王なき城は眠る②

 城下街では、そこかしこで果樹が石畳に根を張って生育していた。

 種を口にし自ら命を絶ったもの。あるいは、無理に種を含まされ殺されたもの。そのような形で場所を問わずに果樹へと成り果てたに違いない。どの果樹も実った食物は根こそぎ収穫され、今にも枯れようとしていた。

 それだけではなく、人の形を残したただの死体も転がっている。国の状況に絶望し自死を選んだもの。あるいは暴動によって殺されたもの。死と破壊と混沌によって、街は醜悪な臭いに包まれていた。


「おら! 口を開けろ!」

「早くしねえか。てめえみてえな役立たずにはそれしか使い道はねえだろうが」

「人の血を吸った果実は食いたくねえ。果樹にはなりたくねえ。わがままばっか抜かしてんじゃねえ! そのうち餓死すんだからせめて役立って死ね!」


 聞くに耐えない罵声が響く。それも、広場の真ん中で。三人の男に囲まれて一人の少年が幾たびも踏みつけられていた。それを、誰もが見て見ぬふりをしている。


「やめなさい」

「んあ?」

「それ以上の暴行は私が許しません」


 見ていられず、タスが前に歩み出る。


「なっ、てめえ! タスのババア!」

「下がりなさい。命までは奪いません」


 構えた剣の威圧感に、男たちは竦み震え上がった。


「くそっ、なんで……旧国民にビビって逃げたんじゃねえのか」

「お、おい、行くぞ。あのババアには敵わねえ……」


 そうして、暴行を加えていた男たちはそろそろと逃げ帰っていった。

 あとには、血まみれになって蹲る少年が残った。


「大丈夫ですか」

「……あんた、タスだろ」


 力のない声。ただし、その声に含まれるのは、感謝の意などでは決してなく、怒気である。

 差し伸べられたタスの手を払いのけて、少年はゆっくりと立ち上がる。そして。


「あんたのせいで……!」


 恨み言だけを残して、少年は手に持っていた短剣で自らの喉を掻っ切った。

 自死である。喉から血が噴き出し、やがて身体は弛緩し姿勢を崩す。タスもまた膝をつき、崩れ落ちるその身体を優しく支えた。

 少年から果樹は芽吹かない。人として死んだ。そのために自死を選んだのだ。


「タス。お前のせいなのか?」


 背後から尋ねるのはキズニアである。


「私の責任もあるでしょう。“夢の果樹”について情報統制が甘かった結果といえます」

「責任か。俺が聞いたかぎりの話で判断するなら、諸悪の根源は狂王といったところだな」

「そうでしょうか。見ての通り、この国は狂っています。しかし、機兵群の徘徊する世界で生き延びることもまた不可能でした」

「彼によって命を救われてる人間もいる、か。それもまた確かだろう。だが、この惨状はやつの悪意が原因だ。俺の見立てでは、“夢の果樹”の苗床はなにも人間の命にかぎらない。狂王もそれを知っているから代わりとなる生き物をあえてよこさない。お前はその最悪の状況でうまくやったんだ。二年は持ちこたえたのだろう?」

「慰めてくれているのですか?」


 タスは立ち上がる。


「ありがとうございます。ただ、やるべきことはやらねばなりません」


 すなわち、王城の奪還である。彼らは、天を衝かんばかりに聳える巨大な王城へと臨んだ。



「何者か! 王城への侵入者許すまじき!」


 顔のない兵が道を塞ぐ。

 鉄製の鎧と兜を身に纏い、槍を構え武装した兵。まるで戯画のような粗雑さだった。解剖学の知識を持たぬ子供が見てくれだけ人の形に整えたような、オモチャの兵とでも呼ぶべき姿である。

 そのうえ、言葉こそ発するものの知性も限定されている。彼らはかつてタスに城を奪われ、そのタスから城を奪い返したはずなのだ。その因縁深きタスに向かって「何者か」である。

 ただし、数は多い。城門の前で警備していた兵だけで二十体ほど。見た目こそ間抜けさを感じさせるが、その練度は衛士相当である。すなわち、ただの一般市民では太刀打ちできないことを意味する。


「剣牢」


 むろん、彼らにとってはそのかぎりではない。たかが二十の衛士など、一瞬のうちに制圧できる。地から生えた無数の剣が、それこそ牢のようにして顔のない兵を閉じ込めてしまった。


「な、何事ー!」

「曲者だ! 王をお守りしろー!」


 城門を潜り、二人は王城へと足を踏み入れた。



「何者だ。なにをしに余の元へ姿を見せた」


 玉座に座るのは王である。例によって顔はないが、ハの字にヒゲが生え、王冠を被っている。それからファー付きの赤いマント。まさに「王様」と聞いて子供が思い浮かべそうな姿そのものである。


「いや、お前は……あのときの女か」


 仮にも「王」というだけはある。かつて争った人物の顔と名前を覚えるだけの知性はある。

 だが、それだけだ。

 敵襲を前にして狼狽えることのない態度は、余裕からではなく「威厳ある王」の役を演じているからにすぎない。


「何者か! 王城への侵入者許すまじき!」

「曲者だ! 王をお守りしろー!」


 兵たちはあいかわらず口々に定型句を叫んでいる。

 赤い絨毯の先に王はいる。その左右に十体ずつほど整然と立ち並んでいた兵たちは、一斉に槍を構えて侵入者への敵意を剥き出しにする。

 それを、同様にキズニアが剣牢によってそのすべてを無力化した。兵たちは身動きできずにジタバタしていた。


「タス。この程度なら別にお前一人でも問題なかったのではないか?」

「ええ。ただ、あえて城を奪還する意味もなかったものですから」


 今は違う。キズニアはこの城に希望を見出している。左右で剣牢に囚われた兵たちの間をつかつかと歩みながら、キズニアは王の前に立つ。


「王よ。この城を探索したいのだが、構わないか」

「なんだ。貴様は。初めて見る顔だな?」

「キズニア・リーホヴィットだ。かつて、お前たちがこの国を支配し、食糧を独占していたと聞いている。その当時使っていた食糧庫はどこにある?」

「今もこの国の支配者は余である! 貴様、不敬――」


 と、言葉半ばに王の身は斬り裂かれた。タスの遠隔斬撃である。


「まさか、こんな出来損ないですら不殺の対象なのですか?」


 タスは呆れ顔でいう。


「お前はむしろ殺すのが早すぎる。もう少し話を聞いてもよかっただろう」

「いいえ。彼らとの会話は無意味です」


 王の身体が黒いすすとなって崩れ落ちていく。それは彼が魔獣である証左である。その様を目の当たりにして、剣牢に囚われていた兵たちの挙動はより激しいものとなった。


「王!」

「王!」

「陛下!」

「王ォォ!」


 彼らは身が裂かれるのもお構いなしに、剣牢に向かって突っ込んでいく。そのまま自滅し、一体残らず黒いすすとなって王の後を追っていった。


「彼らは言葉を発しますが、見せかけだけです」


 タスは、そう断言する。


「で、こいつらはまたどこかで再生するというわけだな?」

「ええ。だいたい三日後といったところでしょうか。国土のどこで発生するかに規則性はないようです。ただ、“王”の役をもった人形は王城を目指して兵を率います。我々はそのたびに彼らを蹴散らしてきました」

「なるほど。あえて王城を奪還する気が起きなかったというのも頷ける」

「我々が王城を必要としたのは“夢の果樹”を秘匿するのに中庭がちょうどよかったからです。政治的中枢としての象徴も少なからずありました」

「で、王にしたのと同じ質問をお前にもしようか。食糧庫はどこにある?」

「わかりません」

「なぜだ」

「むろん、我々も当初はまだ食糧が残されていることを期待し王城内の探索、食糧庫の発見に努めました。ですが、それはすぐに断念せざるを得ませんでした」

「外観から王城が広く巨大であることは察するが……?」

「城内は広い範囲に渡って“闇”に閉ざされています。無事なのは一階と二階の一部、中庭などかぎられた範囲だけです。食糧庫はおそらく“闇”に覆われた中にあります。それでも、たとえば芋が残されていれば種芋として利用できる可能性がありました。あなたと同じ発想です。我々は“夢の果樹”に頼る体制を避けるために八名からなる探索隊を編成しました。しかし――」


 タスの表情は重い。キズニアは黙ってその言葉の続きを待った。


「帰還者は一名。彼は最期にこう言い残しました。“闇に探りを入れてはならない”――そして、急に苦しみ出して死亡したのです」

「それで王城の探索を諦めたのか」

「そういうことです。犠牲者が出るのであれば、同じことですから」

「“闇”、というのは?」

「そのままの意味です。松明などでも灯すことのできない“闇”です。視界はせいぜい数m。さらには対魔術障壁でもあり、霊信も遮断されます。実際にご覧になりますか」


 タスの案内で玉座の間を離れ、廊下の奥まで案内される。その先に、まさにただ“闇”としか呼べない隔絶があった。

 むろん、照明が落とされて暗くなっている、などというものではない。「こちら」と「あちら」が明確に区切られている。「こちら」から明かりを照らしても「あちら」の闇にすべて飲み込まれてしまう。そんな印象だ。いわば、“闇”そのものが空間を漂っているかのようだった。


「腕を伸ばして入れてみる程度では問題ないか?」

「ええ。一歩でも足を踏み入れればなにかが起こる、というような性質のものではありません。ただ、すぐに戻ってください。体験してみるのがよりわかりやすいでしょう」


 キズニアは“闇”の中に腕を伸ばして入れる。腕は“闇”に飲まれたかのようにほとんど見えなくなった。

 一歩、足を踏み入れてみる。急に世界は闇に覆われる。足元がなんとか視認できる程度だ。奥の様子はなにも見えない。左右の壁ですら薄っすら見えるか見えないかである。

 振り返っても、光り輝いていたはずの元の世界も闇に閉ざされている。外にいたはずのタスの姿も見えない。目が慣れるなどというのも期待できそうになかった。歩を進め、元いた世界へ戻ることで、ようやく光を思い出すことができるのだ。


「……これほどのものとはな」

「基本的には放置しているかぎり害はありません。その範囲も拡大と縮小を繰り返していますが大きな変化はありません。ただ、あの日――探索隊が帰らぬものとなったあの日には、“闇”は大きくその勢力を拡大しました。まるで、命を吸って成長したかのように」

「帰還者が残した言葉も気になるな」

「はい。“闇”のおそろしさは体験していただいた通りですが、それだけではりません。“闇”の奥には確実になにかが潜んでいます。“闇に探りを入れてはならない”――私の印象では、彼はその言葉を口にするために命を賭けた。そんな様子でした。だからこそ、私はその言葉に従うほかありませんでした」

「理解した。だが、もはやそれどころではないと俺は判断する」

「……そうかもしれません」

「王城を探索する。食糧庫を発見し、農業の礎となるであろう芋や豆などの種子を手に入れる」

「その様子だと、一人で行くつもりですね?」

「ああ。危険だというのなら下手に人員を割くべきではない。それに、お前には王城の防衛を頼みたい。暴走した市民や旧国が王城へ突っかけてきても困るからな」

「いえ。一人で行くべきではありません。探索隊唯一の帰還者は、魔術能力としては決して高い方ではありませんでした。言い方は悪いですが、彼より優れた魔術師は他にいくらでもいたのです。探索隊には獅士も含まれていました」

「それがどうした」

「魔術能力の高さが生存率に寄与しない可能性があるということです。つまり、いくらあなたが強くても命を落とす危険性は十分にありえます」

「それほどか」

「むろん、強いに越したことはないでしょう。しかし……」

「ほかに仲間がいないか。まあ、探せばいるだろう。スターライトホテルからの転居者も多い」

「心当たりがあります。彼らならあるいは、あなたを手助けしてくれるでしょう」

「名は?」

「ランペイジ・ルドック。トラハディーン軍国出身の傭兵です」

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