第7話 瞑導女学院ジャルダン・ノワール
約束の時間。
別世界の住人となってから鐘の音が告げる、三度目の朝。
緩やかな時間の中で、新たに袖を通したのは、二度目の制服。
そして隣で満面の笑みを浮かべる友人と学院へ向かう、最初の日。
「いいねカノン、とっても良く似合ってる!」
「あはは、そう……かな?」
白いブレザーに黒のブラウス、チェック柄が映えるグレーのスカート。
加えて、やや色調が暗いバイオレットカラーのネクタイが織り成す装い。
椛音は照れくさそうに笑いながら、未だ慣れない自分の制服姿を見返した。
「ミルルちゃんの学校の制服って、何だか上品で格好良い感じだよね。これなら私もミルルちゃんみたいに、お嬢様っぽく見えたりする……のかな」
「ふふ、それはもう。どこに出しても問題ないくらいのね」
ミルル
「ところでカノン、新しいファミリーネームは、ちゃんと憶えてる?」
セラフィナの助けもあり、椛音はこの世界――エスフィーリアにおいて、正式に存在している人間として、公的機関にその個人情報が登録され、新たに身分証を受け取っていた。
なおそのセラフィナが、具体的にどのような方法を用いて椛音の戸籍等の情報を登録したのかについては彼女から説明がなされることは一切無く、またミルルもそのことについて『知らない方が幸せなこともあるよ!』と明確な言及を避ける発言をしていた。
「ええっと、ここでの私の名前は、カノン・エーデルヴァイン……で、良いんだよね?」
「そう! それがこっちでのカノンの名前だよ。誰かに聞かれた時とか、うっかり間違わないようにね! それじゃ早速、学院に向かいましょう」
先にセラフィナを訪ねにやってきた時には、椛音は気にも留めていなかったが、改めてよく見てみると、校門の前には学院の名前を刻印した表札が示されていた。
「ジャルダン・ノワール……瞑導、女学院。この間貰った学校案内にも載ってたけれど、ここの学校って、生徒は女の子だけしかいないんだよね?」
「そうだよ。エスフィーリアじゃ一般的だけれど、カノンの世界では違う感じ?」
「うぅんと、私の世界だと共学制が多いから、こういうのはちょっと珍しい方かな」
「へぇ、でも共学っていうのも面白そうだなぁ……ね、カノンは好きな人とか居るの?」
ミルルからの唐突な質問に、椛音は頬の温度が自然と上昇してゆくのを感じた。
「そ、そんなの、全然居ないよ? 意識したことすら、ないし、うん」
「本当かなぁ? ふふ……何だか怪しいから、後でまた詳しく訊こうかなぁ」
「もう、そんなの聞いても無駄だから! ほら、早くセラフィナさんのとこ、行こうよ!」
「あはは、はいはい」
それからミルルに先導される形で校舎内を移動し、椛音が連れてこられたのは、先に一度訪れていたセラフィナの研究室前だった。
「それじゃ私は始業の準備があるから、またあとでね、カノン」
そして程なく椛音がドアをノックをすると、セラフィナから中に入るよう促された。
「失礼します」
研究室には、先日訪れた時よりも様々な実験器具が新たに見受けられ、またそれらの多くは稼動状態にある様子だった。なお出入り口から少し奥にあるセラフィナが座っているデスクの上には書類の束が出来ており、その内の何枚かが散乱していた。
「おはよう、カノン。昨日は良く眠れたのかしら?」
そう言って書類の山からぴょこんと顔を出したセラフィナは、やはり教師には見えない。
「おはようございます、セラフィナ先生。実は昨日はちょっと緊張して、あんまり……」
「まぁ、無理もないわね。ところで学院の案内はある程度、見てくれたかしら?」
「えっと、実は昨日の夜、眠くなるまでずっとそれを読んでました」
事実、緊張からよく眠つけなかった椛音は途中で一度眠るのを諦め、ミルルから貰った学校案内の電子パンフレットを、身体が自然と眠りを欲するまで読み込んでいた。
「なら、うちの学院に特別な訓練施設があるっていうことも、知っているわよね?」
「確か……仮想空間で実戦さながらの訓練が出来るとか、書いてあったような」
「その通り。今日は実際に、そこで体験して貰おうと思っているわ」
仮想空間で訓練、というのが椛音にはあまりピンとは来なかったが、訓練施設は学院の売りでもあるらしく、電子パンフレットでも数ページに渡って詳しい紹介がされていた。
「その前にカノンには、イイものをあげるわね。ちょっと手を出して貰える?」
「えっ、手? こう……ですか?」
椛音が言われるがまま右手を差し出すと、セラフィナの方から何かが浮かび上がり、椛音の方へと近づき始め、そしてそれは間もなく彼女の手の平にふわりと舞い落ちた。
「これは……グミ、かな?」
それは、青い内容物がうっすらと透けて見えていて、柔らかくて丸い形をしたグミのような物体だった。
「ふふ。騙されたと思って、それを食べてご覧なさい」
「あ、はい。それじゃあ、頂きます」
椛音はそう言うと、セラフィナから貰ったグミらしきものを一息に口へと入れた。
「ん……あ」
それが歯に触れた瞬間、ぷつりとその外側が破れ、ソーダと思しき風味が舌を通じて口全体へと広がり、同時にひんやりとした感覚が口内を爽やかに駆け巡った。
「中々美味しいでしょう? その中には私がブレンドした特製の溶液が入っていてね。きっとカノンの緊張や眠気の残りも、すぐに晴れていくはずよ」
するとセラフィナの言った通り、さっきまで胸元に漂っていた不安や緊張といった気持ちが不思議と解れ、更に頭が冴え渡っていくような感覚がはっきりと体感できた。
「何だろうこの感じ……何だか気分がスッと楽になったような」
「それは何より。じゃあ早速だけど、その感覚があるうちに試してみるのが良いわね」
それから椛音はセラフィナに導かれ、校舎内を移動した。
セラフィナによると、女学院では個人の素養や特質に合わせてクラスが決定され、またよりその才能を伸ばすために、各分野ごとに特化した教官の下で直接の指導を受けるという。
道中、窓から見下ろせる空間に広大な中庭があり、色取り取りの花々が所狭しと遍く敷き詰められ、
そしてそうこうしている内に先導していたセラフィナの足がぴたりと止まり、椛音はいつの間にか、自分がこれから新たな学校生活を体験することになる、教室の扉前に立っていた。
「さぁ、ここが私の教室よ」
セラフィナはそう言うと、ドアを開いて教室の中へと入った。
「ごきげんよう皆さん。先日、皆さんにお伝えをした通り、今日は新たに私達の仲間となる子を紹介したいと思うわ。ではカノン、こちらへいらっしゃい」
名前を呼ばれた椛音は、おずおずとした足取りで教室へと入り、教壇の傍らに佇立した。
そして彼女が新たなクラスメイト達にそっと目をやると、溢れんばかりの好奇心がふんだんに詰め込まれているであろう視線の波が、自分自身に殺到している様が明らかに見て取れた。
「は、初めまして。カノン・エーデルヴァインです。その、私、これまで身体が弱くて、ヴェル・デュール地方で長期静養をさせて頂いていたのですが、この度ようやく体調が回復し、これから皆さんと一緒に、ここで学ばせて頂くことになりました。足りない面も多々あるとは思いますが、どうかよろしく、お願い致します」
それは、昨日の夜までに暗記した設定を何とか捻じ込んだ自己紹介だったが、椛音が無事にその挨拶を終えると、クラスメイトから温かな視線と拍手とが彼女に送られた。
そして、椛音が一番後ろの窓際に見えたミルルと視線を結ぶと、彼女は微笑みながら、右目でウインクをして応えた。
「カノンにとっては何もかもが初めてに近くて、困ることもきっと多いだろうけれど、これから仲良く、そしてどうか色々と助けてあげて頂戴ね」
セラフィナはそう言うと、ミルルの居る方を椛音に手の平で指し示した。
「じゃあカノンには……そうね、ミルルの隣の席に座って貰おうかしら。親戚同士でなら、色々と細かい話もし易いでしょうから」
それから間もなく椛音は、ミルルの右隣にある席に着いた。
「では本日は予定通り、ペアでの実技演習を行うわよ。組み合わせは開始直前に発表するから、皆はこの後、エミュレーター前に集合して頂戴」
(じ、実技って……私は一体、何をしたらいいんだろう)
椛音が様々な懸念を胸の内に巡らせ始めたのも束の間、ホームルームの時間が終わり、そのまま別教室への移動時間となった。
隣席のミルルはそんな椛音の顔からその心情を読み取ったのか、自分の右手を椛音の左肩に、鼓舞をするかの如く力強くポンと乗せた。
「そんな顔しなくても大丈夫よカノン。さぁ、皆と一緒に移動しましょ!」
ミルルにそう促されるがまま、別教室へと移動を開始した椛音だったが、その途中で椛音に声を掛けてくる一人の生徒がいた。
「初めまして、カノンさん」
「あ、どうも……こんにちは」
声を掛けてきた人物は、淡い藤色をした長い髪に
「私はノエル・スヴェーリエと申します。このクラスでは保険委員を担当していますわ。もし、授業中にお気分が優れなくなった時は、いつでも仰って下さいね」
「はい。ご心配、ありがとうございます、ノエルさん」
すると傍らに居たミルルが、ノエルの方に手の平を向けて、
「ノエルは治癒術が得意なの。余程のケガでない限り、あっという間に治しちゃうわよ」
と、彼女が持つという治癒能力の高さを評価した。
「買被り過ぎですわ。しかし本当は私の出番が来ないのが一番なのですけれど、ね」
ノエルはそう言いながら、少し困ったような表情で苦笑していた。
その後、椛音が本校舎から出てしばらく歩いて移動すると、目当ての施設と思しき建物が視界に入ってきた。その真新しく見える外観から、彼女はそれがつい最近建てられたような印象を受けた。
施設の中は、極めて無機質な空間の中に等間隔で列を成した座席があり、正面中央には巨大な立体モニターが表示され、そこには生徒達の名前と思しきものが表示されている。
そしてやがて各々が着席すると、モニター前に立っていたセラフィナが口を開いた。
「ではこれから一組ずつ、仮想空間内において実技演習を行って貰うわ。なお、ペアの組み合わせは既にモニターに表示されているから、各自で確認をして頂戴」
それから
「ねぇ、ミルルちゃん。私の名前って、ホントにあそこにあるのかな?」
「あれ? そういえば、私の名前も無いような気が……」
すると間もなくセラフィナが、椛音の疑問に答えるかのように口を開いた。
「カノンにはミルルと組んで、別の演習をして貰うつもりよ」
「なるほどね……カノン、今日は私達二人で実技をするみたい」
「ええ。だから貴女達二人は準備が出来たら別に呼ぶわね。それまで他の子達の戦いを観ているといいわ。色々な戦い方を観て、自分だったらどうするかをよく考えながら、ね」
その後、最初に名前を呼ばれたペアの女生徒が、さらに奥にある部屋へ入っていくと、程なくその二人がモニターに映し出され、セラフィナの合図と共に闘いの構えのような体勢を取ったが、二人共にすぐには動かず、その動向を互いに注視している様子だった。
しかしやがて、二人の内の一人である、赤い髪の生徒が先に仕掛けると、もう片方の青い髪の生徒はそれを避け、相手との距離を取ろうとするも、すぐさま赤髪の生徒が逃がすまいと反応し、一気に距離を詰めながら、剣と思しき武器で青髪の生徒を攻め立てた。
その攻勢は、まるで反撃の隙を与えない圧倒的な勢いを持っているように見える。
「青い髪の人、すごい押されてる……あのままだといずれ、負けちゃいそう」
闘いの様子を観ていた椛音が不意にそう漏らすと、ミルルはそれに対して少し首を傾げて見せた。
「押されてる、か……でも、本当にそうなのかな?」
「えっ?」
椛音がしばらく観ていると、赤髪の生徒が一撃を繰り出す度に、その攻撃の間隔が、段々と延びてきていることに気が付いた。青髪の生徒もそれまでの攻撃を完全には避けきれていないせいか、ダメージは確実に受けているものの、その反応速度自体はそれほど鈍った様には見えなかった。
そしてついに赤髪の生徒が、闘いの雌雄を決するであろう強烈な一撃を相手に放ち、またその攻撃は青髪の生徒を完全に捉えたように見受けられた。
「これで決まっ――」
と、椛音が零したその瞬間、赤髪の生徒の背後に青髪の生徒が現われ、その両拳を相手の頭上から地面の方向に向かって、一気に振り下ろした。
「あっ」
赤髪の生徒は振り返る暇もなく地面へと叩きつけられ、彼女の身体が激突した周囲の地表は、一瞬で破砕されたと同時にその衝撃の余波を受けて大きく隆起した。
「見たでしょう、カノン。勝負は本当の最後まで判らないものなの。きっとあの子は、かなり最初からこのカウンターを狙って、相手の攻撃を上手く誘っていたんだと思うわ」
ミルルの言葉に椛音は頷きながらも、敗北した赤髪の生徒の一方的な攻勢を安直に優勢だと見ていた自分の考えの甘さに、言い知れぬ恐怖のようなものを感じた。
「ねぇミルルちゃん、あの人、体とか大丈夫なの……?」
映像を見る限り、敗北を喫した赤髪の少女は凄まじい勢いで地面に叩き付けられていた。それは生身の人間であれば明らかにただでは済まない、致命的な衝撃のはずである。
「仮想空間内で受けるダメージは、あくまで擬似的なもの。実際の身体に物理的な損傷は無いわ。とはいえはりきり過ぎると、精神的にはかなり消耗するんだけどね」
それからも、女学院の生徒同士による様々な対戦を観ることになった椛音。
実際人の数ほど考えがあり、人の数ほどその戦い方も結果も、異なっていた。
純粋な力の衝突、戦略の応酬、様式美の尊重。そして一方的な勝利、辛勝、逆転、相打ち。どれ一つとして同じものはなく、全てが選択の積み重ねによって導かれた結果だった。
(ねぇデーヴァ。私にもまた来るのかな。どうしても闘わなきゃいけない、そんな時が)
(そうね……でも『その時』までは判らないものよ。人は後で自分が後悔をしないよう、いつも正しい選択をしようと必死だけれど、正しい選択なんてあるのかしらね)
(正しい選択……かぁ)
椛音が沈思し始めたのも束の間、セラフィナが椛音とミルルの名前を呼んだ。
「さぁカノン、次は私たちの番だよ。行こう!」
椛音はそれに頷くとミルルの後に続き、そのまま奥にある一室へと足を踏み入れた。
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