生き延びるために

「レシィ?」


 木々の影から顔を覗かせるのは、ウェーブがかった薄い金髪の少女である。

 ミナセは、共に生き延びた仲間を見失っていた。薄暗い森の中、きょろきょろと碧眼を泳がせてあたりを見回し、名を呼びその姿を探していた。


「えっと、もう教えていいんだっけ?」


 代わりに応えたのは、レシィではなくコムである。ショートボブの銀髪に赤い目をした背の低い少女だ。


「まあ、そうね。お願い」

「あそこ。えっと、それ。そこの木の陰にいるよ」


 言われ、ミナセは目を凝らしてその場所を眺める。「本当にここ?」と確認するが、やはり特になんの変哲もない木の根元にしか見えなかった。


「うーん。じゃあ次ね」


 ミナセは小さな木の実を拾った。そして、それをコムの指差す方向へと軽く放り投げる。なにもないはずの空間で、木の実はなにかに跳ね返った。「いたっ」という声でも聞こえてきそうである。


「ほら! ミナセちゃん見た? 今ぶつかったよ、レシィちゃんに!」

「え?」


 ミナセはなにを言われているのか理解できなかった。木の実を投げて、それがなにかにぶつかったように見えたが、ではないか。


「実は別の場所に隠れてるってことはないでしょうね……」


 疑いを抱きながらも、予定通り次の実験に移る。

 木の根元まで歩み寄り、屈み込んで「実際に触れてみる」。

 ミナセが手を伸ばすと、たしかになにかに触れる。まるでパントマイムのように。ペタペタと何度も手を突き出せば、目に見えぬなにかの輪郭が浮かび上がってくる。もはやそこになにか――いや、誰かがいるのは疑いの余地はないように思えた。しかし。


「やっぱりなにもないじゃない……」


 ミナセは、それを認識できない。


「ぶはっ、ちょっと、ミナセ!」


 堪え切れずにレシィが姿を現わす。「わっ」と、ミナセは驚いて尻餅をついてしまった。


「あ、え、ホントにそこにいたんだ……」

「いたよ。ずっといたって。ねえコム?」


 レシィ。赤髪の少女。には、レシィは突如としてミナセの目の前に姿を現した、とでも表現できる。ただし、コムからすればレシィの姿はずっと見えていた。ミナセの様子は既存の物理法則すら忘れてしまったかのような間抜けにも見えた。

 ゆえに、彼女レシィの固有魔術にとって「客観」などというものは意味をなさない。


「固有魔術〈隠匿〉。いや、すごいわね、ホント……」


 身動きしないかぎり誰にも発見できない。ただし、すでに発見されている場合は例外である。

 彼女たちが試していたのはその正確な性質を知るためだ。

 児戯における「隠れんぼ」のように、ミナセがまずレシィとコムの二人から少し離れて背を向ける。そして、レシィはコムに見られた状態のまま〈隠匿〉を発動する。準備ができればコムの指示でミナセがレシィを探す。

 コムはレシィの姿が見えている。だが、どうあってもミナセにそれを伝えることはできない。投げた木の実が不自然な挙動を示しても、手を伸ばして触れることができたとしても、そこに誰かが潜んでいるという発想に決して辿り着けないのだ。


「あとは、“身動き”の範囲が正確に知りたいわよね。さっきのはレシィが思わず動いちゃった、ってことでいいの?」

「うん。だってくすぐったかったから」

「木の実は当たった?」

「当たったよ。額に。痛かった」

「じゃあ、〈隠匿〉が発動してても流れ弾とか事故で死ぬ可能性はあるわけね……」


 生き延びるために。

 レシィの固有魔術が決め手になるのは間違いなかった。

 ただ、肝心のレシィは己の固有魔術についてその性質をほとんど把握していなかった。

 一ヶ月にも及ぶ箱庭生活で、レシィは固有魔術を持っているとすらおくびにも出さなかった。そのことを知ったときには、ミナセはその意識の高さに感心したものだった。

 だが、実際にはそれは意識の高さによるものではなく、「自分の固有魔術など大したものではない」という意識の低さからくるものだった。ミナセは深いため息をついた。


「あなたね、今回の実験でもわかったけど、その固有魔術めちゃくちゃ強いわよ? 幻影とは違うから感覚保護でもどうにもならないし」

「まあ、うん。そうだよね。何度かこれで助かったこともあるし。でも」

「でも?」

「これが役立つのって、結構状況が限定的というか……」

「はあ〜……。わかってないわね。たしか、そう。武器を変形させるくらいじゃ“身動き”にはならないんでしょ? となると、〈隠匿〉にはもう一つ可能性がある」

 ミナセは指を立て、強調して告げる。

「魔獣よ」

「魔獣?」

「キズニアさんの講義でも話はあったでしょ」

「えっと、たしか魔術による擬似生命とかなんとか」

「そ。あたしの言いたいことわかる?」

「えーっと……」

「〈隠匿〉発動中に魔獣を召喚したらどうなるのかってことよ」

「あ」

「さすがミナセちゃん! 着眼点がすごいや。さっそくそれも試してみようよ」

「でも、それには問題があって……」

「なに?」

「できる? この中に一人でも、魔獣召喚……」


 しん、と静まり返る。


「そうよね。あれ、結構適性個人差があって、それも術式知識とか訓練とか、習得にも結構手間がかかるのよね。ちなみにあたしは適性を測る意味で軽く習ったことはあるけど、望みなしって感じだったわ。本気で数年くらい学べば習得できるかもしれないけど」

「そうなんだ。えっと、でも、それより」


 ぐぅ、とお腹が鳴る。ほぼ全員。より切実な問題である。


「わかってるわ。今日のぶんの“食糧供給箱”はもう空だし……」


 彼女らはただ三人の少女に過ぎない。野外に放り出されたようなこの状況で生き延び続けるのはそれだけで厳しい。

 食糧については、レシィが持っていた遺物“食糧供給箱”でなんとか持ち堪えている。

 一日一回、周囲にいる人間の魔力を元に文字通り箱の中に食糧を現出させる遺物である。

 しかし、それもあくまで一食ぶんだ。それを三人で分ける。ギリギリ生きてはいけるかもしれないが、空腹は避けられない。それに、いつまでも続けられることではないだろう。栄養失調で身体を壊す危険性もある。


「ねえ。ミナセ。この魔物って、食べられないのかな……」


 というのも、少し前に三人を襲ってきた小型の猪のような魔物である。これをなんとかミナセが撃退し、今は倒れて伏せている。


「やめなさい。魔物ってのは要するに“黒蝕病”ってのに罹患した動物だから、その肉を食べようものなら……死ぬわよ」

「死ぬって、そんなに?」


 魔物の肉を食べてはならない。ぼんやりとした口伝てとしてならレシィにも聞き覚えはあった。ただ、その意味については初めて知ることだった。


「あるよ。食べる方法」


 口を開くのはコムである。


「魔物の肉も、調理法次第では食べられるよ」


 それについては、ミナセも初耳だった。


「ホントに? どうするの」

「簡単だよー。鍋でひたすら煮込み続けるんだよ。水に毒が染み出すから、何回か水を入れ換えて、それを繰り返すんだ。それで食べられるよ」

「へえ。なるほど。簡単。簡単、ね……」


 ただし、肝心の鍋がない。



 そこからは試行錯誤の連続である。

 まずは魔物から肉の一部を切り取る。これは剣を持っているからできる。

 次に水だ。これは魔術で用意できる。火もそうだ。

 しかし、鍋がない。剣の変形でもそこまではできない。

 ミナセは宙空に水球を浮かべた。これを炎熱魔術で温める。あまりにも無茶だった。水の温度は大して上がらないし、そもそも維持し続けるのがきつい。レシィやコムがどちらかの魔術でも使えればいいが、どちらもどちらも使えない役立たずだ。

 空になった食糧供給箱を鍋がわりに使えないかという案も出たが、素材が可燃性に見えるのが不安材料である。もしこれが燃えてしまっては今後の生存は絶望的である。

 次に彼女らは穴を掘った。穴の中に水を溜め、それを炎熱魔術で熱する。これも大してなかなか温まらない。ミナセに疲労ばかりが蓄積する。

 あ、とレシィがなにかに気づく。水を直接温めようとするからダメなのだ。穴を掘って、水を入れて、剣を突っ込んで、剣に炎熱魔術を浴びせる。これで効率的に水に熱を伝えられる。剣に肉を刺せば取り出すときも簡単だ。もっとも、泥水まみれになることは避けられなかったが。


「あー、えーっと、いただきます?」


 すでに日も落ち、薄暗い夜になっていた。手間をかけ、時間をかけ、ようやく一切れの肉が食べられる状態になる。そこらじゅうに水溜りの穴がいくつもあいている。「水を捨てる」ことができないので、代わりに別の穴をあけるしかないわけだ。


「ホントにこれでいいわけ?」


 毒抜きに成功しているのか、という不安もある。なにせかなり雑な代替手法を用いている。おそるおそる口に運び、一齧りする。


「まずっ……」


 これほど苦労してなおこの仕打ちである。魔物の肉も食えなくはないが、とにかくまずい。あれだけの手間でこの味では今後とも続ける価値があるのか甚だ疑問だが、それでも空腹は満たさねばならない。

 生き延びるために。背に腹はかえられない。


「……! みんな、集まって」


 なにかに気づいたレシィが、あらかじめ決めていた合図で二人を集める。レシィは両手でそれぞれを抱え込み、〈隠匿〉を発動させた。

 それからしばらくして、ミナセの耳もたしかにその音を聞いた。

 機兵の足音だ。

 数は、おそらく二体。索敵巡回だろう。その足音はじょじょにこちらへ近づいてくる。

 鼓動の音で気づかれてしまうのではないかと不安になるなか、それは姿を現わす。

 ミナセは思わず息を呑んだ。

 肉を調理するための穴がそのままだったからである。

 あからさまに不自然であり、近くに人間がいたのは明らかだ。当然、機兵もそれに気づいた様子だった。

 ――大丈夫だ。気づかれない。

 それを検証したはずである。

 あからさまに不自然な痕跡があろうとも、〈隠匿〉に守られるかぎりは決して発見されない。

 そう、身動きをしないかぎりは。


 途方もなく長い時間のように感じられた。

 掘られた穴と、掘り返された土を丹念に精査し、これがいつ頃掘られたものなのか、なぜ埋めていないのかなど、さまざまに類推を働かせているのだろう。彼らは周囲を見渡し、痕跡を残した当人を探している。

 だが、それだけだ。決して発見できない。そういう法則ルールなのだ。しかし。

 もし、彼らが。やけになって、やたらめったらに銃を撃ち始めたら? 近くにいるはずだ、なぜか見えない。そう判断して、がむしゃらに銃を乱射したら?

 その流れ弾が当たらないとはかぎらない。そして、当たれば死ぬしかない。

 鼓動が高なる。汗が流れる。喉が乾く。大丈夫だ。見つからない。そんな判断にも至らない。すぐにいなくなる。遠くへ逃げたのだろうと判断して探索範囲を拡大する。きっとそのはずだ。

 そう信じて、ただ待つ。

 長い、長い夜だった。

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