>>14 彼と彼女の関係

「はあ、そんなこと言ってもなあ」


「結叶くんが堕ちてしまえば私も万々歳です」


 といいながら、神原は俺の腕を取ってくる。

 ふん、俺に色仕掛けは通用しない。友達の柔らかい部分がたまたま当たってるだけなんだからな。

 神原は不服そうな顔でこちらをジト目で見てくる。


「前なら飛び上がって逃げ出すはずなのに」


「前っていつの話だよ……俺にはそんな記憶ないぞ。で、これからどこ行く」


「やっぱり……最初の場所へ行きましょう」


「おいおい待て待て。お前さっきしっかり調べてたよな? そして顔赤くしてキャーキャー言いそうだったよな?」


「それはもう過去の私です。もうそろそろ私は大人になるべきかと思ったんですよ」


 やっぱりそういう方面に行くか。スイッチを入れてしまったのは確定的だな。

 だが、神原の許可がもう出ている時に大変申し訳ないのだが、俺はまだ大人になるつもりはない。俺はまだ初めてはしっかり愛のある相手としたいという理想論を掲げている。……それが理想で終わるのは知っている。


「ともかく、俺は行かねえぞ」


「ええ、結叶くんも男子でしょう? あれ、男子ですよね?」


 そこで疑問を持つのやめろ。


「男子ならそういう欲が抜きん出ていると思ったんですが……。まさか、結叶くんが無欲だったなんて」


「無欲ではねえよ」


 そんなことを言い合いながら道をさらにぶらぶらしたところで休める場所に行こうという意見でやっと一致した。


 というわけで俺たちはまたあのカフェへ入ったのだった。

 俺はまたしてもコーヒーを、神原もまたしてもキャラメルマキアートなるものに加えてアップルパイを注文した。……おいおい、甘すぎて口の中おかしくなるだろそれ。

 そんな否定的な目線を送っていると神原はハッと気づいたように手を前に出してチョコチョコ振った。


「あ、甘い物は別腹ですから……」


「そっちじゃない」


 ふむ、俺の視線はどんだけ食べるんだよお前、というふうに受け取られたようだ。

 はあ、とため息を吐き出して頬杖をつき、神原を眺めた。

 見ることができる時点で俺は神原を女として見ていないのだが……それでも綺麗だと思うほどには神原は別格だった。

 いつの間にかセーターを着直していて俺の視線に気づいたのか恥ずかしげにもみあげを耳の後ろにかけるという高等技術をナチュラルにやって見せた。ここにいるのが俺以外ならば瞬殺で恋に落ちていたことだろう。

 まあ、何も俺だって神原のことが嫌いなわけではない。むしろ好きか嫌いかと問われたら好きを選ぶほどだ。

 だが、その『好き』が恋愛に繋がる『好き』ではないというだけだ。


「……あ、なんで私のことを友達と見てしまうのかわかりましたよ!」


 アップルパイを口に含み飲み込んでから神原はいきなりこんなことを言ってきた。


「うん、だから俺が信頼してるからだろ?」


「あ、えと、そんなことを面と向かって言われてしまうと照れくさいです……」


 ……なんだろう、このやりにくさ。

 これがよくある鈍感主人公と想い人の会話なのだろうが、これ気づかないって相当の馬鹿かなんかだろ。……これを言ったら俺が偉そうになるから嫌だけど。


「そ、そうです。友達と思ってしまう理由です!」


 そういって神原がアップルパイの舐め取られたフォークをビシィ、と俺に突きつけてくる。……おい、危ないぞ。フォークの先は人に向けちゃいけないって教わらなかったのか。ちなみに俺は教わってない。


「……で、俺が信頼してるの以外に何かあるのか?」


「それはですね」


 神原は掌を胸に当てて俺の目を見据えた。

 これが答えです、と言わんばかりに。


「……それは、結叶くんが、私を名前呼びしていないことです!!」


 …………。


「……ちょっとトイレ」


 俺は席を立ってトイレへと向かった。

 ……言っておくが、決して照れくさかったから決まりが悪くて席を立つ口実を作った、というわけではないぞ。今日の俺を振り返ってみると、コーヒーを二杯、そして映画館の飲み物と、トイレに行くには申し分ない量と質の水分を摂取している。これは、ただの生理的なトイレだ。

 俺はむしろ今のはイタイ部類に入ると思うぞ。神原を名前で呼ばないからって女として意識していないというのはあまりにも短絡的すぎる。それでは俺が知っている女子全員を女として意識していないということになるぞ。……俺は例外的にそうなのだが。

 ま、ここは面白そうだし乗ってやるか。


 *


 ということで、用を足して神原の向かいの席に帰還後。


「で、なんだっけ、夢望」


「ふぇっ? あ、あれ、結叶くん今なんて……?」


 予想通りの反応でなんだかホッとする。

 そしてそれは俺の嗜虐心をくすぐった。


「どうしたんだ、夢望?」


「き、聞き間違いじゃなかった……? ってことは、まさか結叶くんついに……」


「……なんて、こう呼んだりしても全然認識変わったりしないけどな。やっぱ神原の方が言いやすいじゃん」


 俺が笑うと神原はプクー、とみるみるうちに頬を膨らませていった。なんだか小さい子、そうだな、結梨を相手にしてる感じだ。


「む。結叶くん、そういうところがあるから信用なりません……」


「ごめんごめん、唐突にからかいたくなってな。でもこれでわかっただろ、俺がお前を信頼してる限りお前は俺の友達なんだよ」


「そ、それじゃ駄目なんですよ……」


「なんでそこまでこだわるんだ?」


 今日、俺が神原を友達として見てると言った瞬間から、神原は色々と積極的に仕掛けてきている。

 映画の時のあれといい、色っぽいものが多かったが。まあ向こうもこういう経験が乏しいのだし、しょうがないことではあるが……ん?

 何か引っかかるものを感じて俺は記憶を探る。


「そ、それはですね」


 そうだ、篠崎と二人きりで会った時。

 あいつはたしか、


「こ、こんなこと言うのも恥ずかしいんですけど……」


 神原が、と言っていなかったか?

 あの時は、全く何も思わずに聞き流していたが……。


「本当の恋、というものを経験したくて……」


「……ふーん。それはどういう?」


「じ、実は私、中学の時に付き合ったことがありまして……」


 ……なんだか、神原の口から改めてそれを聞くと、こう、胸の奥がキュッとなって苦しくて気持ちが悪くなる。

 なんなのだろう、この気持ちは。


「その人とは結局別れちゃったんですけど。その原因は私でですね、彼が私を思ってくれるのは嬉しくてその気持ちが大きいことも理解できてたんですけど、私から言わせてもらうとそれは恋愛とは『少し違う』と思ってしまって……」


 なるほど。その『少し違う』が引き金になって別れたとはそういうことか。

 そして、その別れ話を聞くと俺の心はいくらかスッとした。……こんな人の不幸を喜ぶほど性悪なのは元からだから仕方ない。


「そこから、私たちは別れたわけなのですが……。あ、結叶くんにこんな話しても仕方ありませんよね」


「いや、いいよ。それが神原が俺の友達認識を変えようとする理由に繋がるんだろ?」


「そうですね。つまりは私が惹かれてしまった結叶くんに私を好きになってもらえば、相思相愛、ウィン・ウィンです。それなら、両想いで本当の恋が経験できるはず……なんて、こんな自己中でエゴなきっかけですいません……」


「いや、別にいいんだけどさ。その心理はよくわかる……気がする。何せ俺は付き合うとかそういうこと今までにしたことなかったもんでな」


「そうだったんですね。傍から見ても顔はイケメンに属すると思うのですが、意外です。……でも、そんな結叶くんの最初の相手になれて嬉しいな、なんて思ってます」


「はぁ、お世辞はよせよ。ただ惨めなだけだ」


「どうしていっつも結叶くんは……」


 聞き分けのない子供を見るような顔をして、神原はまたアップルパイを口に運んだ。……大丈夫か、お口の中お砂糖大洪水になってないか。

 そんな心配げな俺の眼差しに気づいたのか、神原は両手を振って、


「甘い物は別腹ですから」


「それ、さっきもやったぞ」


 そして俺の目線のニュアンスも同じようなものだったぞ。


「しょ、しょうがないですね。食べたいんですね? それならそうと言ってくれればよかったのに。なんなら、あーんしてあげても……」


「だから食べたいわけじゃねえよ。そもそも俺は甘い物好きじゃないし」


「あ、たしかに。ポップコーンも塩味と譲りませんでしたし……。ではお待ちかねのあーんタイムは?」


「そんなものは存在しない」


 神原の場合、無理やりやりかねないのでしっかりと丁重にお断りしておく。

 ちぇ、と唇を尖らせる神原を見て、ここはひとつ言っておかなければならないな、と決心する。


「神原。そうやって必死にアプローチしても、俺の気持ちが瞬間的に変わることはない。これだけは保証してやる。だから無理はしなくていい」


「でも、ということは、結叶くんは私のことを恋人だとか彼女だとか思わないままで……」


 尻すぼみに声が小さくなり、神原は俯いてしまう。

 その様を見て少し心を痛めつつも、すぐに俺はフォローを開始した。

 これが、おそらく今の段階での最適解だ。


「だけど、一生俺が心変わりすることがないとは言いきれない。ある日、ほんの気まぐれで神原が恋愛対象にランクアップするかもしれないんだ」


「そう、なんでしょうか」


「そうだ。神原だって、あまりにも唐突に告白してきたじゃないか。あれだって、たまたま、その日告白したくなったからしたんだろ? それと同じだ。ランクアップする可能性は十分にある。だから」


 そうして俺はその最適解を提示したのだ。


「今はまだ、俺は神原のことは友達だと思ってる。逆に神原は俺のことを彼氏だと思ってる。じゃあ、いっそそのまんまでいいんじゃないか? この先一緒にいたら俺が神原を彼女として見始めるかもしれないし、逆に神原が俺を友人として見始めるかもしれない。強引にじゃなく、自然にことを進めるためには、今のこの関係はこのまま続けていった方がいいと思うんだよ」


 どちらにも属さない、中立案。

 いい言い方をすればそれはどちらも傷つかないやり方で、悪い言い方をするとすれば中途半端だ。

 だが、俺はこれを悪いことだとは到底思えなかった。だって、いかにも高校生らしいやり方じゃないか。

 これこそ等身大でいいというものだ。無理やりに俺の高校生活をドロドロさせたり酸っぱくしたり苦くする必要はないだろう。

 これには神原も納得してくれたようだ。

 キャラメルマキアートという砂糖の飲み物を口に含みながら、


「たしかに。今日は急ぎすぎましたね。そして結叶くんの心は変わらなかった。これは、じっくりと仲を深めていくしか方法はないでしょう」


「……神原は頭がよくて助かるよ」


 本当に物わかりがいい。

 これはあまりにも対極な存在であるがゆえの相互理解だろう。

 俺は苦い琥珀色の液体を飲み、ふと気になって窺ってみると、神原は少し、寂しそうに笑っていた。


 *


「もうそろそろお開きにしましょうか」


 カフェの会計を済ませるとあたりはもう日が落ちて暗がりのヴェールに包まれてきていた。たしかに、解散するにはちょうどいい頃合である。


「そうだな。今日は楽しかったよ」


「私もです。そこで提案なんですが、明日も遊びませんか?」


 家では暇を持て余している俺にとっては願ってもない誘いだった。


「そりゃもちろん」


「よかったです。じゃあ詳しいことは後で連絡します」


 駅前広場のベンチで俺たちは話していた。

 春の温かみのある風が心地よい。

 広場の中央にある噴水は、休日のイベントなのか、色んな色のライトで照らされて、その取り留めのない形のシルエットを映し出していた。

 俺はスマホを開いて改めて時刻が七時前になっていることを確認し、神原に向き直った。


「じゃ、もう帰るとするか。神原の家って結構反対方面だったよな。送っていった方がいいか?」


「……いいえ。大丈夫です」


 そう断る神原の目は俺を捕らえて離さなかった。その滑らかな顔はどこか火照っている気もする。


「そうか? ならいいんだが」


「はい。ですから……」


 ゴーン……。と鐘の音が鳴った。おそらく七時ちょうどのチャイムなのだろう。

 そして俺は目を見開いていた。


 神原が、顔をこれまでにないほど近づけてきて……俺の唇を奪ったのだ。


 わけのわからないまま、ただその口にプルプルとした感覚を感じたままでいると、鐘が鳴り終える頃には、その感触は離れていった。


「……え、と?」


「……さ、さようならっ」


 俺が困惑しているあいだに、神原はすっくと立ち上がり走っていってしまった。

 しばらくボーッとしていると、スマホのバイブレーションで我を取り戻した。メールで母親から早く帰宅するようにとの旨だった。

 そうして俺は今の出来事のことを考える猶予を得た。

 ……えーっと、つまり、今のはキスってことなのか?

 友達なんだからアリ……なわけはないよな。神原のエスカレートだ。

 だが、今回は酔った勢いだとかそういうのではなく、神原自身が選んだことなのだと思われる。

 そして止めなかった俺も俺で嫌だとは思ってなかったわけで……。


 不思議と、さっきと変わらない噴水がキラキラのフィルターを通したように綺麗に思えた。

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