英雄の落日
「聞け! お前たち!」
第三皇子は人々を集め、塔の上より声を張り上げた。
人の上に立つべくして生まれ育てられた皇族ならではの、よく響く声である。
「我々はこのたび二つの切り札を手にした。一つは彼女、
彼はグラスを隣に立たせ、あえて“彼女”と呼んだ。人格のある存在であることを強調するためだ。
「彼女は機兵に見えるが、その実態は違う。彼女の本質はこの眼鏡だ。この眼鏡が機兵を乗っ取っているのだ。眼鏡によって機兵はただ操られるがままになっている。すなわち我々の魔術は、機兵をも屈服させらえるということだ!」
彼はあえて大袈裟にそう語った。
「そして、この眼鏡は“見ただけですべてを知ることができる”! 彼女には先日、敵の基地を見てもらった。我々はそれにより多く“敵”の情報を得た。あまりにもそれは容易く達成された。それは彼らが魔術に無知だからだ。“見ただけでそのすべてを知る”などという存在など考えてもいないのだ」
彼はグラスの存在をあえて“魔術”と呼んだ。実際には彼の持つ能力が魔術由来のものであるかは不明だ。彼はたびたび敵を「魔術の使えない木偶」と呼び、「我々は魔術師なのだ」と強調してきた。「魔術が勝利した事例」として士気を煽り、グラスに同族意識を向けさせる狙いがあった。
「もう一つの切り札が“星の所有権”である! これは我々にとっても未知の遺物だ。彼らにとっては途方もない未知であろう。この遺物は“星を落とす”! 文字通りにだ! 彼らの基地でさえもこの遺物の前にはひとたまりもない!」
彼はあえてその用途を“星を落とす”ことに絞った。実際に彼が期待しているのは“天上の船”の直接攻撃である。ただ、真の切り札は情報漏洩を防ぐために隠す必要があった。わかりやすさという点でも星を落とすというのは言葉の印象は強い。
「やつらは、突然この地に現れ、皇国を、世界を焼き払った! なるほど、彼らにはおそるべき力がある。だが彼らは知らない! 魔術というよりおそろしい力があることを!
我々には力がある。戦う準備はできた。彼らは認識妨害を知らない。彼らは空間転移を知らない。忽然と姿を消す我々に、彼らは呆気とられて間抜け面でウロウロするしかないのだ。
想像してみろ。彼らは我々に比べ膨大な軍勢だ。数にものをいわせ、いずれこの砦の位置すらも見つけ出すだろう。やっとのことで見つけ出した砦が、いざ準備を整えて攻撃してみたらもぬけの殻だ! そのときの彼らの間抜け面を想像してみろ!」
やや苦しいか、と皇子は思った。だが、このあたりが落としどころだろう。
「これより、第二砦ならびに第三砦への全的避難訓練を実施する!」
事実上の敗走である。
***
「これがその“虫”だ。見てくれ」
第三皇子はグラスを呼び出し、執務室にて発見した“虫”の残骸を見せた。
ジガバチを模したかのその機械は、手のひらの上で拳を握ればすっぽり覆い隠せるほどのサイズである。それほどの小型でありながら視覚・聴覚情報を収集し送信する機能を持ち、それこそ蜂のように自由に飛び回ることができる。
「“敵”の偵察機械か」
「これはいつ、どこでこの砦に侵入した?」
「アーガスだ。“星の所有権”回収任務の際に衣服に付着してついてきたものだ」
「なっ」
遠慮のない指摘に、さすがのアーガスも声が漏れた。
「これ以外には何機だ?」
「アーガスを見たところ六機だ。機兵部隊に襲撃を受けた際、衣服に付着させられたものだろう。空間転移で帰還した直後にアーガスを離れ、砦内の各地へ散会したものと思われる」
「その後の動きまではわからんか」
「不明だ。なにより、帰還後のアーガスに注意を払っていなかったために今気づいたくらいだ」
アーガスは思い起こす。あの戦闘では土や泥が舞い上がり身体中が汚れていた。すぐにでも離脱するために慌てていた。このサイズの“虫”が付着していたのを気づけというのは無茶というものだった。だが。
「申し訳ありません。俺の不注意のばかりに――」
自責の念は重い。
「顔を上げよアーガス。お前は任務を完全にこなした。そして、任務を命じたのは私だ。これは私の責任だ。このような敵の作戦を想定もしていなかった私の愚かさのな」
第三皇子は歯噛みする。悔しがっている場合ではない。
「この“虫”はどのような情報を収集し、どのような情報を発信している?」
「収集した情報は砦内の構造や居住人数。我々の会話も多くが盗聴されているが、この“虫”自体はまだその情報を発信していない。対認知障壁に阻まれ通信ができなかったからだ」
「障壁の外へ脱出すればそのかぎりではないということか?」
「そうだ」
「この“虫”には砦の外へと脱出する能力はあるのか?」
「当然ある。内蔵バッテリーの活動時間は最大三時間。通信出力も低いが、彼ら“虫”同士で通信し内部の情報収集と外部へ脱出するものとで役割を分担するといった判断能力も備えている」
「お前が敵基地を見た時点ではこの砦の位置は判明していなかったのだな?」
「判明していなかった。君たちとの遭遇地点をプロットし解析していたが、君たちの空間転移を用いた偽装によってその推定範囲は広く、発見には2000時間はかかっていたはずだ」
「やはり時間の問題だったか。だが、それが今とはな」
第一砦は主拠点だった。だが、いずれ捨てなければならないことはわかっていた。だからこそ過剰にリソースを割くことはできなかった。「定期的に使い捨てることのできる拠点」という形を模索するほかなかった。
それゆえに生活は困窮する。困窮ゆえに士気が下がる。士気が下がれば戦うことはできない。
防衛と攻勢を同時に行うことはできない。
多くの為政者が好んできた、「攻勢によって士気を引き上げる」という逆転の裏技は、もはや間に合わない。
「砦中を捜索して“虫”を探し出せ。おそらく、すでに何機かは脱出しているだろう。この砦の位置はもう敵に見つかったと判断する。“虫”を探すのはこれ以上の情報漏洩を防ぐためだ。グラス、我々にはどの程度猶予がある?」
「不明だ。偵察機械が全機が健在でないことを把握すれば我々に気づかれたと判断するだろう。ならば敵も作戦を急ぐはずだ」
「……皇都を滅ぼした、“天の落とし火”によってか!」
「彼らがこの程度の砦に熱核兵器を使用する可能性は低い。また、彼らの戦略指針として全的破壊による殲滅ではなく、制圧のちその拠点を調査し他の生存者捜索のための情報収集をしたいという意図がある。認識妨害や空間転移など彼らにとって不可解な現象が相次いでいるためだ」
「わかった。ならば焦土作戦を伴う全的撤退だな。すべての住民と可能なかぎりの物資を第二・第三砦に移送し、第一砦を破壊して放棄する」
いずれそのときがくるのはわかっていた。だが、耐えがたい苦みを伴う決断だった。
***
「全住民の避難が完了しました。物資の移送もほぼ完了しています。残るは我々だけです」
それは、彼らにとってはじめての「避難訓練」だった。
全的避難は第一砦の全住民と移送可能な物資(食糧、衣料、家具など)を第二・第三砦へ分割して避難させる手順である。すなわち、その訓練は全住民の労働力を一時的に止めさせることを意味する。これまでにそんな余裕はとてもなかった。
ただ、その手順については机上で幾度か議論がなされた。結果、予想よりは順調に避難は進んだ。さしたる不備も滞りもなく避難は完了間近に迫っていた。
「北転移拠点より霊信。敵影を確認したとのことです」
「来たか」
残る司令部は塔の霊信所に集まっている。砦を囲うように配置されている各転移拠点に監視員を配備し警戒させ、敵の動きを見る。ただ尻尾を巻いて遁走するのでは“先”がない。ここで敵の出方を見る必要があった。
「敵影、約二百体。完全には視認できないものの推定千体が横一列に並んで進行してきているとのこと」
「千体が……横一列?」
奇妙な報告だった。千体という数は単純な戦力比で見れば脅威だ。新生アイゼルに戦力と呼べる人員は多く見積もっても二十人ほどしかいない。が、敵からすればそれ以上の戦力を割くのは容易であるはずだ。
千体では砦を半包囲もできない。そのうえ一列では薄すぎる。「この程度で十分」と侮っているのか。あるいは。
「どう思う」
「その千体だけで本隊とは考えられない。敵はこの新生アイゼルを最大で千人規模のコミュニティであると推定していたからだ。殲滅を目的とするなら少なくともその十倍の戦力を用意するはずだ」
答えるのはグラスだ。
「一万か。しかし、その規模だと他の区域からも増援を要請する必要があるな?」
「そうだ。ゆえにどうしても初動が遅れる。我々が被発見に気づき逃走する可能性を認識しているなら、この動きはあまりに緩慢すぎる」
「そうだな」
少し考え、皇子は霊信担当官に指示を出す。
「北転移拠点は廃棄して撤退。他の転移拠点では敵影発見の報告はないか」
「ありません」「ないです」「こちらも見えません」
となると、北のみからこれ見よがしに機兵が接近していることになる。
横隊は典型的な索敵陣形でもある。一つの可能性が脳裏をよぎる。すなわち、敵はまだこちらの正確な位置を把握していないのではないか、ということだ。
「その、たぶん囮だと思います……」
予想外の方向から声が聞こえる。入り口から、少女の声だ。
赤髪の少女。その少女の名は、レシィといった。
「な、なんだ君は! なぜ避難していない? 早く――」
「いや、待て」
皇子が制止する。ここでの会話を聞かれてしまっているのなら、避難させて一般住民と混ぜるのはまずい。なにより、少女の言葉が気になった。
この少女はたしか、グラスと共に保護された少女だ。ボリスの話によれば過去七回も機兵の襲撃を経験し、生き延びているという。ならば、こんな少女でも敵の戦術については知見を期待できるのではないか。そんな考えもあった。
「聞かせてくれ。敵の狙いがわかるのか?」
「えっと、その……前にも、同じような状況があったんです。一方向から敵が二体現れて、私たちは反対方向に逃げ出しました。でも、その反対側で、敵は待ち伏せていて、私たちを包囲していたんです」
「なるほど。確かに似ているな」
皇子は頷く。
ならば、この場合“反対側”というのはなにに当たるのか。
「まだ距離があると油断させ、本隊は隠密行動ですでに間近まで接近し侵入して来ようとしている。たとえば、そんなところか?」
「は、はい。あると思います」
「その場合は対侵入障壁で対応できる。無断の侵入行為を鈍化させ、警報を発生させる障壁だ。その形での奇襲は起こりえない」
「はい。確かにここは、私の知るかぎり最も防備が整っていると思います。ですが……」
「まだなにかあるのか」
「い、いえ、私には思いつかないんですが、彼らは私たちを殺すためなら手段を選びません。なにをしてくるか……」
「だろうな」
だからこそ、それを見極めなければならない。
目に見える影は囮に過ぎない。本命は目に見せず影に潜ませ刺してくる。
アーガスに対し数で襲撃し、その実は“虫”を潜ませ撤退を焦らせたのが本命の作戦であったのがそれだ。
だが、見えない。本命がなんであるのかがわからない。
欲張りすぎれば身を滅ぼす。この場合では敵に砦の情報を奪われることがそれだ。新生アイゼルの全体像を推定させる材料を与えることは大きな痛手となる。
知るためには知られるというリスクを支払う必要がある。収支判断を誤れば破産は免れない。この段階に至っても敵の作戦が見えてこないというのであれば、手遅れになる可能性がある。
すでに避難は完了している。あとは、いつこの砦を放棄するかだ。
退き際の判断というのは、いつだって重い。
「撤退する」
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