第19話 持つ者、持たざる者


 エリスとの対話を終えた椛音は、その後彼女の協力を得てシルファを説得。エリスとシルファは依然として、複数の違法行為に対する容疑を受けていたが、特務執行官であるセラフィナが持つ権限により椛音との同行が許可されたため、ユベールが潜伏しているとされる『瓊葩の荘園センティフォリア』へと、椛音はエリス達を帯同して赴くこととなった。


 またセラフィナは程無くして別室に椛音を呼び、今から三時間後にセラフィナが所属する古代機巧管理保全総局アルカヌムの戦術部隊と共に目標地点に向かい、先行部隊による中枢施設の制圧および、ユベールの身柄確保とティナの救出とを並行して執行する旨を椛音に伝えた。


「それでカノン、ユベールという人物についてだけれど……」


「ユベール……エリスちゃん達を最初に引き取った人、ですよね」


「ええ。施設のデータベースにアクセスして調べてみたけれど、この人物は極めて厄介な存在だわ。なぜなら彼は元アルカヌム所属で、研究員だった男なのよ。そして何より一昔前に大きな事件を起こし、今に至るまで行方を眩ませていたようなの」


 セラフィナによればその男は、ユベール・シャントルイユという名前で、今から遡ること約二十年前、アルカヌムに研究員として配属され、今のセラフィナと同様に古代遺構の調査と分析を担当していたのだという。


 しかし彼はある時、無許可での製造が禁止されている人造生命体バイオノイドの密造に着手し、またそれを利用した大規模テロを企図したかどで逮捕され、裁判においても有罪の判決が下されたが、矯正施設へ収監される直前に逃亡を図り、以後はその足取りがようとして掴めないまま今日にまで至るのだという。


「ばいおのいどって、その……シルファさんのような存在を使って、ユベールはテロを起こそうとしたってことですか?」


「ええ。中でも彼は、持たざる者ハヴナットとして、当時の地位にまで上り詰めた傑物だったようだから、それまでの過程において、持つ者イネイトに対して、当人にしか知り得ない、積年の恨みがあったのかもしれないわね」


「はぶなっと? いね、いと?」


「あぁ……ごめんなさい。端的に説明するわね」


 セラフィナが言う『ハヴナット』とは、彼女の世界であるエスフィーリアにおいて瞑力を自ら生み出し、そして扱える能力が生まれながらに欠如している存在で、セラフィナのようにその資質を生来有している対照的な存在『イネイト』によって、彼等は永く虐げられてきた歴史があるのだという。


「そういえば確か前にも言ってましたね……セラフィナさんの世界でも、みんながみんな、瞑術を使えるわけじゃないって」


「正確に言えばハヴナットは、それ以前の問題なの。彼らは見た目はイネイトと何ら変わりはないけれど、彼等には瞑力を認識することすら出来なかったのよ。そして人という集団は、自らよりも劣る存在を認めた時、ある決まった反応を示すことがあるわ。いわゆる人種主義レイシズムね。とりわけイネイトの大半は、自らを優良種であると謳い、ハヴナットを劣等種だとして選別する思想を世界に向けて発信した」


 セラフィナ曰く、イネイトが極端な人種主義に傾倒する契機となった事件は、今から半世紀程前、イネイトのみに感染し、多臓器に致死的な循環不全を引き起こすウイルスが未曽有の大流行を突如として巻き起こしたことに端を発するという。


 その時、自らよりも劣るはずのハヴナットが、同流行に際し、何ら症候を示さない事実に衝撃を受けたイネイトは、当時急速にその数を減らす中で、それまでその頭を地面に押さえつけていたハヴナット側に、反旗を翻される恐怖に駆られた。

 

 そしてやがて一連の事態が収束した後に、イネイトの大半を死に至らしめた奇病の流行が、ハヴナットによって密造された遺伝子標的型ウイルスによるバイオテロだったという説が何処からともなく浮上し、それは間もなくイネイトによって方々で喧伝され、瞬く間に世界中へと流布したのだという。


 イネイトによる優良種選別主義は現在でこそ、その支持者層をかなり減らしてはいるが、未だに根深い問題であり、特にユベールがアルカヌムに在籍していた当時では、基本的な人権などハヴナットにはあってないようなもので、彼らの大半は劣悪な環境下で日ごとの生活にも事欠く程の法外な低賃金で、イネイトから酷使され続ける毎日を余儀なくされていたらしいと、セラフィナは述べた。


「同じ、人間なのに……どうして、そんな、こと」


「ある意味で、人間だからこそ、かも知れない。人という種が持つ、本質的な部分は、時々目を背けたくなるほどまでに、己の欲望を忠実にかたどるものよ」


「でも、それで、ユベールは……」


「ちなみに……ユベールには、家族がいたの。だけど彼の公判中に、イネイト側の過激派がテロリストの家族だとして彼らを襲撃し、家族は見るも無残な最期を遂げたらしいわ。彼が姿を眩ましたのも、その訃報を知ってすぐのようね」


「う……そん、な」


「ごめんなさい。聞いていて良い気分になる話では決して無いと思うけれど、カノンにはちゃんと知っておいて欲しかったの。これから対峙しようとしている相手が、一体どのようにして、現在の立場に自らを置いたのかを、ね」


 セラフィナからの話を聞いた椛音は、当時のユベールが置かれた境遇を想像して、思わず悪心おしんを催したが、それと同時にそれ程までの状況に陥った人間が一体どれ程の想いを今に至るまで独り抱えこみ、そしてこれから何をしようとしているかについて、椛音は自身の思いを巡らせた。


「それに、そのユベールがテロを企図した証左については、当時の資料を鑑みるに、状況証拠しか無かったようね。今となっては仮定や憶測に過ぎないにしろ、冤罪えんざいだった可能性もゼロでは無かった。実際彼も、最後まで己の潔白を主張していたようだけれど、当時の裁判における登場人物の総てをイネイトが占める中、ハヴナットである彼の潔白を支持する存在は、きっと皆無だったことでしょう」


 セラフィナがそう言いながら、自身の傍らに浮かび上がる立体モニターに指で触れると、そこには一人の若い、紺青の髪をした、痩身の男性の姿が表示された。


「そしてこれが、そのユベールが若かりし頃の姿。彼自身には然したる戦闘能力は無いけれど、失われた古代技術に関する知識量は、恐らく今のアルカヌムに属するどの研究員よりも群を抜いて上だと思われるわ。デーヴァのような太古の遺産を古代機巧アルカナと私たちは呼んでいるけれど、最初にその技術解析の糸口を見つけたのは他ならぬ彼だったようなの」


 セラフィナの懸念としてはユベールと対峙する際、未知の古代機巧を彼が使用してくる可能性があり、それが如何なる影響を及ぼすものなのかは、全く不明であるため、潜伏先への突入時には一瞬の油断が命取りになる可能性があるという。


「シルファによると、ティナが保護されている部屋は、非常に堅牢で且つ特殊な構造になっていて、エリスとシルファ両名の生体認証が無ければ開かない仕組みになっているそうだから、どうしても彼女達をセンティフォリア内に戻すことになるけれど、カノンは私が止めてもやはりあの子達と一緒に行く心算、なのよね?」


「……はい。私が、エリスちゃんの力になるって、約束、しましたから。それにあのティナちゃんを救いたいっていう顔に、ウソは無いって、私は信じてます」


「分かったわ。カノンはこの事件の中心にあたる存在なのだから、あなたにはその選択肢を選ぶ権利がある。念のため私もあなた達に同行するけれど、やはりせめてあと一人……事情を知っている、ミルルの協力を仰ぎたいところね」


「ミルルちゃん、きっともう目を覚まして、屋敷にまで戻ってる頃だと思いますけど、あの二人のことに力を貸して……くれるでしょうか?」


「彼女はきっと、あなたの言葉になら耳を貸すはずよ。作戦の決行までにはまだまだ時間があるから、私が屋敷まで送った後、彼女と一度話をしてみて頂戴」


 そしてその後、セラフィナに送り届けられ、屋敷へと舞い戻った椛音の前には、果たしてすっかり復調した様子のミルルが、弾けんばかりの笑みを零しながら、諸手を挙げて椛音の帰宅を歓迎した。


「おかえりなさい、カノン! 見て見て、私、すっかり元気になったのよ」


 跳ねるような動きで、身体を回転させながらそう言うミルルは、椛音と同じだと言う実際の年齢以上に幼く見えたが、その様子を目の当たりにした椛音は、そこで改めてミルルが本当に無事であったことを実感した。


「ミルルちゃん! 良かった……心配ないって聞いては居たけれど、やっぱりこうして実際に会ってみないと、分からなかったもの」


「ふふ。私もこうしてまたカノンと話せてすっごく嬉しい。それでカノン、今日はセラフィナ先生と何か大事なお話をしていたのでしょう?」


「あ……うん。そのことなんだけど、私がミルルちゃんに貸して貰っているあの部屋で、ゆっくり話そうかなって思って」


「分かったわ。今はちょうどアフタヌーン・ティーの時間だし、私もカノンに勧めたい茶葉があるから、そこでお茶をしながら、二人で一緒にお話しをしましょう」


 ややあって椛音の部屋に向かった二人は、白絹のような光沢を放ち、金の装飾が施されたカフェテーブルで互いが向かい合うようにして座ると、自然の背景を切り取ったかの如く壮麗な花々の紋様を浮かべたティーカップには、ミルル自身が淹れた紅茶が緩やかに注がれ、間もなく仄かな湯気が二人の間にふわりと立ち昇った。

 

 なおティーセットの隣には三段重ねのティースタンドが置かれており、下部にサンドウィッチ、中央にセイボリースコーン、そして上部にはペイストリーとそれぞれが目にも美味しい蠱惑こわくな輝きを放っていた。


「ふふ……そろそろ頃合いかしら。まずは何も入れずに、そのままの風味を召し上がれ」


 ミルルにそう言われた椛音は、いざカップの中にある紅茶を口へと運んだ。その刹那、彼女の口の中で花が咲いたように柔らかで上品な味わいが拡がっていき、またそれを追うようにして、馥郁ふくいくたる香気がその鼻腔をとろかした。


「ふ……わぁ……」


「いい香りでしょう? こんなに優雅で穏やかな時間は、何だか……久し振りのように思えるわ」


 そう言いながらミルルはティーカップを口に運び、紅茶の香味を愉しむと、しばしの間その余韻に身を浸している様子だった。そしてそれは同時に椛音にとって、ミルルに協力を仰ぐ話を何とも切り出し難い雰囲気を醸し出していたが、やがてそのミルルの方から、いだ湖畔の水面みなもを撫でるように、その口をやんわりと開いた。


「それでカノン、先生とのお話は一体、どんなものだったの?」


「あ……そうだよね。それじゃあちょっとだけ長くなると思うけど、まず、私達が戦ったエリスちゃん達のことから、お話しようかな」

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