守るために戦う

 レグナはまず、「繋げた先を間違えてしまった」と考えた。

 そして次に、「ならばに間違えたのか」と考える。

 さらには、「いずれにしろ調査の必要がある」と思考は発展する。

 ここまで数十秒ほどかかったが、それ以上思考を進める前に別の可能性に思い至った。

 すなわち、「狂王が悪ふざけで幻影を見せている」可能性だ。これは感覚保護によってすぐに否定された。

 現実。夢や幻かと疑うほどの異常光景。

 そして思考は「いずれにせよ調査の必要はある」に戻ってくる。

 とすれば、問題は「調査に際する危険性リスクの評価」である。

 レグナは“覗き穴”から見える範囲を丹念に観察する。

 一言でいえば「庭園」に見えた。空は白い雲を浮かべながらわざとらしいほど澄み渡って青く、草花も咲き誇りよく手入れされている。噴水に石畳、人々の姿も見える。ベンチに腰掛けるものであったり、散歩しているものであったり。もう何年も忘れていた「平和」な光景だ。あるいはそこは「楽園」と表現すべき場所なのかも知れなかった。

 周囲には未知の様式の建築物が並び、覗き穴からでは全容が伺えないほど巨大な「塔」のような建物も見える。素材の段階でまず見慣れない建物である。未知と異様に圧倒されるが、そこでは確かに人々が朗らかな笑みを浮かべて過ごしていた。


「狂王。どう思う」


 こんな光景を見せられては、狂王ですらがより身近に感じる。レグナは意見を求めずにはいられなかった。


「なるほど……これは……僕も想定が足りなかったな……」


 狂王もさすがに困惑の声を漏らす。そのあとは、互いにしばらく沈黙が続くことになった。


「えっと、レグナくん? これは、その、あそこに見える……なんだろう、あの収容所――“天空の城”の内部に繋げたってことだよね?」

「そのはず、だと思ったが、どうやら間違えたらしい。たまにこういう事故も起こる」

「間違えた? どこに?」

「わからない。だから事故だ」

「この穴、どのくらい繋いだままにできる?」

「少なくとも十分は問題ない。ただ、それ以上は不安定になるおそれがある」

「十分か。仮に事故だとしたら、もう一度ここに繋げるのはできないわけだね?」

「一度足を踏み入れさえすれば……いや、だとしても……」

「いや待って。違う」


 狂王はなにかに気づいたように、レグナの思考を制止する。


「レグナくん。これ多分正しいよ。は、だ」

「なに?」


 レグナはもう一度“穴”を覗き込んで観察する。狂王のいう意味は理解できない。


「そもそも空が違う。俺たちのいる空はこんなに青く晴れては――」


 違和感。その空には太陽がない。にもかかわらず燦々と輝いている。まるでつくりもののように。


「まさか――」


 前提から思考を組み立て直す。

 レグナも、そして狂王も、「拉致された先」をいつの間に「収容所」と呼ぶようになった。ぼんやりと想定イメージしていたのは「鉄格子の牢」「日に一度の粗末な食事」「助けを求める人々」といった光景だ。

 だが、それはなんの根拠もない思い込みに過ぎない。


「なるほど。たしかに、こんな楽園めいた光景は、逆に言えばやつらの支配領域でなければありえない……!」


 認識を改める必要がある。収容所というよりは、おそらく植民地支配の原住民保護特区のようなもの。あるいは、環境整備された鳥籠や水槽である。


「機兵の姿は見えないね……?」

「人々の表情から見ても抑圧的な環境ではないのかも知れない。だが、だとしたら……」

「監視がないのが奇妙だね。見たところ“眼”を潜ませられそうな死角は多いけど」

「どうする?」

「……接触コンタクトしよう。ただ見ているだけの観察では限界がある」

 レグナにとって、それは「即断」に思えた。しかし、狂王からすれば判断にこれほど時間を要した事態は初めてのことかもしれなかった。

「とはいえ……どう話しかけても驚かれるだろうな。どうにか穏便に済ませる方法はないか?」

「穏便に、というのを追求するなら孤立した一人をかっさらってきて“こちら側”で話を聞くのが最も現実的だろう。でも、どちらにせよ発覚は免れないね。幻影魔術を使っても機兵には通用しない。〈空間接続〉の説明も兼ねて直接出向くのが手っ取り早いと思うよ」

「……そうだな。あまり時間もない」


 また同じ位置に繋げられる保証もないからだ。「迅速な行動」に、レグナも同意した。



 二人が「箱庭」に足を踏み入れたとき、すぐには人々の反応はなかった。

 部外者である二人には知らぬことだが、「箱庭」は人口百五十名で管理され生活している空間であり、だいたいが共同体コミュニティ内の顔を覚えている。

 そのため、人々の反応は「誰かが突然現れた」よりも「見知らぬ人がいる」が先だった。

 大きな鋏を持ち左顔面に火傷を負った男と、美しい赤い髪をした色気すら感じられる笑みを浮かべる男。うち、勘のよいものが二度見して違和感を意識し、なにかが起こっていると知ることになる。


「あー、我々は“外”から来た。その、君たちを助けに――」

 違う。彼らは助けを求めていない。レグナは言葉選びを間違えたと思った。

「僕はリトウ・リードゥ。彼はレグナだ。ここの責任者みたいな人はいるかな? 話がしたい」


 代わって、狂王が前に出て話す。


「なんじゃ、お前たちは……」


 見知らぬ二人に驚きながら声をかけてきたのは、一人の老人だった。


「えっと、ひとまずおじいさんでいいのかな?」

「責任者――と呼べる立場かはわからんが、わしが話を聞こう。ホテルではスターライトの等級にある。ランドシープというものじゃ」

「ホテル?」

「あれじゃ」


 と、ランドシープを名乗った老人は塔のごとし高く巨大な建物を指し示す。


「わしはあの最上階に居を構えておる。まあ、についてはそこそこ詳しく、それなりに権限もある――といった雑な説明になるがよいかの?」


 老人の目には猜疑が浮かんでいる。ゆえに、嘘はつかぬまでも深く踏み込まない範囲での説明に留める。「なにかを話した」という体裁をとりつつ相手からの言葉を待つ構えだ。


「よろしくランドシープさん。僕らはいわば“抵抗勢力”だ。彼の――レグナの固有魔術〈空間接続〉によって“外”からここへは侵入してきた。えっと、ここは……機兵の管理下にあると思ってよいのかな?」

「機兵。あやつらをそう呼ぶなら的確な表現じゃな。そうだ。ここは彼らの“箱庭”――わしらは魔術持たざる人形たちによって飼われておる……といったところかの」

「ありがとう、ランドシープさん。ところで、機兵の彼らは侵入者である僕らには気づいていないのかい? 特に反応がないようだけど」

「気づいてはいるはずじゃ。だが、やつらはわしらには基本的に干渉せんのでな」

「へえ?」


 ますます想定外だ。狂王は笑み、問うことを一旦やめて少し考える。聞きたい質問は泉のごとく湧いて出るが、一度冷静に思考を整理する。能動的アクティブな探りをやめ、受動的パッシブに耳を傾ける。


「なんだ? なんかの試験テストか?」

「服が汚いな……外から来たというのはホントか?」

「外ってどこだよ。そもそもここはどこなんだよ」

「新顔か? 百五十人から別に減ってないよな?」

「助けに、とか言ってなかったか?」


 人々はどよめき互いに顔を見合わせながら、大量の疑問符を浮かべていた。


「そうだ、僕は君たちをに来た! もっとも、助けを求めていればの話だけどね」


 狂王は皆に聞こえるように声を上げた。


 そしてその反応に耳を傾け、さらに思考の糸を紡ぎ合わせていく。


「狂王。これは、まさか……」


 レグナも気づいた。人々の反応から、まったく予想していなかった事態にあることを。


「助け、か。なるほど、おぬしたちは〈空間接続〉とやらでわしらをここから外へ出せるというわけじゃな。すまないが、それには及ばん。わしらの多くはここでの暮らしに満足しておる。“助け”はいらんのじゃよ」

「それは、彼らに言わされているわけではなく?」

「もちろん」

「ここでの生存は保障されているから?」

「そうじゃ」

「外へ出ても殺されるだけ、だと?」

「その通りじゃ」

「いえ、その点については心配はご無用。これを見て欲しい。“ミニチュア王城”といって――ああ、もういいや」


 突如、狂王は赤い爪を伸ばした。その直後、目の前の老人は姿を消してしまった。


「なっ――狂王ッ!」


 その意味に、即座に気づいたのはレグナだけである。


「なぜだ! まずは説明してからと――!」

「“現地の状況による”」


 踊りのようだった。

 赤い爪の軌跡を鮮やかに、狂王は次から次へと人々を“狂国入り”させていく。人々が異常に気づき、逃げ惑い始めたころには遅い。庭園に出ていたものはあっという間に半数以上が「国民」となっていた。


「この……クソ野郎!!」


 レグナは、大鋏を構え狂王を斬りつけてでも強引に止めさせることを考えた。

 しかし、一瞬のことだ。すぐにそれは不可能だと思い出し、思い知らされた。

 あまりに実力が違いすぎる。騎士団ですら止められない男をレグナに止められるはずがない。彼は、その動きを時折風として感じるのみで、目で追うことすらできていないのだから。


「さて、一通り済んだかな。あとは建物の中とか――ん? レグナくん?」


 などと惚けた声を出してはみたが、それは狂王にとって想定内の事態だった。



 レグナは狂王との離反を決意した。

 これ以上は助けられる人々を助けられずにいることには耐えられなかった。

 この「楽園」の実態はまだわからない。人々はあるいは洗脳されているだけかもしれない。なにもかもすべて偽りなのかもしれない。

 だが、まずはなによりそれを確かめないことには話にならない。

 その手順を大幅に省略し、有無を言わさず“狂国”という地獄に人々を無造作に放り込む狂王を、レグナは許すことはできなかった。

 ――それに対抗するには、こちらも決断と行動は迅速でなければならない。

 彼もまた狂王と同じように、建物内にまだ他の人々がいるだろうと推測した。ゆえに、建物内部へ“穴”を繋ぎ、狂王が来る前に警告し、あわよくば外へ逃がそうと考えた。

 しかし、それは未踏の地での目測による接続である。焦ってもいた。

 レグナは接続先を誤った。向こう見ずな行動の代償として、さらなる混迷の渦へと巻き込まれていく。そこは建物内ではなく、だった。


「いや、違う。これは……」


 人々がいる。狂王に囚われていない人々。先ほどとはまるで違う顔触れの人々。突如姿を見せた部外者の男に驚き呆ける顔の人々。意味することは一つ。


 ――同じ配置レイアウトの別区画があったのか!

 外から見た“天空の城”の巨大さからも、それは十分に考えうることだった。


「え? あれ、誰……?」

「突然現れたような気がするよ?」

「あたしも……なんなの……」


 少女たちは戸惑い。


「なんだてめえ、どこから現れやがった」

「……キズニアさん、これはいったい……」


 男たちも戸惑う。


 ――どうやら、ようやくいらっしゃったようデスね。狂王

 ただ一人が、その男の出現が意味するところを察していた。

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