魔術師の矜持

「なんでだよ……。タス、おい。ババア。なんでだよ」


 メイリはただ膝をつくことしかできない。

 タスは最期に言葉を残した。「“闇”についてなにか一つでも言及してはならない」――そういって、命を終えた。闇の中、タスはメイリの目前まで迫っていた。だからよくわかった。タスは死んだ。触れるほどの距離でもなかったが、メイリはたしかにその言葉の意味を理解することができた。

 あとは、タスを信じられるかどうか。それだけだ。

 二年。“夢の果樹”についてその真相を隠しながら、彼女は人々に食糧を分配し、国の秩序を保った。彼女にそうしなければならなかった理由はない。だが、誰かがせねばならなかった。「犠牲者」を選定して分配する。その重責を、彼女が負った。

 メイリにはそれが許せなかった。そんなタスを追い詰めていた、自分自身が。

 メイリは信じた。なにも見えぬ闇の中、幾層にも重なり合う疑念と葛藤が胸を去来するなか、信じることを選んだ。足場が揺らぐような不安と、心臓が自分のものでないかの心許なさで、ただ信じた。

 だからこそ彼女はこうして生きている。“闇”が晴れるまで生き延びることができた。

 しかし。

 メイリには、タスの亡骸を抱くこともできなかった。残されたのは、一本の果樹であったからだ。


「なんで……」


 答えるものなどいない。

 “闇”が晴れて街中は、果樹と死体の数がさらに増えた。昏睡と混乱から目覚めたものたちも、災難が過ぎ去ったという安堵より、ただ呆然としていた。



「……タスはどうした?」


 王城より男が姿を現わす。見覚えのない男だった。

 白髪に白髭の壮年。鋭い眼光と鍛え抜かれた肉体から、彼が歴戦の戦士であることは察し得た。だが、そんなことはどうでもいい。重要なのは、彼が王城から出てきたということだ。


「なんだ、てめえ」

「キズニア・リーホヴィットだ。お前は……タスの仲間か?」

「王城でなにをしてやがった」

「我々は食糧を探していた。王城にまだ残されているであろう食糧を。そして発見することができた」

「へえ。てめえか。てめえらか。このありさまは……」


 メイリは立ち上がり、吼える。


「見ろ! このありさまを! てめえらなにを……てめえら、王城からいったいなにを引きずり出したんだ?!」

「“闇”だ」答えたのは、隣にいた両腕のない女である。「狂王が三年前に暗黒大陸で発見し、“狂国入り”させていた一個のわざわいだ。彼女に対する言及は死を招き、犠牲者の命を吸ってその領域を拡大する」

 あまりに冷静で真っ当な返答に、メイリは呆気とられて言葉を詰まらせた。

「んだと? そこまで知っていて……王城に乗り込んで、それでこのありさまか!?」

「侵入以前は知らなかったことだし、この結果は私も予想していなかった。“闇”に対する有効な対策は“無視する”ことにあった。直接的な殺意も彼女にとっては雄弁なものだ。言葉から隔絶することによって彼女の領域は縮小する。言葉を持つものであれば魔獣さえも低い栄養価ながら糧にはなる。でもだ。そのため、タスが放置していた二年間は王城内に再出現する旧国民を糧に拡大と縮小を繰り返していた。しかし――」

「御託はいいんだよ。もうどうでもいい。そんなことはどうでもいいんだ」

「タスはどうした?」

「……タスなら死んだよ」


 と、メイリは力なく、その果樹を示す。


「そうか」


 キズニアはそう零すだけである。


「キズニア。キズニア・リーホヴィット。ああ、そうか。思い出した。あんた、あの英雄サマか。騎士団長とか、確かそんな。名だたる英雄サマじゃねーか」


 メイリは独り言のように、暗い声でボソボソと呟く。


「なるほどな。あんたは、オレたちを救いに来てくれたってわけだ。ありがてえ。この狂った国を、救いに。おかげで助かったよ。おかげでな……」


 感情のまま皮肉を漏らすうちに、メイリは膝から力が抜けていく。苛立ちもある。悔しさもある。だが、いつまでもそこには留まれない。顔を上げ、目前の果樹に誓う。生き延びたからには、責任がある。


「食糧を手に入れたって?」

「ああ。豆や芋がある。保存状態も悪くない。これで農業を開始できるだろう」

「農業よりマシな方法がある。あの人を頼ってくれ。あー、あの爺さんだ。あの爺さんの魔術が――って、寝てるな……」


 ランドシープ。彼もまた“闇”に飲まれた際に驚きのあまり声をあげ、そのまま昏倒に至っていた。キズニアはこれを介抱し、身を起こす。


「んあ? なんじゃ、夢でも見ておったか? ……おぬしは?」

「キズニア・リーホヴィット。あなたは、ランドシープ氏で間違いないな?」

「おお。キズニアくんか。スターライト会議以来じゃの。おぬしもここに来ておったとは」

「あなたの魔術が食糧問題に役立つと聞いた」

「そうじゃな。とはいえ、“元”が必要にはなる。わしの魔術はこの状況にうってつけではあるんじゃが……なに、“元”がある?」


 彼の魔術には、まず水を貯めるための桶が必要になる。

 その桶に対し、彼の左手首に垂らすようにして水を桶に注いでいく。十分に水が貯まったら、その桶に“元”となる食糧を投入する。そこに彼の血を一滴ほど加えることで魔術は発動の条件を満たす。

 投入した食糧は芋である。一滴の血が桶中の水に染み渡り、もはや赤が見えなくなったころ、芋に変化が訪れる。芋の像がブレて見え、細胞分裂のようにゆっくりと時間をかけ、やがて二つの芋となった。まったく同じ形の芋である。そして、分かれた芋にはさらに同様の変化が生じる。

 これがランドシープの固有魔術〈増食〉だ。すなわち、「食糧」を増やす魔術である。


「“夢の果樹”じゃったか? あれの果実でも試したんじゃが……なんかダメだったわい。わしも食通グルメを自称しておったものじゃが、なんか違うんじゃよ、あれ」

「人肉ならいけたじゃねーか」と、口を挟むのはメイリだ。

「勘弁して欲しいのう。まあ、思ったより悪い味ではなかったがの」


 ランドシープの固有魔術〈増食〉が対象とする「食糧」とは、これまで彼が「似たようなものを食べたことがあるか」という経験によって定義される。そして、「食べたことのある」ものほど増殖は速い。

 人肉については実験のために一度だけ口にしたものであり、一日かけて2%ほどの増加でしかなかった。“夢の果樹”由来の食物もまた同様である。

 その速度は三日目にして大きく低下する。どうやら、増殖速度は「これまで食べてきた経験」を、いわば消費している形らしい。つまり有限なのだ。これまで長年魔術を使いこなしてきたが、はじめてその特性に気づいたとランドシープは語っていた。


「リトウ・リードゥは、あなたの固有魔術については知っていたのか?」

「ん? さあ。知らんかったんじゃないか? ホテルでは使う必要もなかったし、これまでも私用でしか使ったことはないからの。軍は兵站とかでわしの魔術を欲しがったかも知れんが、戦争とかわし嫌いじゃし」

「ホテルの住民を闇雲に“狂国入り”させた結果か」

「ああ、それとわしの魔術は無限ではないらしいから、並行して農業計画も進めといてくれ」


 いくつかの桶にそれぞれ食糧を投入して、順調に〈増食〉は進行しつつあった。



「無駄じゃなかった、ってことでいいんだよな……。あいつらが、死んだのも……」


 弱々しく、絞り出すような声の主はルドックである。

 傭兵である彼は死には慣れてる。仲間の死にもだ。彼はそう思っていた。今回は四人も死んだ。慣れてる。そう思い込んできたが、戦場から離れてすでに六年。慣れだと思っていたのはただ麻痺で、そんな痺れは六年でとうに解れていた。


「いや。あんたを責める気はねえよ、キズニア。俺が乗ったんだ。あんたの話に。俺たちがな」


 そうはいっても、ただ座り込み、沈鬱に顔を伏せる。

 立っているのはキズニアだけである。

 彼は広場まで歩み出た。そして、悲惨な光景を目にする。

 嵐が過ぎ去ったあとのようだ。倒れたもの。果樹となったもの。生き残ったものたちも嘆き、悲しみ、嗚咽し、立ち上がることすらままならない。

 犠牲者は四十四名。これを「大惨事」と呼ぶのに異論はないだろう。だが、それでも。

 すべての住民が“外”にいたままであったなら、生存者と死者の数は逆転していてもおかしくはない。まだ救える命はいくらでもある。生存者はまだ何百人といるのだから。


「見たかよ。これが結果だ。あんたの大冒険が招いた結果がこれだ」


 並び立ち、メイリは恨み言のようにキズニアにぶつけた。


「……違うな。あんたじゃねえ。この光景を見て笑ってやがるのは狂王だ。ぜんぶあのクソ野郎が仕組んだことだ。“夢の果樹”とかいうふざけた代物で弄ぶだけじゃ飽き足らずに――」

「“闇”はなぜ消えた?」


 キズニアは死者を悼むでもなく、悔いを漏らすでもなく、ただな疑問だけを口にした。


「知るかよ。これだけ死んでるんだ。この国を覆い尽くすくらいにはデカくなったかも知れねえが」

「おそらく、あの教会も包み込んでいただろう」


 と、いうのはグラスである。


「君たちはあの教会を根城としている眩惑邪主ジルジルについて知っているな。その固有魔術についてもおおよその想定がついている。ならば、その先も想像はつく」

「……ジルジルが、“闇”を退治したってのか?」

「その可能性は高い。彼の固有魔術が自らの死を他人に肩代わりさせるものであるなら、“闇”に対しては非常に相性がよい」

「最悪だな。あのやろう、ますます調子に乗るぞ」


 多くの死者が出た。食糧供給の目処は立った。眩惑邪主がさらに力をつけた。

 状況は改善したのか、悪化したのか。


「で、どうすんだ。キズニア。タスみてーにまた評議会でも再建するか?」

「そうだな。秩序の回復が必要だ。これ以上の犠牲は避けたい」

「……一つ。疑問があるんだが、いいか?」


 メイリは訝しむように、キズニアを睨みつけながら。


「あんたほどの英雄サマが、狂王に負けたってのか? まさかとは思うが、自分の意思でここに来たんじゃねえだろうな」

「またそれか。三度目だ」

「三度目?」


 とはいえ、こう何度も聞かれては、さすがのキズニアも観念せざるを得ない。


「自分から“狂国入り”を頼んだのは事実だ。俺はこの国を救いに来た」

「救いに来た? このザマでか? それをオレに信じろってのか?」

「俺を信じるかどうかはお前が決めればいい。ただ一つ、確かなことだけを伝えておこう」


 魔術師は、多かれ少なかれ狂気に侵されている。

 キズニア・リーホヴィットは狂っていた。妄念にも近い絶対的信仰に基づく精神性は狂気と呼んで差し支えないほど強固なものだ。

 しかし、それがいずれ実現する未来であるならば。狂ってはいても、彼は


「我々は勝利する。俺にできることは、それまでにより多くの人々を守ることだ」

「勝利って……誰にだよ。狂王にか?」

「違う。“敵”にだ。我々は、術殺機兵群に勝利する」

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