第9話「下着泥棒を追い詰めます」
落ち着け、落ち着かなければ……
予想外に、ベッドの上に対象がいたことで、反射的に僕の体はびくっとなった。
落ち着けと、僕は自分に言い聞かせる、これ以上驚いたようなそぶりも見せてはならない。こっちが透明人間に気づいてるというようなことを悟らされた瞬間、相手にはアクションを起こされるだろう。
ダイニングと寝室の間は引き戸であった。そして、僕がそれを開けた瞬間、オレンジ色の粒でかたどられた人影は、ぴくっと上半身を反応させて、ゆっくり体を起こした。どうもこちらを見ているようだが、もちろん僕には細かくはわからない。
僕は気づかないふりをして、部屋を見渡すというアクションを起こす。我ながら大根役者ぷりがやばい気はするが。
見渡しながら横目でベッドの上を確認すると、オレンジの影は、足をベッドから降ろして、立ち上がろうとしている。こちらが気づいていないうちに、逃げ出そうということであろう。
(逃がすわけにはいかない)
僕はわき目で、その影をとらえて、視界から離さなかった。
そして、オレンジの影は、ベッドから降りて完全に立ち上がった。
ベシッ、ベシッ、ぺシャアァ!
その瞬間に僕はそいつの足元に、左手に忍ばせていた銃を撃ち放った。もちろん本物の銃弾を撃ったわけではない。
『AAR(空気接触式硬化樹脂)』である。
打ち込んだ銃弾が何かに当って破裂すると、封入されていた液体が膨張し、空気と反応して固まるという、これまたソラが開発した新しいギアである。
僕は透明な敵の足元にそれを二発撃ちこんだ。狙いが正確である必要はなく、足元にはしっかりと、オレンジ色の粘土のような物体がへばりつき、敵の足と地面とを固定させていた。
「……な、なぜ?」
何もないはずの空間から、低い男の声が聞こえた。声の正体はもちろん透明な下着泥棒である。やはり、僕が存在に気づいていたことは意外だったようだ。
僕はさらに、足元に向かって、AARを打ち込んだ。十分固めてはあるが、念いには念を入れるのが僕の主義だ。
オレンジ色の樹脂は、サッカーボール6個分くらいの大きさとなった。
ここまで固めてしまうとあとから引っぺがすのが大変だけど、まあそこは金の力で何とかしよう。最悪、床ごと張り替えればいいだろう。
……どう考えても今回の仕事、赤字だな。そもそも僕は赤字にならない仕事をしたことがあっただろうか。
まあ今はそんなことより目の前の透明人間である。力任せに光学迷彩を引っぺがしたいのはやまやまだが、敵の両手が自由である以上、うかつに近づいて何をされるかわかったものじゃない。
僕は、さらに敵の手のあたりに狙いを定めてAARを打ち込んだ。
4発撃って、2発を外し、外れた二発のAARはレイナさんの部屋の壁にオレンジ色の前衛的なオブジェを作ってしまった……。手という小さな的に当てるのは難しいな。床だけじゃなくて、壁の張替えも必要なようである、やはり今回の仕事は赤字だ。
僕は、オレンジの樹脂まみれになった透明人間に近づく。
「おとなしくしてくれよ」
そういって、透明人間の顔あたりをまさぐって、顔面の光学迷彩をはがした。
「くっ……」
中からはいかにも、冴えなそうな中年のおっさんが顔を出した。髪の毛には白髪が交じり、顔にはややしわが多い、50前後と言ったところか。
「リク、犯人を確認した。今、顔のデータを送るから照会してくれ」
「オーケー、もうこっちでも確認してる」
僕がゴーグル越しに見てる景色は、リクとも共有されてるし、同時に、事務所のメインコンピューターにも送られている。僕は犯人の姿を見るだけでいいのだ。
まったく便利な世の中である。
「さて、犯人さん。色々聞きたいことはあるが、下着を盗んだことに間違いはないね」
僕は、身動きのとれない犯人の顔をまじまじと見つめながら質問する。素直に答えるとも思ってないが。
「……」
犯人は何も答えない。
「答えても答えなくても、どうせすぐに君の情報は分かる、警察に突き出す前にききたいことがやまほどあるんだ」
「……」
「ステルス迷彩はどこで手に入れたんだ?」
ここだけは、聞いておく必要がある。たかが下着泥棒が手に入るようなシロモノじゃないはずなのだ。
「……」
犯人はなにもいわない。
まあ、そりゃあそうだろうなあ。僕に何かを話すメリットがない。違う路線でせめるか。
「女性のオリモノまで盗むとはとんでもない変態だね。……美味しかったかい?」
「──た、たべるわけっ!」
僕のとんでもない質問に対して、男は口をひらいてくれた。
そりゃあそうだ、食べるわけがないだろう、自分の変態性を追求されたら否定するはずと踏んでいた。
そして口を開いてくれたおかげで音声データを取得することが出来た。これは大きい。
そこへ、骨伝導スピーカを通して、リクから声が聞こえる。
「わかったぜ、そいつはレイナさんに対するつきまといとか、行き過ぎたストーカー行為で五年前に逮捕された男だ。名前は
「へえ、
それを、聞いて男はぴくっと、顔面を振るわせた。
「ただ、その男2年前に刑務所から出所したばかりだ。この2年でどうやって、ステルスを手に入れたのか。謎はふかまるばかりだね」
再びリクの声が骨に響いた。
たしかにそうだ。刑務所にいたような人間がポンと手に入るモノじゃないし、しかも下着のためにわざわざ、また犯罪をするとか、行動原理が分からない。
「中抜さん、どうやってその迷彩を手に入れたんだい?簡単に手に入るようななものじゃないはずなんだけど」
「……おまえこそ、レニのなんなんだ?なんでこんなとこにいる?」
きつい目でこちらを見ながら、中抜は逆質問をしてきた。こちらのはなしを聞く気はないらしい。
「……依頼だ。ボディガードを……」といいかけたところで、激しい口調でリクからの声が飛んできた。
「たいへんだ!おじさん。いまその部屋に向かって、オレンジの粒子で出来た影が三人向かっている!恐らくはステルス迷彩をつけた連中だ、中抜の仲間に違いない!」
「なんだって!」
「おじさん、早く逃げて!」
予想外の事態に、僕もリクの声もあせりの色を隠せない。そして中抜がニヤリと笑ったのがみえた。
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