>>10 波乱を孕んだ出来事の予感

 今日は朝から厄日だった。

 まず、知らん男子どもが二、三名で席に座ってスマホをいじっていた俺を取り囲んだ。


「なあ、お前ってあの神原と付き合ってんのか?」


 いや、むしろ今までこういうシチュエーションがなかった方が異常だったのか。まあ、あの日のクラスは好奇の目線をずっと浴びせてたもんな。逆に言えばそれだけで、誰も俺らに話しかけることはしなかった。

 それが、今になってのトピックに上がってきたのだろう。そして学校という社会での弱者の俺は臆することなくそういうことを聞ける格好の的だと。

 ふざけんな、くそ。


「知らねえよ。こっちだってまだ把握してない」


「嘘つけ。じゃああの時お前らがベタベタしてたのはなんだったんだ?」


「あれは神原が勝手にやっただけだ」


「はあ? 何の理由もなしにあの神原があんなことするかっての」


 ああ、これ埒が明かないやつだ。


「じゃあ、お前らの思う通りに俺と神原が付き合ってるってことで勝手に納得しとけよ」


 もう面倒なので、俺は喧嘩腰になって言い放った。


「……そうかよ。おおかた、お前みたいなのが可哀想でほっとけないんだろうよ」


「ああそうだな、わかったから早く消えてくれ」


「……なんでこんなやつと付き合ってるんだよ。絶対俺の方がいいに決まってるのに」


「ハハ、いっそ告白してみたらどうだ?」


「そりゃいいな、横から奪うってか」


 ……こいつら蹴飛ばしてやろうかな、と思ったところで、不機嫌そうな声が前から聞こえた。


「……そこ、私の席なんだけど?」


 紛れもなく篠崎だった。

 俺を取り囲んでいた男どもは何かに怯えるようにささっと逃げるように去っていった。……篠崎ってこの学校でどういう存在なのだろう。裏番長的存在って言われても俺は信じられる自信があるぞ。

 とにかく。


「サンキュ、助かった」


「別に、助けたわけじゃないわ。邪魔だっただけ」


 俺の感謝に無愛想な答えを返すと篠崎は前の席で突っ伏して寝てしまった。……今のセリフはツンデレ的な要素が含まれているような気がしたが、あれはただの素でそういう属性的な意味合いは富士山が噴火するくらい可能性は低いだろう。

 はあ。なんで世の中にはああいう輩が存在するのだろうか。羨ましいなら俺みたいに心に留めておくまでにしろよ。絡んでくるのはめんどくさい。

 ……だが、俺はさっきのあいつらがあれで終わるとはとうてい思えなかった。



「おはよ、愛華、結叶くん」


 しばらく一人の時間を満喫していると神原が教室に入ってきた。反射的に見た(あとすぐ逸らした)限り、顔色はすこぶる快調に見えた。

 机に伏せている篠崎は反応しなかったが、俺は一応手を挙げて返す。……言っておくが、ひねくれているからって無視することはないぞ。普通の礼儀くらいは備わっている。


「結叶くん……あんま変わってませんね?」


「何が?」


「いや、ほら、あのですね……」


 神原はチョンチョンと指と指を触れさせている。


「まだ顔は見れないんだなって。休日は毎日女の子といたでしょ? だから少しは改善されたのかなーなんて……」


 毎日女の子と、というフレーズにビクリとする。

 おい、それは会話の声で言うにはちょっと内容がおかしいぞ……。

 案の定、神原の声が聞こえていたらしい人からの視線が尖ってきた。


「別に、会ったからって顔が見れるようになるなんてことはないだろ」


「……ふーん。それはいいことを聞きました」


「何やろうとしてんのよ夢望」


 と、いつの間にか起きていた篠崎が口を挟んだ。


「わっ、起きてた」


「最近、寝不足なのよ……。どうも気になることがあって」


 気になることとは、俺と神原二人のことを言っている気がした。


「もう、寝なきゃダメだよ?」


 ナデナデと神原が篠崎の頭を撫でる。こういう目の保養になる展開は大歓迎だ。


「うにゃー……」


 なんて手なずけられた猫のような声を出して篠崎は再び眠りについた。……きっと、こんなことを言ったら即座に殺られるだろうが。


「と、いうわけで。結叶くん、何か変わりました?」


 俺の心臓がグワシと掴まれた気がした。


「……まあ、変わったかと言われればそうだろうな」


「やっぱり……」


 神原はそれっきり黙り込んでしまった。

 そしてまもなく朝のチャイムが鳴り、神原はそれにつられるように席へと向かっていった。

 ……俺はこの時、胸糞の悪さと胸騒ぎ、そして一抹の不安を抱えていた。


 *


 昼食は、いつもより味が感じられない気がした。

 今日は、エクストラメンバーはおらず、いつも通り叶人と二人だ。昨日の雨の影響で地面が汚れていたので、場所は屋根のある出入り口付近だ。


「あのさ」


 俺はふと気になって聞いた。


「その、大丈夫なのか、俺なんかと一緒にいて。クラスや部活の連中と一緒にいた方が楽しいんじゃないか……?」


 言っていて悲しくなったが、そんなことは言ってられない。俺が篠崎に言ったあれは、もちろん叶人にも通じることなのだから。むしろ今まで幼馴染だからという理由で付き合ってもらっていたのは、世話焼きの叶人のボランティアの精神からくるものなのではないか。そう思ってしまうほどには俺の心は澱んでいた。


「……うーん、そうだなー……」


 叶人は一生懸命考えている素振りを見せた。

 そしてひとつ頷いて確信こもった顔と声で言うのだ。


「俺は結叶といた方が楽しい気がするけどなあ」


 飾り気のないその言葉は、少なくとも俺の心を揺さぶるには十分だった。


「……なんでだ?」


 だって、普通に、客観的に考えて、それはありえないことだろう。

 リア充寄りの人間が、同じリア充属性のやつと一緒ではなく、ひねくれた根暗なやつといた方が楽しい? そんなことがあるか。いや、あるわけがない。そんな二重否定をしてしまうほどには、このセリフはおかしかった。


「考えてみたんだけど、やっぱり俺は結叶といた方がいいんだよ。なんつーか、気を使わなくていいっていうか」


 ああ、でもこれで納得だ。たしかに、リア充属性を相手取るには多少というか多くの気を使わねばなるまい。そう、結局俺である必要はないのだ。気を使わなくていいような友人なら誰でも。


「……ふーん。そういうことか。俺はそういう認識なんだな」


「そうだよ。結叶は俺にとって唯一と言っていいほどの気の置けない親友だ。だからこれからもよろしく頼むな」


 俺の自虐的なセリフをどう勘違いしたのか、叶人はニカッ、と笑って背中を叩いてくる。突然だったので俺はむせた。


「うおっ、大丈夫か。ごめんそこまで強くやったつもりはなかったんだけど……」


「ゲホッ、お前の弱めは強いんだよ……」


 水を飲んで落ち着かせると、俺は叶人にぶっちゃけたことを聞いてみた。


「でさ、正直神原もそういう理由で俺に近づいて来たんだと思うか?」


 篠崎の言った、俺の孤高オーラに惹き寄せられたという説。

 そして深夢の神原も孤高の存在だという事実。

 最後に今の叶人の気を使わないでいいという俺に対する認識。

 これを合わせて考えれば、やはり俺でなくてもいいように思えてならない。


「……うーん、神原はなんか少し違う気がするんだよな。なんというかさ、ほら傍から見てる俺が見てて思ったんだけど、結叶といる時、本当に幸せそうな顔してたんだよね、神原は」


「そうなのか?」


「あ、そっか。結叶は見れないんだったな。すごいよ、神原のうっとり顔」


「うっとり顔……俺はあまり好きじゃないな」


「それだけじゃない。色々とコロコロ変わるんだぞあいつ。せめて結叶が見れれば……そうだ、ちっちゃい頃からの馴染みの俺の顔は見れるんだから時間が経てば見えるんじゃないか?」


「さて、どうだかな。異性の顔を直視することはずっとできないかもしれん」


 とはいえ、ひょっこり入ってきた時の神原の断面的な顔が組み合わさって神原という人間の顔はある程度把握できている。直視するのはわからんが、顔をチラチラと見て大体は認識できることは確かだ。


「そうかな。俺以外に女の幼馴染がいたら絶対見られると思うんだけど」


「そりゃそうだろ。小さい頃からだし、長い付き合いしてるんだから」


「じゃあ時間かければ神原の顔も」


「おい、それは俺に何十年もかけろと言ってるようなものだぞ」


 しかも、物心ついているから、慣れるまでにはさらに時間がかかるだろう。


「うーん、結叶ならそんなに時間かけずにできると思うけどなあ」


 頭をかいてそんなことを言っているが、叶人、お前のコミュ力を俺に照らし合わせるな。いや、女子と会話できているあたりコミュ力はあると思うのだが、それを俺が顔を見れることに直結させないでほしい。これはもはや病気のようなものだからな。


「……ま、俺は俺のスピードで行くよ」


「うん、頑張れ。まあ結叶は心配しなくても大丈夫だろうけど」


 ……叶人、俺にそういう過度の期待は禁物だぞ。


 *


 そして放課後。

 さて今日も帰るかと思い立ったところで神原が話しかけてきた。


「あ、帰るの少し待っててくれませんか?」


 ……昨日ソロ帰宅だったから、そもそも一緒に帰ること自体忘れていたことは内緒である。


「ああ。図書室にでも行ってる」


 もちろんそんなことを悟られぬように俺はそっけなく答えた。

 なんだか今日は微妙な距離を取られていたような気もしたが、俺が思っているより状況は悪くないのかもしれない。

 じゃ、あとで、と俺は神原と別れ図書室で暇をつぶすことにした。



 図書室には安定してそこにいることが普通というような感じで深夢が座って本を読んでいた。


「あ、倉永くんじゃん」

「おっす」


 チラと視線を上げて挨拶されたのでこちらも返事を返す。

 そのまま離れた場所に座るのも失礼な気がして、俺は深夢の向かいに腰を下ろした。

 とはいえ話すネタがあるわけではない。俺は黙って図書室に来たら毎回するように、カバンの中のライトノベルを広げた。


「……君、いつもそういうの読んでるね?」


 ちょうど挿し絵のページを開いていた時にそのページを覗き込むようにして深夢が聞いてきた。


「そりゃあ好きですから」


「ふーん。なんか若干エッチな描写だけど真顔なんだね」


 と言いつつ、深夢は手でそのイラストを隠す。……おい、見えんぞ。まさかこいつ、表面上はお姉さんだけど実際結構ウブだったりするのか?

 そして、そういう弱そうなところを見ると人は突きたくなるものだ。


「? なんで真顔じゃ駄目なんです? 俺は二次元を楽しむことはあっても分別はつけているつもりです」


 なんてことを言ってのけた。実際には『絵上手すぎサイコー!』と歓喜しているのだが、長年鍛えてきたいつでも真顔キープ力のおかげで外には悟られないような真顔なのだ。


「ああ、そう……。ごめん、私、君のこと勘違いしてたかも」


「どういう勘違いを……。まさかこういうので興奮しちゃう変態じみたやつだとでも? 勉強が足りてないようなので言っておきますがこういうの読んでるのは普通の人たちなんです。世間のいうオタクはごく稀に存在しますがそれはほんの一握りです」


「あ、え、そうだったの……?」


「偏見はやめたほうがいいですね。……そして俺はそのほんの一握りの中の一人ですが」


「ええ!! てっきり自分が言われたのが嫌だったから講釈始めたのかとと思ったよ!?」


 そのツッコミにも真顔をキープして、内心ほくそ笑んでいたのだが、そこで俺のスマホがバイブレーションで通知を知らせた。


『迎えに来てください。屋上です』


 なんだ、あくまで迎えに来させるのか。俺は図書室にいるから終わったら来いっていうニュアンスで言ったんだけどな。

 まあ、いっか。

 屋上、という下駄箱からほど遠い場所にいるということが気にかかったが、さして気にならなかった。

 神原が思ったよりいつも通りで安心しているのかもしれない。

 俺は開いていたライトノベルをしまい、深夢に一言挨拶をして図書室を出た。


 そういえば明日からまたゴールデンウィークなんだなあ、と屋上へ向かう途中、俺はとりとめのないことを考えていた。

 ゴールデンウィークとは、運が悪いと連休中に数日学校が挟まれることがあるので、有給とかない学生にとっては結構憂鬱になるものである。……まあ、そんなことを言っているが俺にとって休日とかあまり関係ないから別にどうでもいいことなのだが。

 ふむ、明日から四連休だと考えるととっても暇だ。

 やることなさすぎて退屈死できるくらいには暇だ。

 ……しょうがない、結梨と遊ぶか。

 そんな妹をひまつぶしの道具のように扱ったのが、神様の癇に障ったのかもしれない。

 屋上へ到着して扉を開くとすぐそこに神原はいた。


 のだが。

 神原には雨が降っていた。雫がつつつ、と頬や顎を滑っていく。


 つまり、泣いていた。


 俺がその時神原の顔を見れないにも関わらず凝視してしまったのは、その異常な光景が信じられなかったからだろう。本当だと信じたくないから、目を逸らしたくない、俺が間違っているのだと自分に言い聞かせているのだ。


「……結叶くん」


 嗚咽混じりの声で神原は言う。


「どうすれば、いいんですか?」

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