邪なる導き手③

 外が騒がしい。

 “狂国”の名にふさわしく、もはや騒動などよくあることだが、今回は悲鳴が多い。一人や二人ではない。数人、数十人、あるいはそれ以上。どんどん大きくなっているように思える。

 さすがにちょっと気になって、彼は窓から外を覗いた。

 方角は王城。庭先の果樹が邪魔でよく見えないが、それでも異常は理解できた。

 巨大な、黒い霧のようなものが蠢いている。王城から溢れ出て、街を飲み込もうという勢いだ。彼の言葉で表現するなら、そんなところが適当だった。


「うーむ」


 顎を撫でながら彼は考える。

 王城には先ほど「贈り物」を届けた。「王城にはなにかある」と噂を流して愚者を軽く唆した。多分、そのあたりが功を奏したのだろう。評議軍にはもとより多数の間者スパイを紛れ込ませていたし、評議員の一人ですら彼の手下だった。ゆえに、タス・マキレーンが隠していることはなんでも見通していた。

 “夢の果樹”が人の命を苗床としていること。ろくな司法制度もなしに「罪人」を果樹としていたこと。そして、王城の大半は“闇”に覆われていること。

 再び王城へ戻ったタスの目的はわからないが、タスが王城への侵入者を拒んでいるのはわかった。あえてタスが嫌がることをすればなにかが起こるだろうとは思っていた。

 そのがあれだ。狂王陛下は狂気と混乱を愛する。これは彼の期待に沿う結果に違いない。


「ジルジル様!」


 一人の男が息を切らし、汗だくになりながら教会へ駆け込んできた。元評議軍、現在は「打算」によってジルジルについている男だ。ただ、名に敬称をつけるくらいには忠誠を示してはいる。

 教会の内装は、入り口から祭壇まで一本に繋がる身廊を中心にして、左右対称に長椅子が十二ずつ並び、高い天井とそれを支える柱には細やかな装飾が施されている。各所には規則的に燭台が設置され、人々の信仰心を灯すように内装を照らし出している。

 その華やかさに負けず劣らず輝く男が眩惑邪主ジルジルである。


「お、王城より“闇”が……!」

「はい。見えています」


 輝くような金髪。深い海のような碧眼。貼りついたような柔らかな笑みを浮かべながら、穏やかな声で彼は応えた。

 眩惑邪主と呼ばれ、多くの人々を死と破滅へと導いてきた男。その洗練された所作の一つ一つから高貴な出身であることは疑いようはなかったが、彼は姓を名乗らなかった。

 彼はただ、ジルジル、とだけ名乗った。


「“闇”について、なにかわかることはありますか」

「は、はい。わ、私も一時“闇”に飲まれましたが、端の方だったため運よく脱出できました。その際、その、“闇”の中に、浮く、青く、女――」

「落ち着いて。呼吸をしてください。水でもお飲みになりますか?」

「い、いえ。お気遣い感謝します。もう落ち着きました。その、“闇”には青肌の女が――その女が元凶に違いありません。“闇”の中ではほんの数m先すら見通せず、悲鳴で察するのみですが、人々は次々に倒れ――ぐぁっ」


 そこまで報告すると、男は急に胸を押さえて苦しみ出した。

 ジルジルはそれを、まだ深呼吸が足りなかったのだろうと軽く考えて眺めていた。

 だが、男の容体はみるみる悪化し、ついには倒れ、その背からは果樹が芽吹いた。


「うわ。教会内で果樹になられてしまうとは。困りましたね」


 信者となるものであれば果樹の種をあらかじめ服用しておくことは当然のことである。ではないものの、命あるものとしての責務を思えば自然の帰結だ。

 ただ、今回はそれが裏目に出た。教会内のど真ん中で果樹が生育しては、通行の邪魔で仕方ない。


「皆さん。どう思いますか」


 ジルジルは側近の信者たちに問いかける。


「明文化してはいませんでしたが、今後は教会内での自死は禁止すべきではないかと」

「彼がなぜ唐突に自死を選んだのかも疑問です。そして、自死の方法も」

「ジルジル様へのご迷惑は考えなかったのでしょうか」

「彼の態度は決して信心深いものとはいえませんでした。どのような心変わりがあったかはしれませんが、果樹となる犠牲そのものは尊ぶべきものでしょう」

「いえ。報告半ばに自死を選ぶのはむしろ不信です。唱和もありませんでした」

 などと、口々に論じ合っている。

「ありがとうございます。皆さんのお気持ちは十分に伝わりました」


 彼は再び窓の外を覗く。“闇”はさらに大きく、こちらに迫っているようにすら見える。

 これはきっと、狂王陛下の試練なのだろう。彼の心は打ち震えていた。


 ***


「なんだ、なにが起こっている……?」


 メイリはただ立ち尽くし、困惑の声を漏らすほかない。

 王城から、なにか大きな“闇”が噴出したかに見えた。あっという間にそれは城門まで達し、広場までも覆い尽くした。前方に群がっていたはずの人々も、今や顔すら判別できない。ざわめく声と、薄っすらとした影から、まだそこにいるのだろうと推測するのみである。


「おいタス! 聞こえるか!」


 なにか知っているならタス以外にはない。襲撃してきた旧国民を撃退するため人々の後方にいるはずだが、闇の中では姿など見えるはずもなかった。


「ね、ねえ。なにあれ」

「なんだ、なにかいるぞ……?」

「誰だ……?」


 なにかに驚き、戸惑うような人々の声が聞こえる。この闇の中でなにが見えているというのか。メイリは振り返る。たしかに、自分でも同じ言葉を漏らす以外にないだろうと納得できた。

 青肌の女。奇怪な女だ。闇の中、不自然な青白い灯に包まれ、音のない歩みで人ならぬ笑みを浮かべて近づいてきた。


「業炎」


 軽い牽制と、明かり欲しさに放った炎熱魔術である。地面を燃やせば足止めにもなるだろうと考えた。しかし。


「な――っ」


 自らの放ったはずの炎が、見えない。不発か。いや。熱は感じる。狙い通りに、地面は燃えてはいるのだ。


「どうなってやがる」


 炎は見えない。見えるのはただ、青白い灯火に包まれた女だけである。

 答えは明白だ。その女が元凶に違いない。メイリは剣を抜いた。



「これは――」


 タスは、燃え広がるように拡大した“闇”の境目に立っていた。

 確信できることは一つ。この“闇”は、「王城の闇」であるということ。

 想定される「最悪」は、あのときの再現。すなわち、キズニアを含む第二次探索隊の全滅。いや、それ以上の事態が発生している。

 “闇”の中から声は聞こえる。人々の狂騒だ。驚きと戸惑い、そして――ついに悲鳴である。


「――っ!」


 タスは堪らず“闇”の中へと突っ込んだ。内に入れば外からよりはまだ見えるが、大勢いたはずの人々すら不確かに思えた。もはや声と音だけの存在。次々と倒れているらしいことが朧げにのみ伝わってくる。


「みなさん! こちらです! こちらへ逃げてください!」


 彼らがこちらへ一直線に駆けたならば、ひとまず“闇”からは出られるはずだ。何人かが呼びかけに応じ、狂乱のままこちらに向かって走ってきている。ただし、前は見えていない。タスに正面から衝突するものがいるのも当然のなりゆきだった。


「てて……。んあ? あんたタスか? お、おい、どうなってんだよ。あんた、なにを隠してたんだ。あの女はなんなんだよ。おい!」


 ぶつかってきた、(おそらく)男は早口で捲し立てるようにタスに詰め寄る。それが、すぐ糸の切れたように気を失った。まだ息はある。タスもまた彼と同じ疑問を投げかけたかった。

 すなわち、「どうなっている? なにが起こっている?」と、誰でもいいから問いかけたかった。その相手はいない。ゆえに、タスは胸中でのみ思考を巡らす。


 ――あの女?


 人々が逃げ惑い、あるいは倒れたためか、闇の中でそれを目にするための視界が開ける。

 タスもまた、その女の姿を目にした。薄くぼんやりとした灯りに包まれ、闇の中で唯一存在感を放つ存在。

 “闇”は、ただ足を踏み入れただけでなにか実害のあるようなものではない。その境界で浅く出入りすることでそれは確かめている。

 であれば、害を及ぼしているのはその深奥に潜むもの。タスにとっても初めて目にする、青肌の女に違いなかった。

 だが、なにをされたのか。

 闇に乗じて音のない攻撃であれば、ただそれだけで防ぐことは難しい。だが、で探索隊が全滅させられたとはタスには考えられなかった。先のぶつかってきた男にしても、突然倒れはしたが外傷は確認できなかった。なにより、あれほど近くで攻撃音が一切聞こえないというのも考えづらかった。

 ――“闇に探りを入れてはならない”。

 その意味は、こうなることの戒めだったのか。あの女から授かった警告だったのか。


「メイリ……?」


 薄明かりの影として映る人物は、輪郭シルエットだけからも誰であるかが明白にわかった。その人物は剣を抜き、青肌の女に対し勇敢にも立ち向かっていたからである。

 彼女にはすべて話すつもりでいた。「許さない」とまでいいながらも再び協力を決意してくれた彼女を無下にはできなかった。懺悔も後悔も、そしてまだ話していなかった王城の“闇”についても、彼女にはすべてを話してやり直していきたいと思ってた。

 なにもかも遅い。まずは「贈り物」の分配を済ませてから――などと、なにもかもが手遅れだ。だが、タスはもう後悔はしたくなかった。


「メイリ! いけません!」


 あれに挑んではならない。ただ、タスはそう直感する。

 声に応じてメイリは動きを止めたようだが、振り返ったのかどうかまではよくわからない。


「この声……タスか。おい、あれは――」

「メイリ」


 低く、決して大きくはなく、しかし強く重く響く声で、タスはメイリの言葉を遮った。

 彼女には“闇”について伝えてはいなかった。“闇”にまつわる逸話もそうだ。

 タスはそれを知っている。それを今すぐにでも伝えねばならぬと思った。足元すら覚束ない闇を歩みながら、タスはある直感に辿り着いていた。

 根拠は乏しい。ただ、大きな疑問がある。なぜ第一次探索隊唯一の帰還者は、あの青肌の女について言及しなかったのか、ということだ。

 警告を言付けられていた? 口止めされていた? 彼は命を賭けていたのに?

 ――違う。

 青肌の女の、その表情を見て確信した。あれが人間と言葉を交わすことなどありえない。

 帰還者が最期に残した一言は、彼なりに考えた最善のもの。彼は最期にただ一言しか残せないことを、知っていたのだ。


「メイリ。あなたには謝らなければなりません。そんな私があなたに残すことのできる言葉は、ただ一つだけです」


 息を吸い、意を決する。


「“闇”について、なにか一つでも言及してはなりません。もし破れば――」


 その答えは、タスが身をもって証明した。

 核心に近い言及ほど致死率は高まる。その忠告は、最も核心に近い一言だった。

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