英雄の落日②

「よくぞ御前試合で優勝を果たした。ご苦労だった」


 第三皇子は公邸の応接間に落日を招き、労いの言葉をかける。他には誰もいない、二人きりの夜である。


「ありがとうございます。これも殿下のおかげです」


 落日は礼をし、慇懃な態度で答えた。


「そう。私のおかげだ。私は皇国の各地で御前試合に倣い、小規模ながら魔術大会を催して才能の発掘に努めてきた」

「はい。たまたま近い町でそれが開催されると聞き、意を決して参加して、本当に良かったと思っています」

「そうだな。ところで、どうして私がここまで近衛隊の増強に努めているかわかるか?」

「そうですね……」落日は少し考える、が。「……わかりません。とはいえ、そのおかげでこうしていられるのですから感謝はしています」

「私の擁する近衛隊は三百人を超える。これは皇王陛下直属のそれを上回るものだ。その実態はほとんど私兵同然であり、なかには武力による政変を企んでいるのでは、と噂するものさえいる」

「まさか」

「そう。さすがに私もそのつもりはない。ただ、力にはそれ自体に価値がある。特に固有魔術は素晴らしい。固有魔術とは可能性の宝庫だ。個人の資質に由来し、他者には再現不能な魔術。多種多様なそれらを集結させ、適切に運用するなら、“数”では到底覆しようのない“質”となる」

「はい。わかります」

「落日、お前もその一人だ」

「俺が……?」

「固有魔術〈英雄属性〉」


 その一言に、落日の全身が硬直する。


「なぜ身構えた? お前は確かこういってたな。“自分には固有魔術と呼べるものはない”あるいは、“あったとしても知らない”そんなところだったか」

「…………」


 落日は返答に詰まる。


「とはいえ、固有魔術の秘匿についてはむしろ魔術師としての意識の高さを評価してもよい。忠誠を尽くす相手であるはずの私にも黙っていたのは思うところはあるがね」

「……は。それについては――」

「ところで、お前は本気で私を殺せるつもりでいたのか?」


 突如、それは空気までも凍りつくような声色だった。


「な、なにをおっしゃって……」

「惚けるな、というのは無理な相談というものか。このように詰め寄られれば濡れ衣であれ図星であれ惚ける選択肢以外にはあるまい。さて、話の続きだ。なぜ私が国中を駆けずり回って有能な魔術師を探しているのか」


 第三皇子は落日に背を向ける。あえて、隙を見せるかのように。


「有能な魔術師はさらなる有能な魔術師を引き寄せる。私の近衛には〈能識〉という固有魔術を持つものがいる。文字通りだ。彼は対象を目にすることで固有魔術を持つものと、その能力を見極める。私は彼の能力によってお前を見つけることができた」

「な、にを……俺は、あなたの開催した大会に参加して……」

「お前がいるのがわかっていたからあんな辺境で大会を催したのだ。お前を招き寄せるためにな」

「なぜそのような……直接お声がけいただいても……」

「はじめはそうしようかと思った。ただ、近衛に加えようというからにはだが事前に身辺調査をする。その際、お前が異日という男の弟であることがわかった」

「――!」


 そこまで指摘されれば、落日も逃げ場がないことを悟った。


「とはいえ、私の擁する近衛にも心を読む魔術師まではいなくてね。いずれ加えたいとは思っているが――お前の心がどこにあるかを試すことにした。第三皇子と接触するチャンスが舞い降りてきたとき、この男はどう動くのか。それを観察していた」

「それで、俺をどうするつもりですか」

「お前が有能な魔術師であるのは間違いない。私が思うに、“最強”と呼んでも差支えのないものだ。あるいは、キールニールにさえ勝ちうるかもしれない。それほどのものだ」

「それはまた、ずいぶんと買っていただいているようですね……」

「さて、話を戻そう。今度は惚けずに答えてもらうぞ。お前は、本気で私を殺せると思っていたのか?」


 再び、空気が張り詰める。落日は慎重に言葉を選んでこれに答える。


「殺せる殺せないの話でしたら……発言が矛盾していませんか? 俺は“最強”なのではないのですか?」

「私が言いたいのはこういうことだ。お前は私を殺せない。なぜなら私は皇子だからだ」

「それは……仮に殺せたとしても、一国の皇子を暗殺となれば死罪は免れないという話ですか?」

「仮にもなにも、殺せないといっているのだよ。試してみるといい」

「試す……?」


 落日の頬から伝って、顎から冷や汗が零れる。

 露骨な挑発。この場には皇子と二人しかない。またとない好機には違いない。しかし、これはあまりにも明白な罠だ。見えはしないが、確実になにか仕掛けてある。迂闊に動くことはできない。


「理解したか? 仇が目の前に、しかも二人きりというこの状況で、しかしその殺意を看破されていては警戒心によって動くことはできない。仮に意を決してなりふり構わず襲ってきたとしても、お前は私には勝てない。なぜなら私は皇子だからだ」

「どういう……!」

「お前は自身の固有魔術〈英雄属性〉を、どの程度理解している?」

「固有魔術抜きでは、俺はあんたには敵わないといいたいのか」

「そうだ。理解しているようだな。お前の固有魔術はひどく曖昧な、無体ゆえの強さを持つ。“英雄として振る舞うかぎり決して負けない”、“勝つべく戦いには勝つ”――そんなふざけた魔術だ。だからお前は御前試合で優勝することができた。あれは英雄にとって勝たねばならない試練だったからだ。しかし、皇子の暗殺や、ましてや復讐など、とても英雄的な行為とはいえん」

「あんたもあんたで俺の質問に答えていなかったよな。それで、俺をどうするつもりなんだ?」

「どうもしない。より正確にいうなら、これほどの才能を手放すつもりはない。お前には私の近衛として忠誠を尽くしてもらいたい――が、今のままでは力不足かもしれん。そういうわけで、お前には二年ほど騎士団に入ってもらう」

「騎士団に?」

「お前の固有魔術はいわば地力に補正をかけるようなものだ。その地力が低くては不安が残る。騎士団に入り、修練を積め。そこで訓練を続けるかぎり、お前は騎士には決して勝てないだろう。模擬戦は“負けてもいい”戦いだからだ」

「なんだかんだと、俺を遠ざけておきたいってことか? 始末するのではなく?」

「始末などと。そのつもりなら初めからお前を引き入れたりはしない。お前には私への殺意というリスクを補ってあまりある価値があると私は判断した。お前にとってもこれはよい話だと思うがね。殺意を知られ警戒された状態の私を殺すことは決して容易くはない。これはそのための訓練だ」

「…………」


 舐めやがって――とは口に出して悪態はつけない。言質をとられれば、ただでさえ困難な復讐が不可能なものにまでなりかねない。「始末するつもりがない」という言葉も信用できるものではないが、その話に乗らないかぎりあらゆる道は閉ざされているように思えた。

 皇子の主催する大会に参加し抜擢され、御前試合で優勝し、ついにこうして二人きりで面会できるほどの立場になった。

 だが、それはすべて手のひらの上で踊らされていたに過ぎなかった。

 悔しさが滲む。しかし、感情に身を任せ自暴自棄にならず、本気で復讐を成し遂げることを考えるなら、皇子の言葉はなにもかも正しい。


「わかりました」


 復讐はもうあきらめたと誤認させるまで、忠誠を尽くすふりを続けるしかない。


 ***


 索敵や遠征に利用する簡易拠点への転移陣は司令塔地下に存在するが、第二砦・第三砦への転移陣は砦の東西端に配置されている。大規模な人員・物資移送を目的としているため術式自体が直径約5mと、かなり大きいものだからだ。

 空間転移とは離れた両者の空間を術式で結び、同じタイミングで発動させることで互いの空間を交換する魔術だ。ゆえに、空間転移とは常に双方向の移動が発生する。タイミング合わせはあらかじめ時間を指定するか、霊信での連絡による。新生アイゼルでは後者の手法をとる。


「あ、殿下。ちょうど今は資材の最終移送準備をしておりまして。これが終わり次第になります。……これを最後に、砦を放棄し脱出なさるのですね?」


 応じるのは作業中の転移担当官だ。


「そうだ。資材の搬入はもういい。急いでくれ」

「了解しました」


 第三皇子の両脚は捥がれている。

 そのため六本脚の生えた椅子に座り、魔術駆動によって代わりに歩かせている。これはいわば一種の魔獣である。

 日常生活においてさほど不便はないが、見ていて不安定さは感じる。最大速度も人間の早歩き程度だ。彼は新生アイゼルの指導者としてその弱みを見せぬよう努めてきた。


「落日。ボリス。お前たちは私と共に第三砦へ来い。アーガスとノエルは第二砦だ」

「我々はどうすればいい」


 と、いうのはグラスだ。隣にはレシィがいる。“我々”とはその二人を指すようだった。


「好きにしろ。第二・第三もそれぞれ接続しているのだから、いずれにせよ自由に行き来できる」

「そうか? アーガスと落日とがそれぞれ別の砦へ向かうのは人望のある二人を分けて士気を分配するという狙いがあるようだが」

「お前はどちらだ? 士気を上げるのか、下げるのか。いずれにせよ我々はどちらにも向かう。些細なことだ」

「殿下! 準備を完了しました。これより物資輸送の空間転移を行いますので離れていてください」


 空間転移とは離れた両者の空間を術式で結び、同じタイミングで発動させることで互いの空間を交換する魔術だ。ゆえに、空間転移とは常に双方向の移動が発生する。

 現象としてはそうではあるが、今回は用途として第一砦から第二砦への移送を目的としているため、第二砦からなにかが送られてくることはない。第二砦の転移陣になにも載っていないかぎりは。


 言葉を失う。

 その場にいた彼らは一人たりともその事態を想定していなかった。

 第二砦へ通じる転移陣より、それは物資と入れ替わるように現れた。

 赤。人の形。束ねられた流れる銀髪。

 赤い機兵。右腕の代わりに赤熱した刃を持つ。これまで彼らが対峙してきた機兵とはまったく異なる未知のデザイン――すなわち、の機兵である。


「攻撃型機兵アンドロイド……」


 グラスだけがその正体を知る。しかし、そうでなくても誰もがすぐに悪夢の顕現であると理解する。

 それは想定しうる最悪の可能性を示唆していた。


 “敵”は、すでに空間転移を理解している。

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