邪なる導き手②
「ナジェミィ。考え直したほうがよいと思うのですが」
と、彼女は胸元のあたりからする声に窘められる。
「とはいっても食べないことには生きていけないし、食べるためにはあれじゃない?」
彼女は今、教会の前に位置する空き家に居を構えている。こんな物件が空き家だったのは、混乱によって多くの死傷者が出た関係だろう。教会を遠目に眺めるにはよく適していた。
眩惑邪主ジルジル。その影響力はますます大きくなっている。
ナジェミィと、そして彼女に寄生するペスタは、そのジルジルに近づくべきかどうかで意見が割れていた。
「噂話に聞き耳を立てたり、聞き込みをしたりしたかぎり、評判は最悪でしたよね。もとより、アルトニアで悪名高い狂暴魔術者だったはずです」
「わかってるよ。でも」
窓から様子を覗くと、教会の屋根に三人の女性が立っているのが見える。彼女らはなにか言葉を口にすると、短剣で自らの心臓を突き刺し飛び降りていった。地面に墜落すると、教会の庭先で果樹となる。教会にいくつも生えている果樹は、そういった経緯によるものだろう。
「ああやって、食糧には困らない」
「自分がああなるとは考えないんですか」
ペスタの指摘はもっともである。
ジルジルの信者は自ら犠牲となって果樹となる。だが、なぜ信者はそれほどの献身に目覚めるのか。なんらかの洗脳、脅迫、あるいは魔術的な行動操作によるものだと考えるのが自然だ。
「彼に近づくのは危険です。なにせ、自死したものは女性が多いのですから」
「そうね。じゃあ――」
と、再び教会の庭を覗く。
一人の男がこっそりと、崖から丘に登ろうというものがいた。挙動から、おおよその目的は察せた。庭に忍び込み、果実を盗み取ろうという魂胆だろう。
だが、彼はすぐに警備に見つかった。かつて評議軍としてタスのもとにいた兵たちは、今やジルジルのもとに下っている。抵抗する男を無理矢理取り押さえ、種を飲ませてその場で処刑した。
庭に生育する果樹の数は、見せしめでもあった。
「盗むのも無理か。でも、ペスタなら勝てる?」
「僕なら問題ありません。ですが、ナジェミィの安全までは保証できません」
「そうなの? 大して強くなさそうだけど」
「僕をあまり当てにしすぎないでください」
「うん。ごめん。でも、どうしよっか」
「タス・マキレーンという方が信頼できるのではないかと思います」
「えー? ウォレスさん斬った人でしょ?」
「魔獣だったではないですか」
「それでも、助けてもらったのは事実だから」
「そうですね。あのときは僕にもちょっと手の打ちようがありませんでしたし」
「一つ、疑問があるんだけど」
「なんです」
「タスさんにとっては、ジルジルって邪魔でしかないはずだよね」
「そうですね」
「なんで殺さなかったんだろ」
「あいかわらず発想が物騒ですね」
「だってそうじゃない。ウォレスさんだって斬ったんだし」
「たしかに。ですが、今それができないというのはわかります。彼を囲む信者の数が多すぎる。彼らが精神的支柱を失えば、さらなる混乱が引き起こされるのは確実です」
「なら、そうなる前に……って、タスさんが来たときにはすでにそうだったのかな」
「そんなところではないでしょうか」
ナジェミィは考える。が、結論は出ない。機兵群に追われる“外”よりは安全かと思ったが、この“狂国”での生活も綱渡りだ。
「……しばらくは静観かな。まだ、食糧はあるし」
***
「押さないでください! 並んで!」
暴発寸前だった人々も、タス・マキレーンとメイリ・スタッカードという二人の武力を前には大人しくならざるを得なかった。彼らはまだ死を顧みないほど荒んではいなかったし、玉砕覚悟で挑むほどタスへの深い憎悪があるわけでもなかった。
ただ、たまに石が飛んでくるだけである。
たとえジルジルから送られてきたものだろうと、食糧は食糧だ。最大限活用できるよう分配に努めるしかない。ただ、やはり、あわよくば掠めとろうという悪意に対しては、どうしても「目」が足りなかった。
一方で、タスは別の警戒も要求された。
ジルジルの贈り物は単なる嫌がらせか。むろん、それもありうる。だが、他に狙いがあったとしたら? この場に注意を惹きつけることが目的なら、それ以外の場所でなにかを起こすはずだ。
「うわああ!」
「やつらだ!」
「タス! 助けてくれ!」
「旧国民だ!」
聞こえてくるのは列の後方だ。
この国に混乱の「種」は多い。王城前の広場で人集りができればこうなることは目に見えていた。王城を奪取したならば、それをまた奪い返そうと顔のない兵が動き出すのもわかっていたことだ。
「メイリ。ここを頼みます」
食糧分配をメイリに任せ、タスは人垣を一息に跳び、越えた。
「ひゅう」
メイリは感心した。見た目は中年だが見惚れるような軽やかさ。やはり獅士である。
食糧に群がる人々を抑え、整理し分配し、さらには群衆を襲撃する旧国民を撃退する。いかに獅士とはいえ、ただ一人には抱えきれぬ重責。
だが、これではない。ジルジルの仕掛けはまだ他にもある。
タスはそう確信し、あらかじめルドックの部下六名に強い警戒を呼びかけていた。
「――と、さすがはタスのばあさんだな」
王城の警備を任された傭兵隊〈銀の狼〉の片割れ、その臨時指揮官を任された副隊長のリィンは独りごち、タスの「読み」に感心していた。
城壁に囲まれ正門以外からの侵入を許さないつくりとなっている王城だが、不可能というほどではない。城門前の広場で騒ぎが起こっていれば城壁を乗り越えての侵入も可能である。これを排除するためには警備によって対応するほかない。
「あ、あんたらまさか“郊外の傭兵隊”か? なぜタスと組んでる?」
「ん、俺らってそんなふうに呼ばれてたの?」
「王城にはなにがある? あんたらなにを隠してるんだ!」
捕らえた侵入者は二名。
タスが王城に戻った。さらには見知らぬ人物が同行していた。やがて「王城にはなにか秘密がある」と噂は拡大し、彼らを突き動かした。絶望に飲まれるよりは、なにか希望らしきものに掴みたかったからだ。
「まさか食糧か? まだ隠しているのか? また俺たちを騙すのか?」
「俺たちも果樹にするつもりだろ。ふざけるな、くそ。死んでやる!」
ひとまずは後ろ手に縛り上げ、拘束する。
混乱に乗じた侵入者はタスの読み通り。しかし、広大な王城に対し警備はたったの六名。明らかに「手」が足りない。侵入者が二人で済むとは警備隊も考えていなかった。
「何者か! 王城への侵入者許すまじき!」
「突撃ー!」
「この声……」
旧国民の声である。彼らは倒されるたびに国内のどこか再出現する。王城内も例外ではない。タスが王城を奪還してまだ三日も経っていないが、それ以前に人知れず倒された旧国民もいたのだろう。正門から入ってきたのでなければ、王城内で再出現したということだ。
「また侵入者だ! すまん、逃げられた!」
「くそ、タスのばあさんにどやされるな。どこへ行った?」
「わからねえ。旧国民がいきなり現れて、あとはグダグダだ」
「こっちだ! 来い!」
「止まれ! 止まらなければ撃つ! おい、そっちは――!」
王城内もまた混乱で溢れかえっていた。城壁を乗り越えての侵入者に、王城内で再出現した旧国民。高い練度を誇る傭兵隊〈銀の狼〉も、六名では対処できる範疇を上回っていた。
侵入者を追い、旧国民に邪魔され、彼らはさんざん王城内を駆け回った挙句、ホールで顔を合わせて反省会を余儀なくされた。
「で、侵入者は? 何人取り逃がした?」
「三人です。“闇”に向かって行きました。それを追って旧国民も消えてます」
「やべえな。つまりそれ、隊長にも俺らの不手際がバレるってことか?」
「……過ぎたことは仕方ない。持ち場に戻れ。これ以上の侵入者を許すな」
結果として彼らは、“闇”に対して三人の「贄」を与えてしまったのだから。
「てか、なんなんですかね。この“闇”って」
「さあな。なんでもタスのばあさんがここに来たときにはすでにあったらしいが」
「俺らが来たときにはなかった。となると、その中間か」
「いかにもクソ怪しいが、近づきたくもないよな。ま、無駄話はこのへんにしよう」
「……あれ?」
「どうした。早く持ち場に戻れ」
「いや。なんというか、“闇”が……」
「“闇”についてはルドック隊長の管轄だ。さっきの侵入者もなんだかんだ捕まえてくれるかもな」
「やはり気のせいじゃありません。“闇”が、さっきより大きく……」
「なに?」
リィンが振り返り、“闇”の挙動を確認しようとしたときには。
もはや視界は閉ざされ、彼もまた“闇”に飲まれていた。
「密集陣形! 全員集まれ!」
もはや、侵入者の捜索などと言っている場合ではない。闇の中、可能なかぎり索敵範囲を広げるためにリィンは仲間を呼ぶ。ルドックの不在でも彼らは訓練どおりに即応することができた。
「なぜだ。なぜ急に“闇”が――」
「そんなことはどうでもいい。まずは対処だ」
「どうするよ。つか、“出口”はどっちだ?」
「タスに話は聞いてたが、まさかここまで見えねえのか。なんだってんだ」
「困りましたね。城門への方角は……多分あちらです。タスにでも報告しますか?」
冷静ではあった。とはいえ、それでなにかできるわけでもない。
青白い光が闇の深奥より現れ、彼らの目を惹きつけたからだ。
「なんだ、ありゃ」
「この“闇”はどんな光も照らさないって話じゃなかったか?」
「いや、やっぱダメですね。光球を出してはいるんですが」
「じゃあ、あれはなんだ?」
闇の中の例外的存在。未知のなにか。それだけで察せるものがある。
薄ぼんやりとした光に包まれて現れたのは、青肌の女。
一糸纏わぬ全裸であり、奇怪な刺青が肢体の輪郭をより明確に浮かび上がらせてはいたが、扇情よりは芸術彫刻のような美しさに目を引かれてしまう。一方で、端正ながら笑みともつかぬ非人間的な表情には得体の知れない不気味さがあった。
「何者だ」
彼らは一様にクロスボウを構える。
――あれは、間違いなく「敵」だ。
そうは判断したが、音のない悠然とした歩みのために強い警戒が速攻を躊躇わせた。長い戦場経験、魔術戦の知識に基づく勘でもあった。それに、聞かねばならない疑問も多い。
「隊長には会わなかったか? ルドック隊長だ。眼帯のナイスガイなんだが」
返事はない。特に反応もない。歩みを止め、向かい合ってはいるが、こちらを見ているのかどうかすらわからない。
「ついさっきに“闇”に逃げ込んだ馬鹿もいたんだが――」
直後、リィンは胸部に強烈な痛みを覚えた。刺されるような痛みだ。心臓、あるいは肺。いずれにせよ立ってはいられないほどの痛みだ。
「リィン?!」
「副隊長!」
「なにをした貴様!」
もはやどうすることもできない。
疑問を呈し、答えを得られず、誰かが倒れたのなら、今度は情報の整理、話し合いが始まる。魔術戦に慣れたものほど足を掬われるが早い。真実に辿り着いたものから死に、“闇”は命を吸い、さらに巨大に膨れ上がり、城を飲み込んでいく。
「お、おい。なんだよあれ」
「どうなってんだよ! 王城にはなにがあるってんだよ!」
「こ、この箱も、食糧も……俺たちを釣る“餌”だったってのか!」
「あ?」
メイリは食糧を配りながら、人々の表情がみるみる青ざめていくのを見ていた。食糧にも目をくれず、じりじりと逃げるように後ろへ下がっていく。そんな様子を見せられては、彼女もまた振り返らざるを得ない。
「なんだ……?」
誰も彼もが平等に、それを目にしては同じ言葉を漏らす。
いったい、あれはなんだ――と。
すでに「絶望の底」だとは誤解も甚だしい。それは能天気な楽観に過ぎない。
タスもまたそれを目にして、自らの浅はかさを呪った。
それは畝る一個の怪物のように。
“闇”が、王城から溢れ出していた。
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