小さな譲れぬ戦い③

「くそっ、くそっ、てめっ、なぜだ……!」


 試合は一方的な展開だった。

 トッドは舞い、絶え間ない連撃をスレインに浴びせ続ける。

 対し、スレインはそのすべてを対貫通障壁によって凌ぎ続ける。

 決して簡単なことではない。攻撃に対する障壁は「一撃に対して一枚」というのが一般的で、それもよほどの実力差がなければ「威力を軽減する」程度の効果に留まる。

 両者に実力差はさほどない。魔力量で測るならトッドの方が上だ。いかにスレインが障壁魔術に特化して研鑽していたとしても、攻撃を完全に防ぎ切る障壁を一撃ごとに展開し続けるのでは打ち込むトッドより消耗が激しく釣り合いがとれない。

 本来であれば、そうなる。

 スレインはトッドの攻撃を完全に見切ったうえで障壁の強度にをつくっている。攻撃の軌道をあらかじめ予測し、その箇所の障壁を補強しているのである。

 だから破れない。つまり、障壁の使い回しができる。

 万が一にその予測が外れたときだけ障壁は破れ、それでもなお威力は軽減されているために容易く躱すことができる。

 そして、それよりも先にスレインはトッドの動きに隙を見出し、自ら障壁に「穴」を空けてトッドに刺突剣レイピアを突き刺す。あるいは、軽く斬り裂く。

 一撃ごとは軽い。皮膚を裂き、たまに肉に刺さる。だが、トッドの攻撃は一切通らず、スレインの攻撃だけが通り続ける。トッドの傷は増え、じわじわと失血していく。「怪我」のありうる試合形態にのみ有効な戦法だ。

 互いの消耗は時間と共に差が開き、統計的にスレインの勝利は確定していた。


「降参するか? であれば、命までは奪わない」


 これは嘘だ。スレインは命を奪うつもりでいる。

 ただ、こういって挑発すればトッドが拒絶することは知っている。継戦の意志をトッドが口に出せば、審判に試合を中断させられる危険性を減らせる。つまり、これは審判への牽制である。


「ばっ、ふざけんなよ……!」


 期待通りの答えだ。あまりにわかりやすい。

 その一方で、スレインは油断はしていなかった。むしろ警戒すらしている。

 手応えがように感じたからだ。

 スレインにとって、トッドのMMドラッグ服用は予想外の事態であり、魔力・腕力・敏捷性・集中力・反応速度などの向上の結果として何度かは障壁を破られいくらか傷を負うこともあるだろうと覚悟していた。

 無傷では済まない。なれど勝てる。それが試合開始直前までの想定。

 だが、現時点でスレインは無傷。トッドは傷と失血のために動きが鈍りつつある。

 ――なにか、企んでいるのか。


「け、けけけ。さすがにバレたか? 俺が本気じゃねえって。わざと攻撃を受けてるってよ」


 やはり、こと戦いにおいてその勘は鋭い。わずかな表情、動きの変化から、スレインがなにか勘づいたということにトッドは勘づいた。


「だが残念。もう手遅れだ」


 不可解な言動を呑み込む時間を与えず、トッドは踏み込む。

 もはや何度も見慣れた、真っ正面からの単調な突きだ。なに一つ工夫もない。動きも鈍い。障壁でこれを弾き、即座に反撃へ転じ――。


「はい残念。貼るべきなのは対魔術障壁でしたー」


 幻影を見たのだと思った。

 ありえない。たとえ無教養で幻影魔術の心得がないであろう相手でも、スレインは基本に忠実に感覚保護を怠ってはいなかった。

 であれば、目の前に起こった出来事は現実だ。

 一瞬のうちに無傷となって不敵に笑む男がそこにいる。

 ――傷はどこへ消えた?

 その答えはすぐさま、痛みという形で表れた。

 トッドに与えたはずのすべての傷が、そっくりそのままスレインに置換されていたのだ。


「きひゃひゃひゃ! ざまあねえな! 完ッ全に狙いどおりだぜ!」


 スレインが見上げ、トッドが見下ろす。立場は一瞬で逆転していた。


「固有魔術〈傷換〉ってんだ。けひゃ。ま、説明は別にいいか? 槍の先で指し示すだけでだ。知らなきゃ避けられねーよ。知ってても無理だろうぜ。なあ?」

「なんだ、貴様……こんな魔術いつのまに……」

「さあ? もとから持ってたのか最近目覚めたのかは知らねーけど。ひひ。とにかく気分がいいぜ。なんだっけ? “降参するなら許してやる”……おっといけねえ。てめえにそれを言ったら真に受けてマジで降参しかねねえからな」


 図に乗っている。調子に乗って話すべきことでないことまで話している。

 トッドは野生的な勘には優れている。だが、魔術戦の基本がなっていない。固有魔術の詳細をペラペラと語って聞かせるなど愚行以外のなにものでもない。

 だが、現状。スレインはだからといって覆らない劣勢にある。


「傷をもっかい交換して再逆転、なんて考えてねーだろうな。無理だぜ? これは俺の魔術だ。俺がその気じゃなきゃ〈傷換〉は起こらねえ。当たり前だよなあ?」


 とどめを狙った追撃。が、これもまた障壁に防がれる。スレインは膝をついたまま自己回復にて傷を癒していた。


「ちっ。まだそのくらいの障壁は貼れるのか。障壁で身を守りながら自己回復たぁ、羨ましい休暇の過ごし方だなおい」


 それも長くは続かないことはスレインが一番よくわかっていた。

 障壁に集中すれば自己回復は滞り、自己回復に集中すれば障壁は破られる。トッドを相手にして両立することはできない。仮に傷を癒せたとしても消耗は大きいものとなる。

 考えなければならない。他に勝利の糸口を。


「おや!? 怪我してるねスレインくん? どうしたのかな? 転んだのかな? 手当てしてあげるからまずは障壁を剥がそうね!」


 トッドは魔術戦の素人だ。そこに勝機がある。固有魔術をいつから手にしていたかはともかく、言動から察するに自覚したのはつい最近に違いない。

 であれば、彼自身も固有魔術の詳細な性質はまだ把握できていない可能性が高い。実戦で使うのはこれが初めてだろう。トッドも見落としている「穴」がどこかにあるはずだ。


「意外と保つねえスレインちゃ〜ん。でもつらそうだね? 剣も持てなくなっちゃった? さっきから大して傷治せてないねえ?」


 打つ手を模索する。ここからふつうに戦っても勝算はない。

 幻影はどうか。一ヶ月前に痛い目にあっている。さすがに感覚保護は覚えているだろう。

 傷を再度交換する。ありそうな攻略だが、発動の条件を術者トッドが握っているなら無理だろう。それは彼の指摘通り――。


「ぜぇ、ぜ、はっ……」


 ――息切れしている?

 スレインは地べたに目をやった。トッドの血痕が残っている。自身の状態コンディションを確認する。傷は痛むが、だ。

 なんのことはない。逆転などしていなかったのだ。傷を交換できても、失血が取り戻せるわけではないのだ。

 スレインは自己回復をやめ、剣を握る。痛みを無視して立ち上がり、その切っ先を隙だらけの男の心臓へを突き出した。


「そこまでだ」


 手には肉を刺す感触はなく、金属と衝突した痺れがあった。

 トッドを殺していたはずの一撃は、主審席より伸びた剣の腹によって堰き止められていた。


「なぜ」


 スレインは、無念にただ剣を強く握る。


「なぜ止めたのです! キズニアさん!」

「止めるといったはずだ。はじめからそれが規定ルールだ」


 非の打ち所のない答えだ。だから、それ以上は正論では返せない。


「こいつを……殺せていたかもしれないのに!」

「だから止めた。誰であろうと俺の目の届く範囲で殺しはさせない」


 スレインにもわかっていた。キズニアはそういう人物だと。だが、いかに彼であってもトッドの「事故死」を止めることはできない算段だった。彼がはじめからすべてを見透かしているのでだ。


「おお〜っと! まさか、まさかの! 新たな優勝者チャンピオンの誕生デス! スレイン・スタッカード! 致死試合デスマッチを制したのはこの男だ!」

「さて、優勝者には俺への挑戦権が与えられることになっているが……まずは傷を癒せ。それからだ」


 ***


「レグナくん? なにをしてるんだい?」


 二人は低高度実験居住区画を望むことのできる丘の上に立っている。施設はかなり大きくは見えるが、大気に遮られて青白く霞んで見える。


「陣地を形成している。対認知障壁の陣地だ。向こうから撤退してくるのに必要になる」

「ふうん?」

「俺の〈空間接続〉は“高さ”が苦手だ。見えているとはいえ、目標はあの高さだ。追跡魔術の痕跡があるのはだいぶ助かるが、それでもかなり難がある。で、問題は戻ってくるときだ。おそらく、“どこにも”は繋げない。できるだけ近くで、確実に繋げる位置を確保したい。あの“高さ”に挑むのは俺もはじめてだ。不測の事態に備えておくために地上陣地を用意する」

「いろいろ考えてるんだねえ」

「一つ聞きたい。収容所に囚われている人々でも、必ずしも“狂国入り”を望まない人もいるはずだ。たとえ命がけでも、外への自由を望むものもいるだろう。そういったものにはどう対処する?」

「現地の状況によるよねえ。“狂国”についてじっくり説明できる余裕があれば説明するよ。そのうえで望みを聞こう。でも、たぶん、それどころじゃないと思うんだよね」

「意思を問える余裕があるなら問うと約束するんだな?」

「そんなことをしてたら、だいぶもたつくと思うよ? 機兵も囚人の脱獄を黙って看過するとは思えないから、僕らは可能なかぎり迅速に作戦を遂行しなきゃならない」

「…………」


 狂王は軽薄な言葉ばかり並べるが、ときとして反論のしようもない正論をぶつけてくる。感情的に言い返すのは思う壺だ。彼にとってはきっと、「正論」も遊び道具の一つに過ぎない。


「なら……、ひとまず片っ端から一時的に“狂国入り”させ、望むものは外で解放する。というのはどうだ?」

「あー、はいはい。レグナくんはその認識だったんだ」

「なに?」

「一度“狂国”に入ったら、二度と出ることはできないよ。僕にも出すことはできない。引き出しの棚じゃないんだから」

「なんだと……!」

「わ。また怒った。“なぜ言わなかった”とかいわないでよ。だって、そこに認識違いがあるなんて思わないじゃん」

「だったらなおさらだ! 一時的避難ではなく、永住を、勝手に……!」

「現実って、つらいことばかりだよね。でも、挫けず生きていくことが大事だと思うんだ。さあ、行こう。きっと僕らの助けを待ってるよ」

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