第8話 雷霆の化身


「あれ、この部屋、物が全然置いて無い?」


 椛音が訪れた部屋の中央には、卵を刳り抜いたような形状をした銀色の椅子が二つ浮かんでおり、更にそれらを挟んだ位置には黒味がかった球状の物体が、空中で静止していた。

 そして傍らのミルルに促されるまま椛音が椅子の一つに座ると、間もなくセラフィナが語りかけてきた。


「さて、早速本番よ、カノン。そこに座ったまま、目を閉じて頂戴」


 言われた通りに、椛音が両目を閉じると、エレベーターが下降するような感覚が訪れ、それと同時に、周囲の背景に強い閃光が生じ、その視界を白一面に変えた。


「わっ、眩しい……」


 そして椛音の視界一面に満ちた光は、急速に和らいでいき、先程まで室内だったはずの背景が、何処までも続く蒼穹そうきゅうへと、その姿を瞬時に変えていたことに、彼女は気がついた。


「ここは……あれ、地面が浮いて、る?」


(驚いた? ここはエスフィーリアに実際に存在する、浮遊諸島を模した空間よ)


 姿こそ見えなかったが、デーヴァと同じように椛音の頭の中で、セラフィナの声が響いた。


(ふふ、随分と見晴しの良い場所でしょう?)


 椛音の前方には、先ほどまで隣にいたミルルがいつの間にか対面に立っており、辺りの景色をきょろきょろと見渡している様子だった。


(カノンには今日、ここで色々と確認したいことがあってね。ミルルにも協力して貰うけれど……まずカノンは、自分の意思で転身をすることが出来るかしら?)


(ねぇ、デーヴァ、転身って……前にあの化け物をやっつけた時にした、変身のことかな?)


(ええ、その通り。まぁ、あの時は私が転身のサポートをしていたけれど、今の椛音が、自分の意思でそれを出来るかどうかは、私にもまだ判らないわ)


 以前に転身を行った際は、デーヴァの指示に従って頭の中から湧き出てくる言葉を無我夢中で詠唱し、気がつけば自分の姿が変わっていたという有様だったが、自分の意思だけでそれを行うとなると、一体何から始めれば良いのかその勝手がよく判らなかった。


「えっと……よく判らないけど、前は確か、こんな感じ……で!」


 集中させた精神を研ぎ澄まし、あの時自分の体に迸った、熱い温度を思い出しながら、身体の奥底から圧倒的な力が溢れ出すような感覚を、再び得ようと強く念じる。

 そして次の瞬間、椛音の身体の内側から、桜色の煌きを燈す劫炎の如き力の奔流が、苛烈な勢いを以って一気に湧出した。


「熱い……まるで、太陽そのものみたいな力。これがカノンの……」


 ミルルは、椛音が放出した力の奔流に驚嘆の表情を浮かべていたが、椛音自身は自分の姿が先の奇獣と戦った時とは異なり、全く変化していないことに気が付いた。


「あ……れ、姿が、変わらない?」


(どうやらまだ、カノンは自分の意思だけでは転身できないようね。だけど、転身せずにそれだけ鮮明な瞑力クオリアを纏えるのは、非凡の才があることの証明だわ)


 頭の中に響いたのはセラフィナの声だったが、彼女の発した言葉からは、椛音にとって聞き覚えのある、しかし未だ意味を掴めていない単語が含まれていた。


「あの、ミルルちゃん。今更だけど、くおりあ……って何のこと?」


「瞑力は、自然を含んだ全ての生命が持つ、ありとあらゆる力の表れだとされているわ。意思の力や感情の力、そして心の力などが一体となって形成される、生命の秘力よ」


(概ねその通りだわ。瞑力には、個々が持つ資質の影響が、色濃く出てくるの。そして、そのイメージを形にする術を瞑術クオリムと、私たちは呼んでいるわ。とりわけカノンには、非常に強いイメージ具現の資質があるようね)


 ミルルの説明に加えて、セラフィナからの補足情報もあり、椛音は瞑力と謂われた力とそれを具現化する瞑術のイメージとを、何となく掴めたような気がした。


(全く、私の説明要らずで助かるわ)


 セラフィナの声と入れ替わるようにして聞こえてきたデーヴァの声からは、本当は自分が全部説明したかったのに、という想いが椛音には微かながら感じられたように思えた。


(さて、カノンもきっと、頭の中で二つの声が響いていると大変だろうから、後はミルルに任せるわね。ここからは実際に体感して貰うのが一番だから)


「了解です! それじゃあ、カノンは……私とお手合わせ、お願いね!」


 すると、それまで穏やかな表情だったミルルの顔が見る見る内に険しい色へと変化し、彼女の身体の奥底から圧力の波が打ち寄せてくるような感覚を、椛音はその全身に感じた。


「自分からじゃ分からなかったけど、この伝わってくる重い感じが……瞑力?」


(伝わってくるモノは、それだけかしら? もっとよく感じてみるといいかもね)


 デーヴァからの進言を受け、椛音はミルルの身体から溢れ出し、流れてくるその力を、さらに奥深くまで感じ取ろうとした。


「ん、そういえば何だか……」


 ミルルから伝播してくる瞑力と思しき流れは次第にその圧を増していき、やがて静電気が発生した時のようなパチリと弾ける感触を、椛音は全身で知覚し始めた。


「じゃあ行くわよ、カノン!」


 その瞬間。

 大地を蹴るように急前進したミルルは、大きな槌のようなものを右手から表出させると、それを軽々と横向きに振りかぶり、椛音の居る位置へとその勢力の全てを炸裂させた。


「――ぶなっ!」


 咄嗟にその身を上方へと移動させ、ミルルの急襲をかわした椛音だったが、ミルルの姿は先程までの位置には既に認められなかった。


(後ろよ、椛音!)


「はぁぁあああ!」


 デーヴァの声が仮にあと半秒遅れていれば、確実に椛音を捉えていたであろうミルルの苛烈な一撃は、僅かながら椛音の身体から逸れていたが、大槌の威力はその空隙くうげきの中で発散され、間もなく強烈な風圧と雷撃とに姿を変えると、再び椛音を容赦なく襲った。


「くぅううっ!」


 無意識の内に強い防御のイメージを浮かべた椛音は、先に異形の獣と闘った際に見せた、太陽から噴出する紅炎の如き煌きを宿した結晶を戴く、不可思議な材質の長杖を顕現けんげんさせ、そこから自分の身体を護るべく、強固な防護障壁を瞬時に形成した。


「確かに先生の言った通り、カノンは、ほぼ感覚だけで瞑術を行使してる……なら!」


 そう言ったミルルが大槌を再び振りかぶり、それを持ったまま高速で回転し始めると、彼女の周囲には竜巻のような旋風がうねり始め、更にそこへ稲妻が縦横無尽じゅうおうむじんに駆け廻り始めた。


「う、嘘でしょ……? あんなデタラメなことが、本当に起きて――」


 すると椛音の言葉を断ち切るように、猛烈な勢力を持った竜巻が、椛音の居る場所へと意思を持ったかのような動きで、大地と空間とを震わせながら迫ってきた。


「あ、あんなもの、受け止められるはずが……!」


 破壊への秒読みにおののき始めた椛音は、既に冷静さを失いかけていた。

(椛音、あなたが前に、あの化け物を倒した時に出した力は、あんなものじゃなかったわ。自分に降りかかろうとする障害を全てを打ち破る、何よりも強い力をイメージするのよ)


「全てを打ち破る、何よりも、強い力……」


 間もなく訪れるであろう破滅的な衝撃に向けて、自らの全身から湧き出してくる瞑力に、自身の力を以って、それを打ち破らんと、強く、強く、一際強く、念じる。

 そして椛音の想いに呼応するかのように、彼女の杖先を頂く結晶体が、妖しく輝き始めた。


「あの時みたいに、大きな力を溜めてる余裕はない……でも、これならきっと!」


 圧倒的な暴力の惨禍さんかが、椛音の華奢な肉体を蹂躙じゅうりんしようと迫った、まさにその時。

 椛音の持つ長杖の先から濃い桜色の閃光が放たれ、そしてそれは縦方向に向かってがれた。


「な……」


 二つに裂かれた烈風のうねりは、椛音を掠めるようにそれぞれ左右へと別れ、そして急速に勢力を失うと、間もなくその姿を消した。


(あの一瞬で、よく出来たわね)


「本当にイメージするだけで、こんなことが……ん?」


 椛音が安堵と驚嘆の息を漏らしたのも束の間、彼女は自身の両足に大きな違和感を感じた。


「え、あれ? いったい、何?」


 椛音が視線を下ろすと、その足の周りには円を描くようにして電気の奔流が発生しており、また両足の感覚は麻痺したように脱落し、彼女は全く身動きがとれないでいた。


(拘束術ね……椛音、自分の足元に瞑力を集中させて、それを一気に爆発させると共にバネで飛び上がるように強くイメージをするのよ。上手く行けばそれで抜けられるはずだわ)


「わ、分かった。とりあえず、やってみなくちゃ」


 拘束状態から逃れようと椛音は精神を集中をし始めたが、そんな彼女の遥か前方より、遠雷が鳴り響くかの如く、空気が激しく振動する衝撃音が伝播でんぱした。


「この音って……まさか」


(これは、まずいわね)


 妙な胸騒ぎを覚えた椛音がその視線を研ぎ澄ました先には、うねり狂う雷電をまとった大槌を、天に向かって突き上げるミルルの姿が在った。


隠世かくりよ紫穹しきゅうを駈ける豪雷よ……彼の羸囚るいしゅうに降り来たりて、その身を滅さん!」


 椛音の頭上で鳴り響く、耳をつんざくような轟音。

 囚われた彼女を妖しく覗く、空に穿うがたれし深淵。

 ふと見上げた瞳が捉えたのは、奇しき紫電の光耀こうよう


「――啼天めいてん瀑砕ばくさい!」


 そしてミルルは、天に掲げていた雷霆らいていの化身を一気に振り下ろした。


 空が突如、崩落したかのように、弩級どきゅうの豪雷が椛音の居た地点へと一点に到来し、先程まで彼女達の足場だった浮遊島の大半が壊滅的な勢力を受け、一瞬で粉微塵に圧砕させられた。


「はぁ……っはぁ、ちょっと、やりすぎ……ちゃった、かな」


 濃い煙霧から時折覗く、先ほどまで浮遊島だったモノの残滓を眼下に見やりながら、ミルルは少し苦しそうに顔の右半面を歪ませ、肩で息をしていた。


「でも先生は……はぁ、一気に仕留め、ないと、あなたが危ないって……言ってたし」


 ミルルは息を切らしながらも、戦闘不能状態になったであろう椛音の姿を探している様子であったが、そんな彼女の肌にふと何かが断続的に触れた。


「これは……桜色の、雪? ――って、こんな所でそんなもの、降ってくるわけが……」


 何処からか、花弁が落ちる程の速度でひらひらと舞い降りてきた桜色の光粒。

 不可思議な現象に困惑した様子のミルルは、右の掌でその光粒を受け止めようとしたが、その矮小な粒は実際に掌に触れるや否や、形跡すら残さず消失した。


「粒が溶けて……消えた? だけど何だか暖かい、この感じは……」


 その時、手に受けた熱からミルルは何かに気づいたのか、彼女の顔から血の気が引き始める。


「この感覚は、まさか――」


 そして独りでに震え始めたミルルの右手は、やがて何かに陽光を遮られ、陰の内面に閉ざされた。


「……っ!」


 言葉を失ったミルルの双眸そうぼうに映ったものは、空に立つ太陽をも喰らわんとする桜花おうか曜霊ようれいだった。


「いくよ、ミルルちゃん!」


 限界まで凝縮されていたカノンの瞑力は、封じ込められていた力場から解放されると、絶望的な熱量と爆発的な圧力とを以って通過した空間を歪ませ、大気を軋ませながら凄まじい速度でミルルが浮かぶ場所へと殺到し、その総てを一息に吞み込んだ。


「か、体が動か――」


 ミルルの身体が、消えた。

 残存していた島の一帯は、蒸発。

 抉られた海面の波紋は、狂瀾きょうらんと化した。


「……っ、ふぅ……ぐ、はぁ……うっ、はぁ」


 持ちうる限りの瞑力全てを放出した反動から、椛音は片目を開けているのがやっとで、未だ空に浮いていられるのが不思議なぐらい、彼女の心身は明らかに疲弊していた。


(そこまで。見事よ、カノン)


 全てを観ていた様子のセラフィナが、椛音にそう呼びかけた直後、彼女は全身が浮揚するような感覚に襲われ、直後に周囲の背景が暗転すると間もなく、トンネルを抜けた時のように白い閃光にその視界が塗りつぶされた。


 そしてやがてその光明が薄らぎ、周囲の光景が鮮明になると、椛音は自分達が元居た場所へといつの間にか戻ってきていることに気が付いた。また椛音の隣にはぐったりした様子のミルルが、床にぺたりと座り込んでいる。


「……あ、ミルルちゃん! 大丈夫?」


 椛音が声を掛けると、ミルルは苦笑いを浮かべながら右手でサムズアップして見せた。


「はは……やられちゃったね、私。絶対こっちが先に、落としたと思ったのになぁ……」


「あなたの一撃は、確かにカノンを捉えていた。けれど、カノンはその被弾時間を最小にしたのよ。自分に向けられた一撃に、敢えて正面から、向かっていくことでね」


 椛音が背後から気配もなく、そう言って現れたセラフィナに驚いていると、部屋の中央に立体モニターが表示され、二人が先程まで行っていた闘いの様子が映像として再生された。

 そして間もなく、ミルルが必殺の一撃を放った所で、椛音が自身の正面に防御障壁を最小面積で展開し、そのまま最大速度で突撃していく様が映し出された。


「本当……直撃を回避するために、カノンは一瞬で全部を受け流した感じで……あれ?」


 ミルルは自身の言葉を途中で吞み込むと、眉を顰めながら映像を凝視し始めた。


「あなたも気づいたようね。そう、きっと無意識なのだろうけれど、拘束から脱出できたカノンは通例、半球状に展開される防護障壁を、大剣のように変形させることで、自分へ殺到する豪雷を穿ち、引き裂いていた」


 その結果、自身が受けるダメージを最小限に抑えつつ、勝利を確信して油断したミルルを上から叩くことができたというのが、セラフィナの見解だった。

 自分があの時、何を考えて実際にそうしたのか、椛音自身には確かな記憶がなかったが、その瞬間に抱いた感情だけはしっかりと覚えていた。


「何とかしなきゃいけないって、ただそれだけを思ってたら……体が、勝手に動いたというか……よくは、分からないけど」


(それがセンスというものよ、カノン。あとは自在に転身することさえ出来れば、ある時、急に降りかかる火の粉から自分の身を護る以上のことが、きっと出来るようになるはずよ)


 デーヴァが口にした、自分の身を護る以上のこと。

 椛音には、そのデーヴァから得た力を使って他に一体何が出来るのか、少し思いを巡らせてみたが、すぐに浮かんでくるようなものはまだ何も無かった。

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