エピローグ
俺は、あくびを噛み殺して眠気を飛ばしながら、休日だというのに制服を着て学校への通学路を通っていた。
あの後の夜、俺は神原に学校の屋上へ呼び出されたのだ。
これを断るのはおかしい気がして、それとなく気まずさを感じながらこうして約束を守りにいっているというわけだ。
うちの学校は、大体の高校がそうだと思うのだが、休日登校は制服を着てならオーケーだ。これは部活動でなくても同じだ。
ところで、あくびを噛み殺している時点でおわかりだと思うが、現在は朝の八時頃である。
朝はまだ涼しく、その中でポカポカ気持ちのいい春の陽気が俺の肌を撫でていた。この分だと今日は快晴だろう。
そしてそんな通学路を歩く俺はといえば気まずさで死にそうだった。
……普通いきなりキスかましてきたあとに何事もなかったように『八時頃に屋上に来てください』とか怪しすぎだろ。
「あれ、倉永くんじゃない」
校門から校舎に入ろうとしたところで俺を呼びかける声がした。
振り返ってみるとそこにいたのは篠崎だった。相も変わらず俺は顔を見れていなかった。なんとなく髪の毛の感じなどでわかった。そもそも俺に話しかけてくるやつ自体が片手で数えられるほどしかいないのだが。顔を普通に見られる異性はやはり神原だけが例外らしい。
「よ。どうしたんだ」
「私はこれから部活よ」
「ああ、なるほど。部活に入ってるやつは休みを奪われるんだったな」
「その皮肉的な言い方やめてくれない……?」
そういえば叶人の部活のマネージャーとか言ってたな。ということは叶人も今日学校に来ているのだろうか。
「夢望から聞いたわよ。有意義な休みを過ごしたみたいじゃない。あの学校の日は雲行き怪しい感じだったけど、なんとかハッピーエンドまで持っていったようね」
「ハッピーエンド、なのかは知らないけどな」
でもたしかに、俺がいい方向に変わることができたことは認める。
「今日学校来たのは……あれよね。こういう言い方もおかしいと思うけど、頑張って」
そう言って篠崎は俺の横を通りすがりに背中を叩いて部活へ向かっていった。……若干痛かったのはいただけない。
思わぬ邂逅はあったものの、当初の目的は変わっていない。俺は校舎に入ると、真っ直ぐ階段から屋上へと足を進めた。
……なんだか、あの時の光景とダブるな。
違うことはといえば、時間帯の違いで夕焼けが朝焼けだということか。
ともあれ、まもなく屋上には到着した。
屋上へ出る扉をゆっくりと開けて俺は屋外へ身を乗りだした。
……やはり、ダブった光景だった。
そよそよと風が吹いている、青く澄み渡っている晴れた空。
唯一あの時とは違う朝焼けの白い光は、この屋上を純白に染め上げて浄化しているように思えた。
そして、白いノートを思わせるその白は、何かの始まりを告げているようにも思えた。
「おーい」
神原が街を見渡しているところまで同じだった。今こそ短い髪の毛も、ふわりふわりと風になびいて揺れている。
俺の声が聞こえたのか、神原はハッとなって振り返った。
やはりこれも同じ。身長が俺より頭一つ下で、制服には一年ということを示すリボンを身につけていてる。
ひとつ違うことはといえば、それは神原の顔を今は見ることができている、ということだろう。
清々しい、清廉で潔白な天使のような微笑みをたたえながら、その大きな目はキラキラと輝いているようにも見えた。
「で、用ってなんだ」
ここまで被らせてきたのだ、ここで『よく昨日あんなことしてひょろりとしてられるな』なんてセリフは野暮にも程があるだろう。
だから俺はあくまであの時のセリフで尋ねた。
「あ、あの……」
俺に顔を合わせず神原はキョロキョロと視線をさまよわせていた。……これじゃあ前の俺だな。
「す……」
スイカ割りしましょう、か? それともスク水っていいですよね、か? ……どちらにせよありえなさすぎだろ。
「好きです! やっぱり友達と思われるなんて嫌です、付き合ってください!」
だろうな、と俺は思う。
そりゃあここまで忠実に来たんだ、こうなるのは当然だろ。
「あ、えっと……」
この時、俺にはまたしても三つの選択肢があったように思える。
昨日の既成事実を経た後で、だ。
一つ目は、『すまん、さすがに昨日の行動はちょっと引いたわ』という拒否の返事。
さすがにこれは酷すぎる。せっかく友達認定したのに突っぱねるのはこれからが気まずくなる。
二つ目は、『ああ、もちろん』と昨日のあれで堕ちちゃったやつがいう返事。
……こちらを選ぶと思ったか。残念だったな、そんな簡単に俺は堕ちはしない。俺のひねくれ歴を甘く見るなよ。
だからやはり選ぶのは三つ目。
またしても予想すらしないような返事だ。
「……友達からならいいよ」
結局、俺の心がいきなり変わることはなかった。
だが、この話には続きがある。
神原も成長している。いきなり走って逃げ出すような真似は今度はしなかった。
「ふふっ」
俺の中途半端でクズのような答えにも微笑みまでしてみせて。
そして天使のような神原は俺に言うのだ。
「――それでこそ、結叶くんです!」
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