与えられた箱庭③

「うわーん。負けちゃったー」


 コムは一回戦で早々に敗退した。なに一ついいところもない完敗だった。


「あいかわらず弱いわね……」

「ぼくだってがんばってるのにー」

「はいはい。少しはマシになってるかもね。少しだけ」


 こうなると、レシィにとって出場選手はもはや誰一人知らないものばかりである。


 試合のルールはシンプルなものだった。

 選手の武器にはあらかじめ非致死性魔術が施され、ある程度の有効打を与えたと判断された場合、あるいは相手が降参した場合に決着となる。禁止事項は決着後の追撃のみ。むしろ、持ちうる魔術能力はすべて駆使することが推奨される。

 主審はキズニア・リーホヴィット。危険性が判断された場合は試合を中断させることもあるという。怪我を負った場合でも治療設備は整っているので安全だとか。


「ね? 茶番でしょ」


 続けていくらか試合を観たが、レシィの目からもさほどレベルの高いものとも思えなかった。

 というより、それはかつて落日とアーガスの試合を間近で観てしまったからだろう。あの試合を観てしまったあとでは、きっとどんな試合でもレベルの低いものに見えてしまうに違いない。


「いやあ、まあ、どうかな……」


 とはいえ、出場者の実力自体はレシィより遥かに上なのは確かだ。ゆえに、レシィは言葉を濁して答えるほかなかった。

 ただ、そうなると気になるのは「茶番だ」と断じることのできるミナセの実力である。


「ミナセは、なんで出ないの?」

「あたしから言わせればなんでこんな見え透いた策に嵌ってるの、ってとこよ」

「策?」

「いったでしょ。この箱庭の目的。連中は魔術を知るためにあたしたちをこうして集めてる。今だって観察されてる。というか、あたしたちの生活は四六時中監視されてるわ。たぶん、言動の一字一句余さずね。それでこれよ。魔術師同士を戦わせて、よりわかりやすい記録をとろうってことでしょ」

「あ、茶番ってそういう」

「主催はあそこにいるデイモンドって男なんだけどね。さっき司会してたやつ。自分からアイデアを企画として売り込んだらしいのよ。その功績とやらであいつはジュエリー。しかも恒例行事にするつもりみたいね。まだ二回目だけど」

「へえ……」


 ミナセはそう言うものの、出場者は本気で戦っているし、観戦者も盛り上がっているように見えた。どうにも、ミナセだけが浮いて見える。


「ここから脱出するのを諦めていたら、そりゃただ楽しいだけの行事でしょうね」


 レシィの胸中を察するようにミナセは答えた。


「ミナセは諦めてないの?」

「当然でしょ。こんな籠の中で飼われる鳥みたいな生活、我慢できる?」

「どうだろ」


 ここに来てまだ初日では、正直なんとも答えようがなかった。


「あなたも、なんだっけ、会いたい人がいるのよね? それでここから出たいんじゃない?」

「でも、ミナセはここに半年いるって言ってなかった? 出る方法ってあるの?」

「……現状では、打つ手はないわね。でも」


 ミナセの表情は沈み、言葉は途切れる。レシィは続きを待っていたが、その先の言葉がミナセの口から出てくることはなかった。



「さあ、次の試合は……おおっと! 彼だ! またあの男が出場名簿に名を連ねていてくれマシタ!」


 目を離していた試合場から歓声が上がる。注目選手の登場らしい。

 長い銀髪の男。鋭さを感じさせる顔立ちをしている。携える武器は長く細い刺突剣レイピアである。


「スレインね。あいつはまあ、強いわよ。そこそこね」


 ミナセはそう評する。まるで興味なさげだったミナセも、彼の試合は一応観るらしい。

 スレインが試合場に立つ。対戦相手の緊張からも、彼が相応の実力者であることが窺い知れた。

 試合が始まる。相手の方が先に仕掛けた。勢いをつけた両手剣の振り下ろし。

 だが、剣はスレインには届かず、甲高い境鳴音が響いた。


「対斬撃障壁。スレインは障壁魔術が得意なのよ。たった一枚で馬鹿みたいな強度を誇る」


 その状態から、スレインは刺突剣で相手を突いた。胸に一刺し。「致命傷」と判断され、決着となる。


「え?  あれ?」

「気づいた? インチキよね。あいつ、障壁に自分が通す穴だけど開けたのよ。対斬撃だから刺突ならそのまま通らなくもないけど、やっぱり引っかかるからね。でもそれがない。だから相手は逃げられない」

「すご……」


 レシィは思わず感嘆を漏らす。

 障壁は比較的誰でも習得可能な体系魔術である。だが、あれほどまで使いこなせるとなると話は別だ。体系魔術も極めさえすれば、ある意味で「準固有魔術」とでもいうべき強みになるのだとレシィは知った。


「それでも、トッドには勝てないんだけどね」


 ため息まじりのつぶやきだった。レシィはその名を対戦表から探す。一回戦の最後の試合にその名があった。


「けっ。おいマジかよ。またあいつか? またあいつと決勝なのか? 他にいねえのかよ」


 荒っぽい野次が聞こえる。声の主は、人相も悪い。髪型も奇抜だ。いわゆるモヒカンというやつだ。


「あいつよ。いかにも雑魚っぽいけど、では強い方なの」


 と、軽蔑した目でミナセはその男を見る。

 やがて、その男――トッドの試合が回ってきた。


「よろしく頼むぜぇ〜」


 舌を出し、対戦相手の顔を覗き込むような挑発的な態度。気品という言葉からは最も遠いところにいるような男だった。

 得物は槍だ。構えも、逆手に持った雑なものだ。

 だが、試合が始まってからの動きは目を見張るものだった。

 間合リーチの有利があるにもかかわらず、トッドは一気に距離を詰める。そして槍ではなく、足で足を払った。意表を突かれた相手は抵抗もできない。そうして倒れた相手に向かって、重力方向に従って逆手に持った槍で思い切り突く。


「そこまで!」


 それは寸前で止められる。非致死性魔術の施された武器とはいえ、そこまですれば怪我を負う危険性があったからだ。


「弱ぇ」


 相手への敬意など微塵も見せずに、吐き捨てるようにトッドはいった。


「もうわかったでしょ。スレインとトッド。順当にあの二人が決勝よ。それを見越しての対戦表になってるから」

「ミナセちゃんが出たらそれも変わると思うんだけどなー」


 と、ひょっこり姿を見せたのはコムだ。


「……医務室に行ってたんじゃなかったの」

「転んで擦りむいただけだから」

「そうね。怪我するまでもなく負けてたし」

「んもー」



 その後の試合もミナセの予想通りに進んだ。

 スレインが勝ち、トッドが勝った。そして最後にはその二人が残った。


「かーっ、やっぱスレインてめえかよ。とっとと済ませようぜ。雑魚に用はねえんだ」

「今日は勝たせてもらうぞ。トッド」


 それは、その日行われたどの試合よりも白熱したものには違いなかった。ただ、一方的な展開である印象は拭えない。トッドの槍は突くだけでなく斬ることもできる。縦横無尽に繰り出される攻撃に対し、スレインはなんとか障壁で防ぎつつも翻弄され続けていた。

 ただ耐え、ようやく見つけた反撃の隙。しかし、それはトッドによって誘われた隙だった。


「なっ」


 障壁に開けた穴に、トッドの槍が刺し込まれる。精妙な槍捌きがなければ到底なし得ない業である。


「そこまで!」


 決着。ここまでミナセの言った通り、やはりトッドの優勝であった。ミナセの予想が的中したというよりは、トッドの実力が抜きん出ているようだった。


「優勝はトッド! やはりこの男だ!」

「くだらねえ。カスしか出てねえ大会で優勝したとこでなんも嬉しくねーんだよ。キズニアぁ! てめーだよ。殺してやるから出てきやがれ」

「おお! 猛っている! 猛っているぞ! 激戦を終えたばかりだというのに、この男はまだやるつもりデス!」

「…………」


 名指しされ、男は静かに立ち上がる。

 そんな当たり前の仕草だけで、人々は固唾を飲んで見守った。

 キズニア・リーホヴィット。最強の男。身に纏う空気だけでそのことが伝わってくる。


「で、そのトッドもキズニアさんには手も足も出ないってわけ」


 ネタバレ?! レシィは思わず目を見開いてミナセを睨みつける。

 とはいえ、レシィもそんな気はしていた。キズニアと呼ばれた男は、ただそこにいるだけで格の違いを感じさせる。トッドと試合場で並び立ったとき、それは歴然と見て取れた。

 現に、トッドですらも対峙しただけで冷や汗を流し、動揺を隠せていない。


「それでは! 本日の最終試合デス! 皇国最強とも名高い英雄! キズニア・リーホヴィット! 対するは叛逆の槍使い! 十六名の猛者から勝ち抜いた男! トッドだ!」


 ただしその試合内容は、まるで親が子供をあやすがごとくだった。

 攻撃し続けるのはトッドだ。だが、その攻撃はすべて軽く払われていた。このまま体力が尽きるまで打ち続けたとしても、きっと一つたりともキズニアには届かないに違いない。そう確信できるほどに。

 観客はその様子をニヤニヤしながら眺めている。

 トッドはあの態度だ。人々からの好感度は低いに違いない。あるいは最悪といっていいだろう。それでも彼の優勝を見届けられたのは、最終的になるのがわかっていたからだ。

 どれほど悪辣な出場者が勝利しようとも、最後には誰もが信頼を置くキズニアが圧倒的な勝利を収めることで溜飲を下げる予定調和システム。開催はまだ二回目らしいが、すでにそれは完成しているように見えた。


「ぜぇ、ぜぇ……」


 トッドは汗を滝のように流しながら、息を切らして、それでも愚直に槍を振る。たとえ誰に笑われようとも、負けるわけにはいかなかったから。

 しかし、それも終わる。トッドの意思はどうあれ、キズニアに終わらせる意思があればいつでも終わっていた試合なのだ。

 キズニアは右手で剣を握ったまま、拳でトッドの腹を殴った。ズシン、と重く響くような一撃だった。

 それだけでトッドは気を失い、糸の切れたように前屈みに倒れていく。剣を置き、キズニアはそれを支えた。


「決着ぅ~~ぅ!!」


 観客は大きな歓声を上げる。最強の男がただ最強であることを証明する。それがなにものにも代えがたい娯楽であり、心の支えであった。


「はあ」


 そのなかで、やはりため息をつくのがミナセだ。


「くだらない。当たり前でしょ。いったい誰がキズニアさんに勝てるっていうのよ。ていうかキズニアさんもなんで、こんなくだらない催しに……」


 誰もが認める最強の男。その扱いに、レシィはようやく彼の名をどこで聞いたのかを思い出す。

 キズニア・リーホヴィット。皇国英霊騎士団の元団長にして、皇王陛下直属近衛の隊長である。

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