英雄の落日③

 予期せぬ事態を前に誰もが硬直するなか、ただ一つ動く影があった。

 それは狂気に蝕まれていたがゆえに、本能に近い反応速度で即座に動くことができた。

 突如姿を見せた未知の存在に躊躇なく渾身の殺意を振るうことができた。

 男はなにも持たぬ右手を振るう。その速度を伴う質量が、あとから現出する。

 それは一見して血塗られた鉄塊でありながら、鉄ではあり得ぬ高密度の巨大質量である。剣の形をした殺意の具現装置であり、極めて単純な魔術暴力の形である。


「シロゥ――!」


 アーガスはその男の名を呼ぶ。

 対し、赤い機兵は棒立ちしたまま。

 頭部に二つ。両肩に二つ。背部に二つ。全方位を見渡す高速度視覚素子にて、まず周囲の状況を確認。残存する原住民は七人。接近し、敵意を向ける存在も感知していた。ただ、その男の手にはなにも握られていない。

 しかし、ミリ秒の単位でその意味は確かに捉えることができた。

 見えない鋳型に鉄が流し込まれるかのように、右手で握られていたことに柄を起点として、それは形を得ていく。

 質量が無から現出するという既存の物理常識を超えたかの現象を前に、機兵は対応するだけの性能を備えていた。

 攻撃の軌道予測。最小限の動作でその軌道上に刃を置く。それだけで損害は完全に回避できるという予測結果が算出されていた。

 機兵の右腕は刃である。分子振動の制御によって実現される超高熱によってあらゆる装甲を断ち切るタングステンの刃である。

 殺意は、赤熱の刃によって容易く溶断された。

 根元から斬り落とされた刃は宙を虚しく舞い、近くにいた転移担当官の頭部に突き刺さる。

 返す刀で赤い機兵はシロゥの身体を両断する。

 血が舞い、蒸発して大気に溶け込む。


「アーガス、さん……」

「な――!」


 二秒。

 あらゆる状況にも即応できるよう訓練された歴戦の騎士が、致命的な隙を許した。

 その失態は殺人狂の死によって埋め合わされる。

 敵の出現。未知の機兵。隣にはノエル。落日とボリスは向こうにいる。敵の狙いは。

 非言語的な思考が入り乱れるように瞬間発火し、彼は直感で動く。

 ――狙いは、殿下だ!


 機兵は第二砦への術式を破壊し、次の狙いを定める。

 その前には、すでに屈強なる双斧の騎士が立ち塞がっていた。

 最短距離を塞がれ、迂回しようにも邪魔されるのが明白であるならば、排除するほかない。アーガスは敵からその判断を引き出した。

 赤熱刃が確実な急所に振るわれる。首の付け根。人体に対する刃では考えられぬ異質な金属音が鳴り響く。

 固有魔術〈硬化〉である。それはいかなる攻撃をも無効化し、鉄をも溶断する赤熱もまた例外ではない。

 アーガスは刃を弾かなかった。ゆえに、致死確実の高熱を伴う刃はまだ彼の首を狙い、押し当てられ続けている。常日頃は一瞬の発動のみで済ませる〈硬化〉を、彼は持続発動させていた。

 なぜなら、この戦いは彼一人のものではないからだ。


 機兵の背後より、遅れて立ち直ったノエルが動く。

 距離はわずかに数歩。ゼロコンマのわずかな猶予もない圧縮された時間のなかではあまりに遠い。そもそも、接近が悪手であることはシロゥが身をもって示したばかりだ。

 射出系の攻撃は確実にアーガスをも巻き込む位置関係にある。だからこそ、敵の意表を突ける。


「氷槍」


 彼女が得意とするのは氷晶魔術。

 三本の氷柱を現出させ、その質量を先端の鋭さに乗せて敵を貫く。


 機兵は背後のセンサーで危険を察知。

 損害予測。防御の必要性を認める。機兵は振り向き、氷の槍に対し赤熱刃を防御に転用した。

 熱により氷を蒸発させ鋭さを殺しつつ、切断しその軌道を逸らす。流れ槍がアーガスにも直撃したが、〈硬化〉で身を守るかぎり彼は無傷だ。

 機兵は二人の魔術師に挟撃されている。ゆえに、必ずどちらか一方に背を向けることになる。全方位の視覚野を有していても、身体は一つしかない。背後を見せることは、やはり隙を見せることを意味する。人間に比べそれはごくわずかな隙に過ぎないが、それを見過ごすアーガスではない。

 双斧の振り下ろしによる一撃。

 しかし、それはただ地を穿つのみで、敵の影はもはやそこにはない。

 機兵は跳び、宙空で半回転のち、アーガスの背後に降り立つ。着地の瞬間にあらかじめ収縮させた大腿部の人工筋肉を解き放ち、爆発的に駆け出す。

 人の形をしながら、人としてまるで取り繕わない、人ではあり得ぬほどの風を切る超低姿勢疾駆。

 狙いは第三砦への転送陣。そこには、新生アイゼルの要である第三皇子がいる。


「やつはすでに、空間転移を理解しているぞ!」


 アーガスが吼える。

 落日もすでに臨戦態勢にある。

 皇子の前に立ち、剣を構え、向かい来る赤い機兵に遠隔斬撃を放つ。

 機兵にはどうやら魔力というものが見えていない。ゆえに、遠隔斬撃を躱すことができない。

 それが彼ら魔術師にとっての通説だった。

 しかし。

 赤い機兵は高速で駆けながら、それを躱した。右足で地を蹴り、左に逸れて、遠隔斬撃の軌道をたしかに躱した。


「なっ……!」


 機兵には魔力は見えない。しかし、あらゆる戦闘記録を蓄積する通信網と学習能力がある。剣などの近接武器を振ることで射出される未知の攻撃は把握されていた。魔力は見えずとも、剣は見える。

 剣が振られる速度と方向。交戦距離。攻撃が命中するまでの時間。その傷跡。データベースを蓄積し分析すれば、攻撃の正体と対処法は見えてくる。剣を見て、その軌道を読めば、斬撃そのものは見えずとも躱すことができる。


 銃声。

 第二・第三転送陣の中間にて少し離れて立っていた、グラスによる攻撃である。

 高速で駆ける赤い機兵に対し側面から、機兵の機能を持つからこそ可能な正確な射撃管制によって狙い撃つ。

 ただし、銃弾を捉え対応するだけの能力を有するのは赤い機兵も同様である。

 原住民の殺害を目的とした兵装であるためその銃撃は機兵に対して威力は十分ではなく、そのまま受けたところで損害は微々たるものではあった。とはいえ、防ぐための労力もさほどではない。

 機兵はわずかに腕を動かすことで銃弾の側面から射出方向に対し垂直ベクトルの力を軽く加えてこれを弾く。数発は掠める程度に命中したが、労力と時間浪費に対する損害軽減の効果としては最大化された結果であった。


「殿下! 早く!」


 ボリスは叫ぶ。

 敵の狙いは第三砦への転送陣か、あるいは第三皇子か。

 いずれにせよ早急に脱出せねばならない。空間転移を発動させ、この場を脱出する。せめて、皇子だけでも。

 秒が惜しまれる高密度の鬩ぎあい。シロゥを瞬殺し、ノエルの氷槍を退け、アーガスの足止めを突破し、落日の遠隔斬撃を躱し、グラスの銃撃をものともしない。

 これまで相手にしてきたの機兵とは明らかに異なる、戦闘のために設計された機体性能。攻撃型機兵アンドロイド。その脅威はもはや理解させられた。最悪の可能性が頭をよぎり、怖気が立つ。

 ボリスが第三皇子を支える役目にある以上、落日がこれを止めねばならない。

 あとから追うアーガスとノエルはとても間に合わない。


 と、攻撃型は突如ガクンと姿勢を崩す。

 完全を体現したかの隙のない動きを見せつけていた機兵が、たしかに見せた大きな隙。

 理由はわからない。考えるよりも早く落日が動く。

 直進し距離を詰めながらさらに速度を乗せた遠隔斬撃で、確実に当てる。

 鈍い金属音を響かせながら、斬撃は確かに命中し、攻撃型の動きを止めた。


「ボリス! 行け! 殿下だけはなんとしてもお守りしろ!」


 落日を置いて、皇子とボリスだけでもこの場を脱出しろという指示。

 死力を尽くし捻出した数秒の隙でそれは叶う。


「落日。お前も、生きて戻れ」


 皇子は最後にその言葉を残し、転移によって去っていった。

 それを確認すると、落日は遠隔斬撃で即座に転移陣を破壊した。


「残念だったな」


 そして、残された敵を睨みつける。


「ひあっ」


 と、その場に似つかわしくない素っ頓狂な声を上げたのはレシィだった。

 そして、先ほど攻撃型が躓いたのは、彼女によるものだったと落日は知った。

 魔術によって延長された斧の柄が彼女の手に握られ、敵の進行上に設置されていたのだ。

 今まで注意を払っていなかった少女が、最悪の状況を回避する決め手となった。落日は思わず笑みを零す。


「で、できた……」


 一方で、レシィは鼓動の高鳴りを抑えきれない。

 敵襲に怯えグラスの影に隠れ〈隠匿〉を発動させたレシィだったが、ふと滑稽な映像が脳裏に浮かんだ。

 もしかしたら、棒で足をひっかければコケるのではないか。

 その棒としては、手元に斧しかない。斧しかないが、魔術によってこれは延長させることができる。アーガスがやっていたし、いつかも見た。その作業中は、“身動き”とみなされるのだろうか。

 アーガスがいて、落日がいて、グラスがいる。敵はきっとそれらの強者に注意が向いていて、レシィになど目もくれていない。そう思った。ならばできる。

 そして、できた。

 レシィは自分の固有魔術にまだ知らないことがあると知った。斧を魔術で延長させる作業は、“身動き”に入らない。ただ、機兵が足を引っかけた衝撃が伝わり動いてしまったので、〈隠匿〉はいま解除されている。

 思えばわずか数十秒の出来事。発想から実行までよくできたものだとレシィは我ながら不思議に思う。


「さて、遊ぼうぜ。あとはもう俺たちだけだ」


 アーガス、ノエル、落日。三人の魔術師が敵機兵を取り囲む。

 状況理解はまだ追いついていない。なぜ機兵が空間転移で現れたのか。第二砦はすでに制圧されたのか。だとすれば、その連絡が一切なかったのはなぜか。連絡の間さえ与えずに一瞬で制圧したとでもいうのか。だとすれば、空間転移が機能しているのはなぜか。

 わからぬことだらけだ。だが、まずはなにより目の前の敵を倒すことだ。

 今まで見たこともない赤い機兵。右腕の刃は鉄をも溶断する。迂闊に近づけない。戦闘能力はこれまで倒してきた機兵とは比べ物にならない。

 わかるのはそれくらいだ。まずはこいつを倒すしかない。


 攻撃型は敵個体の識別と戦力評価を行う。

 個体名:アーガス・ブラウン。二本の斧を持ち攻撃を無効化する能力を持つ。脅威度10。

 個体名:ノエル・コルセア。氷を現出させ攻撃に転ずる能力を持つ。脅威度6。

 個体名:落日。剣を持ち、特筆すべき能力はないが高い戦闘能力を持つ。脅威度8。

 個体名:グラス。敵対異常行動をとる汎用型アンドロイド。能力は機体性能に準じる。脅威度3。

 個体名:不明。異様に柄の長い斧を持つが、今は常識的なサイズに収まっている。突然その姿を現したように観測された。脅威度、不明。


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