>>11 人の価値は……。
「えへへ、やっと結叶くんとデートできるんですね」
「……そうだな」
最近はよく行く駅前で俺たちは会っていた。
俺は長ズボンに長袖シャツを少しまくった無難な出で立ちだ。
そして神原は、太ももまであるソックスに短パン、シャツの上からぶかぶかのセーターを羽織っているまさに女子スタイルだった。余裕のあるセーターの袖から見える指先は、そんじょそこらの狙ってやっている萌え袖風情とは格が違った。
両者(もちろん俺を含む)、昨日あんなことがあったとは思えないテンションである。
きっと、故意的にそれを避けているのだろう。
少なくとも俺がそうなのだから。
「じゃあ、行きますか?」
「そうだな」
先ほどと同じセリフで俺の会話バラエティザッコwと自嘲しながら、俺は先に歩き始めた神原のあとをついていく。背中の肩につきそうなくらいの長さの黒髪は、あの時感じた印象と全く同じだった。
綺麗だ、なんて稚拙なことを考えながら。
俺は、つい昨日のことを思い出していた。
*
……俺は、もはやその場で硬直する他なかった。
神原が泣いている。
これは、相当の緊急事態だった。前に家に行った時も泣きはしていたが、それはここまでではなかったし、酔っていたという原因によるところも大きい。
「ど、どうしたんだよいきなり」
だから俺はまず最初に神原がいったどうすればいいという言葉の意味の真意をはかるところから始めた。
「私、さっき呼び出されて。それで結叶くんには待っててもらってたんですけど……」
ヒック、という嗚咽とともにそんなことが語られた。
「……誰に?」
「……よく知らない男子です」
これに俺はビクリとした。なんだよ、それじゃあまるで告白されたみたいじゃ――。
それと同時に、俺の脳裏には今日の朝絡んできたやつらのことが思い浮かんでいた。
「いきなり、恋人になることを迫られて……。もちろん、私は断ったんですが、その後……」
不測の事態が起きたということだ。断った、というのは俺には信じがたかったが。
おおかた、迫ってきた相手が神原に合わないウェイ系だったのだろう。それ以外はありえない。
「なんで、結叶くんと付き合ってるのかって言われて。あんなやつと付き合うより他のやつの方がいい、もっとマシな人間を選べ、あんな根暗なんかといても楽しくないって……」
……俺の言われよう酷いな。まあ俺から言わせてもらっても同じ意見は出るぞ。そしてそれは今まで俺自身が考えてきたことだ。そう、俺以外に、むしろ俺じゃない方がいいことが多くあるに決まっている。
それは俺が自分の弱さや立ち位置を自覚しているがゆえの意見だし、それが間違っているとは思わない。今日、叶人はそれでもいいと言ってくれたが、それは少数派で物好きな連中だろう。
神原がこんなことを言うのも、人を貶されたことからくる正義感からのものだろう。
だから、俺は大丈夫だと言ってやろう。
たとえそれが神原を手放すことになったとしても。
「その通りだよ。神原、俺も前から思っていたが、お前の相手は俺じゃなくてもいいんだ。俺はこの通り、救いようのないやつだ。お前に釣り合うのは俺なんかじゃない、もっとふさわしいやつなんてそこらへんに――」
「違います! 結叶くんじゃなきゃ駄目なんです!!」
そんな俺の自分を落とす物言いに割り込むように神原が叫ぶ。その甲高い声に、俺はまた硬直してしまった。
「私はそんなふうに適当なことを考えてるんじゃありません。なんで私が結叶くんに告白したんだと思ってるんですか? 好きだからに決まってるでしょう! なのにそんないい加減なこと、言わないでくださいよ!!」
この時、俺は神原がなぜ泣いているのか、わかってしまった気がした。
信じられない、ありえない、おかしい理由が。
神原は、こんな俺が粗末にされていることが許せなくて、憤慨して、行き場のない怒りをなにかにぶつけるために泣いているのではないか。
……本当に、筋違いだと思う。そんなことをされたところで俺が惨めになるだけだ。
そしてそうやって俺が神原に想われていると思ってしまう俺自身にも、嫌気がさしていた。
「どうだかな、そんなのは所詮一時的なものだ。恋愛感情なんてものは日に日にコロコロ変わっていくものなんだよ。明日には神原が俺のことをどう思ってるかもわからない。全く興味がなくなっているかもしれないし、突然嫌悪を覚えるかもしれない。そんなあやふやな気持ちのために俺を擁護するのはやめとけよ。お前にとってそれは損でしかない」
さらに、こうして神原を突き放そうとしている俺自身にも。
……本当に、俺という人間は矛盾だらけだ。何が本物で何が偽物かなんてわかりゃしない。ただあるのは全て後ろ向きなネガティブ思考だけ。
俺は、そんな人間だ。救いようのない。
今のセリフだって、聞いた神原は俺に猛烈な嫌悪を感じずにはいられないだろう。ハッ、どうせ俺の青春なんてこんなもんだ。そもそも付き合うという事実が作れただけ幸運だったのだ。
俺はそう自分を納得させ、次に続く神原の苦言を待った。
なのに。
それなのに。
神原は、涙を拭って。
その顔に、微笑みまでたたえて。
「それでも、私は結叶くんと一緒にいられることを楽しいと思い続けると思います。決してそれがブレることはありません。だって、私は結叶くんという男の子に、唯一無二の存在に惹かれたのですから。これに代わりとか、もっといい人がいるなんてことはありえません、と断言します」
その内容を吟味する前にまず耳を疑った。言葉を受け取る前にそうすることは、俺の澱んだ部分がそれを認めたくなかったからだ。
もし、それを認めてしまったら、俺の今まで歩いてきた人生が否定されてしまう気がしたから。
いいや、そんな大層なことではない。
俺は、怖いのだ。今まで誰にも認められず繋がりを持たず一人で進んできたことを、たった一人の、この一言で認められてしまって。
不幸が続きまくっていたら幸福な時にでもここから不幸が来るのだと心配してしまうように。俺は認めたくないと頑なになっているのだ。
それは、俺という人間のエゴイズムであると同時に、それが瓦解してしまったらもう、拠り所がなくなってしまうかもしれない、という不安の表れだった。
「なんで、そんなことが言えるんだよ。俺のことなんて何もわかっていないくせに! お前みたいになあ、俺は寛容になれないし優しくもなれない。救いようのないやつなんだよ! 俺という人間は唯一無二かもしれないが、性質が同じ人間なんて世の中いくらでもいるんだよ!!」
我ながら、醜い部分をさらけ出してしまっていると思った。だが、もう吐き出してしまったことは崩れたダムのように溢れ出てくる。
「そもそも、俺みたいなやつが告白されたところからおかしかったんだ。大して会話もしてなかったやつから! あそこから狂っていった。安穏な俺の生活が、だんだんひび割れていく陶器のようにな……っ!」
そうだ、考えてみれば、あんなことさえなければ俺は今でも一人きりながらも静かにひっそりと過ごしていくことができた。篠崎と知り合うことも、ましてや先輩の深夢とも知り合うことはなかっただろう。休日が休まない日になることも。
全ては神原から始まっている。それなら、俺と神原が離れれば、全ては元通りになるのではないか……?
「そうだ、神原、別れよう。この付き合いはお前にとってもマイナスなはずだ。よく考えてみろ、それならお前も納得できるはずだ。だから神原、もう――」
言い切ることはできなかった。
それは、俺の心が少しでも神原を手離したくないと思ったから、ということに限らない。
神原が、俺の方へ歩いてきたかと思うと、ギュッと抱きしめてきたのだ。まるで、逃がさない、とでも言うように。
「……そんな哀しいこと言わないでください。結叶くんの自分に対するその評価は、誰がしてるんですか? 人の価値を決める神様でもいるんですか?」
「…………」
そう問われると、返事に困った。たしかに、俺が自身にくだしているよくいるひねくれ根暗という評価は、見る人が見れば、主観的なのかもしれない。そもそも客観的に物事を見るということ自体ほとんど不可能なのだ。
だが。
「それじゃあ誰も評価をくだせないじゃないか。そしたらいつの間にか形作られるヒエラルキーはどう説明する。結局、物事を判断する神様がいなければ多数決なんだよ」
「だから、それこそが哀しいと言っているんです」
不意に、神原の俺にかける力が強くなった気がした。俺はその柔肌を直に感じつつ次の言葉を待つ。
「結叶くんの言ったことは正しいです。結局、人間を判断するのは人間しかいないんですから。でも、でもです、結叶くん。そんな他人の判断に左右されてしまっていいのでしょうか。私は私、と胸を張っていればいいじゃないですか。それさえできればもう怖いものはないと思います」
「でもな神原。結局、人間っていうのは大人数の判断で決まってしまう。その中で生きていくには自分の立ち位置を確立しなければいけないんだ」
そうして、弱者の道へ進んだ俺の言葉はもはや弱い俺の叫びのようにも聞こえた。
ここに至ってもまだ俺は認めようとはしなかった。それは子供のわがままさながらであったし、カッコ悪いとも思っていた。だが、俺はもうキッチリ納得しなければ動かなくなってしまっている。そんな精神論にはいそうですかと頷くほどに俺は純粋ではなかった。
だが、あまりにも簡単に次の瞬間には俺の意固地は崩れ果てる。
「……でも、結叶くんは自分を下げてそれに満足しているのではないのですか? その立ち位置に、溺れているのではないですか?」
有り体にいうと、ズバリ図星だった。
たしかに、俺は弱者だと決めつけ、他者を隔てる壁を作り、一人で寂しく、孤独に、孤高に生きてきた。
だが。
それがなぜ俺の意思によらないものだと言える?
俺が進んでそちらへ流されていった、と考えることもできるというのに。
俺の認識が大きく傾いていく気がした。
「じゃあ、俺は、いったい……」
なんのために、孤独で今まで歩いてきたのだ?
俺だって、何度気楽に付き合える友達が欲しいと思ったか。何度彼女が欲しいと思ったか。灰色ではなく青い青春を幾度となく駆け抜けていきたいと思ったことか。
積み上げてきたトランプタワーをそよ風が全壊していった時のように、俺の中で巨大な脱力感や虚無感が押し寄せる。
俺の人生は無駄だった。
なんて、言ってこの屋上から飛び降りてやりたい。発狂しながら駆け回りたい。
その衝動が脳から全身に行き渡るが、俺はそんなことはしなかった。
まず第一に、神原に半ば拘束状態だからだ。
そんなことしても無駄だってわかってるしな。
不意に、神原が腕を解き、その手を俺の頬に当てて固定する。
それが、唯一神原夢望を直視できた瞬間だった。
「でも、心配なんてしなくていいんです。上手くいかなかったなら、やり直せばいい。私と一緒に、変わっていきましょう?」
それは、天使のような顔だった。声だった。
見たもの、聞いたものを浄化してしまうほどには。
それは、俺の後ろ向きな考えを吹き飛ばしてくれた。
すると、神原はすぐに顔をそらしてもじもじしながら言う。
「わ、私も、意外と周囲からの評価にコンプレックスを抱えていたりするんですよ?」
「そうかよ。俺にはわかりかねるけど、完璧すぎるのは完璧すぎるなりに大変なんだろうってことは想像つく。俺が下から見上げることしかできないやつだとすると、お前は上から見下ろすことしかできないやつなんだからな。真逆とはいえ、孤独の辛さはよくわかる」
もう、反論の言葉など出てくるはずもない。
こいつもこいつで高嶺すぎる孤独を持っていたのだろう。
孤独と孤独。いいじゃないか。……まあ、正確にはどちらも一人は味方がいたわけだけど。いや、きょうだいを合わせたら二人か。
ともかくも、ここに来てやっと、俺と神原はお互いの気持ちが理解できたような気がした。
そう、俺じゃなくてもいい、ではなく、俺でなくては駄目なのだ。
そう自信を持つと、俺はいったん神原から距離を取り、手を差し出した。
それに応じる、よりかは同時に神原も手を出してくる。
こうして、固い握手を交わし、俺たちは今ここに固い友情ができたのだと実感する。
……あれ、友情?
「そういえば、いつの間にか私の顔見れてますね」
「あ、ああ……」
それに改めて気づくと、俺は反射的に顔を逸らしてしまった。さっきのはショック療法のようなもので、俺が異性の顔を見られるようになるのはまだまだ先のことらしい。
それにしても……友情って、なんで俺は神原に対してそんな感情を抱いたのだろうか。
神原は俺の彼女……なのに?
*
……という、経緯があって帰り道に翌日遊ぶ約束をして、今に至るわけだ。
ちなみに、今回も神原からの提案である。
『とは言いましたが、実は明日からお休みなんですよね……。ということで、明日からは自分を変えていくのではなく、私たちの男女の仲を深めることに専念しましょう!』
……だそうだ。
それにしてもちゃっかりしている彼女である。
そして、昨日神原に対して感じた違和感は、未だ言わずじまいである。というか、言ってなんとかなる問題ではない気がする。
……昨日の大討論や、ぶっちゃけた話、神原の泣き顔などは、今日は一切触れないようにしよう。
俺は神原の後ろ髪を眺めながら、そう決心したのだった。
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