与えられた箱庭④

「魔術戦において重要なことは二つある。一つは魔術能力。もう一つは魔術知識だ」


 キズニア・リーホヴィットによる魔術講義を受けるということ。およそ魔術を志すものにとって、それは最大級の栄誉といえた。


「前者はいうまでもない。この二つを並べたのは、両者は同程度に重要であるにもかかわらず後者が疎かにされがちであるからだ。相手がなにをしてくるのかわからなければ容易に足を掬われうる。魔術戦とはそういうものだ」


 コムに誘われ、レシィもまたそこに参加した。ただし、やはりミナセは不参加だった。

 参加者は四十名ほど。そのうちにはスレインの姿もある。位置づけとしてはキズニアの助手かなにかを務めているらしい 。


「とはいえ、いくら知識を深めようと固有魔術については対処は難しい。固有魔術は個人の資質に依存した再現不能の魔術であり、その種類は千差万別。対応しようにも想定すべき幅が広すぎる。経験によってある程度の予測はつくようになるが、かえってそれが仇になることもある。それより、まずは体系魔術の知識を深める方がよい」


 ミナセに言われたことは一通り試した。

 斧は申請すればすぐ戻ってきたし、“食糧供給箱”もそのうち返してもらえるらしい。手にした斧で“壁”への攻撃もしてみた。暴挙ともいえる行動に思えたが、特に誰も気にする様子はなかった。ここへ来た新人の通過儀礼くらいに考えているらしい。

 やはり、当然のように傷一つつかない。ミナセによれば、かつてトッドが何時間も槍で突き続けていたが、結局無傷だったという。


「体系魔術とは、その名の通り習得方法が体系化されている魔術を指す。ゆえに原理的には誰でも習得可能なものではあるが、得手不得手は存在する。あるいは、習得自体は可能でも実用レベルまで極めるには時間がかかるものも多い」


 脱出のために打つ手がない、のであれば。

 今やれることをやるしかない。レシィはそう考えた。

 すなわち、戦う力を身につけることだ。


「最も基本的なものの一つは武器の強化だ。これは鋼の硬質化であったり、武器の質量を一時的に増大させるものだったりする。そして、一般的によく馴染んだ“愛用武器”を持つことでこれはより効率化される」


 焦りはあった。ただ、試せることは試したし、ミナセがすでに多くを試していた。

 ホテルのAIに外出許可を求めようにも、「外出はご自由です」としか返ってこない。ホテル側では「閉じ込めている」という認識はないらしいのだ。あたかも、この箱庭が世界のすべてだとでも思っているかのようだった。


「これを踏まえて試合形式の訓練では二通りの様式がある。一つは、格上の相手へ挑み、愛用武器によって“全力を出す”ことを覚える訓練。十分に力量差が離れていれば遠慮なく全力を出しても大事にはならない。ただ、これは負けることを前提とした訓練だ。よってもう一つ、同格の相手と模造武器によって“勝つために戦う”ことを覚える訓練が必要になる」


 箱庭の大きさは、ホテルを出て端まで約300m。地図として見ればホテルを中心に扇状に広がっている細長い空間だ。

 ミナセはレストランの席で輪切りされたトマトを皿に乗せてこう説明した。トマトをナイフで二等分にする。さらに四等分。八……と苦戦し始めてそこでやめた。

 要するに、この箱庭はそんなトマトの一切れだということ。

 角度から計算してトマトはおそらく十二等分にされているということ。

 すなわち、ここ以外にあと十一区画は似たような箱庭があり、それぞれに百五十人がいるとして、 合計千八百人が収容されている可能性があるということ。

 ミナセはそう推測した。ただ、わかったのはそれだけだという。

 料理がどこから運ばれてくるのか厨房へ侵入しようとしたこともあったが、“お客様”の存在を感知するかぎりその扉は固く閉ざされ開かない。シーツの交換などで従業員の機兵が出入りする先もまた同様だ。その場にいくら座り込もうともそれは変わらない。

 いわばそれは、ホテルにとっては傍迷惑な客だろう。かといって、警備員による実力行使で追い出されるようなことはない。ただ、その間は業務が停止する。それだけだ。よって、他の客――他の住民にとっては迷惑する。「こんなことをしても無意味だ」と説得するものが現れる。

 そしてその抵抗活動は機兵によってではなく、他ならぬ人間の手によって鎮圧されるのだ。


「レシィちゃん? ねえ?」

「え?」


 考えごとに集中してぼーっとしていたことに気づく。

 講義は一通り終了し、これから実技に移るのだという。すなわち、模造剣による試合形式の訓練だ。


「コムはさ、ここから出たいって思うことある?」

「んー、ぼくー?」


 と、コムは言われてから考える。


「今は別にいいかな。でも、いつか出たときのために力はつけておきたいな」


 コムは模造剣を手にぶんぶんと振り回す。やる気満々だ。


「ぼくねー、今まで対等な訓練相手がいなかったんだ。嬉しいなあ」

「うん、私もよろしく……」


 それはレシィにとっても同じだった。が。

 “対等”というのが怪しまれるほどに、コムは弱かった。



「退屈デスか? ミナセさま」


 教練から距離を置いて、喫茶店の椅子に腰掛けて窓から外を眺めているミナセに男が話しかけてきた。

 デイモンド。高級なシルクの黒スーツに身を包み、さらには黒のシルクハット。わざわざ整えたようなちょび髭まで生やして、胡散臭さが服を着て歩いているような男だった。

 そして彼は、月例大会の司会であり、主催でもある。


「…………」


 ミナセは答えない。話すことなどなにもないと思っていたからだ。

 デイモンドは動じずに相席する。そしてにこやかな笑顔で話を続けた。


「ええ。わかりマスヨ。ミナセさまが、大会にも教練にも出られない理由ワケ


 ミナセはデイモンドを見ようともしない。


「怖いんデスヨネ」

「はあ?!」

「失礼。返事が欲しくてつい心にもないコトを。ミナセさまは牙を隠しておられるのデショウ? ここはどこにいても彼らの監視下にありマス。そんな場所でわざわざ力を振るって見せるのは愚の骨頂だと。そう考えていらっしゃる」

「…………」


 ミナセは再び押し黙る。言葉にこそしなかったが、「早く消えろ」と言いたげな露骨な嫌悪があった。


「そのミナセさまからすれば、ワタクシなどは裏切りものともいえるデショウ。なにせ、あえて魔術を披露するような催しを開き、引き換えにジュエリーの地位を得たのデスから」


 スターライトホテルには三つの等級が存在する。

 下から「フレンド」「ジュエリー」「スターライト」となっており、それぞれ二~七階、八~十階、十一階に個室が存在する(スターライトは十一階がまるごと個室になっており、エレベーターも専用である)。

 上に行くほど部屋は広く、豪華になっていくのだという。というのも、ミナセの部屋はずっと「フレンド」であり、それ以上の部屋については知らないからだ。


「考え方は異なりマスが、ワタクシもミナセさまの姿勢には感服するものでありマス。ミナセさまはここから出ることを諦めていない。これほど快適な環境で施しを受けながらも、自由であることを求めている。気高い心デス」


 歯が浮くような言葉だ。やはり無視を決め込んで正解だとミナセは思う。


「一方で、ワタクシなどは“楽しむこと”をモットーに生きております。大会の主催もそのためデス。非致死性付与魔術の心得があったおかげで安全性にも問題なく、かつ大変盛り上がる試合を実現することができマシタ」


 話しかけてきた理由は、おおかた勧誘だろう。前回も今回も決勝はスレインとトッドだった。そして優勝はトッド。キズニアがそれを瞬殺して閉幕。結果だけ見ればただの焼き直しだ。

 二回くらいならいいだろう。しかし、三回も続けばさすがに飽きられる。それを危惧して次はミナセを加えたい。そんなところだろう。


「ただ、ワタクシがこうして振舞っているのも、別にこの箱庭を安住の地と決めたからではありまセン。なぜなら、ワタクシは知っているからデス。ミナセさまとワタクシの姿勢の違いは、つまりその点によりマス」


 話の流れが変わり、ミナセもわずかにピクリと反応する。


「ところでミナセさま。ここでは、いったいが許されると思いマスか?」


 さすがの話術だと感心せざるをえない。

 ただ疑問文を投げられるだけなら、適当な生返事であしらっていただろう。ただ、彼は気になる言葉を残した。「なにを知っているの?」その言葉を引き出そうとしているに違いない。


「なんの話? 厨房を覗くことは許されてないみたいだけど」

「そうデスね。衣食住は用意され、プールや図書館やゲームセンターにスポーツジム、さまざまな娯楽も用意されていますが、ここから出ることは許されていまセン」

「単刀直入に話してくれないかしら」

「そう急かさないでクダサイ。かつてここでは、暴動がありましたヨネ? その事件で多くの人が亡くなったと聞いてマス。そうして失われた人員の補充として、ワタクシやキズニアさまが連れてこられたと」

「そうね。あたしはその当時からここにいるわ」

「レシィさまもそうデス。先日出てしまった自殺者の補充という形になりマスね」

「で?」

「減れば補充される。これは確かデス。そうしてホテルはきっちり百五十人で埋まっていマス。となると、逆のことを考えてしまうことはありまセンか?」

「逆?」

「殖えることを許すのか、ということデスよ」


 それを聞いて、数秒。ミナセは軽く視線を泳がせたあとで、椅子をズリズリ退いて男から距離をとった。


「あくまで可能性の話デスよ。そして、もしそれが許されないということでしたら……ワタクシにとっても、ここは決して住み心地のよい場所ではありまセン。ワタクシの信条モットーはなにより“楽しむこと”なのデスから」

「発想としては面白いわね。気の遠くなる話だけど」

「善は急げともいいマスネ」

「ふざけてるの?」

「いえいえ」


 たしかに、今までにはなかった着眼点ではある。

 もしホテルが「百五十人」という数に固執するのであれば、子供が産まれたときにはどう対応するのか。堕胎か。それとも、溢れたぶん誰かを無作為に殺害するのか。

 いずれも印象に合わない。ここへ連れ込まれるまでは強引なものだったが、ここに来てから彼らがなにか暴力的な措置をとったことは一度もない。であれば、溢れたぶんだけ、外へと解放するのではないか?

 そういう話に思えたが、とても簡単に試せるようなことではない。とはいえ、男女も平等な比率になっているこの箱庭なら、いずれそういった浮ついた話も出てくるだろう。問題はそのとき、いかに“溢れた一人”としてここを出るのか。なにか知っているような口ぶりは、そのあたりの仕組みについてだろうか。

 一転して、デイモンドはニヤニヤしたまま続きを話さない。苛立たしいが、やはりこちらから聞くしかないのだ。


「で、あなたはなにを知ってるの?」

「なんのことデス?」

「なにかを知ってるから、ここを安住の地にするつもりはない――って、いまいちさっきの話とは繋がらないような気がするけれど?」

「ああ、そのことですか。すみまセン、先ほどの話はそれとは関係のない世間話だったのデスヨ」

「ああ、そう。で?」

「“ここから出たいのなら、特になにもする必要はない”――そしてその日は、近いうちにでも訪れるデショウ。そのことを、ワタクシは知っているのデス」

「なにを、言って――」


 外が騒がしい。

 話の続きを遮ってあまりあるほどの、無視できないほどの騒ぎだった。



「おるぁ! キズニア! 出てこいや!」


 トッドだ。槍を構え、振り回し、荒ぶっている。教練に参加し集まっていたものも彼を避けて隅に逃げている。

 それだけならなんの問題もない。

 トッドの指示通りにキズニアが出てくれば、すぐ制圧してそれで終わりだ。

 だが問題は、彼の後ろ――トッドの部下が、人質をとっていることにあった。


「コム――!」

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