられた。


「ところでセラフィナさん。エリスちゃんが――」


 椛音がそこまで言った時、突如としてエピストゥラの全体が、直下型の地震に見舞われたように激しく縦に揺さぶられた。


「エレナ! 今の衝撃は!」


 降って湧いた激しい振動に顔の色を矢庭に変容させたセラフィナが、近くに居るエレナに呼びかけると、彼女はエピストゥラが超空間の外部から次元干渉を受け、別空間へ強制的に引き寄せられている、と緊迫した声色でセラフィナに報告した。


「ユベールの仕業に違いない……エレナ、干渉領域から緊急離脱するのよ!」


「……ダメです! 間に、合いません! 今から十数秒後には別空間にジャンプさせられます! 全員、強制転移時の衝撃に備えてください!」


 間もなく、エピストゥラは超空間の外側へと引き摺り込まれ、雷雲の中を抜けているかの如く八方を奔雷ほんらいに塞がれた空間を航行し始め、椛音達が居る船内は、さらに激しさを増してゆく振動の中で室内の照明が不気味な明滅を繰り返していた。

 

 しかし、そんな抜き差しならぬ状況の下で椛音は、少し懐かしげな声が、突如として自身の心中でこだまする感覚を確かに捉えた。

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