生き延びるために②

 大鋭湾は、ヨギゾルティア独立のきっかけでもある。


 ヨギアとゾルティアは、かつて「ヨギゾルティア」という一つの国だった。

 さらに遡れば、ヨギゾルティアはアイゼル皇国の属国だった。

 その歴史の節目となったのは、今より四百年前の凪ノ時代――〈厄災〉とまで呼ばれた魔術師が猛威を振るっていた時代である。

 世界中のすべてを敵に回してなお傲岸に笑う。全史上においてなお最悪の存在。

 そんな彼は、“名を呼ばれるために力を増す”――そんな魔術を手にしていた。ゆえに、本名は徹底的に葬られ現在は便宜的に「キールニール」と呼ばれている。

 彼の力を示すための例は枚挙に暇がないが、「大鋭湾」もそのうちの一つである。

 地図の書き換えが必要になるほどの地形破壊。ヨギゾルティア半島とアイゼルは一筋の「湾」によって分断されることとなり、結果としてそれはヨギゾルティア独立の契機となった。

 その後ヨギゾルティアは大きく二つの民族に割れて内戦がおこり、さらに「ヨギア」と「ゾルティア」という二つの国へと分断されることとなる。


 三人の少女たちは、そんなゾルティアの南端より出発し北へと向かっていた。

 かつては狂気と混乱の国とまで呼ばれていたゾルティアも、今や寂寥に満ちている。

 特に当てがあるわけではない。どこへ行ってもなにもない。ただ、せめて故郷であるアイゼルへ戻りたかったのだ。もはや、すでに滅んでしまっていたとしても。



「……もうダメかと思った」


 機兵が目の前で痕跡を調べ、生存者を捜索していた。対し、木の根元を背に蹲り、とても「隠れている」とはいえない状態でただ通り過ぎていくのを待っていた。心臓が止まるような思いだった。

 結果、彼女らは無事に朝を迎えることができた。すべては〈隠匿〉のおかげである。


「いや〜、ミナセちゃんビビりすぎだよ〜。ちゃんと事前に検証したじゃん!」

「……むしろ、コムのその胆力はなんなのよ。魔術はめちゃくちゃ弱いくせに」

「ま、まあ、私も怖かったし……もっと早く気づければよかったんだけど」

「というより、レシィ。よく彼らの接近に気づけたわね」

「それは、うん、結構慣れてるから……」

「慣れてるって……これまでもああいう感じで機兵に出会ったことがあるってこと?」

「うん。その、いろいろあって」

「聞きたいわね。というか、なんだっけ。グラス、って人のこともそういえば聞けてなかったし」

「えっと、グラスさんっていうのは眼鏡で――」


 レシィはグラスとの出会いについてを話した。掘り下げられて、それ以前の洞窟でのことも。そして、以後。新生アイゼルと、その崩壊についても。さらには、ラ次郎との出会いと別れについて。


「……すごい大冒険をしてるわね」


 ミナセは思わず深いため息をついた。


「うん。私自身は、逃げてたり隠れたりしてるだけなんだけど」

「それでもすごいわ。万識眼鏡、ラ次郎……それに、第三皇子殿下が生きていらした……」

「えっと、その、私からもいいかな」

「なに?」

「聞いていいのかよくわかんないけど」

「だからなによ」

「……ミナセの、固有魔術について」


 沈黙。ミナセはゆっくり、ばつが悪そうに目を逸らした。


「あ、ごめん。やっぱり、基本的には隠しておいたほうがいいよね」

「そうじゃなくて……」

「ミナセちゃんは別に固有魔術、持ってないよ?」


 と、空気を読まずに暴露するのはコムである。


「え、あ、コム? なんで知って――」

「なんとなくそんな気がしただけー。やっぱりそうだったんだ」


 当てずっぽうだったと知って、ミナセは血の気の引く思いだった。


「そうだったんだ。そっか……」


 固有魔術は他者には再現不能な個人の資質に依存する魔術である。そして、これは誰もが持っているものではない。“神からの授かりものだ”といわれることもある。持たざるものはただ、体系魔術の鍛錬に励むほかない。ミナセもまたそんな一人だ。


「あたしは自分から固有魔術を持ってるなんて言った覚えはないけど、なんか勘違いされちゃってたから、言い出しづらくて……」

「ごめん。私が持ってたから、ミナセも持ってるんじゃないかって」

「別にいいわよ。第四皇子殿下だって固有魔術をお持ちでなかったという話だし、現騎士団長だって。意外と、固有魔術に頼らない強者ってゴロゴロいるのよ」

「ミナセもその一人だね」

「あのね。なんでそういう……」

「なに?」

「いいわ、別に」と、今度は別の感情で目を逸らす。「あ、そうだ。この際だから一応聞いておくわ。コムはどう?」

「ぼく?」

「情報は共有しておいたほうがいいと思うのよ。今後、いざというときのために」

「ぼくがなにか隠し玉持ってるように見える?」

「……見えないけど」

「見たまんまだよー」

「そっか」


 そんな会話をしながら、少女たちは歩を進める。ただ北へ。

 三人ならば寂しくはない。恐怖も、絶望も、今はまだ忘れて。今は、まだ。

 やがて、互いに口数も少なくなってくる。


 ――なにもかも、わからないことだらけだ。

 ミナセは考える。考えても仕方がないと思いつつも、考えてしまう。

 あの爆発はなんだったのか。他にも生き残りはいたのだろうか。

 崖に登って爆心地を確認すればよかった。ただ、怖くてできなかった。まだ機兵がいるかもしれないし、仮に機兵がいなくても、大勢の死を目の当たりにするのはわかっていた。そんなものをわざわざ確認しようなどという気にはとてもなれなかった。一刻も早く離れたかったのだ。

 今にして思えば、なんて臆病な判断だったろう。

 せめて、なにがあったのか。それだけでも知らねばならなかったのだ。

 機兵の力がどれほどのもので、自分たちがどれほど無力なのか。

 これから、生き延びるために。


 わからないことは他にもある。

 ――キズニアさんは、どうなったのだろう。

 狂王と戦い、勝利したのだろうか。勝利したとして、やはりまだ箱庭にいるのだろうか。

 彼はいったいなにを考えていたのだろう。彼ほどの人物が機兵に管理される生活に甘んじていたのだろうか。それとも、「それでも生きていけるだけマシだ」と、人々の模範となるよう努めたのだろうか。

 ――レシィの計画通り、ちゃんと大会で優勝できていれば、彼の信頼を得てなにか聞けたのだろうか。

 考えれば考えるほど、「考えるだけ無駄」だという確認作業に他ならなかった。

 過去のことはいくら考えても仕方ない。わからないことをわからないと確認するだけだ。

 問題は、未来。これから、生き延びるために。

 そのことに考えを及ぼそうとすると、身体の芯から震えが止まらなくなってきた。


「ミナセ?」


 必死に抑え込もうとしたが、やはり気づかれてしまう。情けない姿を晒してしまう。


「いえ、なんでも……ないわ」

「だ、大丈夫? 風邪とかだったら大変だし、少し休もっか?」

「大丈夫だから!」


 つい、声を上げてしまう。唐突な大声にレシィは目を丸くしていた。


「ミナセ?」

「……ごめん」


 今さら、カッコつけることもない。

 話せることはなんでも話したほうがいいはずだ。いや。

 先行きの見通せない不安を吐き出したところで、なんになるというのか。


「えっと、大丈夫ならいいけど……」


 いつまでこうしていられるのだろう。

 こんなことが、果たして望んだことだったのか。

 まともな食べ物にもありつけず、寝床もなく、いつ襲ってくるかわからない機兵に怯えて、ただ漠然と北を目指す日々。ただ、生き延びるために。

 そうしてあと何ヶ月も、何年も過ごすのだろうか。とてもそんなに長く生きられる気はしない。きっとどこかで野垂れ死ぬに違いない。遅かれ早かれ、それが運命だ。

 ――なにもかも、すべて、レシィに唆されたせいではないのか。

 そんなことを考えてしまう自分に嫌悪感が募る。

 吐き出せぬことが、胸の奥に積もり積もっていく。ゆえに、足取りは重く。


「新生アイゼルに合流しましょう」


 それが、最後の希望だ。


「え? でも、グラスさんはもうダメかもって……」

「生きているはずよ。殿下は、まだ生きているはず。直接見たわけではないのでしょう? それに、そのグラスって眼鏡も、未来を見ることはできないって」

「う、うん」

「なら、大丈夫。新生アイゼルは、まだ抵抗を続けているはずよ」


 そう信じるしかない。そう信じて、北へ。

 生き延びるために。



「あ、待って待って。なにかあるよ!」


 コムがなにかに気づく。ミナセは顔を上げた。

 森の奥。人工物の影だ。直線上に切り立った石材。小さな建物というよりは、地下への入り口に見える。

 わかるのは、それがのものだということだ。


「なに……?」


 ただ、それだけだ。それ以上はわからない。

 いかにも不自然にそれは建っている。まるで、人を招くかのように。扉もなく、ぽっかりと口を開いて待っている。


「どうする? ミナセ」

「どうするって……」


 なんとなくなりゆきでリーダーのような役割を担ってはいたが、別に指揮官としての知識や経験があるわけでもない。イヴァナス家に生まれ、宿命として近衛となるべく教育と訓練を施されてはいるものの、それも道半ば。彼女はただ弱い少女に過ぎない。


「わからない。でも、雨風が凌げるなら――」


 ミナセを先頭に、そろりそろりと近づいていく。

 高さは3mほどか。やはり、なにかの入り口らしい。覗いてみると奥への階段が続いている。ただし、その先は影になっていてよく見えない。


「……ひとまず、入ってみるしかなさそうね」


 決断し、足を踏み入れる。久しぶりの硬質な地面だ。一段、二段と恐る恐る降りていく。冷んやりとした空気が奥から伝わってくる。地上の光がいまいち届かなくなってきたため、ミナセは光球魔術で奥を照らした。


「えっと、あれかな。なんだろう、貴族の別荘とか?」

「どちらかというと隠れ家……にしては妙ね。そりゃ隠れてはいるだろうけど、誰だって入れるわけだし。放置され過ぎて扉が朽ちてしまったとか……?」

「きっと迷宮の入り口だよ! 大冒険のはじまり!」

「迷宮って……。いや、ありうるわね。もしかしたら、凪ノ時代以前の遺跡かも……」


 やがて階段は途切れる。その先は壁だった。二十段ほど下ったあと、ただ行き止まりがあるだけだった。


「なにこれ」

「行き止まり……?」

「えー、なにか仕掛けがあるんじゃない?」


 そんな疑問に答えるかのように、急に足元が揺れだした。

 戸惑いながらも、階段全体が下へ潜っているのだとミナセは察することができた。


「しまった!」


 罠だ。このままでは、入り口は沈み込んでしまう。

 気づいたところでもう遅い。階段を登って目にした入り口の光は、もはや鼠一匹通れるほどの隙間しかない。


「ミナセ、見て」


 その代わりに。行き止まりの先が姿を現した。

 階段全体が降ったことで、地下の通路と接続したのだ。


「……一方通行、ってわけね」


 苦笑する。つまり、これは。

 またしても、囚われてしまったのだ。

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