王なき城は眠る

「頼む! 俺たちにもその虫を食わせてくれ!」


 何人かの男たちが額を地面に擦りつけるようにして懇願している。

 丸太の上に腰掛ける眼帯の男は、その虫の肉を頬張りながら冷たい目でその様を見下ろしていた。


「つっても、クソまずいぞこれ」

「そんなことはわかってる! それでも……」

「なにが気に食わねえ。果実を食えばいいじゃないか」

「あんなの食えるかよ! あんただって食ってないじゃないか!」

「俺は単に施しを受けるのが嫌で手をつけてねえだけさ。まさか、人間が元だったとは知らなかったがな」

「だからだよ! あんな、あんなの……人間を食ってるのと同じことじゃないか!」

「別に食えばいいだろ。人間を。あー、ただ、人間そのものはやめた方がいいぜ。具体的には忘れたが、やべー病気になりがちだからよ」

「そういう問題じゃないだろ……」

「わかんねえなあ。まあ、虫を食いてえってならせめて自分で狩ってくれ。調理もな。クソまずいくせに手間がかかってんだよ」


 と、眼帯の男――傭兵隊〈銀の狼〉隊長ランペイジ・ルドックは、顎で森を指し示す。

 彼が食する虫は“啜甲蟲ススリムシ”という魔物である。普段は魔法樹の樹液を主食としているが、むやみに近づけば人を襲う凶暴さもある。人の幼子ほどのサイズで、見た目はダンゴムシに似ている。そして、魔力の通わない武器では刃が立たないほどの硬い殻を持つのが特徴だ。

 すなわち、こうして懇願している彼らにはとても狩ることなどできない魔物だということだ。


「他に、なにかできることがあれば……」

「帰れ」


 ルドックは冷たく言い放つ。

 それでも動く気配がないので、渋々クロスボウを構えて脅す。彼らは怯えながら逃げ帰っていった。


「……大変なことになりましたね」


 部下の一人が話しかけてくる。


「ああ。まったく」


 ルドックはただそう頷く。



 その国――“狂国”は、狂王の手のひらに収まる小さな国である。

 半球形のガラスに包まれた“ミニチュア王城”という遺物がそれを実現している。

 縮小された城と街。草原や森、泉などの国土を有する小さな国。そのうちに、同縮尺にされた多くの人間が住まわされている。

 最大の問題は、“狂国”が閉鎖空間であることだ。

 ゆえに、まず食糧が不足する。

 かつては狂王が定期的に「餌」として食糧を供給していたが、需要に対し供給はまるで追いついていなかった。

 その解決策としてもたらされたのが“夢の果樹”である。

 狂王はタス・マキレーンにその種を持たせて「狂った国を再建せよ」との言葉と共に狂国入りさせた。

 その果樹はあらゆる食物を実らせる。果実はもちろん、肉に野菜、チーズにケーキ、パンに麺類。首を垂れ、人に差し出すかのように多種多様な食物を実らせる。まさに“夢の果樹”である。

 これにより、少なくとも餓死者の数は劇的に減った。しかし、死者数全体でいえば「わずかな減少」に留まる。なぜならば、“夢の果樹”は。

 人の命を苗床として生育していたからである。



「種を飲み込み、命を落とすこと。それが“夢の果樹”を芽吹かせる方法です」


 タス・マキレーンは狂国への新たな入居者にそう説明する。

 中年女性ながら鎧を身に着け、活発さを漲らせる肉体と肌つやを誇っていたのが彼女である。ただし、このたびの目を覆いたくなるような惨状を前にしては、さすがに窶れているように見えた。


「我々は長らくこの事実を評議会だけで秘匿してきました。人々に知られれば喜んで果実を口にするものはいなくなる。あるいは、次に誰を犠牲者とするかで混乱が起きる。それが明白だったからです。そして、事実その通りとなりました」


 眩惑邪主――狂国内に招かれていた狂暴魔術犯罪者の一人――の信者が、それを実演してみせた。果樹の種を口にし、飛び降り自殺。その死体から果樹が芽吹くのを人々の前で見せつけたのだ。

 果樹の秘密も、その種も、評議会で秘匿し続けていたはずのものだった。だが、急拵えの体制ではその完全性は望むべくもなく、どこからか秘密は漏れていた。

 そして、悪意あるものによってそれは暴かれてしまった。

 結果、評議会は狂乱した人々や旧国民の襲撃、さらには軍の反乱を受け、事実上の解散。多くの議員が死亡し、議長であったタスも王城を離れ狂国の片隅に追われることとなった。


「果樹の苗床は、人の命でなければダメなのか?」


 新居者の男が質問する。もっともな疑問だった。


「もちろん試しました。この国には人間の他に“啜甲蟲ススリムシ”という魔物が狂王によって送り込まれ、棲息しています。この国における生き物はこの二種類しかいません。

 そして、人間の代わりにこの虫を苗床とできないかという実験は幾度も試みられてきました。しかし、この虫の口吻は樹液や血肉を啜るための管のような形をしています。種は呑み込めないのです。開腹して種を移植するような試みもありましたが、いずれにせよ失敗しています」


 あるいは、狂王が戯れに招き入れた魔物を生け捕りにし、種を呑ませる実験。これは魔物が狂暴すぎて生け捕りそのものに失敗している。ゆえに、「人間以外でも果樹の苗床になるのか」という問いの答えは「わからない」となる。


「また、果樹の種を土に植えたり、あるいは果樹から収穫できる他の果実の種や、芋や豆など、これらをもとに農業ができないかという実験もことごとく失敗に終わっています」


 タスは、疲れ切った顔でそう告げた。


「そういえば、わからない単語が出てきたな。“旧国民”とはなんだ?」

「文字通りの意味です。この国に元からいた、人形のような……要は人型の魔獣です。ただし、だいぶ出来損ないではありますが」

「元から?」

「ここはおそらく“ミニチュア王城”と呼ばれる遺物の内部です。そしてその遺物は、凪ノ時代の遺跡から発見されたといいます。すなわち、その当時からここの住人として設定されていた存在、という表現になるでしょうか。そこらに生えている草木などの魔法樹と性質としては同じものです」

「なるほど。今はその彼らによって再び王城を制圧されている――たしか、そういう話だったな」

「その通りです。我々がこの国に入った当時は、彼らによって目にも当てられぬ圧政が敷かれていました。彼らは魔獣ですから食糧は必要ありません。にもかかわらず、狂王より与えられる食糧を独占し、人々に小出しにすることで支配していたのです」

「その旧国民とやらの数は?」

「約二百。そして、いくら倒そうとも彼らは再生します。それこそ、魔法樹や建造物と同じです」

「おおよそ状況は把握した。そこに加えて大量の入居者か。混乱に次ぐ混乱だな」

「彼らは、機兵に囚われていた箱庭の住人だったと、そう聞いていますが」

「要約すればそんなところだ」

「あなたも含めて?」

「そうだ」

「私からも一つ、質問をよいですか」


 タスは顔を上げ、その男の目を見て問いかけた。


「あなたほどの人が、狂王に捕らわれたというのですか」


 その男の名はキズニア・リーホヴィット。白髪に口ひげを蓄えた壮年の男。衰えぬ肉体と鋭い眼光。かつて騎士団長を務めたこともある、いわば皇国最強といっても過言ではない人物だ。


「俺とてあの狂王には敵わん。それだけの話だ」

「いえ。あなたのことです。どうせ自分から望んでここへ来たのでしょう?」

「お前がいると思ったからな」

「隠しごとがあるとつまらない冗談ではぐらかすのもあいかわらずですね」


 そして、タスとは旧知の仲でもある。


「目的は一つだ。ここを立て直しに来た。どうせ酷い有様だろうと思ったからな。正直なところ、想像以上だ」

「でしょうね。それで、なにか解決策は思いつきましたか」

「そうだな……いくらか話を聞いて、一つ気がかりな点がある」


 キズニアは顎に手を当て、続ける。


「王城にはなにがある?」


 ***


「隊長。その、また隊長に会いたいという方が」

「はあ。いい加減にしろ。適当に追い返しとけ」


 ルドックは辟易していた。

 先のような“夢の果樹”の真相に耐え切れずに街から飛び出してきた無能のみならず、大量の新規入居者というさらに頭の痛い問題もある。狂王がまた気まぐれでも起こしたのだろう。

 そして、そいつらもまた揃いも揃って「世界は滅んだ」とほざいている。次から次へと「ここはどこだ」と質問攻めしてくる。「とりあえず街に行け」とあしらってはいるが、いつまでもきりがなかった。


「いえ、それが……話してみる価値はあるのではないかと」

「なんだ? お前がそういうなら会ってはみるが……」


 姿を見せたのは一人の女である。

 銀の長髪。蒼い瞳。透き通るような白い肌。美しい女だった。 すらりとした肢体でありながらその胸には実るべきものが実っている。素朴なワンピースの上からでもよくわかる。

 それ以上に目を見張ったのは、両腕が欠けていたこと。それだけでなく、肩の断面から覗くものが機械仕掛けであったこと。チタン合金の骨格に人工筋肉。それはルドックの知識にはないものだ。

 魅了するほどの美しさを持ちながら、両腕を失い、さらには人間でないことを示す断面を覗かせていた。どこに注目していいのやらルドックは困惑を隠せない。

 だが、その中でも最も奇異に映ったのは、一見して特に変哲のない金縁の眼鏡だった。


 その女は、グラス、と名乗った。

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