与えられた箱庭⑤

 なにをやってもうまくいかなかった。

 昨日も今日も不漁続き。なにが伝統漁法だくだらねえ。

 そんなことより、おかで適当なカモを捕まえて脅した方がよほど実入りがいい。海獣を相手にするより遥かに楽だ。気の合う仲間とで暴れ回って楽しくやった。

 とはいえ、それも長くは続かない。

 たまたま訪れたとかいう冒険屋に、依頼を受けたとかでボコボコにされた。


 ――俺は弱くはない。そう思っていた。むしろ強い。喧嘩で敵うやつはいなかった。


 だが、彼は魔術戦を知らなかった。

 そうして、荒くれの三人は捕えられ、ならずものとして街まで連行されることになった。

 その道中で、なんとか隙をみて脱出した。命からがら逃げ出した。雨風を凌ぐ屋根すら持たない野盗にならざるをえなかった。

 お気楽な金持ちを襲って金品を奪ったり。その換金で足がついて追われたり。

 なにもよいことのないままに、世界が滅んだ。

 くそったれな世界だとは思っていたが、そこまでしろとは頼んでいない。


 そうして野垂れ死にそうになっていたところを、得体の知れない化け物に出会った。生きているかもわからない美しい女の姿形。そっちの方も不満足だったと向かって襲ったのがまずかった。

 連れられた先は、同じような境遇の腑抜けどもが集う、見かけだけは綺麗な監獄みたいな場所だった。どいつもこいつもヘラヘラ笑っていて腹が立った。

 飯はうまい。寝床もある。だがこれは、飼われてるのと同じじゃないか。

 そう思い、いてもいられず暴れたが、閉じ込められた小鳥の運動暴発と同じことに過ぎなかった。

 やがて抵抗する気も消え失せる。そうだ、もともと住んでたあの港町もこのくらいちっぽけな場所だった。あのなかで威張り散らして逆らうものは誰もいなくて、それで満足だったはずじゃないか。

 ただ、「スターライト」とかいう地位につき、あたかも中心人物みたいな面をしているやつが気に入らなかった。やつを殺し、その地位を奪う。ここで人生をやり直す。そう思った。

 結果は裏目に出た。昇格などにはならなかった。

 気に入らないのでもう少し暴れてやった。気に食わないやつは片っ端からぶっ殺すことにした。そんなときにやつが現れた。

 キズニア・リーホヴィット。「スターライト」の後釜。

 あろうことか素手で槍を掴まれ、顔面を一発だけ殴られて、そこから先は覚えていない。


 ***


「キズニアぁ! 今日こそてめえをぶっ殺してやる!」


 トッドは吼える。それは荒れ狂う暴風のようだった。


「なにが月例大会だくだらねえ! 俺はやりてえようにやる! ガキの命が欲しけりゃとっとと来やがれ!」


 あのとき以来ずっと行動を共にしてきた仲間。その二人が、コムという少女を人質にとっている。押さえつけてナイフを突きつけ、もう一人が周囲に目を光らせている。

 なりふりなど構っていられない。キズニアを殺すにはこうするしかないし、キズニアが少女を見捨てられないこともわかっていた。


「けっ、ようやく来たな」


 キズニアは、臆することなく狂暴なる男の前に立った。



「あのクズ、また……!」


 ミナセは思わず立ち上がる。コムが人質になっているとなれば、見過ごすことはできなかった。


「どうなさるおつもりデスか? ミナセさま」

「助けるに決まってるでしょ。こんな……!」

「できるのですか? トッドさまはキズニアさまが注意を引くとは思いますが、人質には二人もついていマスヨ。一人がナイフを首元に突きつけ、もう一人が周囲を警戒。近づくこともできないかと思われマス」

「それは……やってみないとわからないわ」


 もう一つ、ミナセが苛立ってならないのはキズニアの態度だ。

 なぜあのクズ――トッドを殺さないのか。あれはかつて六人もの人間を殺している。キズニアがやってこなければもっと殺していただろう。反省する様子もなく、生かしておく価値など微塵もないような男だ。

 しかし、今は。コムを助け出すことが最優先だ。



「よーし、まずは武器を置け。妙な動きを見せようものならガキの命はねえ。わかってんな?」


 言われ、キズニアは武器を放る。特に変哲のない鉄の剣。彼の愛用武器だ。


「トッド、貴様……!」

「スレイン! てめえも動くんじゃねえぞ!」


 声を上げるのはキズニアの背後にいるスレインだ。剣に手をかけ威嚇するが、キズニアは軽く右手を上げ制止する。「任せろ」――そういうように。


「けっ。ずいぶんと潔いじゃねえか……」


 槍を構え、先端を丸腰の男に向けながら、トッドは手に汗握る思いだった。

 素手だからといって侮れる相手ではない。それは身をもって理解している。キズニアを知っているらしい他の住民から話を聞くに、想像以上にやばいやつだというのもわかっている。

 もはや伝説の領域にすらある騎士団。その団長を務めた男。すなわち、それは皇国最強と呼んでも差支えがないということだ。

 トッドは思う。自身の実力がどこに位置するのか。かつて己を捕らえた冒険屋もきっと大したやつではなかった。それでも手も足も出なかった。キズニアはその上、さらにその上、そのまた上にいる。

 そんな男が、こんな小さな箱庭にいていいはずがないのだ。


「動くな。それ以上は一歩も動くんじゃねえぞ」


 トッドはじりじりと距離を詰める。その矛先をキズニアの胸に、心臓に向けながら、一突きで絶命せしめるために。


「刺せ」


 キズニアが初めて言葉を発した。


「その槍で俺の胸を貫くといい。それでお前の気が済むなら」


 静かで、厳かな声だった。ただの挑発にも思える内容も、彼の口から出る以上は一点の曇りのない真実としか響かなかった。冗談でも、策略でもなく、彼が「刺せ」というならそれは「刺せ」という意味なのだ。


「……正気か? ああ?」


 トッドはもはや動揺を隠せない。

 あと一歩踏み込むだけで心臓を貫ける男と、武器もなく構えもせずただ無防備に立つ男。

 だというのに、追い詰められているのはむしろトッドのようだった。

 ――まさか、この状態から胸を刺してなお、殺せないとでもいうのか。

 いくら実力差が離れているといっても、考えられない事態に思えた。どんな人間でも、斬られれば、血が出れば、心臓を貫かれれば死ぬ。キズニアといえどそれは変わらないはずだ。

 キズニアは鎧を着込んでいるわけでもない。刺せといいながら障壁で防御もないだろう。魔力で皮膚を頑強化というのも同じことだ。

 刺せば死ぬ。それは確かだ。しかし、だからこそ。

 トッドは、その一歩を踏み出せない。



「お、おいトッド。どうしたんだよ」


 不安そうに声を上げるのはコムを人質にとるトッドの仲間である。あと一歩で殺せる距離にあるのに、彼はいつまでも動かない。


「うーむ、ありゃトッドくんビビってるねえ」


 能天気な声を上げるのは人質になっているコムである。


「んなっ、てめなんつった! もう一度いってみろ!」

「んー? だってさっさと刺せばいいじゃん」


 こんなガキにまで舐められては立つ瀬がない。が、重要なのはトッドがキズニアを殺すことである。それまでは大事な人質だ。それを見越して舐めているのか。ますます苛立つ。


「あ、ミナセちゃん」

「あ?」


 人質の目線の先を見る。特になにもない。だが、直後。

 ナイフを握っていた右手の先に、燃えるような熱さを感じた。


「……あ?」


 なにかが飛ぶのが見えた。とてもよく見慣れたもの。

 それは、自身の右手だ。


「感覚保護もしてないなんて、ウソでしょ」


 呆れるような低い声。どこからともなく聞こえた声の主によって、男の右手は手首の先からナイフを握ったまま斬り飛ばされていた。


「なっばっ、てめえ!」


 見張りに立っていた男がようやく気づく。そこにいなかったはずのもの。

 ミナセ・イヴァナス。ダメ元で試した負幻影による奇襲。彼女自身もまさかうまくいくとは思っていなかった。相手は、それほどまでに無教養だったのだ。


「ぐ、がぁ……!」


 低姿勢からの逆袈裟斬り。男から血飛沫が上がる。

 コムを押さえていた男は失った右手首を左手で押さえながら膝をつき、もう一人も胴体を大きく斬られて倒れ伏した。あっけなさすら感じさせる決着だった。


「医療設備に運べば助かるとは思うけど、どうしよっか」

「わーい。かっこいいー! ありがとーミナセちゃん!」


 ミナセは剣についた血を払った。コムは目を輝かせてそれを見ていた。



 トッドは槍を置いていた。

 人質が解放されたからではない。それ以前から、もう諦めてしまっていたのだ。

 ――この男は、こんなところで死んでいい男ではない。

 その想いに抗えなかったのだ。

 これまで人を殺すことに躊躇いなどなかった。命乞いをしてきた相手をそのまま殺したこともある。だというのになぜ、殺せなかったのか。


「クソが!」


 トッドは、堪らず拳を振るった。せめて殴らなければ気が済まなかった。


「俺は刺せといったはずだが?」


 わかりきっていたことである。拳は掴み取られ、握り潰されようとしている。


「あぐ、がぁ」

「仲間が死にかけているぞ。運んでやれ」


 と、払うように拳を離す。トッドは慌てて後ろを振り返る。そして仲間の元へ駆け寄って肩を掴んだ。


「手首を斬り落とされているな。処置が間に合えば繋がることもある。持っていけ」


 キズニアはそれだけ声をかけて、負傷した二人を抱えて運んで行くトッドを見送った。


「……キズニアさん」


 声をかけるのはミナセだ。


「あたしがこうしていなかったら、どうするつもりだったんですか」


 それは聞かずにはいられない問いである。


「まずは感謝する。俺にとってもこれは賭けだった」

「賭け? あたしが動くことを見越していた、ということですか?」

「そうではない。トッドが槍を置くかどうか。それが賭けだった」

「どういうことです?」


 ミナセはその様子を直接見てはいない。いかにコムを救出するかに集中していたからだ。


「あのね、ミナセちゃん。トッドくんは、ぼくが助けられるより先に槍を置いたんだよ」

「え?」


 わからない。だが、結果的にそうなったということは、やはりキズニアは無策ではなかったということなのだろう。


「あれには迷いがあった。人質をとり、俺を確実に殺せるという状況に立って、迷いを抱えていた」

「迷い? それは、つまり……まさか、良心のようなものですか?」

「どう呼ぶべきものかは難しいところだ。あれは俺を殺すことを望みながら、ただ殺せればよいと思っていたわけではない。あいつ自身もそのことに気づいてはいなかったようだがな。とにかく、あれの中には確かに“殺したくない”という心があった。矛盾した感情だ」

「そんなものに賭けたっていうんですか……? キズニアさんなら、いくら人質をとられていたって、あんな連中当たり前に制圧できたはずです。あいつら、感覚保護も知らないんですよ?」

「むろん、造作もない。あいつらは頭が悪いからな」

「だったら、なんで……!」

「俺はあいつの未来が見たかった」

「だから、殺さないんですか。あんな……あいつは、すでにここで六人も殺しているんですよ! きっとそれ以前にも……そんな、どうしようもないクズです。なのに、なぜ、あんなやつを、殺さずに野放しにしてるんですか!」

「君も二人を殺さなかった」

「あたしは……」

「殺さずにいられるなら越したことはない」


 ミナセはそれ以上反論できなかった。他ならぬ自分自身が、殺せたはずのクズ二人を殺さずに見逃していたからだ。

 トッドほど罪はない? どうだろうか。トッドの脅威を減らすという意味では、部下も殺しておくのが間違いなく合理的だ。それでも、その判断が下せなかった。


「ミナセちゃんはやさしーからね?」


 そんなことなのだろうか、と思う。

 答えの出ないまま、ミナセは立ち尽くしていた。


 その様子を、ただ黙って打ち震えながら見ていることしかできなかったのがレシィである。

 動けなかった。〈隠匿〉を使えば手の打ちようはあったように思えた。ただ、そんな逡巡より遥かに早くミナセが動いた。

 ミナセは大会にも出なければ、教練にも参加しない。その必要がないからだ。

 同年代で、気さくに話しかけてきた彼女と、レシィは対等の友達になれるのではないかと思っていた。

 だけど、ミナセは。

 あのキズニア・リーホヴィットと、並び立つほどの。

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