第6話 特別であることの証明


「私がここでしか出来ないこと……か。うん、頑張って探してみなきゃ」


(それにしても椛音、あなた、随分と歓待されているわね)


「本当、何故か不思議なくらいに。それはもちろん嬉しいことなんだけど……やっぱり、それに甘えてばかりじゃダメだよね。それにしても――」


 椛音は、それまでデーヴァに尋ねようとしては、その都度時機を逸していて、ずっと訊きそびれていたことをふと思い出した。


「よく考えたらデーヴァってさ、そもそもは誰かに狙われて、私の世界まで飛んで来たんだよね?」


(そうね。おおむねその通りだわ)


「でもその誰かって、一体誰で、何のためにデーヴァを奪おうとしていたの?」


 セラフィナの言葉を反芻はんすうする限り、このエスフィーリアの人間でさえその中身を紐解いた者は居ないというデーヴァに秘められた謎。それにも関わらず、デーヴァを狙う存在というのは一体何者なのか。椛音にとってはそれがあまりにも不可思議で仕方がなかった。


(それに関しては、本当にこちらが知りたいぐらいよ。とはいえ、私の保管場所を知っていた人物は限られているだろうから、すぐに判るかも知れないわね。きっとその辺はあの子が色々と調べているのだろうけれど)


「相手の目的はデーヴァにも分からないんだね。だけどさ、今の私がデーヴァと一緒になってるこの状態って、向こうは知っているのかな?」


(恐らくは、知り得ることの出来ない情報だと思うわ。それに、私とカノンが融合状態にあるというのもまた、外部から確かめる方法は現存していないはずよ)


「そうなんだ。確かに今のところ私達のことを知ってるのって、ミルルちゃんとセラフィナさんの二人だけだもんね」


 そう言った椛音の頭の中では、ここまでに得ることができた情報の整理が行われ、

『現状、椛音の中にデーヴァが存在することを知っている人物は、ミルルとセラフィナであり、デーヴァの話から第三者がその状態にあることを確認する術はまず無い。そしてそれは即ち、先にデーヴァを強奪しようと画策した者が、直ちに椛音達へ危害を加えることは考え難いということになるが、強奪の目的は未だ不明で、それに関してはデーヴァすらも皆目見当が付いていない』

 といったように、ひとまずは纏められた。


「だったらさ、一応は安全……だけど、いざという時、自分で自分の身は護れるぐらいにはなっておかないと、なのかな。ミルルちゃん達に迷惑ばかりかけてはいられないし」


 異形の獣による先の襲撃は、デーヴァの助けもあって何とか独りで退けることが出来たが、次に自分の相手となる存在が明確な意思と意図とを持った人間ともなれば、その危険の度合が比較にならない程に高まることはもはや考えるまでも無かった。


(それは実に良い心がけね。私の声が聴こえた以上、椛音に瞑術クオリムの才能があることは明白な事実だから、あの子達の元で修練を積めば、きっと何か見えてくるものがあるはずよ)


 椛音は、それまでの人生を振り返った中で、他人より秀でていると感じられる能力に気がついたことはおろか、誰かに指摘されたことすらも無かったため、自分に才能があるとデーヴァから言われても、俄かには信じられずに居た。

 おまけにその才能があると言われた分野が、自分にとって全くの未知の世界ともなれば、尚更のことである。


「あはは、才能……かぁ。でも、そういえば……この間私、飛んでた、よね?」


(飛翔術のことかしら? 確かに飛んでいたけれど、それがどうかしたの?)


「どうかしたの? じゃないよ! あれって、デーヴァのおかげで飛べてたの?」


(いえ。前にも言った通り、私自身は、椛音が元々持っていた力を引き出したに過ぎないわ)


「ほんとに? じゃあさ、今ここで試してみてもいい?」


 それはわば、自分が特別であることの、確認。

 デーヴァの言う通りであれば、誰の助けも借りること無しに自力で空へと飛び上がれるはずである。ちなみにミルルから割り当てて貰った部屋は、屋敷の三階に位置しているため、万が一その高さから落下するようなことになれば、致命的な大怪我はまず免れ得ない。


(なるほど、まだ自分の力が信じられないと言うのね。なら、止めはしないわ)


「本当に大丈夫……なんだよね?」


 椛音がベランダの手摺り越しに暗く静まり返った屋敷の敷地を見渡すと、この屋敷における一階層分あたりの物理的な高さが、一般的な家庭のそれとは比べ物にならないためか、実際の現在位置の高さが三階とはいえ、自身の想像よりも遥かに上であったことを彼女は実感した。


(大事なのはイメージよ。一度深呼吸をして肩の力を抜いて。それから、両目を閉じて、空にふわりと浮かび上がる自分の姿を想像してみるといいわ)


 デーヴァからの助言に従い深呼吸をした椛音は目を閉じ、全身を適度に脱力させた状態で、自身の体が空中へとゆっくり舞い上がっていく光景を頭の中に思い描き始める。


(いいわ、その調子よ)


 桜光おうこうの煌きが椛音の体から次第に湧き立ち始め、彼女が自身の中に暖かな熱が広がるのを感じ始めると、その体がゆっくりではあるが確かに空中へと浮かび上がってゆく。


「わっ……飛べた、飛べたよデーヴァ! ふふっ、やったぁ!」


(第一段階はクリアね。だけど、これではまだ浮いているだけよ)


 少し目を見開いて確認すると、足先から地面までの距離は目測で捉える限り、僅か数十センチ程だった。


「た、確かに。ここから、一体どうすれば……?」


(じゃ、次に姿勢をやや前方に傾けた状態で、あの夜空へと自分の体が吸い込まれていくようなイメージを、頭の中に膨らませてみなさい)


 言われた通りに前傾姿勢を取った椛音は、浮遊した状態のままで緩やかに動き始め、やがてその身をベランダの手摺りからその外側へと移し、そしてそのまま夜空へと吸い上げられていくように徐々にその高度を上げていった。


(……いい感じよ。もう屋敷が下の方に見えるぐらいだけど、何も怖れることはないわ。椛音はもう空と一体化している。眼を閉じたままでいいから、空の上に浮かぶ自身の姿と、そこから広がる風景をゆっくりとイメージしてみて)


 無言でこくりと頷いた椛音は、今の自身が空の上にあり、更に其処から自分が、屋敷の遥か上方からその辺り一帯を俯瞰している、という光景を心の中に描写する。


(じゃあ椛音、これから目を開けるけど、其処に広がっている風景は今、椛音自身がイメージしているものと同じのはず。だから驚くことなんて何も無い……そうよね?)


「……うん、きっと大丈夫!」


(なら、今ここで目を開けてみて。ゆっくりと、ね)


 その言葉に導かれる様に、ゆっくりとその瞼を開けた椛音は、そこで改めて自分自身が屋敷の遥か上空に存在していることを認識した。しかし眼前に広がる実際の風景は、デーヴァの言う通り、瞼の奥で思い描いていたものと寸分も違わないものであったため、椛音は既に大きな怖れも驚きも感じることは無かった。


「えへへっ。上手く、できたかな」


(上出来よ。今は自分自身が、空の一部になったような感覚があるでしょう? なら後は自らのイメージ通りに動けばいいだけよ。そのイメージ次第で、椛音は自由に空を往く鳥にも、そして空を駈け抜ける疾風にもなれるのだから)


「ホントに? じゃあちょっと色々やってみよっかな。そう、多分こんな……感じで、っと!」


 次の瞬間、椛音の体が夏の夜空に吹く、一陣の冷涼な風となった。


「あはは、すごい気持ちいい!」


 自らの思うがまま、上へ下へ。左へ右へ。それはその動きを止められるものが何もないような錯覚に陥る、おおよそヒト一人の手には余る程までに圧倒的で強大な自由の力。


(風を切るような強い翼が欲しければ、それもまた、望みのままよ)


「翼かぁ……んと、こんな感じ、かな?」


 程なく風と一体化した椛音の背中に、比較的大きな桜光の翼が構築されていき、彼女に新たな速度と興奮とを同時に与えた。


「何これ、物凄く速い! あははっ、もう最高!」


 想像の遥か斜め上を行く速さを得た椛音は、そのあまりの速度に対して逆にやや翻弄されながらも、飛ぶ中で次第にコツを掴んでゆき、その気分はまさに有頂天へと昇りつつあった。


「よーし、ここからもっと、もっと、派手にいくよ!」


 誰も居ない夜空のステージで、超高速の空中舞踏を惜しみなく魅せ続ける椛音だったが、やがてその動きが見る見るうちに鈍くなってゆく。

 それはまるで、その両足に突如として重いおもりを付けられたかのようだった。


「ふぅ……これだけのスピードで動き回っていると、体に掛かってくる重さみたいなのが半端じゃないんだね。途中からちょっとキツくなってきちゃった」


(素の状態のまま、一度にこれだけ動いていれば流石に、ね)


「でも私って、本当に飛べちゃうんだね……それが確認できただけでも、良かったよ。さて、ミルルちゃんには黙って出てきてるし、そろそろ部屋に戻って寝ないと、また変なのが出てくるかもだし、ね」


 それからややあって部屋へと戻って来た椛音は、ミルルから事前に聞いていた照明の操作説明を思い返した。彼女の話によれば、自らの意思を照明に向かって念じるだけで、その明度の調節が出来るとのことだった。


「んと、こんな感じ……かな?」


 そして程なく、椛音が思念を送ると、果たして照明からは光が失われ、部屋の中は窓から差し伸べてくる月明かりのみが支配する空間となった。


「これでよしっと……デーヴァ、さっきは色々とありがとうね。それじゃあ、おやすみなさい」


(ええ、おやすみ。良い夢を、ね)


(夢……か。うん、良い夢、見れるといいな)


 閉じた瞳の中で、広がるものは、常闇とこやみ

 耳から伝わるのは、静謐せいひつなる夜風の調べ。

 想いが心に描くものは、期待と不安と、明日。


 ――昨日まで自分は、確かに別の場所に、居た。

 けれど、今日の自分は、一体どうだった?


 昨日までとは違う朝、昼、夜。一日。

 昨日までとは違う人、街、景色、空。

 昨日までとは違う自分、時間、世界。


 今日、目覚める前と後、その境界線からは、何もかもが違っていた。

 次に目覚めた時もまた、自分は、自分の知らない何処かに居るのだろうか。

 そう考えた時に実感した確かな感情、それは紛れも無い、恐怖、そのものだった。


 どうか明日、目覚めても、このベッドの中でありますように。


 自分以外、誰も自分を知らない、この世界で、

 初めて自分の名前を呼んでくれたあの子と、

 きっと明日も、また、会えますように。


 椛音は、様々な感情と想いとが沸き起こり、そして渦巻く中で、ミルルと過ごした今日一日の出来事を思い出しながら、やがて意識の水底みなそこへと緩やかに落ちて行った。

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