内部犯罪調査室②
「それでは、繋ぎま――」
レグナにとって皇都に“穴”を繋げることは特に容易いことだった。
一度でも足を踏み入れた場所なら自由に往き来できる固有魔術〈空間接続〉。
より正確には、「行き先を明確にイメージできるか」という点によっている。ゆえに、仮に足を踏み入れたことのない場所であっても目視できる範囲内、徒歩数分以内でだいたいの位置が想定できるような場所にも繋げることができる(ただし、「高さ」があるとこれは難しい)。
皇都はレグナにとって、内部犯罪調査室にとっての
皇都から外出し、皇都へと戻る。日々その繰り返しだ。なにより、皇都からはついさっき出たばかりである。その風景も、空気も、鮮明にイメージできる。
だが、彼の魔術は。
繋いだ先になにがあるかということを、事前に知ることはできない。
刃渡り1mもの大鋏。それは彼の愛用武器であり、〈空間接続〉の発動手段でもある。
鋏を開き、繋げる先を思い浮かべ、なにもない空間を切り裂く。その切れ目を広げることで、直径1mの“穴”が開く。
だが、そのときは「広げる」という工程を必要としなかった。
向こう側から、膨大な暴威が押し寄せてきたからだ。
たとえば、繋げた先が海の底であったのならば。怒涛の水圧が押し寄せ、鉄砲水のように襲い来る危険性は存在した。だが、今回繋げた先は皇都である。ゆえに、そのような警戒など一欠片もあるはずはなかった。
熱。煙。風。そして瓦礫。途方もない想定の外にあったその衝撃によって、レグナの足は地面から離れた。
彼は元軍人でもある。緊急事態への即応は訓練にもあった。
彼の反射的な思考は“穴を閉じる”――その一点へと辿り着いた。だが、今やその“穴”から遠ざかっている。吹き飛ばされている。鋏はまだ手にしている。ならば。
飛ばされる先に、別の“穴”を開く。一度に開ける穴は一つだけである。皇都へと繋がる穴はこれで閉じる。同時に、その穴へと飛び込み窮地を逃れる。行き先はどこでも構わない。
目が覚めたとき、レグナは全身に重度の火傷を負っていた。風が肌を撫でるだけでひりつくように痛む。
場所はわからなかった。どこか荒野だろうか。小高い丘の麓にいるらしかった。いずれにせよ、もう一度見知った場所に“穴”を繋げればいい。その発想で、彼は心の底から震え上がった。
――俺は、皇都に繋げたはずだ。
上体を起こすことすら困難な痛みで、それ以上は頭も回らなかった。
今は生き残ることだ。なんとしても。室長ならきっと、この事態でも冷静に状況を分析して答えを見つけ出してくれるはずだ。
「室長……?」
思い出す。皇都へ穴を繋げたとき、室長はたしか隣にいた。で、あれば同様に吹き飛ばされていた可能性が高い。
問題はそのあとだ。同じように飛ばされて、同じ穴に入ったのだろうか。それとも、まだあの場所に残されているのだろうか。
まずは前者を想定し、周囲を探す。重い身体を起こして、震えながらあたりを見渡す。
「室長?」
それは、思ったよりあっさりと見つかった。
見つかって欲しくはなかった。
黒焦げになり、身動き一つしない人の形。
それが室長だとは、思いたくなかった。
「室長!」
駆け寄る、というほどに身体は動かない。ズリズリと、身を引きずるようにしてその元へと近づく。
ただでさえつらい呼吸が、よりつらくなる。肺を貫くような痛さ。内臓が抉られるような寒さ。それでも、顔を確認しなければならなかった。
「室長……!」
間違いなかった。
倒れていたのは、サルヴァドール・岡島その人。
動きはない。息もしていない。脈や体温はレグナ自身も焼け爛れて判断はつかない。
しかし、やはり。室長の生存は絶望的に思えた。
室長はかつて事故によって魔術能力の大半を失っている。あの熱風に対し咄嗟の魔術的防御はほとんどできなかったに違いない。
――治癒術師の元へ運ばなければ。
レグナもまた重傷である。それは一刻を争う。しかし、ここで、無思考な反射的行動はさらなる絶望への入り口を意味する。
ふつうは皇都へ繋げる。有能な魔術師の多くはそこに集う。騎士が最も多く駐屯するのも皇都だ。求める治癒術師も確実にそこにいる。
だが、その皇都に繋げた結果がこのありさまなのだ。
皇都でなければどこだ? 第二師団の基地か? 皇都であれだ。他はどうなっている?
絶対に安全を確信し、なに一つ疑いも抱かずに日常業務をこなした結果がこれだ。
レグナが重度の
それでも、やるしかなかった。
残るわずかな力を搾り出すように動くしかなかった。
彼は同様の危険性を考慮し、第二師団基地に対してやや距離をとった位置に、小さめの偵察穴を開いた。
その判断は、悪いことに正しかった。
基地は燃え、そこには未知の人影があった。女性に見える。数が多い。同じ姿をしている。それは基地から逃げ惑うものを銃によって撃ち殺していた。一言も言葉を発さず、ただ淡々と。まるで屠殺業務のように。
レグナは穴を閉じた。
そして事態の深刻さを、その一端を理解した。
――あれは、まさか、我々が追っていた“敵”ではないのか。
最悪の想像に押し潰されそうになる。確証もないまま、曖昧な危機感をただ第三皇子に伝えた。その直後にこれだ。皇都が滅び、基地が燃え、あとはどこが無事なのか。彼はたった二例を目撃したに過ぎない。それでも、確かなものと信じていた二例である。
――皇国は、すでに滅んでしまっているのではないか。
信じたくはなかった。死ぬわけにはいかなかった。なにより、死なせるわけにはいかなかった。岡島室長には、なんとしても生きてもらって欲しかった。
繋げる先を考えねばならない。〈空間接続〉は一日に何度も使えるようなものではない。ましてや、今は弱り切っている。
これが、“敵”による攻撃であるならば。
まず攻撃の対象にならないような避難地へ向かう必要がある。
そして同時に、傷を癒し室長を助けることができうる場所。
レグナは、霊山アッタンの秘湯へと穴を繋げた。
さすがにここは安全らしい。それでも目的地そのものよりは少し距離を置いて慎重に、穴から覗き見た上で足を運ぶ。
立地が悪く、知るものもほぼいない小さな霊泉。それこそ、〈空間接続〉でもなければわざわざ足を運ぼうものなどまずいないだろう。休暇中にこっそり遊びに来ることが何度かあった。
魔力の漏れ出す霊泉に浸ることで、いかなる傷であろうともゆっくり、確実に癒えていく。レグナは自身が浸かるより先に、両手で湯を掬いながら室長の身体に浴びせかけた。
何度も。何度も。
しかし、湯の効用対象には一つ例外があった。
死人には、効果がない。
サルヴァドール・岡島の焼け爛れた皮膚が癒えることは二度となかった。
二週間は、ただ呆然としていたように思う。
ただ傷を癒すだけでずいぶんと時間がかかった。それでも、左顔面の火傷は治らなかった。霊泉の治癒効果にも限界がある。
考えなければならない。なにがあったのか。なにをすべきなのか。
内部犯罪調査室の他の仲間は無事だろうか。あの日それぞれの業務を思い出す。ただし、すべてを把握しているのは室長だけだ。レグナの記憶は漠然としている。
ほとんどの仲間が、皇都の本部にいたように思う。第三皇子との面会に向かう際、別れの挨拶をしたのを覚えている。
そして、もし皇都にいたのならば。
あの日皇都でなにがあったのかを、レグナは正確には把握していない。だが、そのことを考えるだけで激しい吐き気に見舞われた。
あのとき別れた第三皇子は無事だろうか。
ようやく回復したと思えたころに、今一度その場所へ繋げてみる。皇都から飛んできたと思われる瓦礫が散らばっているだけだった。そして、その瓦礫に潰されていた誰かの両脚。切断して本人は逃れたのだろうか。
その場に死体がないということは、きっと移動して無事なのだろう。
一つの希望が湧いた。問題は、いかにして合流するかだ。
とはいえ、手掛かりも一切ない状況では探し出すこともできない。
霊泉を拠点としながら、考えうるかぎりの街や村に片っ端から穴を繋げた。どこも同じように壊滅していた。悲観に過ぎると思えた想像はそっくりそのまま現実だった。
それでも。まだ、どこかに生存者はいるはずだ。
そしてこの固有魔術は、生存者を救い、逃し、集めるのに、最も適した能力だ。
そう思い、信じてきた。しかし。
無事だった村を見つけ、彼は安堵し狂喜した。その一方で、村の方は冷淡だった。
「早く逃げましょう」
村人はきょとんとしていた。
街から離れ隔絶していたがために無事だった。しかしそのせいで、誰一人状況を理解していなかったのだ。
彼は説明する。説得する。ここもいずれ危険だと。すぐに逃げなければならないと。
「その話が本当なら、どこへ逃げても同じじゃないかね?」
そんな「正論」を前に、彼は打つ手がない。
彼は村人に疎まれながらも、村で生活して根気よく話を続けた。そもそも信じてすらもらえなかった。大事な故郷を捨てるわけにはいかないと一点張りだ。
無為な日々を過ごすうち。
ついにその日が来た。殺戮者の群れが生存者の集落を発見したのだ。
村人は次々に殺されていく。レグナは村の外れに“穴”を開け、必死に避難を呼びかけた。
だが、彼らは立ち向かった。村を守るため、めいめいに農具を武器がわりに手にとって雄叫びを上げた。興奮状態にあった彼らの耳にレグナの声は届かない。
彼は誰一人救えなかった。
いかに優れた魔術があろうとも、それを使いこなせなければ意味がない。
室長にはそれができた。自身はほとんど魔術能力を失っているというのに、“人を使う”という才覚があった。
あるいは、強引にでも、一人一人眠らせてでも避難させるべきだったのかもしれない。実現性はともかくとして、彼にはその発想すら浮かばなかった。
無力感に苛まれ、呆然とし、また動き出す。その繰り返しだ。
今度はどこへ繋げばいい。
彼はその魔術でどこへだって行ける。だが、いったい、どこへ行けばいい。
もうどこへも行けない。どこにも行きたくはない。
信頼していた上司を失い、仲間の生存にも望みはなく、ただ一人で力もなく、彼の心は摩耗しきっていた。
自暴自棄な思考の果てに、彼は一つの行き先を思いつく。
――皇都だ。
もうどうなってもいい。せめて、なにがあったのかを知らなければならない。
そして彼は、二年九ヶ月ぶりに皇都へと“穴”を繋げた。
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