王なき城は眠る④
「キズニア・リーホヴィット。どうやら本物のようだな」
ルドックも、その男を前にしてはさすがに震えた。
皇国英霊騎士団元団長。その後は、たしか皇王の近衛隊長を務めていたと聞いている。仮に敵対したとすれば、傭兵隊〈銀の狼〉など片手で捻られるだろう。
「……なんの用だ?」
せめて舐められぬよう、声の震えを必死で抑え込んで問いかける。
「お前がランペイジ・ルドックか」
認識されている。その事実がさらにルドックの鼓動を早めた。
「そうだ。どこで俺の名を?」
「タスの紹介だ。お前なら俺の助けになってくれるかもしれないと聞いている」
「助け?」
「王城を探索したい」
喉が乾く。単刀直入な物言いに、いまいち話を呑み込めない。
「待ってくれ。なんであんたがここにいる? 順を追って説明してくれ」
「俺もまた狂王に捕らわれた。今後この国で生活する以上、秩序を取り戻す必要がある。その手段を得るために王城を探索する必要がある」
「あんたが狂王に……?」
「タスにも同じことを言われたよ」
「だろうな。まあ、不意打ちでも食らったんならしゃーないが。要はタスのばあさんと同じ立場ってわけだ。とはいえ悪いが、俺らはそういうのには興味なくてね」
「ほう?」
「こんな国に安住するつもりはねえってことさ。なんとしても脱出の方法を探る。そっちに忙しいんだよ」
「王城にその手がかりがあるとは考えないか」
「王城なら最初に探索したよ」
「最初?」
「ここに来てすぐさ。別になんてことはない、だだっ広いだけの普通の王城だったぜ。めぼしいものは特になかった。物資はいろいろ手に入ったがね」
「となると、俺としては是非協力を得たくなってきたな」
というのも、“闇”に閉ざされる前の王城内を知っているということは案内役として適任だからである。キズニアは少し考え、両者はしばし沈黙する。
「お前たちは傭兵だったな。俺に雇われるつもりはないか?」
「あいにく休業中でね。というより、なにか払えるようなものでもあるのか? この国にゃ貨幣なんてたいそうなものはねえぞ」
「情報を支払うことができる。お前たちにとって貴重な情報だ」
「つまり?」
「ここを出るための方法だ」
「……またそれか」
「また?」
「興味深い話をしているようだな」
と、キズニアとルドックの話に割り込んできたのは、グラスである。
「おいクソ眼鏡。なんで出てきた。……いや、ちょうどいいな。ああ言ってるが、実際のところどうだ。お前なら見えるんだろ」
「欺瞞だ。彼は狂国からの脱出手段について具体的な手立てを持っていない」
「ほう」
タイミングからして両者は繋がっているのではないかと疑っていたルドックにとって、それは意外な答えだった。
「なんだ。そいつは。機兵――それも人間に偽装した……?!」
キズニアが構える。その迫力に、自身が敵意を向けられたわけでもないのにルドック思わず跳び退きそうになる。
鋭い眼光である。わずかでも怪しい動きを見せれば次の瞬間には細切れになっているに違いない。グラスの両腕は欠けているにもかかわらず、キズニアは油断の翳りも見せなかった。
「しかし、漠然としていながらも興味深い情報を有しているのは確かだ」
「何者だ」
「私は
「会話に応じる――“保護派”の関係者か」
「それに近しいものではある。もっとも、私の立場はより君に近しい」
「どういう意味だ」
「私は皇王ヴェヒター・ブランケイスト・アイゼルの計画を支持しているからだ」
「なんだと」
「ゆえに、私は君に協力できる」
話についていけないのはルドックである。
「あー、ちょっといいか。キズニアのおっさんがハッタリかましてたとかいう話を詳しく聞きたいんだが」
「その件については謝罪しよう。俺が持っていたのは厳密には別の情報だからだ」
「いやにあっさり認めるんだな。そうか、代わりにグラスが協力するってなら別に俺は要らないな?」
「いや、できればルドックの協力も欲しい。一度王城内を探索したことがあるというのは心強いからだ。特に食料庫の場所が知りたい」
「食糧庫? 倉庫はあったが食糧となると知らないな。狂王から“餌”が与えられてた時期も、俺らは旧国民に奪われる前に必要なぶんだけ確保してたしな。まあ、食糧庫として使えそうな区画、というなら心当たりはあるが」
「それについての知識はすでに私がルドックから得ている。彼の同行は必ずしも必要はないだろう」
「なに?」
「私は万識眼鏡だ。“見たもののすべてを知ることができる”。君が誰にも語ったことのないような過去も見ただけで知ることができる。証明が必要ならいくらか列挙できるが?」
「万識眼鏡……聞き覚えはある気がするな。そのような遺物が存在すると。なぜお前がここにいるのか、なぜ機兵の身体をしているのかなど疑問は尽きないが」
「私はまず腕の代わりを欲している。魔術的に再現するすべを知ってはいるが、腕がなくては実現できない。私はそれを報酬として要求する」
「なるほど。万識眼鏡の性質が本物であるならこれ以上はなく頼りになるだろう。しかし――」
「“闇”か。単なる暴力によって対処できるかわからない未知の危険性に対しては頭数が欲しいというわけだな?」
「……どうやら本物らしいな」
頭数。その単語を聞き、ルドックは背後で焚き火に暖をとる部下たちの顔を眺めた。
「結局、俺たちの協力は欲しいってことか?」
「そうだ。とはいえ、そうだな……“まず二万発撃ってから”というのがお前の座右の銘らしいな。一度は王城を探索したようだが、それで諦めるのか? 本当に探索は十分だったと断言できるか?」
「待て。王城は今どうなっている? あんたがそこまでして俺らの協力が得たいってことは、なにか途方もないことになってるのか?」
「王城内は“闇”に覆われている。実際には見てもらったほうが早い。さらには、その深奥にはなにかが潜んでいる。かつてタスの仲間が探索したが、その全員が死亡している」
「キズニア・リーホヴィットとあろうものが、それにビビってるってのか?」
「ああ。だから助けがいる。おそらく、この“闇”は狂王が後から招き入れたものだ。つまり、王城にはなにかがあるのだ。隠しておきたいなにかがな。脱出の手がかりになるとは思えないか?」
「煽るねえ」
ルドックは考える。そして、振り返って仲間の顔を伺った。
「なんだか楽しそうじゃないですか、隊長」
「穴掘りも壁撃ちもそろそろ飽き飽きですよ。なにかあるなら探してみません?」
「狂王の鼻を開かせるなら俺もやりますよ」
だいたいそんな意見だ。
「まとまったか?」
「まあ、そうだな……」
ルドックは頭を掻く。試せることはなんでも試す。それは彼の信条にも一致することだ。
「わかった。やろう」
***
「女ァ! 待ちやがれ!」
二人の男が一人の女を追う。荒んだ街の荒んだ光景。
行き交う人々はその様子をチラリと目にはするが、助けに入ろうなどというものは一人もいない。
報復を恐れているわけではない。その光景を肯定しているからである。
弱者は虐げられなければならない。でなければ、この国では誰も生きていけないからだ。
やがて、女は薄暗い路地裏に追い詰められる。土地勘に乏しく、その先が行き止まりだと知らなかったのだ。二人の男は短剣を構え、目を血走らせながら女に詰め寄る。
「な、なに、別にビビることはねえ。この種を飲み込むんだ。わ、わかるな?」
「大人しくしてくれよ。痛くはしないからさ」
太い男と、細い男。いずれも正気ではない。
女は豊かな乳房を実らせていた。今も荒い呼吸に揺れている。黒髪から覗く顔立ちも悪くない。だが、二人の男にあったのは性欲ではなかった。
食欲だ。
彼らは、どうしようもなく腹を空かせていたのである。
「お、俺らだってこんなことはしたくはねえんだ。だから、な? お、大人しくしていてくれよ」
「なに。種を飲み込んで、ちょっと死んでくれるだけでいいんだよ。頼むよ」
なに一つ理路の通らない言動である。結局のところ、彼らは女を殺すつもりなのだから。
彼らはそれほどまでに理性を失っていた。目の焦点も定かではない。
ゆえに、女の身体に生じた変化に気づくのにもずいぶんと時間がかかった。
「あ? む、胸が……?」
先ほどまでは誇らしげだった豊かな胸部が、いつの間にか貧しく平らになっている。代わりに、その右腕が太く、逞しくなっていることに男は気づいた。
ただし、殴り倒され意識を失う直前に、である。
「な、なんだあ!?」
太い男の頭部が地面に減り込む。驚きのあまり細い男は声を上げた。女の右腕はもはや人のものではなかった。怪物のごとき様相である。二人がかりで女を追い詰めていたはずが、瞬きの間に現実は脆く崩れ去っていく。
「逃さないで」
女の言葉に従うように、右腕がするりと伸びた。細い男の首を掴み、強烈な力で女の元へと引き寄せる。わけもわからず姿勢を崩した男の頭部に、同様にして重い拳が叩き込まれた。
「あー、えっと。これか。これが“夢の果樹”――の、種ね」
人の命を苗床とし、あらゆる食物を実らせる果樹。種を口にしたものが命を絶つこと。それが生育の条件。彼らが女にやろうとしてたのがそれだった。
「ほら、口開けてー。はい。そのまま飲み込む」
鼻を摘み、口を閉じ、強引に嚥下を促す。やがて男は言われるままに種を飲み込んだ。
「で、すぐでいいんだっけ? それともしばらく待つ?」
男に尋ねていたようだったが、答えなどあるはずはない。代わりに、擦り切れそうな声で命乞いが漏れていた。
「ま、試してみればいいか」
そして、女は容赦なく男の頭部を拳で砕いた。
直後、男の死体から腹を破るように芽が出てくる。それはみるみるうちに成長し、一本の太い樹となり多くの食物を実らせた。
「これでいいんだ。ひゃー、すごいなー」
「ナジェミィ。ホント、君は容赦がないですね」
どこからともなく声がした。女も、当たり前のようにそれに応える。
「いや、正当防衛でしょ。じゃあなに、ペスタは私が大人しく果樹になるべきだったっていうの」
「そうはいいませんが」
「ならいいでしょ。というか、もう戻ってよ。おっぱいに」
「……なんで胸が僕のホームになってるんでしょうね」
ナジェミィの右腕が萎むように元に戻る。それは、袖の下を伝いながら彼女の胸に戻っていく。やがて、はじめに見せたような蠱惑的な元通りの姿となっていった。
「いや、喉の奥とか嫌だし。それに機転も利かないじゃん。なにかと一石二鳥だと思うんだよね」
「一つ、気になっていたのですがナジェミィ。あのご老人から出された魔獣についての問題、別にヒントなんて要りませんでしたよね?」
「あー、なんだかんだあの人って恩人だし。話を合わせておいたんだけど。いやー、でも、まさか人間じゃなかったなんて……」
「僕は気づいてましたけどね」
「じゃあ教えてよ?!」
ナジェミィは、曲がりなりにも二年以上も機兵群の追跡を躱しながら生き延びた女性である。その理由は、ペスタという頼もしい護衛がいたからに他ならない。
それは変幻自在な肉の塊のように振る舞う。普段は乳房に擬態し、彼女にとってファッションの一部となっている。いざとなれば右腕に移り、暴力の化身となって彼女の身を守る。
狂王が見抜いた通り、彼女もまた、ただものではなかったのだ。
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