第10話 あの子が教えてくれたこと
心ここに在らず、といった状態で
「あ……っと、もうお昼の時間になってたんだ」
その後椛音は、先のセラフィナからの呼び出しもあったため、そのままミルルと共に彼女の研究室を訪ね、そこで調査の協力にあたって必要な事項の確認を昼食も兼ねて行うことになった。
なお椛音はミルルと同じく、彼女の屋敷に召し抱えられている専属の料理人が作ったお弁当を持参していた。その箱は陶器のような材質で出来ており、表面には美しい花々が色鮮やかに彩られている。
「本当、何度見ても綺麗なお弁当箱ね。それと……椛音にとって、学院で取る初めてのお昼がこんな形で申し訳ないけれど、まずは先に説明からさせて貰うわ」
今回、椛音達が協力することになった測定では実施者全員がペアで行動し、それぞれ貸与された測定器具を用いて観測領域の展開を行う者と、同領域における安定性の維持を担う者とに分かれ、各々の役割をこなすことになるという。
「カノン達の担当区域はもう決まっているから、ミルルには現地への先導をお願いするわね。あとは測定器具の使い方だけれど、今日の放課後に少しだけ二人の時間を割いて貰えれば大丈夫だから」
セラフィナの説明はその後も続いたが、その内容は椛音の考えていたものよりもシンプルで、それほど時間も掛からずに終了し、そのまま皆で昼食へと移行した。
「そういえばカノン。あなた授業中、ずっと何か考え事をしているようだったわね」
ミルルと並んで昼食を食べ始めてからしばらくして、向かい側に座るセラフィナからそう直接指摘された椛音は、自らが抱える不安とデーヴァから聞いた話を、自らの言葉で端的に説明した。
「ふむ……事情は分かったわ。カノンの不安を払拭できるに足るかは自信がないけれど、あなたが現在、デーヴァと融合状態にあることを外部から確認する術は、私も思いつかないわね。特に、エスフィーリアの外界において、非融合状態のデーヴァがその存在を維持できないという事実に関しては、この私自身、初耳だもの」
セラフィナの話を信じれば、椛音にとって、自分が今すぐに狙われるような要素は無いことになるが、デーヴァを狙っている者達は、こちらが把握していない真の利用価値を知っているであろう相手だからこそ、これから未知の手段を講じてくる可能性は決して捨てきれなかった。
そしてその懸念は、椛音の中で不安として、なおも
「そういえば先生、現段階で、私の中に今デーヴァが居るってことは、一体どのぐらいの人たちが知っているんですか?」
「何を隠そうこの私達、三人だけよ。正直私達のみで抱えるには身に余る案件だけれど、内通者の可能性がある以上、政府機関にすらも迂闊に報告はできないわ」
すると、それまでしばらく黙って話を聞いていたミルルが、急に身を乗り出しながら口を開いた。
「あ、カノン。私、口はものすごぉく固い方だから、絶対に大丈夫だからね」
その憂いが全く感じられないミルルの言葉を聞いた椛音は、思わず笑いを漏らした。しかし椛音にとっては、自身の中に渦巻き始めた不安が、その言葉によって不思議と解れ、肩にずっと重く圧し掛かっていたものが少しずつ軽くなっていくような感じがしていた。
「あれ、どうして笑うの? さては私のことを信じていないんでしょう、カノン」
「ふふふ、いや全然そんなことはないんだけど……何だか今の、おかしくって」
いつの間にか重さを増していた部屋の雰囲気は、その些細なやり取りを境にして和やかなものとなっていき、椛音もまた、その表情に本来の明るさを取り戻しつつあった。
それから午後を迎え、再び教室で授業を受けることになった椛音は、気分が幾分か軽くなったせいなのか、午前中には全く頭に入ってこなかった授業の内容が自分なりに何とか噛み砕くことが出来るようになり始め、さらに授業の合間には、よく理解できなかった部分をミルルに尋ねたり、ノエルら他のクラスメイト達とも普通に会話を交わしたりと、その心には少しだけゆとりが生まれ始めていた。
そして訪れた、その日の放課後。
椛音はミルルと共に、セラフィナから空間の測定に用いる観測機器の使用方法について一通りを教わった後、実際に試運転を行い、一連の作業が問題なく行われたことを確認してからようやく帰路についたが、外の陽は既に傾き始めていた。
「今日は本当におつかれさま。カノン」
「何というか、色々な意味で凝縮された一日だったかも。それでも私は……楽しかったかな」
学院からミルルの屋敷へと向かう車中で、椛音は暮れなずむ茜色の空に視線を向けながら、そう返答した。
「ふふ、それなら良かったわ。あ……そういえば、カノンが居た世界では、学校での毎日はどんな感じだったの?」
「私の、学校生活かぁ……ええっとね」
ミルルにそう訊かれた椛音は、今一度、自分が元居た世界で体験してきた学校での生活を思い返してみた。
親の仕事の関係上、これまでに幾度も急な転校を余儀なくされ、その都度彼女を取り巻く環境や人間関係はリセットされてきた。築き上げてもいずれは崩される、その繰り返しは、彼女の中で形容しがたい感情として胸に降り積もっていき、年齢を経るごとにその大きさと重さは増していったが、彼女が小学校三年生の時に知り合った、あるクラスメイトの女子が、その後における椛音自身の考え方を変えるきっかけとなった。
椛音は、自分と似たような境遇だと語った彼女とのやり取りを通じて、すぐに友達になったが、その時既に彼女は脳腫瘍という病魔に侵されており、また彼女自身も自分の余命がそう長くないであろうことを察知していた節があったが、彼女は日ごと自由の効かなくなっていく己の体と戦いながらも、その日一日をしっかりと生きることで、健康であればきっと気にも留めることなくただ過ぎていったであろう毎日を、本当に大切で価値のあるものとして過ごしている様子だった。
そして、そんな彼女の懸命に生き抜く姿を傍らで最期まで見続けていた椛音もまた、たとえこれから自分の出会う人々との時間が例えごく限られた短いものであったとしても、その過ごした時間と思い出とを一つ一つずっと大事にしていこうと考えたのであった。
「そう。カノン……あなたにも、辛いことが、たくさんあったんだね」
車内が夕陽に対して逆光の陰に入る中そう言ったミルルは、いつの間にかその両手を、椛音の手へと重ねていた。
「ミルルちゃん、私はね、あの子を見ていて、自分が毎日、普通の生活を過ごせてること自体が奇跡なんだなって、その時にとても強く思ったの。それにね……」
「それに……?」
椛音の傍らで最期を迎えた件の少女は、最期まで楽しみにしていたものがあった。
それは、彼女が居なくなってから半月ほど後に出たゲームで、主人公の女の子がひょんなことから異世界へとワープしてしまいながらも、その世界で手にした魔法の力と、そこで出会った仲間達と共に、世界に訪れた危機を救うための旅に出るという典型的な内容のものだったが、今の椛音自身が置かれた境遇は、そのゲームにおける主人公のそれと奇しくも重なる部分が少なくなかった。
「だからね、ひょっとしたらあの子が、今の私を何処かで見ててくれてるんじゃないかなって、時々そう思ったりするの。まぁ私自身は、全然、主人公なんて柄じゃないんだけど、ね」
「……その子は、今でもカノンのこと、見守っていてくれているよ。きっと」
誰も知らない世界で、誰かのために出来ること。
遠くに見える山並みに、沈みゆく夕陽の残光を眺めながら、ふと椛音の脳裏に過ぎったその想いは、彼女にとってどこか懐かしさを帯びていたが、それが何故なのかはどうにも分からなかった。
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