狂王の憂鬱②

「また来たのか」


 彼にとって、はさほど脅威でもなかった。

 というより、彼がおそれるものなどこの世にはない。

 それは彼の持つ固有魔術のためでもあり、彼の精神性のためでもあった。


 ふらりと立ち寄った廃墟で、彼はまたしても囲まれていた。

 その数十六。全員が同じ姿形で、全員が均質な殺意を携えていた。

 だが、彼は狼狽えない。それどころか緊張感の欠片もない。いつものことだ。そう思った。

 ただ無機質に原住民を殺戮する人形。確実に頭部を捉え、一撃で命を奪う銃撃。彼にとってはそれこそ木偶でしかない。彼はただ棒立ちしたまま、その包囲が完成するのを待っていた。


「どうぞ?」


 十六の銃口より質量弾が射出される。炸薬と電磁力によって加速され、原住民であればどこに命中しても致命傷になりかねない殺傷能力を帯びている。

 彼もまた原住民である以上、例外ではない。ただ、それはあくまで“命中すれば”の話である。

 彼は両手の爪を広げた。血の滴るような赤い爪である。30cmはあろうかという長い爪だ。そして、その爪が六秒以内に届く範囲が、彼の支配する“領域”である。

 放たれた銃弾は彼の“領域”に侵入するや否や、従うべき主を変えた。長年仕えてきた物理法則を裏切り、新たな王に忠誠を誓った。

 慣性に従い直進することをやめ、同じ速度のまま急転回したのだ。

 結果、銃弾は撃った当人の元へと戻る。十六の銃弾は十六の射手へ。それぞれが胸や頭部に自らが発射した銃弾を受ける。間抜けな絵面ですらあった。

 ただ、その異常事態にあってなお彼らが動じることはない。原住民であれば致死となる運動エネルギーの直撃も、彼らにとってはやや機能を損ねる程度の損傷に過ぎない。また、自身の状態コンディションを診断する機能はあるが、痛覚があるわけでもない。それに、彼らはこうなることをすでに知っていたからだ。

 そして再び、同じ結果になると知りながらも彼らは銃弾を発射した。


「学習能力がないのか……?」


 そう独りごち、すぐに反省する。いや、これは学習の過程なのだ。

 撃った銃弾がそのまま跳ね返ってくるかの不可解な現象。その分析のために幾度も試行を繰り返し記録をとっている。全員で同じタイミングで撃ったり、あるいは微妙にズラしたり。射角を変えて撃ってみたり、あるいは同じ射角で撃ったり。細かく条件を変え、あるいはほぼ同じ条件での再現によって微妙な結果の違いが生じるかを検証する。

 彼らが、もし人間であったのなら。どれだけ命の軽い倫理観の緩んだ軍でも、これほど贅沢に兵員リソースを投じることがあるだろうか。無能な指揮官による無策な突撃命令ならあり得るかもしれない。しかし、彼らはあくまで合理的な作戦として、わずかな差を少しずつ検証するために「死」を厭わずに攻撃を続けてくる。自らが撃った銃弾が自分に返ってくるという結果を、完全に予測可能なものと知りながらだ。

 平均して二十発。彼らはそれだけを撃ち、その身に浴び、事切れた。


「これで終わりか……?」


 残骸となって倒れた人形をざっと眺める。

 やはり、いつもと同じだ。

 これで殺せないことなどわかっているはずなのに、囲んで撃って返され倒れる。もはや恒例行事じみていた。やる気はあるのか、と問いたくなる。


 そんな彼は、見晴らしのよい更地にいた。

 かつては皇都デグランディがそこにあった。

 今では熱核兵器で燃えて尽きて、ガラス質化した凸凹の地面と瓦礫がいくらか転がるばかりだ。

 ゆえに、その場所に立つ彼の姿は、2km先からでもハッキリと視認することができた。


「――!」


 小さな拳銃から射出される質量弾とは明らかに異なる、より大きな殺意。質量も、速度も、そして弾丸自体が炸薬を含んでいる。それは、榴弾と呼ばれるものである。

 曲射により砲弾は対象を直接貫くのではなく垂直に落下する。着弾時の衝撃によって信管は起爆し、弾殻内の炸薬が爆轟する。その衝撃波と火焔と破砕し飛散する弾殻が広範囲に死を撒き散らす。

 それが繰り返し射出された。ただ一人の男を殺すために。

 計三十二発が正確に彼を追うように着弾し、彼の姿は硝煙によって包み込まれた。

 煙の中から逃れるように彼は姿を現わす。無傷ではある。しかし、さすがの彼でも「逃げ」が必要になるほどの攻勢だった。これほどの攻撃を前には彼もただ棒立ちというわけにはいかなかったのだ。


 ――情報を与えてしまったな。

 傷一つ負わぬまでも、反撃できたわけではない。周囲を見渡すが敵の影は見えない。よほど遠くから撃ってきたに違いない。そして、そうした遠距離攻撃を繰り返されたのなら、実のところ彼には打つ手がなかった。


 ――やはり、連中は僕を本気で殺すつもりはないらしい……。

 薄々感じていたことである。砲撃の雨が止んだことがなによりもの証拠だ。

 本当に殺すつもりがあるなら、戦力の逐次投入など愚策もよいところである。あえてそうしている理由はいくらか考えられる。情報データをとることを優先している。あるいは、もう一つ。

 彼は踵を返すように歩き始める。かつての皇都の、外側に位置する部分。熱核兵器投下の際でも比較的爆風の影響が少なく、瓦礫や建物の形がそこそこに残っているものもある。


「大丈夫かい」


 その陰に、一人の女性が怯えて屈んでいた。


「あの、いったい、さっきのは……」


 声になるのもやっとといった震え声でそう尋ねる。


「なんだろうね。僕もよくわからない。ただ、人間を見かけたらああして殺しに来るから気をつけたほうがいいよ」

「あ、あなたは……無事、なんですか?」

「僕はね。僕を殺すことはそう滅多にできることじゃないんだよ」


 不可能、とまでは言わない。彼は自身の限界は弁えていた。


「ところで、君は? どうしてこんなところに?」

「皇都が……皇都が滅んだなんて、信じられなくて……」

「滅んでいるね。見ての通りだ」

「はい……」


 髪も、肌も、服も、ボロボロに薄汚れた女性だった。年齢は二十代前半か。まず目を惹く特徴として、豊かな乳房が実っているのが服の上からでもわかる。髪は黒く、目は青い。ケスラの血が混じっているのかもしれない。一通り観察はしたが、気になることは直に聞き出さなければわかりそうにはなかった。


「よく、生き延びてこれたね」

「そう、ですね……。あんな、おそろしいものに、ここまで出会わずに済んだのですから……運がよかったのかもしれません」

「…………」


 嘘だ。その微妙な態度に、彼は女性が嘘をついていると判断した。

 ただ、それがわかったところで根拠はない。問い詰めればボロは出るかもしれないが、口を噤まれてはそれで終わりだ。拷問でもしたところで真実を吐くともかぎらない。

 それに、ここまで生き延びているというだけでただものではないのだ。それがわかるだけでも十分であり、無意味に害することは無用なリスクを生じさせる。「拷問されること」が発動条件となる危険な固有魔術も考え得るのだから。


「君を助けたい」

「え……?」

「僕は君を助けることができる」

「ほ、本当ですか……!」

「そのために、僕を信じてほしい」


 彼は、そういって爪を伸ばした。血の滴るような赤い爪だ。死を連想させる鋭さを持った長い爪である。


「ひっ」

「信じて」


 そして、彼はその爪を振るう。



 その一部始終を、一人の男が見ていた。

 空間に穿たれた穴を通して、ただじっと覗き見ていた。

 十六体もの機兵に囲まれて物怖じせずに、銃を斉射されながらもあたかも銃弾を反射させるようにしてそのすべてを倒してのけた。

 どこからともなく放たれた遠距離からの砲撃の嵐にはさすがに死んだかと思ったが、煙が晴れてみれば無傷のまま立っている。

 おそるべき男だ。同時に、頼もしい男でもある。

 それほどの魔術師であれば、きっと“敵”とも対等に戦えるのではないか。さらには〈空間接続〉と組むことで、たった二人で一個の軍隊にも匹敵するのではないか。そう思えた。

 しかし、問題はその人格である。


 “魔術は狂気に宿る”という言葉がある。

 優れた魔術師はその一方で、人格的に難のある人物が多い。もっといえば、破綻者だ。ときとして一人の狂暴なる魔術師が軍でも手に負えないほどに暴れ回る事件が発生するのは、つまりそのためだ。

 そして彼はおそらく――いや、間違いなくである。

 しかし、状況が状況だ。

 いくら狂気とはいえ戦力として浮かせるにはあまりに惜しく、彼自身も心変わりしているかもしれないという望みもある。

 逡巡しながら観察を続けていると、都合よくそれを推し量れる事態を目にする。

 生存者の女性が物陰で隠れていた。彼からはだいぶ離れた位置にいたが、気づいて近づき声をかけた。

 声は聞こえない。唇を読もうにも角度が悪い。しかし、見たところ紳士的な対応である。

 そう思っていた矢先だ。

 彼は爪を広げ、女性の姿が

 斬られたわけでも、殺されたわけでもなく、その場から消えてなくなったのだ。

 ――見ている場合ではなかった。

 レグナは後悔した。また一人救えなかった。

 なにを馬鹿な期待をしていたのか。彼が心変わりなどするはずがない。たとえ世界が滅びようとも、彼は彼であり続けるに違いない。

 なぜなら、彼は狂王なのだから。



「あんた、なにした?」


 レグナは意を決して、その男の前に姿を現わす。

 狂王リトウ・リードゥ。類稀なる才覚によって人々を惹きつけ、一から「国」を築き上げた男。

 厳密には、それは正式に国として認められる前に滅んだ。他ならぬ、彼自身の手によって。

 そのおそるべき凶行のために周辺国家は彼を「狂王」と呼んだ。

 彼が王としての資質を備えることは疑いない一方で、しかし狂った王なのだと。

 そんな男の前にただ一人で立つということは、死の淵に臨むのと同じことだ。

 だが、もとよりレグナは死にに来たのだ。にもかかわらず、様子見だのと己に言い訳して生存者を見殺しにした自分が許せなかった。滅んでしまったこの世界でも、たった一つでもなにかをなして死にたかった。


「……おかしいな」


 狂王は、顎に手を当て考える仕草をする。


「他に周囲に気配はなかった。君はどこから現れた?」

「質問しているのはこっちだ。さっきの女性をどうした」

「その様子まで見ていたのか。僕の感知能力が衰えたとも考えにくい。負幻影? 見晴らしのよいこの皇都跡で、ずっと負幻影を発動し続け接近することはあまり現実的ではない。それに僕はいかなるときでも六分おきに感覚保護を心がけている。それでも漏れはありうるが――」

「質問に答えろ」

「ああ、すまない。ずいぶんとつまらない考えるに付き合わせてしまったね。レグナくん」

「!!」


 油断ならない男だとは思っていた。しかし、油断してしまっていた。

 レグナは狂王を知っている。あれほど有名で、手配書も出回っていた男だ。

 だが、まさか、その逆があるとは考えもしていなかったからだ。


「僕は勉強熱心でね。国を興し、運営していくためには、やはり知識と教養が不可欠だよ。それに臆病でもある。だから、軍で警戒すべき人物、軍にかぎらず興味深い人物。臣民を通して情報を掻き集めていた。だから、君のことも知ってる。空間歪師レグナくん」


 そこまで言われては、むしろ知っていて当然という気がしてきた。

 極めて有用でありながら同時に極めて貴重である〈空間接続〉という固有魔術。そのためにレグナはかつて帝国の“白”に狙われたことすらある。狂王が同じようにレグナを知っていてもおかしくはなかったというわけだ。


「そうか。俺のことを知っていたとはな。あまり自覚がなかった。だが、そんなことはどうでもいい。さっさと質問に答えろ。お前は、いったいなにをした?」

「殺した――と、思っているわけではなさそうだよね、その聞き方は」

「じゃあなんだっていうんだ」

「助けたんだよ。声までは聞こえない位置から覗いてたのかな。だとしたら誤解は仕方ない。許すよ」

「答えになっていない」

「これだ」


 狂王が懐から取り出し、手にとって見せたのは。

 手のひらに乗るサイズの小さな玩具。ガラスの半球に包まれた、ミニチュア王城である。

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