第9話 新たな提案と身近な不穏
ミルルとの模擬戦を終えた後。
椛音は皆と共にセラフィナの教室へと戻り、クラスメイト全体の戦闘から見られる傾向と各々が見直すべき改善点等を挙げながらアドバイスを受けていたが、彼女はミルルとの闘いにおける緊張感が完全に途切れたせいか、時間差で湧いて来た強い疲労感に襲われ、セラフィナの話がまるで頭に入ってこなかった。
そしてやがて休み時間に入ると、椛音は自身の机に突っ伏してしまった。
(うぅ、体がだるい……これがミルルちゃんの言ってた、消耗ってやつなのかな)
「カノンさん。ひょっとして、お体の具合が優れませんか?」
椛音が声のした方に顔を向けると、そこには模擬戦前に知り合ったノエルが心配そうな面持ちで椛音を覗き込んでいた。そして椛音は彼女に自分の間抜けな顔を見られたかも知れないという気恥ずかしさから、一気にその身を起こした。
「あぁ、ノエル。カノンったら病み上がりなのに、今日は久々の戦いでちょっとだけはしゃぎ過ぎちゃったみたいなの。でも心配は要らないわ」
「あら、そうなんですの? 差し出がましいようですが、あまりご無理をなさってはいけませんよ、カノンさん」
「はい……心配してくれてありがとうございます、ノエルさん」
そう言ったノエルは椛音に優しく微笑みかけると、自分の席の方へと戻っていった。すると今度は彼女と入れ替わるようにして、傍らのミルルが小声で囁きかけるような形で椛音へと話しかけてきた。
「それにしても、登校初日から実技演習でカノンの力を確かめるだなんて、先生も本当にハードだよね」
「本当……でもまさか、ここまで疲れるものだとは夢にも思ってなくて」
「まぁカノンは、常に全力で動いていただろうし、何より一度に消費する瞑力の量が物凄かったからね。闘いに慣れてきたら自然に無駄な消耗を避けるようになると思うよ」
椛音はそう言われて、自分が最初から力を最大限に解放したままの状態で、延々と最後まで戦闘を行っていたことに初めて気が付いた。実際、戦闘の直後には明らかに疲弊していたミルルだったが、今は既に戦闘前と変わらない調子で次の授業の準備をしている。また周囲を見渡しても、疲れを引き摺っている様子の生徒は特に見受けられなかった。
「要するに、力のペース配分が大事だってこと、だよね。難しいなぁ……」
椛音がそう言いながら、自身に重く伸し掛かる倦怠感と闘っていると、また別のクラスメイト達が彼女に対して次々と声を掛け始め、
「ねぇねぇ、カノンちゃん。さっきの戦い見てたよ。本当凄かったね!」
「まだ体が本調子じゃないみたいなのに、ミルルさんにも勝っちゃうなんて」
「さすがはミルルさんの親戚だよね。きっと小さい頃から厳しい練習をしてきたんじゃないの?」
などと、矢継ぎ早に降ってくる言葉の雨に椛音は思わず圧倒されそうになった。
「あぁ、えっと、その、ね……?」
すると傍らで見ていたミルルは、手をパンパンと叩き、彼女たちの言葉を遮った。
「もう、みんな気になるのは分かるけど、一度に押し掛けるのはダメだよ。ほら、カノン、すっかり目を回しちゃってるじゃない」
「あぁ、私たちったら……えっと、ごめんなさいね、カノンちゃん。それじゃあまた後で!」
ミルルの一声で、椛音の前に集中していた生徒達は、やや決まりが悪そうな面持ちで、蜘蛛の子を散らすようにそれぞれ別の場所へと移っていった。
「あはは……何だか悪い気もするけど、正直言って、助かった、かも」
「ここだとあれだから、一度屋上にでも出てみる? まだそこそこ時間はあるし」
そうして椛音は、ミルルの提案に乗る形でそのまま校舎の屋上へと移動した。
***
「この時間なら、あんまり人は来ないし、ここからの眺めも、中々いいんだよ?」
椛音が屋上から改めて周囲の景色を見渡すと、そこはやはり自分の居た場所ではない、別の世界であるということを彼女は再認識した。
「うん、でもやっぱり私が元居た学校とは随分と景色が違って見えるかなぁ」
椛音はそこでひとまず深呼吸をして、一度降って湧いたらそのまま止めどなく流れてきそうな不安感を抑え込みつつ、言葉を続ける。
「ところでセラフィナ先生のクラスって、私みたいな素人からするとみんなすごく戦いに慣れてるような感じがしたけど、もともとは何に特化したクラスなの?」
「ふふ、それはもちろん、戦闘だよ。ただもっと正確には、緊急即応部隊の特別養成クラスって感じかな」
「ん……そくおう、ぶたい?」
ミルルによれば、エスフィーリアでは最近、瞑術を用いた広域犯罪が増加しているが、即座に対応できる人材が相当に不足しているため、高い能力を持った学生達にも白羽の矢が立ち、各国家機関からの要請に応じて、有事の際には協力するという形で動員されるケースが少なからずあるという。
「えっ、それじゃあミルルちゃん達って、警察みたいなこともしてるってこと?」
「まぁそこまでは頻繁じゃないけど、一応ね。瞑力を高いレベルで扱える人間、
そう言ったミルルの表情は、それまで椛音が見たことがない模擬戦の時とはまた趣きが異なる、険しい色味を帯びていた。
そしてその顔を見た椛音は、自然に自身の奥底から言葉が湧いてくるのを感じた。
「ねぇミルルちゃん、この私の力を使って、何か協力とかできたりしない? 私だって、巻き込まれたとはいえ、きっと何か強い縁があって、今ここに居ると思うの」
するとミルルの表情から、突然光が満ち溢れたように明るい笑顔が弾け出した。
「その気持ち、ものすごく嬉しい! でも私ね、カノンには何よりもまず――」
「あら、私は賛成よ」
突然、そう背後から発せられた声に驚いた二人が後ろを振り返ると、そこにはセラフィナの姿があった。
「あなた達、こんなところに居たのね。でもちょうどいいわ。二人に話があるの」
セラフィナがそう言いながら手のひらを頭上へ翳すと、何も無かった空間から複数の小さな立体モニターが同時に現れた。
「突然で悪いけれど、これを見て頂戴。椛音の中に居る、デーヴァの一時保管場所が襲撃された当日の映像よ」
それから間もなく、画面には非常に厳重な扉の前に屹立する警備要員と思しき人物が複数映し出され、そのすぐ後に周囲の空間全体に白い靄のようなものが、色濃く広がり始めたのが見て取れた。
「あれ、何だかこの人たち、どんどん見えなくなって……」
椛音がそう言ったのも束の間、白に支配された空間の中で閃光のようなものが煌めき、ようやくその白が薄らいだ頃には、いつのまにか解放された扉とその付近で倒れている先程の警備要員の姿が映し出されていた。そして急に中央から浮かび上がった黒い影のようなものがやがて人間の輪郭を成すや否や、その奥へとゆっくり入っていった。
「この後襲撃犯は、デーヴァをこのまま奪取しようとしたみたいだけれど、自己防衛機構に阻まれて、一旦は断念せざるを得なかったようね。でも追跡用の使役獣……つまり使い魔を仕込むのには成功していたってわけ」
「使い魔って、もしかしてあの時、私が戦ったあの化け物じゃ……」
「ええ、
セラフィナの挙げる不明瞭な事項とは、襲撃犯がデーヴァの臨時保管場所をいかに知り得たのかという点がまず一つ。
そして、襲撃犯が辿ったと思われる侵入時と脱出時の経路が未だ特定できていない点が一つ。
さらには、その利用価値が推定できないデーヴァの強奪を現行犯で捕縛されるリスクを冒してまで実行した動機が何なのか、それが判明しない点がまた一つ、といった具合に、不明な点を挙げればきりがないという話であった。
「これはもう、関係者の……つまりは内部の犯行としか、考えられないのでは?」
ミルルがセラフィナにそう尋ねると、セラフィナは顎先に拳を当てながら、やや空を仰ぐ格好でその口を開いた。
「もちろん当初からその線で、近辺は徹底的に洗っているようだけれど、まるで足取りが掴めていないところを鑑みるに、話はそう単純にはいかないわね。ただ……」
複数展開されたモニターの一つにセラフィナが直接指で触れると、それが拡大され、何らかのデータが様々な形式のグラフと共に表示され始めた。
「でも僅かながら侵入者側の痕跡は掴めたわ。これは現場に残留していた瞑力を解析したものよ」
セラフィナによると、解析の結果、現場にはいずれの機関にも登録されていない瞑力の気紋、すなわち人間の指紋に相当するものが二種類存在したため、実行犯は少なくとも二名は居たということになるという。
そしてさらに、問題の気紋と非常に酷似した波形を持つ瞑力の痕跡が、現場から少し離れた地点で微かに観測された空間の歪み跡からも検出されたのだと続けた。
「そして今夜は、その地域一帯で更なる精密な測定と追調査を行うことになっているわ。この調査が上手くいけば、実行犯の足取りが掴めるかもしれない」
「本当ですか? じゃあひょっとしたら、カノンへの脅威を無くせるかも、ですね」
「ええ。そこで、私からあなた達二人に提案があるのよ」
言われた二人が首を傾げていると、セラフィナはさらに別の立体画面を指定し、それを拡大表示させて見せた。
「この通り、精密測定に必要な領域はかなり広大で、尚且つ実行する人間がある程度散開している必要があるの」
セラフィナ曰く、測定には性質上、二人がペアでそれぞれの処理を並行して行う必要があり、それを担当区域に散らばった各ペアが同時刻に一斉実施することで結果が得られるが、そのために必要な人材が若干名不足しているため、セラフィナは同事件の関係者である椛音達からの応援が得られるのであれば、非常に好都合だと考えているらしい。
「測定自体は瞑術の素養さえあれば全く難しいものではないけれど、こちら側の事情であまり広く人材を募集できる案件ではないから、あなた達は最も適任なのよ。だから、もし二人さえよければその調査に協力をして貰いたいのだけれど……どうかしら?」
「私は……協力したい、です。ねぇミルルちゃん、その調査、一緒にやろうよ」
セラフィナの提案に二つ返事で応えた椛音に対し、ミルルは少しの間を置いてから口を開いた。
「もちろん、私の方も構いませんが……その調査、本当に私たちでも危険は無いんですよね?」
「警戒レベルが引き上がったエリア内で、自分から尻尾を出すようなマネは流石にしないはずよ。でも二人が協力してくれるのなら嬉しいわね。さらに詳しい話は、お昼にでもしましょうか」
その後教室に戻った二人は、再び瞑術についての授業を受けた。そんな中、椛音がふと教科書を
(へぇ、魔法陣みたいな図もある……でもミルルちゃん、こんなの出してなかったよね)
椛音が目を向けたページには、
(なるほどね……でも何だか文字として見ると、ちょっと眠くなりそうかも)
(まぁ、あなたはどちらかというと、理論よりも先に感覚で掴むタイプよね)
(どちらかといえばそうかも……って、急にびっくりするでしょ、デーヴァ。そういえば何だか今日は、模擬戦の時ぐらいしか喋りかけてこなかったけど、ひょっとしてその……具合? でも悪かったの?)
(まぁ大体、そんなところかしらね)
デーヴァによれば封印の解除が不完全な状態で強制的に行われたため、自己防衛機構が反応し、自身に内包された重要な情報を保護するべく適合者との融合が完全に終了するまでは当該情報には鍵が掛けられることとなり、さらにその間は、自身と融合した相手の両方がその情報に触れられない状態となるため、デーヴァは融合作業の進捗に自らが持つ活動能力の大半を費やしていたという。
(私はまだしも、デーヴァ自身が触れられないって、デーヴァの中には一体、何が隠されているの……?)
デーヴァを襲った犯人は、その中に隠された情報を狙っているに違いない。しかしその情報がいかなるものであるか、それを確認することは現時点では出来ない。
そのもどかしさと、未だ正体の掴みきれない相手の存在は、椛音の中で焦燥感と不安感とを同時に生み出した。そして椛音の抱いたその感情は、融合が相当な段階まで進んでいるのか、デーヴァの側にも伝わってくるらしい。
(あなたの気持ちは分かるつもりよ、カノン。ただ今は、何にしても時間が必要ね。だから今はどうか焦らず、そして冷静さだけは失わないように、頑張って)
デーヴァはそう言うと、融合の最終段階に入るために全機能を総稼働させる必要があり、作業完了まで意思疎通が不可能になる旨を椛音に伝え、完全に沈黙した。
そしてそれを受けた椛音は、未だ釈然としない自身の気持ちを何とか切り替えようと瞑術の授業に耳を傾けてはみたものの、その内容がすんなりと頭に入ってくる気配は、チャイムの音が入り込んでくるまで
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